水族館デート②
水族館という場所はいい。
動物園か水族館のどちらが好きか、という問いがあるならば俺は躊躇いなく水族館と答えるだろう。
薄暗い館内。
少しひんやりとした空気がたまらない。
薄暗いと超絶美少女の星川明里さんの顔がよく見えないじゃないか!
そんな意見を言う奴は俺からすれば二流だ。
考えてみて欲しい。
お化け屋敷、夏祭り、クリスマスのイルミネーション、夜景、そして、ベッドの上。
およそ恋人たち二人が過ごす定番の状況や場所というものは全て薄暗いのだ。
人は本質的に暗がり、そして孤独を恐れる。
それは今よりも遥か昔、氷河期の時代から人が群れを形成し、火を扱っていたことからも明白だ。
稀に孤独を愛するものもいるが、彼らも真の意味での孤独を愛しているわけではない。
誰だって、この世界に生息する人類が自分だけになることを望みはしないだろう。
話がそれた。
結局何が言いたかったかと言うと、薄暗い環境を人は恐れ、自然と周りとの繋がりを求めたがるということだ。
つまり、自然と薄暗い環境下では親しいもの同士の距離は縮まるのである。
「わあ、綺麗」
「星川の方が綺麗だぜ!」
「……ねえ、それ今日何回目?」
「そうだな。五回目じゃないか?」
俺の言葉を聞いた星川がため息をつく。
水族館に来て、色々な魚たちを見て回ってきた。
カクレクマノミを見た時には……。
「あっくん、見て見て。映画で見た二ムォだよ! 可愛いなぁ」
「お前の方が可愛いぜ!」
「も、もー! 恥ずかしいよ。でも、ありがと!」
また、プカプカと浮かぶクラゲの赤ちゃんを見た時には……。
「うわぁ! クラゲの赤ちゃんって初めて見たかも! 可愛いなぁ」
「星川の方が可愛いよ」
「あ、うん。ありがとね」
よちよちと翼を広げて歩くペンギンたちを見た時には……。
「ペンギンだよ! あっくん、ペンギン!」
「ああ、そうだな。可愛いな。ま、星川の方が可愛いけどな」
「あ、うん」
更に、イルカを見た時には……。
「イルカだよ! あっくん、イルカの鳴き声って可愛いよね」
「そうだな。まあ、星川の声の方が可愛いけどな」
「…………」
そして、今はこの水族館の目玉の一つである大水槽を見ながら、星川がイワシの大群に感動しているところである。
海洋生物を見るたびに、星川を褒めちぎって来た。
これには薄暗い水族館の雰囲気も相まって、星川の好感度も爆上がりのはず……だった。
だが、何故か俺は今、「私、怒ってます」と言わんばかりに頬を膨らませた星川にジト目を向けられていた。
「ねえ、あっくん。ちゃんと魚見てるの? ここは水族館。海洋生物を見る場所であって、私を見る場所じゃないんだよ?」
「勿論、ちゃんと魚を見ているぞ。例えば、イワシは全魚中最大の水揚げがある魚なんだがな、イワシのことは普通マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの三種を指すんだ。この水族館で群れを成しているのはマイワシだな。それと、あそこに頭にコブが付いた魚がいるだろ?」
「うん」
俺が大水槽の中にいる一匹の魚を指差すと、星川もそちらに目を向ける。
「あれはコブダイという魚なんだ。実は、コブダイは生まれた時は皆メスなんだよ」
「ええ!? そ、そうなの?」
「ああ。そこから、群れの中で一番身体の大きなメスがオスになってハーレムを形成するんだよ」
「へー! ……って違うよ! それは魚を見てるじゃなくて、知ってるってことでしょ!」
感心したように声を上げた後、再び頬を膨らませる星川。
「そんなに頬を膨らませてると、ハリセンボンみたいで可愛いな」
「ま、またそうやって可愛いって言って! あっくんは私を揶揄ってるの!?」
「ちなみに、ハリセンボンの身体の針は千本も無いらしいぞ」
「え!? じゃあ、何でハリセンボンって名前なんだろ? ……って違うよ! やっぱり私のこと揶揄ってるんでしょ!」
見上げるように俺を睨みつける星川。
ハリセンボンと言われたことを気にしているのか、頬は膨らませていなかった。
「揶揄ってない。本当に星川が可愛いし綺麗だと思うからそう言っているだけだ」
俺がそう言うと星川の顔が少しづつ赤くなっていく。
それから星川は顔を逸らして、深呼吸をした。
「と、とにかく! これからは私のことは褒めずに魚をちゃんと見ること! いい?」
依然として、顔を逸らしたまま俺に注意する星川。
水族館で俺と星川の距離は縮まるはずだ。つまり、俺の「可愛いぜ」に星川は顔を真っ赤にして、「あっくん好き!」となって抱き着いてくるはずだったのだ。
しかし、何故か俺は星川に魚を見ろと注意され、挙句頬を膨らませた星川に怒られている。
何故なのだろうか。
まあ、可愛い星川が見れたのでよしとするか。
「分かった。次からは、魚と星川をちゃんと見る」
「魚だけでいいの!」
