第5話「王子様、掃除する」
一家に一人シャルル様
シャルルの話に聞き入っていた春香。
だが、ふと思い出した。
………今日は、出勤日だという事を。
「げっ!?」
ふと目に入った時計は、8時15分を指していた。
五分後にはもうバスが来てしまう時間。
「やばい遅刻しちゃう!!」
「うわっ?!」
驚くシャルルを他所に、春香は弾き出されたように飛び上がり、玄関に急ぐ。
顔を洗い化粧をやり直す時間もないが、仕方あるまい。
地球の危機も大事だが、今の春香にとっては会社に遅刻するかもしれないという事の方がずっと大事なのだ。
「あ、あの」
「ごめん!続きは帰って来てから聞くから!」
デオンを置き去りにして、春香は風のように玄関から飛び出してゆく。
ガチャン、玄関の扉が閉まる。
外から、カンカンと階段をヒールが階段を叩く音が聞こえ、遠ざかって行く。
「………行っちゃった」
春香の部屋に残されたシャルルは、ただ呆然として、春香が走り去った後の玄関を見つめていた。
………………
朝から全力疾走する羽目になった春香であったが、なんとかバスには間に合った。
発車する直前、なんとか追い付いたのだ。
「ぜぇ………ぜぇ………」
バスの座席に座り、肩で息をする春香。
なんとか、社会人になって恥をかく上に社会的信用を失う危機は回避された。
「………あっ」
ふと、窓の外に視線をやる。
警察や自衛隊によって、閉鎖されている向こう。
いつも通る道にあるビルが、破壊されていた。
一つや二つではない。
道路はひび割れ、抉れている所もある。
多くの車は横転し、中にはビルに突き刺さっている物もある。
遠方を見ると、高架橋が破壊され、分断されていた。
火事が起きているのか、煙が上がっている所がいくつか見えた。
救助活動を進める自衛隊やレスキュー隊が、瓦礫の下に埋もれた人々を担ぎ出している光景も見えた。
その中には、既に息絶えてしまったと思われる人の姿も見えた。
自分の見慣れた街。
それが一晩にして、まるで大地震に被災したかのように破壊し尽くされた。
春香は、これが何により引き起こされた物かを知っている。
何より、春香もこの破壊に巻き込まれた身だ。
「………夢じゃないんだ、やっぱり」
春香の脳裏に、昨日の出来事が鮮明に浮かぶ。
改めて、春香は思い知った。
昨日の出来事が、夢や幻でない現実だと。
そして、シャルルの言う事を信じるのなら、この破壊を引き起こした元凶に、地球が狙われているという事に。
………………
さて、置いていかれたシャルルはというと。
「………これから、どうしようか」
『ううむ』
ぽつーん、と春香の部屋の真ん中に、正座したまま呆然としていた。
「話の続きは帰ってきてからですから、出ていく訳にもいかないし………」
かれこれ、30分は正座している。
少なくとも夜まで戻る事は無いのだが、それを知らないシャルルは「もしかしたら数分で帰ってくるかも」と考え、この場を動けないでいた。
付けっぱなしのテレビからは、朝のニュース番組が流れ続けている。
「………それにしても」
30分じっとしていたシャルルは、この部屋をまじまじと観察していた。
そして、ある事に気付いた。
それは。
「………よく見れば、汚れていますね」
春香の部屋が、汚いという事だ。
………言っては何だが、春香は整理整頓がそこまで出来る女ではない。
むしろ、長い独身生活からズボラになっているとも言える。
加えて、毎日夜遅くまで会社で働き、帰ったらすぐに寝るを繰り返す毎日。
休日も、朝食を買い貯めに出掛ける以外は、日々の過労から寝て過ごす事が多い。
部屋を掃除するほど体力に余裕が持てるワケもなく、かといって他に掃除や片付けをする人間がいる訳でもなく、今に至る。
汚部屋・ゴミ屋敷という程でこそない。
だが、ゴミ箱から溢れそうになっている弁当やインスタント食品の容器、少し歩けば舞い上がる埃。
床に脱ぎ捨てられている寝巻きや下着。
間違いなく、汚れている、汚いと分類される部屋ではある。
「………デオン」
『はい』
「………女性の部屋を勝手にまさぐるのは紳士として誉められた事ではないけど、僕たちもこの家に勝手に上がってしまった」
『そうですね』
シャルルが、スックと立ち上がる。
