魔法の鏡と少女
わたしは魔法の鏡。
今まで人々の願いを叶えてきました。
森の中のお城の一番奥に、わたしの部屋があります。
部屋はとても美しく、深紅の絨毯、金の額縁のみごとな絵画、様々な豪華な装飾品。
わたしはそれらに囲まれて、ひっそりと壁に掛けられていました。
ここのお城は人を選びます。
悪い人間が来たら兵士が追い返し、善い人間、又は可哀想な人間が来たら招き入れてあげました。
お城はわたしを大事に抱え込み、やってくる人間の中でも本当に悩める人だけをわたしの元へと導くのです。
悩み事を抱える人々はこの部屋へ来て、涙ながらに悩みを訴えてきます。
『なんて可哀想な……でも、もう大丈夫』
わたしは彼らの願いを何でも叶えました。
ある人は世界一の美女に
ある人は世界一のお金持ちに
ある人は世界一幸福な結婚相手を……
わたしに叶えられないものはありません。
いくらでも叶えてあげました。
噂を聞き付けた悩める人々は、よほど悩み事が多くて眠れなかったのでしょう。
わたしが願いを叶えてあげると、皆満足してぐっすり眠れるようになりました。
わたしは彼らの安らかな寝顔が大好き。
見ているとわたしまで元気をもらえるようです。
次に願いを叶えてあげる時は、もっと大きな願いも叶えてあげられるのだから。
そんなある日。
一人のちょっと地味な女の子が城へ入ってきました。
歳は十五、六才くらいかな?
腰まである水色の真っ直ぐな髪の毛、小顔の割には大きな眼鏡を掛けて、清潔感はあるけれど美人とまでは言えません。
服はとてもシンプルなワンピースで装飾もすくない。
たぶん恋人もいないのでしょう、恋をしている気配をまったく感じないのです。
『こんにちは、お嬢さん』
「こんにちは……」
『わたしは魔法の鏡よ。ここへ辿り着いたあなたは幸運です。何でも願いを叶えてあげる』
「はぁ……?」
キョトンとする顔に一瞬『おや?』とも思いましたが、気を取り直してこの子の願いを聞いてみようとしました。
『ここへ来たのなら悩みが有るのでしょう? 話してみて、わたしが貴女の悩みを取り除き、望みを叶えてあげます』
「悩み……と、望み、ですか…………」
少女は腕組みをして考え込みます。
たぶん、唐突なことに気持ちを上手く伝えられないのだと思いました。
よし、それなら望みを聞くのを手伝ってあげます!
『貴女は美しくなりたくはない? 貴女が望むなら、世界一の美少女にしてあげますよ』
「いいえ、私は今の私の顔で充分です。美しさは老いには敵いませんから」
“美しさ”はいらない。
それじゃあ…………
『貴女は賢くなりたくはない? 貴女が望むなら、世界一の賢者にしてあげますよ』
「いいえ、私は周りと話していくのに苦労はしておりません。余計な賢さは物事を混乱させますから」
“賢さ”もいらない。
だったら…………
『貴女は豊かさを欲しくはない? 貴女が望むなら、世界一の富豪にしてあげますよ』
「いいえ、私は明日のパンには困っておりません。過ぎる豊かさは争いの種になりますから」
“豊かさ”もいらないと言うの?
ならば…………
『貴女は永遠の愛を欲しくはない? 貴女が望むなら、世界一貴女を愛してくれる相手を与えてあげますよ』
「永遠の……愛……」
“愛”が欲しくない人間はいない。
今度こそ…………
『欲しいのよね? いいのよ、どんな相手でも……』
「…………私はこの国の王女です」
『え?』
「婚約者は生まれてすぐに、親から決められた相手を与えられました…………」
少女……いえ、この国の王女様はうつむきました。
きっと、とても辛かったのでしょう。だからこそ、私のいるこの城の、この部屋まで来たのです。
『そう! やはり“愛”が欲しいのね!? 王女様でも愛されてこそ幸せが…………』
「いいえ、私は私の婚約者に不満はありません。愛してはいないかもしれませんが、とても尊敬しております」
尊敬…………? 愛ではないの?
『……それじゃあ、貴女の望みは? わたしは貴女の望みを叶えなくては…………』
「では、ひとつだけ……」
『何? 何でも良いわ!』
「もしも、あなたなら、どんな望みを叶えたいですか?」
『え?』
王女様はにっこりと微笑みます。
「あなたの望みは世界一の美しさ?」
『わたしは鏡。美しさは関係ないもの』
「あなたの望みは世界一の賢さ?」
『わたしは鏡。賢さは関係ないもの』
「あなたの望みは世界一の豊かさ?」
『わたしは鏡。豊かさは関係ないもの』
王女様はため息をついて悲しそうな顔をしました。
「あなたは自分ではいらないものを、人間に与えていたの?」
『そんな! わたしは皆の幸せが見たくて……!!』
わたしは皆を幸せにしたい!!