そう言うと、星川は新たな魚たちを求めて水族館の奥へと歩き始めた。
***
「お昼にしよう」
水族館の魚たちをじっくりと見て回った後、俺は星川にそう声をかけた。
「あ、もうこんな時間なんだ。水族館の中にいると時間間隔狂っちゃうよねー」
スマホの画面を見て星川が呟く。
「そういえばカフェがあったよね。じゃあ、そこに行こっか」
「いや、良かったら海が見えるテラスに行かないか?」
「別にいいけど、食べるもの無いよ?」
「お弁当を用意してきたから、それを二人で食べよう」
俺がそう言うと星川は何度か瞬きをする。
「お弁当? あっくんが作ったの?」
「ああ」
「そうなんだ! じゃあ、折角だしそれを食べよっか」
星川と二人でテラスに向かう。
テラスにはお客さんが数人いたが、昼時ということもあり、そこまで人は多くなかった。
開いているベンチに腰掛けて、リュックサックの中からお弁当とお茶を出す。
「ほい」
そう言って星川におかずが詰まった重箱を渡す。
「へー。結構気合入れて作ったんだね」
「まあな。一応、星川がアイドル目指してるってことも考慮して栄養バランスとかも考えたんだ。とりあえず食べてみてくれ」
「それじゃ、いただきます」
そう言ってから星川が重箱の蓋を開ける。
「すごい……」
重箱の一段目には、メインディッシュのローストビーフにポテトサラダや卵焼き、ミートボールにミニトマト、ほうれん草とベーコンのバター炒めなど、出来るだけ彩りも意識して作った。
揚げ物も入れようかと思ったが、星川は年頃の女の子だ。カロリーも気にしているだろうと思い、今回は無しにした。
二段目には丁度良いサイズのおにぎりを六つ。それと、フルーツを詰めておいた。
おにぎりは梅、昆布、鮭のシンプルな具材が入っている。
「それじゃ、もらうね」
星川はそう言うと、箸で卵焼きを一つつまみ口に放り込んだ。
「お、美味しい!」
卵焼きを食べた星川が笑顔になる。
「うわ、こっちのローストビーフもおいしい……。あっくんって料理上手いんだね」
そう呟きながら、星川はどんどんおかずを食べ進めていく。
その姿を見て、俺は胸をなでおろした。
良かった。普段から料理はするが、星川の口に合うかは不安だった。
勿論、星川と一緒に料理してご飯を食べることもあるのだが、そういう時は星川メインで進めることが多かった。
俺一人で作ったものを星川が食べる機会はこれが初めてだったが、どうやら気に入ってくれたらしい。
「あ、ごめん! 私ばっかり食べちゃってたね。あっくんも食べなよ」
「じゃあ、貰おうかな」
重箱の二段目からおにぎりを一つ取り、食べる。いい塩加減だ。我ながらよく出来ている。
「あ、あっくん。私にもおにぎり一つ取ってもらえるかな?」
来た。
星川のその一言を俺は密かに待っていた。
「ああ。分かった」
短く返事を返し、ラップで丁寧に包まれたおにぎりを一つ掴む。そして、ラップをめくってから、星川の口元におにぎりを持っていった。
「はい。あーん」
「へ?」
間抜けな声を上げて、俺とおにぎりを交互に見比べる星川。
「あの、あっくん? な、何してるのかな?」
「あーんだけど、それがどうかしたか? ほら、早く食べろよ。あーん」
平静を装い、星川の口元におにぎりを持っていく。
星川は困惑していたが、俺が引かないことを察したのかおにぎりに口を付けた。
「……あ、ありがと。あっくん。でも、私は一人で食べられるから、あーんはこれでお終い――あっ」
恥ずかしそうに星川が視線を下げた瞬間、俺は星川の手から箸とおかずが入った重箱を奪った。
「そうだ。星川、ミートボールも美味いんだよ。ほら、あーん」
「……へ?」
固まる星川。
「え、えっと……」
「食べてくれないのか? 頑張って作ったんだけどな……」
「あ、いや! 食べるよ!」
大げさに肩を落として、悲しんでいるような表情を浮かべる。
すると、心優しい星川は慌てて食べると言ってくれた。
「じゃあ、あーん」
「う、うぅ……あ、あーん」
食べると言った以上、星川に逃げ場は無かった。
恥ずかしそうに、周りの視線を気にしながらも星川は俺が差し出したミートボールを食べた。
「どうだ?」
「美味しいよ」
「そっか。なら、良かった!」
俺が笑顔でそう言うと、星川は俯いてから小さな声で「うぅ……このままじゃまずいよ……」と呟いた。
よしよし。
作戦通りだ。俺の攻めを前に、星川は防戦一方。
星川に惚れている俺は、星川が攻めに転じてきた瞬間に敗北する。だからこそ、星川に攻めるチャンスを与えない。
一方的に星川を攻め続け、そして必ずやこのデートが終わる頃には星川が俺に惚れている状況を作って見せる。
決意を固め、俺と星川のデートは後半戦に向かっていく。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!