星川明里の混乱
いつも読んで下さりありがとうございます!
まずい。
非常にまずい。
お手洗いで手を洗いながら鏡を見る。そこには、ほんのりと頬を染めた私の姿があった。
今日、私とあっくんは水族館に来ている。いくら幼馴染のあっくんとのお出かけとはいえ、水族館には大勢人が集まる。
将来、アイドルを目指す身として、人前で隙を見せるわけにはいかないと考え、しっかりと服装を考え、化粧をしてこの水族館にやって来た。
断じて、あっくんとのデートが楽しみだったからじゃない。
私の計画では、今日一日私が主導権を握り、あっくんを手のひらの上で転がしているはずだった。
そして、あっくんには申し訳ないけど、「やっぱり、あっくんと一緒にいると楽しいけど、ドキドキはしないかな」と伝えて、あっくんに諦めてもらう予定だった。
だけど、気付けばあっくんの「可愛い」という言葉に翻弄され、挙句の果てにはお昼ごはんで「あーん」までされてしまった。
な、何という屈辱……。
何より悔しいのが、私があっくんの行動にドキドキし始めているということだ。
今思えば最初のヒトデの被り物。
あそこから既にあっくんの攻めは始まっていたのだ。
あのヒトデの被り物に少なからず私は動揺してしまった。動揺してしまった私の心は普段より揺さぶられやすくなった。
それによって、あっくんの可愛いという言葉や、「あーん」にもドキドキしてしまったのだ。
そうに違いない。そうじゃないのだとしたら、まるで私があっくんのことを好きみたいになってしまう!
否、それは断じて否である!
私は星川明里。通称アカリン! 皆のアイドルであり、周りの人たちのハートを奪うことはあっても、私のハートが奪われることなどあってはならない!
「ふふふ。どうやらあっくんは眠れる獅子を起こしてしまったみたいだね」
鏡の前で笑顔を不敵な笑みを浮かべる。
ここからだ。ここから私の逆襲が始まる。
***
最後に髪を整えてからお手洗いを後にする。
あっくんが待っているベンチに小走りで向かう。
「お待たせ!」
「いや、全然待ってないぞ」
「そっか。なら、次いこっか!」
あっくんと二人並んで水族館を回っていく。
さて、逆襲をするとは言ったもののどうしたものか。こう、あっくんが照れて何も出来なくなるくらいの強烈な一撃をお見舞いしたいところではある。
考え事をしながら視線を下げると、私とあっくんの前にいたカップルが手を繋いでいるところが目に入る。
手を繋ぐ、か。
確かにスキンシップは有効だと思う。でも、それは最終手段だ。それに私からあっくんの手を取ったら、まるで私があっくんのことを好きみたいになってしまう。
出来るだけ何気ない仕草や言葉であっくんをドキドキさせたい。
「――しかわ。星川?」
「は、はい! な、何かなあっくん?」
「いや、随分と難しい顔してたから。もしかして体調良くないのか?」
そう言うとあっくんは私の顔色を確認するためにずいっと顔を近寄せてきた。
慌てて私は一歩後ずさる。
「だ、大丈夫だから! ちょっと考え事してただけだよ! ほら、魚みようよ! ほらほら、チンアナゴだよ! 可愛いよね」
「ああ。そうだな。チンアナゴも可愛いが、星川も可愛いよな」
「む。そうやって、私を照れさせようと思っても無駄だよ」
「照れさせる? いや、そういうつもりではないんだけどな。ただ、本心からそう思うからそう言ってるだけだぞ」
あっくんの言葉で思わず頬が緩む。
その頬を私は無理矢理下に引っ張る。
くっ。危険だ。
いつの間にあっくんはこんな天然で女の子を口説く男になってしまったのだろう。
少なくとも、最近まであっくんはもっと思春期の男の子らしく、女の子を褒めるにしても照れながら褒めてたのに。
だが、ここで私に閃きが舞い降りる。
そうだ。あっくんが私を可愛いというのは私が海洋生物を可愛いというからだ。
ならば、私もそれを真似するのはどうだろう。私の鋼の精神をもってしても、これだけ揺さぶられるのだから、あっくんなら猶更だろう。
例えば、サメやタツノオトシゴなどを見るのだ。そうすれば、あっくんはかっこいいということだろう。
そこで、私の一言と笑顔だ。
***
「でも、あっくんの方がかっこいいよ」
「ふぇ!? ほ、星川さん!?」
***
完璧だ。顔を真っ赤にするあっくんが容易に想像できる。
これは勝ったと言っていいだろう。
そうと決まれば早速行動に移す必要がある。
近場をぐるりと見回すと、都合よくタツノオトシゴのいる水槽があった。
「あっくん! あれ見ようよ!」
「ん? おお。いいぞ」
あっくんに声をかけて二人でタツノオトシゴの水槽を眺める。
暫くの間、眺めていてもあっくんは何も言わない。
……む。もしや私の出方を伺っているというのだろうか?
