腐った土地に咲く花は――
Nさんの知り合いのGご夫妻が土地を買ったという。
お互いに趣味を大切にして、夫の方は美味しいコーヒー豆を取り寄せては自分で焙煎し、妻は手芸や工芸をかなり本格的にやっていて上級者の友人も多い。
それで趣味関連の人たちの集まるラウンジを開いた所、経営は順調。少々手狭になってきた現在の場所から、趣味を大切にする仲間のために、少し大きめの雑居ビルを建てようと考えた。
スタジオなどを作り、上層を賃貸住宅にすればラウンジの拡張と経営面の安定の両方が得られる。
だがその計画は全く予想外の形で暗礁に乗り上げた。
非常に安く売り出された土地を見つける事ができて幸運なスタートと思った。
しかし安いのは理由があった。
そこは誰も買おうとしない場所だった。
殺人事件、自殺、事故、火災、そうしたことなら気づくことができたかもしれない。
実際、入念に事前に調査した。
ただ一点、近所の人たちに話を聞くのを怠ってしまった。
地元の富豪が亡くなって相続税対策のために売られたとの話に嘘はなかったが、そこにはもともと一族が守ってきた沼地と小さな神社があった。
沼地に住む主は龍とも巨大なヒキガエルとも言われ、大切に守ればご利益があるが怒らせると祟ると昔から言われてきた。
頑固に反対していた先代が亡くなり、一族は都会に引っ越すのに面倒な物件を厄介払いしたと噂されていた。
すでに多くの資産を持ち、もはやご利益などいらないという事だろう、と。
引っ越した初日、水道の配管に重大な欠陥があり、ビルの5つのフロアがすべて水浸しになった。
それが連鎖的に影響を及ぼした。
水は恐ろしい。
内装は急激に腐食し、ドアは玄関もクローゼットも部屋を仕切るものもすべてが膨張して引っかかるようになり、いつも部屋のどこからか不快な匂いが漂う。
建物は誰一人使う前から廃墟同然の有様となってしまった。
建築を請け負った会社は修繕計画について検討しているさなか、他の取引先の債務不履行によって会社の経営継続が不可能となってしまった。
その頃にG夫妻は土地の由来について知って歯噛みして悔しがったという。
どんなに安く売り出しても買い手はつかない。
土地を売って損害をできるだけ小さくするという最後の退路が断たれている事になる。
友人たちから入居はいつからできるのかと催促され、その間も利子が負債を大きくしていく。
取り返しのつかない事態が目前に迫っている。
内装の手直し程度ならまだしも建て替えるような資金は調達できない。
結局、部分的に内装の作り直しを行い、完成した場所から入居してもらう事にした。
最初は夫妻のための1階のコーヒーショップから。
やはりと言うべきか。
怪異は起きた。
天井裏や隣の部屋でネズミの群れが駆け抜けていくのが聞こえる。
戸棚の中で物音がするが開けても中には何も入っていない。
「テーブルに置いてあったコップがいつの間にか逆さまになってた。水が入ったまま。持ち上げるともちろん中身がこぼれた」
夫のG氏がNさんにそう話してくれたという。
手品ならそう難しい部類ではないかもしれない。しかし誰が内装工事中の空っぽの部屋に気付かれないように入り込んでそんな事をするのか。
ある晩、G氏が置き忘れた資料を取りに店に戻った。
すると灰色の人影が隙間なくびっしりと中に立っていた。
「龍とかヒキガエルなんて話は全部ウソに違いない。沼で沢山の人が死んだか殺されたかして、祟りが恐ろしくて神社を建てたんだ」
G氏はそう吐き捨てた。
他に話す相手がいなくて悔しそうだったとNさんは語った。
結局、夫妻は新たな事業をあきらめて夢のビルは取り壊しとなった。
跡地は広い駐車場となった。
妻のGさんは「おすそ分け」とNさんに話した。
アスファルト舗装された上にゴムのタイヤの車を置いて効果があるのかと思ったが「何をやってもダメだったの。最後にはコンクリートで固めた上に、ある人に頼んで一枚一枚の裏すべてに呪文を書いてもらったタイルを敷き詰めたけど無駄だった。アスファルトぐらい何よ」と言われた。
「あの土地はね、腐ってるのよ」
そう話すGさんの顔は少し怖かったとNさんは教えてくれた。
鬼気迫るものがあったと。
意外なことに駐車場は繁盛して損失の穴埋めになった。
町のすべての人が噂を知っているわけではないだろうし、自動車を置くだけならと思った人もいたのかもしれない。
しかし毒の土地から生える毒の実はやはり毒だったようだ。
詳しい事情は不明だが夫妻はすべてを手放してどこかに引っ越していった。
Nさんにも何も言わずに。
その後、駐車場は不動産デベロッパーも手がける巨大企業グループの傘下の管理会社の所有になった。
引き受けた巨大企業グループは発表した財務内容に改ざんがあった事が問題になり自殺者が出るまでになっている。
とある詳しい人によると「それは忌み地だな」と教えてくれた。
理由がわからないが人を不幸にし、病気にさせる。
そうした場所が世界中にあり人々は近づかないようにしている。
「昔はそういうのを扱う特殊な職業の人たちがいて大企業や政府でもそれなりに付き合っていたんだけどね。今じゃやれ不正流用だ、背任罪だ、と騒がれる。非科学的なのを利用する詐欺師がいるのも事実だけど噂や成り立ち、そうしたものが人の心に与える影響は無視できない事もあるんだけど。思い込みの力が怖いってのは科学的にも立証されてる」
最後にNさんは自分もおすそ分けの範囲に入っているのではないかと心配している事を打ち明けてくれた。
妻のGさんが犬を飼っていないのにビニール袋をぶら下げて夕暮れや早朝に町内を歩いていたとの噂が広まっているという。
「土地の土を振る舞っていたんじゃないか、って」
関係した建設会社が潰れたが、他にも不動産関連のバイヤーが重病で入院したりと不幸が連鎖的に起きている。
他にも様々な噂があるが確かめようにもG夫妻がどうなったのか誰も知らない。多額の借金を背負ってしまったのは疑う余地がない。精神的にもかなり追い詰められていたことがうかがえる。事情が事情だけに連絡先を教えたくなかったのは理解できる。しかしそれが問題を複雑にしてしまった。
「友人だから大丈夫とは思うんだけど……」
夫妻に不幸を与えた呪いが復讐と自己満足のための武器になったのだとしたら。
今もG夫妻が夜中に現れて花壇から土を持っていくという噂が絶えないらしい。土地の真ん中に不自然に地面が露出しているせいだ。
――噂話に花が咲くなどというが、呪われた土地に咲くのは毒の花という事か。