埃が、それに会わせて少しだけ宙を舞う。
「………お掃除の時間だよ、デオン!」
『かしこまりました』
シャルルの呼び掛けに応じ、デオンの宝石部分が発光する。
『チェンジ!バディモード!』
光に包まれ、デオンの姿が変化する。
ただのペンダントから、独楽に簡素な手足がついたようなロボットの姿。
これは「バディモード」と呼ばれ、デオンがシャルルの執事としての業務をする時の姿。
今までのペンダントの姿は「セーブモード」と呼ばれる、エネルギー消費を最低限に押さえた、所謂休憩中の姿だ。
『スキャニング・スタート!』
そんなバディモードに変身したデオンが、目から光を放ち、部屋全体に広げてゆく。
デオンには周囲の物をスキャンし、どこに何があるか、そしてそれをどう使うかを分析する機能も備わっている。
宇宙難民であるシャルルが、違う文明の産物である地球のトースターやフライパンを駆使して朝食を作れたのも、デオンのお陰だ。
『左のクローゼットの奥に、掃除用具一式を確認!』
「よし!」
シャルルはクローゼットを開き、中に入っていた箒や雑巾、掃除機といった掃除用具を取り出す。
春香がこの部屋に住む際に両親から渡された物で、いつか掃除しよう掃除しようと思いながら、今の今までクローゼットの奥で眠っていた物だ。
『使い方はこの通りです』
「なるほどなるほど~」
取り出した用具一式の使用法を、デオンが頭上に写した立体映像で解説する。
「よし、じゃあ僕はリビングから掃除を始めよう、デオンも窓拭きとキッチンを任せていいかな?」
『お任せください、シャルル様』
シャルルは箒を手に取ると、サッサッサとリズムよく部屋を掃除してゆく。
長い年月をかけて溜まった箒が、瞬く間にシャルルの手で掃除され、本来のフローリングの輝きを取り戻してゆく。
デオンも負けてはいない。
蛇腹状の腕を伸ばし、その持てる機能をフル活用させて、窓を雑巾でキュッキュと磨く。
たちまち、汚れで曇っていた窓は、透き通るような透明度に早変わり。
薄汚れていた部屋が、一人の少年と一機のロボット執事によって、まるで魔法にかけられたかのようにその本来の美しさを取り戻してゆく。
『続いて、次のニュースです………先日出現した謎の巨大ロボットについて、日本政府は緊急事態宣言を発令』
掃除に集中していて二人は気付かなかったが、つけっぱなしのテレビからは、昨日の戦いのニュースが流れている。
『来年に予定していた新型兵機“デルタ”の地球連合軍日本支部への導入を、今週中に早める事を発表、市民からは、怒りの声が………』
気づかれぬまま、ニュースは流れ、部屋は綺麗になっている。
彼等の昼は、そうして過ぎてゆく………。
………………
東京湾。
その沖合いに、海から来る敵を睨み、なおかつ内陸を見張るかのように佇む、一つの島があった。
島といっても、それは特殊合金の大地と、いくつもの機械が絡み合った人工島。
否、複数の砲台と展開型のカタパルトを持ったそれは、最早「要塞」といえる。
地球連合軍日本支部前線基地「タカマガハラ」。
2055年に完成した、テロを初めとする様々な異常事態に備えるべく設立された、日本史上最大の軍事基地。
陸・海・空の精鋭戦力がこの場所に集い、3000人を越える職員がここで働いている。
そしてこの日、そのタカマガハラに一機の輸送機が降り立った。
物資と共に、ある三人の精鋭が、このタカマガハラにやってきたのだ。
「………お、おい、見ろよ」
「ああ………“ヤタガラス”だ」
戦闘機の整備を行っていた整備士達が、輸送機から降りてきた三人を前に、ヒソヒソと話を交わす。
こんな末端の整備士の間でも、彼等は有名な存在のようだ。
………「ヤタガラス」。
正式名称・第二機甲大隊所属第七独立攻撃部隊。
連合軍内でその名を知らぬ者はいないとされる、陸海空のエリートを集めた「第二機甲大隊」。
その中でも、特に優れた者が集まったという、まさにエリートの中のエリート。
連合に対するテロを起こした過激派組織を、たった一小隊で鎮圧したという伝説を持ち、敵に回せばまず命はないとさえ言われ、恐れられている。
「………いつ来ても慣れんなここは、まるで船の上にいるようだ」
少し長いダークグリーンの髪をした、金の瞳の男。
