触手少年よ、永遠に……
触手を一振りする。
今まで通りで、いや、今まで以上に触手が身体に馴染んでいる気がした。
『僕には本体ほどの力はない。あの蛇男がどれだけ僕の本体の力を引き出せるかにもよるけど、互角に渡り合える時間は短いよ。僕の予想では五分がタイムリミットだ』
上出来だ。五分あれば、あいつらを救い出せる。
深呼吸を一つして、シャーロンを睨みつける。シャーロンは一瞬怯んだが、直ぐに冷静さを取り戻したようだった。
「ふ、ふふ。残念でしたね! 私には人質がいるのですよ! そういえば先ほどからこいつとあなたは親し気でしたね」
「あっ!」
蛇男はそう言うと星川を掲げる。それと供に、星川の口から苦しそうな声が漏れ出る。
「シャーッシャッシャ! 一歩でも動いてみなさい! この女の命は――は?」
蛇男が口を開くと同時に八本ある触手で地面を蹴り出す。
そして、蛇男の触手から星川を奪い返し、蛇男の背後に着地する。
「な……!? い、いつの間に!?」
蛇男は慌てて背後を振り返る。あからさまに狼狽えており、先ほどまでの余裕は消えていた。
「あ、あっくん?」
「おう。星川、とどめはお前に任せる。人質は俺が一人残らず救出するから、一瞬の隙をついてあいつをやれ」
「う、うん。分かった」
星川を地上に下ろし、とどめを託した後、俺は蛇男に向き直る。
「教えておいてやる。タコの触手はほぼ全てが筋肉だ。つまり、八本全てを一つの動作に集中して使えば膨大な力を生み出せる。触手少年にとって、これくらいは出来て当然のことだ」
「くっ……! 減らず口を叩くなぁああ!!」
怒りに身を任せ、蛇男が触手で俺を押しつぶしにかかる。どうやら、人質を取っていることの有利はもう頭の中に無いらしい。
だが、好都合。
「遅いぜ」
宙に飛び上がり、蛇男めがけて口から墨を吐く。
「ぐあああ!? くっ! なんですかこれは!?」
「触手真拳、目潰し」
視界が真っ黒になった蛇男は滅茶苦茶に触手を振り回す。その隙に俺は捕らわれている街の人々や愛乃さん、イリスさんとタマモを触手から奪い返し解放する。
「悪道君、ありがとう!」
「あ、ありがとうございます!」
「ママー触手に襲われたけど、触手に助けられたよー!」
感謝の言葉を伝える人々。
「……立派に成長したのね」
何故か涙ぐんでいるイリスさん。
「んほおおお!! きたわああああ!! 一週間ぶりよおおお!!」
…………。
約一名、頑なに俺の触手を放そうとしない触手ジャンキーがいたが、イリスさんが引っぺがしていた。
そして、愛乃さんは星川と合流してとどめをさす準備をし始めていた。
「星川! あとどれくらいだ?」
「ごめん! あと一分頂戴! あと、愛の言葉もくれると頑張れるかも!」
「世界で一番愛してる」
「……っ。私も!」
一分か。いけるか?
『ギリギリだね。思ったより力の消費が早い。でも、無理と言っても君はやるんだろ?』
分かってんじゃねえか。
『まあ、これでも君の相棒だからね』
蛇男と向き合う。
蛇男は血走った眼で俺を睨んでおり、数十の触手の先を俺に向けていた。
「おのれぇえええ!! この気色悪い触手男があああ!!」
「その言葉、特大ブーメランだぜ」
一斉に俺目掛けて放たれる触手を八本の触手で捌く。
量で遥かに劣っているのはこちら側だったが、それを補って余りあるだけの触手少年としての経験が俺にはある。
「くっ! ふざけるな! 私が、この私が貴様如きに負けるはずがないのですよおおおお!!」
蛇男は更に触手の数を増やし、一層攻撃を激しくする。しかし、一本一本の攻撃は単調かつ先ほどよりは力強さに欠けるようになっていた。
そうなれば、対処はさっきより楽になる。八本の触手で襲い掛かる触手を一斉に跳ね返す。
「なっ」
蛇男が動揺したその隙を逃さず、地面を触手で蹴り、蛇男の顔の辺りに跳ぶ。
「今度は俺の番だ! 触手真拳、奥義! タコ殴り!!」
「ボヘアアアア!!」
「オラオラオラオラオラオラオラァ!!」
「ブヒョエエエエ!!」
蛇男の上半身を八本の触手で殴りつける。
一瞬の隙も与えない。
「あっくん!」
そして、時は満ちた。
星川の声に合わせて、最後に蛇男の顎にアッパーを食らわせる。
既に白目を向いている蛇男の顔が上を向き、無防備な姿がさらされる。
「最後に一つだけ教えておいてやる。タコの足は八本だ。お前は触手を増やすんじゃなく、八本の触手を使いこなすことに全力を注ぐべきだった。触手を愛し、共に生きるのではなく、自分の思い通りに利用しようとしたお前の負けだ。星川!!」
「うん!!」
星川の方を向けば、星川と愛乃さんが既にやけに大きな桃色の玉を撃ちだす。
その玉が蛇男の全身を包み込んだ。
『あ、そういえば僕の本体は?」
「しまったあああ!! タコオオオ!!」
慌てて触手を伸ばすが、俺が掴めたのは蛇男が持っている触手の先端だけだった。
そして、桃色の光が緩やかに収束していき、後には白衣を着たおっさんと俺の手元に触手の残骸が一本だけ残っていた。
「タ、タコ……っ。すまない……俺のせいで、帰らぬタコになっちまうなんて……」
元々憎しみから生まれた存在だ。いずれは星川たちに浄化されていたのかもしれない。
それでも、会いたかった。あいつの夢を叶えてやりたかった。