面白いじゃないか。なら、あっくんは私の手のひらの上で踊るしかないということを証明してあげよう。
「へー。あっくん、見てよ。タツノオトシゴってシードラゴンって言うんだって。ドラゴンだよドラゴン!」
「そうだな。凄いな」
あっくんはそう言って、まるで子供をあやすかのような柔らかな笑みを浮かべた。
「ド、ドラゴンだよ? もっと他に感想ないの?」
「んーそうだな。ドラゴンっていわれてから改めて見ると、結構かっこいいかもな」
来た!
ふふふ。不用意な一言だったね、あっくん。
その一言が命取りになることをその身を以って教えてあげるよ!
「でも、私はあっくんの方が――」
――かっこいいと思うよ。
そう言いたいのに、あっくんと目が合った瞬間、その言葉が出てこない。
「俺の方が? どうかしたか?」
「あ、う、うん。あっくんの方がね、あのね……か、かっこいいかもしれない」
何だか凄いもぞもぞとした喋り方になってしまった。
だ、だめだよ! こんな言い方じゃ、あっくんにダメージなんてないじゃん!
これだったら、言わなかったほうがマシだ。
「あ、や、やっぱり今の無し! 次行こ! 次!」
熱くなった顔を見られないように俯きがちに、次の場所に行こうとする。その瞬間、手を掴まれ、あっくんに身体を引き寄せられた。
え? ど、どういうつもり?
いくら水族館が薄暗い場所だからって、こんな大胆なことダメだよ!
そ、そもそもせめて女の子の身体に触れるならちゃんと了承を取ってからじゃないといけないでしょ! セクハラだよセクハラ!
そんな私の思考とは別に、身体はあっくんを無理に引き離そうとはしない。
「身体は正直だな」なんて言葉が聞こえてきそうだった。
「ふう。あと少しで人にぶつかりそうだったぞ。もう少し落ち着いて周りを見て歩けよ」
あっくんはそう言うと私の手を放した。
あっくんに言われてから冷静になって、周りを見る。確かに、さっきまで私が通ろうとしていた場所はかなりの人の数だった。
「う、うん。ありがとね」
あっくんにお礼を言ってからため息を一つついて、さっきまであっくんに捕まれていた手を見る。
それからあっくんの顔を見る。
あっくんの顔色は普段と何の変わりも無いように見えた。
あっくんは私と手を繋いで何も思わなかったのだろうか。私はあんなに動揺してしまったのに。
そもそも、あっくんが私のことを好きって言ってたはずだ。
何だかムカついてきた。どうして、私があっくんに翻弄されないといけないのだ。
おかしい。絶対におかしい。
この時の私はテンションがおかしくなっていた。
自分の気持ちがよく分からなくて、分からないままあっくんと水族館に来て、そして、あっくんに翻弄される。
そうして混乱した私は、私に惚れているはずのあっくんが飄々としていることに腹が立った。
「あっくん」
「何だ? ……こっちに手差し出してどうしたんだ?」
「はぐれるかもしれないから、手繋ごう」
「……いいのか?」
「何が? 幼いころからよくやってることじゃん」
そう言って、私はあっくんの手を握る。
私の行動が予想外だったのか、あっくんが目を見開く。よく見ると、口元が少し緩んでいた。
でも、顔色はまだ変わっていない。
だから、私はあっくんの手の指の隙間に私の指を入れた。
いわゆる、恋人繋ぎという奴だ。
「ほ、星川!?」
飄々としたあっくんの表情が崩れる。慌てたような、照れているような、そんな顔。
「どうかしたの?」
ドキドキと高鳴っている心臓を抑えて、平静を装う。
私の表情を見て、あっくんは「何でもない」と言って前を向いた。その耳はちゃんと赤くなっていた。
そうだ。
それでいいのだ。生意気にもあっくんは私を翻弄してきた。だから、これは罰である。
あっくんに、あっくんが私のことを好きなんだぞと再認識させるための罰。
それ以上でも、それ以下でもない。
他意なんてものは、無い。
…………たぶん。
主人公視点
ふぁっ! 星川にかっこいいって言われた! これは勝ちフラグ!
やべっ! 星川の手、思わず握っちまった! 手汗大丈夫だったよな……?
星川が、星川が俺の手を自ら握りに来た……だと!? 勝った! 星川ルート完!!
大体こんな感じです。
平然としているように見えたのは、必死にかっこつけてたから。後、水族館の中が薄暗くて顔色が分かりにくかったから、星川には平然としているように見えただけだったりします。