彼は「草薙刃」。階級は大尉。年齢は28歳。
ヤタガラスのリーダー各で、元アメリカ空軍のトップガン。
二年前に某国の弾道ミサイルがニューヨークに向けて誤射された最に、それを単独で迎撃・撃墜したという逸話を持つ。
「そうか?俺は好きだぜ、秘密基地みたいでさ!」
紫のメッシュを入れたボサボサ頭の、赤い瞳のチャラチャラした男。
名前は「鑑弥太郎」。階級は少尉 。年齢は25。
元陸自の所属で、様々なマシンを乗りこなし、白兵戦も得意………なのだが、かつて不正を行った上官を殴って左遷される等、結構な問題児でもある。
「これからお世話になる場所ですよ、慣れないと」
ハニーブラウンの長髪を後ろでまとめた、ぱっちりした緑の目にメガネをかけた、優しそうな女。
彼女は「真奏珠江」。年齢は24歳。階級は弥太郎と同じ少尉。
ほんわかした雰囲気からは想像できないが、実はハッキングや盗聴等、情報、電子戦のスペシャリスト。
「ようこそ、タカマガハラへ、歓迎しよう」
そんな三人を出迎えたのは、スーツを着込んだ初老の男。
このタカマガハラにおける最高司令官にして、連合軍日本支部長の「諏佐武」だ。
「支部長直々の出迎え、感謝します」
「こちらこそ」
社交辞令として握手を交わす、諏佐と刃。
「………我々がここに呼ばれたという事は、ついに“デルタ”が?」
「ああ、なんとか実戦で使えるまでは完成したんだ、ついてきてくれ」
諏佐に連れられ、ヤタガラスの三人は基地の中を進んでゆく。
「本来ならプログラムにまだ時間がかかるんだが、あんな物が現れた以上、体制だけでも調えなければな」
あんな物とは、十中八九先日の二体の巨大ロボット………アーマイゼとセイグリッターの事だろう。
世間では、あれがどこかの国かテロリストが作った兵器ではという話が上がっている
故に、時間をかけて完全にする為の兵器を、早めに投入する事になった。
不完全でも、抑止力にはなるはずだと。
「………これが、デルタ兵機だ」
「おおっ!」
諏佐に連れられてタカマガハラの奥のカタパルトにやってきた三人を待ち構えていたのは、10m~20mほどの巨大な三つの機体。
「左から、スカイデルタ、高速戦闘機、これは刃君に」
左にあるのは、戦闘機を思わせる形状の赤い機体「スカイデルタ」。
全体的な形状はかつてのF-15戦闘機を思わせるが、角ばった形状をしており、下部のバーニアからVTOL機を思い出させる。
「続いて、シャドーデルタ、ジャミングやハッキング機能を持ったステルス機だ、これは珠江君に」
その隣には、一般的に認識されているステルス機に似た形状の青い機体「シャドーデルタ」。
翼にクリスタル状のパーツが見えるが、恐らく光波推進………ジェットエンジンではなく、プラズマエネルギーによる推進を行う、現行最新の推進システム………と思われる。
「最後に、ドリルデルタ、地底潜航も可能な重戦車、これは弥太郎君に」
最後に、三角コーン状のドリルのような物を二つ備えた、戦車のような黒い機体「ドリルデルタ」。
両サイドに戦艦用のレールガンを搭載し、上面には黄色く塗装されたミサイルランチャーを備えている。
「これが、デルタ兵機………」
「すげぇ………」
自分達に任された、人類の技術を結集した「デルタ兵機」と呼ばれる三機のマシン。
連合軍の次世代主力機として設計された、地球最強の機体。
弥太郎と珠江が息を飲む中、刃は表情を変えず、それを見つめている。
三機とも、数値上は現行のどの兵器も上回る物。
しかし、それを動かす為のOSはまだ完成しておらず、現行の戦車や戦闘機に使われるOSを流用している。
戦えはするのだが、その全ての機能を使う事は、まだ出来ない。
古いことわざに「仏作って魂入れず」という物があるが、まさにこの事だろう。
「ハードウェア(からだ)はこの通り完成しているし、単なる兵器としては戦えるんだが、ソフトウェア(なかみ)がな………」
「関係ありませんよ」
申し訳なさそうに話す諏佐の言葉を遮るように、刃が口を開いた。
「どんな状態だろうと乗りこなす、それが俺達パイロットの仕事です」
その表情は、不敵な笑みだった。
様々な修羅場を潜り抜けてきたエースだから出来る、強者の顔だ。