「そんなに落ち込むなよ」
不意に手元から声がした。声のした方に視線を向けると、そこには残骸の触手があった。
「やあ。久しぶり」
「いやあああ!! 触手が喋ったあああ!!」
「タコが喋るんだから触手だって喋るさ」
その声は紛れもなく、よく脳内に響いていたあのタコの声だった。
「え? タコ……なのか?」
「まあね。浄化される寸前で、君が触手を掴んでくれて良かったよ。僕の分体ともいえるタコ足の気配を辿って何とか浄化される前にここに避難できた。とはいえ、ここにいてもいずれ僕は消えちゃう。だから、勝手に出ていっておいてなんだけど、もう一度君の中にいさせてくれないかい?」
その言葉と供に触手の先端が俺の方に伸ばされる。
断る理由なんて無かった。
「乗りかかった船だ。降りろって言われても降りねーよ。お前の夢の果てを俺に見せてくれ」
「……! うん。君とならきっと辿り着ける。そんな気がするよ」
触手と触手が繋がり、タコが俺の中に溶け込んでいく。
「あっくん!」
星川の声が聞こえ、そっちに目を向ける。
星川は俺の表情を見て、安堵のため息をついてから笑顔を浮かべた。
「今度こそ、ちゃんと言えるね。おかえり、あっくん!」
「ああ。待たせたな」
隅の方に愛乃さんの姿も見えるが、こちらの様子を温かい目で見守っている。
星川と俺を夕陽が照らす。
更に、星川も何かを期待するように俺を見ていた。
こ、これは……いい雰囲気だ。
そう言えば、俺がタコと融合したあの日もこんな夕方だった。そして、あの日言い切れなかった言葉が俺にはある。
「ほ、星川!」
「う、うん」
星川の名前を呼ぶと、星川が緊張したような面持ちで俺を見上げる。
そして、星川に一歩近づく。
よ、よし……言うぞ!
「星川、俺と――」
「待ちなさい」
付き合ってください。そう言おうとした時、タマモが俺の触手を引っ張って自分の方に引き寄せた。
「あなたが誰か知らないけど、一番は私が貰うって約束なのよ」
「へ?」
「それに、私は既に始めても彼に奪われてるの。大人しく一番は譲りなさい。あなたは二番よ」
おいいいい!! この触手ジャンキー何言ってくれてんのおおおお!?
「ほ、星川違うぞ! これは、そういう意味じゃなくてだな……」
「なに? まさか約束を破るつもりなのかしら? あんなに私の身体をメチャクチャにしたのに、酷いわ」
およよ、と言いながら泣いたフリをするタマモ。その様子を見て、星川の表情から笑顔が消えていく。
「あっくん? 私がいない間に随分とお楽しみだったみたいだね?」
ひ、ひぃ!
「ち、違うんだよ星川! こいつは触手ジャンキーで……一番って約束はしたけど、それはマッサージの話で……」
「そうよ。彼の手で私を絶頂へと導く最高のマッサージよ」
「お前もう喋るな!!」
慌てふためく俺を見てタマモは笑っていた。
こ、こいつ楽しんでやがる!
「あっくんの……あっくんの……」
星川の方を見ると、星川は顔を真っ赤にして俺を睨みつけていた。
「バカー!!」
「ひでぶっ!」
そして、星川は俺をビンタしてから、頬を膨らませて愛乃さんとどこかに行ってしまった。
はぁ……なんでこんなことに……。
『やれやれ。やっぱり君はバカだねぇ……』
まあ、仕方ない。星川にはちゃんと後で謝罪するとしよう。
そう思い、顔を上げると目の前にはイリスさんと俺と供にイヴィルダークを脱退した下っ端たちがいた。
「タッコン……。あなたはバカね。でも、無事でよかったわ」
「はい。イリスさんも無事で何よりです。それと、一つお願いがあるんですが、いいですか?」
「何かしら?」
「街の修繕作業に協力してもらえますか?」
「ふふ。あなたは相変わらず優しいわね。いいわ。私たちはあなたについて行くと決めたんだもの。あなたがやろうと言うならやるわ」
イリスさんがチラリと視線を後ろにいる下っ端たちに向けると、彼らも全員無言で頷いていた。
今回の一件で、街の人からの触手への評価は地に堕ちた。それはタコの夢にとって逆風になる。
だからこそ、評価を上げるために動き出さないといけない。
『……ありがとう』
気にすんな。俺がやりたくてやってることだ。
『それでもだよ。僕は触手を愛しているし、可愛い女の子も愛している。でも、そうだね。君のことも、愛してあげてもいい。そう思うくらいには君を――』
あ、いいです。
『――へ?』
いや、触手にまさぐられるのは正直興味ないっていうか……ぶっちゃけ触手ジャンキーにはなりたくない。
『~~~っ!! バカバカバカ! 君なんて足の小指をタンスにぶつけてしまえばいいんだ!』
ええ……。地味に嫌なこと言ってくるじゃん。
『ふん! 見直した僕がバカだったよ!』
それから、イリスさんたちと街にある瓦礫をどかしたり、怪我人を救護している間もタコはプリプリと怒っていた。
ちなみに、タマモには約束通りマッサージをした。
恨みも籠めて、普段より三倍マシにしてやった。
「あはぁ……もうやめられないわぁ……」
恍惚とした表情を惜しげもなく晒しながら、そう呟く姿はまさに一流の触手ジャンキーそのものだった。
これで一区切りです。
こんなニッチな話に付き合ってくださる皆さんに改めて心の底から感謝申し上げます!