皆の幸せな寝顔が見たいのよ!!
わたしは………………あ!
『そうだ、わたしは愛が欲しいわ! 人間が幸せになる愛のある光景が見たくて…………』
「あなたの言う“愛”とは何でしょう? まさか、この部屋のあちこちで眠っておられる方々に与えたものでしょうか?」
王女様が部屋のビロードのカーテンをめくると、わたしが望みを叶えたことで、安心して眠っている多くの人々が見えた。
そう、わたしが与えたのは全て幸せという“愛”。
『あぁ、あぁ…………わたしが本当に与えたいのは“愛”だった。王女様……わたしは貴女にも“愛”を与えてあげたいのです!!』
「そうですか。ですが、私はあなたの“愛”は要りません。あなたの与える“愛”には代償を払うことになるようです」
は? 代償……?
「あなたの“愛”の代償は…………“命”です」
その時、王女様の後ろから、強い光が射し込んできました。
わたしの体はひび割れていきます。
「あなたは与えられた…………いえ、奪っていたのですよ」
王女様の冷たい声が響きました。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
――――ガシャアアアンッ!!
『ぎゃあああああっ!!』
銀の弾丸に撃ち抜かれ、『魔鏡』は中心から粉々に砕けた。
残ったのは質素な枠だけになった。
魔鏡の最期を看取った王女は、目を閉じ祈りを捧げる。
祈りは魔鏡だけではない、この部屋……この城で犠牲になった者たちへの鎮魂である。
深い森の奥の廃墟の城。悪霊が跋扈し、心に迷いのある者たちを誘き寄せていた。
魔鏡があったのは、石の煉瓦に囲まれた古びて苔むしたひとつの部屋。
朽ちた絨毯、ボロボロの額の粗末な絵画、崩れて醜い装飾品。
破れて擦りきれた元カーテンの向こうには、魔鏡に命を吸われて永遠の眠りについた人間の屍が重なっている。
この廃墟の城は、以前から悪魔や悪霊が住み着き、近隣の町の人間や旅人が犠牲になっていたという。
「王女、お一人で悪霊に近付いたりなさいませんように」
王女の後ろから、二十歳くらいの金髪の若者が大型の回転式拳銃を手に部屋へ入ってくる。
「分かっております。でも、とても有意義な時間でした」
ほぅ……と、ため息をついてうっとりする王女に、側近の銃使いはやや呆れた顔をした。
「これが物に悪霊が宿った悪魔によくある、『神・女神症候群』という症例ですね。自分が人間にとっての願いを叶える、神器であると思い込むという…………実際は幻覚を見せて眠らせ、生命力を奪っていた。フムフム……不謹慎ですが、これは面白いですね。彼らには自身が悪霊だという自覚もなく人間の生命力を……」
「……………………」
側近はブツブツと自分の世界に入ってしまった主を、ひたすら黙って見詰めていた。
この国は悪魔の多い土地である。
そのため、人間に害をなす悪魔を専門に倒す機関が存在し、この王女は勉強のために側近と悪魔退治をしているのだ。
「さぁ、この城の悪魔は制圧しました。次はどんなパターンがくるのかしら!」
「…………王女、これは娯楽ではありませんよ」
王宮に居たままでは到底学ぶことはできない体験に、王女は半分趣味のような感覚で悪魔研究に没頭している。
「ひいてはこの国のためです。あ、そうです。ちょっと訊いてもよろしいかしら?」
「何でしょう?」
「貴方には叶えて欲しいものはありますか?」
「…………さぁ、すぐには思い付きません」
側近の青年は少し考え込んだ。
「あったとしても、他人に叶えられるものではありませんでしょうし……」
「そうですね。自分で叶えてこその“真の望み”です。さ、後処理もありますし、私たちは帰りましょう!」
ぐいぐいと側近の背中を押して前へ進んだ。
出口で少しだけ、枠だけになった魔鏡を振り返る。
――――もし、あなたが“望み”ではなく“悩み”を攻めてきたら…………私はちょっと危なかったかもしれません。
王女は口の端を上げ、魔鏡の部屋をあとにする。
――――人間は“望み”を持つよりも、“悩み”の方が簡単に心に住み着くものですから。
廃墟の城の一室。
壁に掛けられた割れた鏡の枠がひとつ。
風もない部屋で、鏡の枠は倒れてバラバラに砕けた。
この作品は同作者の連載の番外編です。
普通に短編でも楽しめるように頑張りました。
『Thousand Sense〈サウザンドセンス〉』
https://ncode.syosetu.com/n1141fi/
鏡は出てきませんが、王女様と側近は出てきます。