第45話 相応の覚悟が必要になるから
ついに始まったファムの大規模な作戦。
それは天界社を襲撃するのではなく、多数の人々を巻き込んで天使たちを誘き寄せ、捕まえて弄ぶというものだった。
そのために彼女はたくさんの天使の肉片になにかの結晶らしきものを植え付けたり、甦らされた者たちに関係のない一般人を襲わせたりと悪行を繰り返している。
それに、わざわざここまで騒動を広げて、たくさんの人を巻き込んで、ほんとうに天使を弄ぶことが目的なのだろうか。
エーロドージア側でファムの──黒羽さやの側に付き添ってきたまひるとみなもには、もはや限界が訪れようとしていた。
これ以上、さやと一緒にいるだけで、なにもしていないどころか天使隊と敵対している日々を続けるわけにはいかないと思ってしまっているのだ。
かといって、彼女を悪として見たくない気持ちが邪魔をして、決心がつかない。
そこには迷いが立ち込めていて、ひたすらに揺らぎ続けていた。
ただひとつ確かに残っているのは、大きくて深い後悔だ。
前回、ファムに連れられてせれすとえりすと交戦していたときのこと。
振り返って考えてみれば、すぐに浮かび上がってくる呪いに等しいものがある。
ささやいてくるファムの声に前が見えなくなっていた自分達が、もっと正気を保っていたのなら。あのときすでにさやのことを悪だと割りきれていたら。
自分たちがふたりを止めてさえいなければ、こむぎが死なないですんだのだ。
そう囁いてくる、まぎれもない自分の声。
どうしてもさやを信じ悪にすらなりきれないふたりに、耐えきれる代物ではない。
日々見せつけられる、罪もない少女の遺骸。
それを眺める欲望の化身たちの下卑た表情。
思い出すだけでも吐き気がし、あんなことになるまえに止められなかった自分達が嫌になる。
だから、もうそんな思いをしないため、ふたりは話し合った。
ファムやエーロドージアたちの隙をみて話し合いをかさね、ついに実行に移れるだけ話がまとまったのだ。
まひるとみなもはまず、よぞらたちを捕らえるため用意された牢獄の地図を手に入れた。
それから幹部格たちの目をかいくぐり、目的地へと出発したのである。
確実な作戦とはとても言えないが、それでも賭けるしかない。
ふたりの天使はファムのもとから離れ、とある山奥を目指し飛んでいった。
◇
気がつけば薄暗いうえにやたらと長く続いている地下室に連れ込まれ、その最奥にある牢獄に到着してやっと解放された。
よぞら、めるく、らびぃの三人をそれぞれ分けることはせず、大きな牢にまとめて入れてしまい、鍵をかけて終わりだった。
いくら牢だといっても、そのものを壊せば簡単に出ていくことができる程度の頑丈さだ。
しかし、自分たちを捕らえて連れてきた大量の天使たちはみんな周辺にとどまっている。
下手に出ていけば、またあの少女でできたゆりかごに乗せられることになる。
とすれば、好機が巡ってくるまでは、いったん待つことも必要かと思われた。
牢は畳10枚ほどの広さで、ベッド代わりに布団が一枚敷かれているほかにはなにもなく、ここで生活をさせる気は毛頭ないことがうかがえる。
さっさと脱走してしまいたいが、それでもう一度捕まっては意味がない。
かといってここでじっとしていれば、いずれエーロドージアの玩具か餓死が待つだけだ。
なにか変化がないものかと、連れてこられた方角で見習い天使たちが行き来するのを眺める。
そうしてすこし経ったときに訪れたのは、先ほど出会い、敵対した少女だった。
「あの天使サマが牢屋行きなんて。笑っちゃう」
名前は紅なつき。まきなが遺した娘で、いまは敵に回ってしまった。
よぞらたちの様子を笑いに来ただけらしく、こちらの反応をうかがうこともせずに話し始める。
「あぁ、明星よぞら。あなたは安心してよね。あたしがとどめ刺すって、予約しておいたから。存分にこの恨み、晴らさせてもらうよ」
はじめの話題は、このまま捕まっていたらどうなるのか、という話だった。
むろん、天使たちはエーロドージアが弄び、その末に殺害するとは決まっていることだ。
問題はその過程で、いったいなにをしてやろうかと、なつきは自分が考えられるかぎりのことをしてやると言いたいのだろう。
ただ、言葉が拙く、その恐ろしさは伝わってこない。感情はたしかにこもっていても、うろ覚えの単語やどこかかわいらしい表現で台無しだ。
まんじゅうのように皮をはぐとか、あの棘がついてるやつでなんかしてやるとか。それでは、拷問らしさが薄れているというか。
しばらくそんな話を聞かされていると、やがて周囲を巡回していた見習い天使たちも地上の暴動へ戻っていったらしく、奇しくも好機といえそうだった。
得意になって語ってばかりのなつきなら、不意を突けば気絶させられえうだろう。
よぞらは目配せして、らびぃに睡眠薬かなにかの注射を行わせようとする。
が、そこへ新たな足音と声が響き、なつきの話は止まり、皆がそちらを見た。
黒い髪に白い睫毛、金色の瞳。ファム・ファタールだ。
いったい何の用かしらと真っ先にらびぃが噛みつきに行き、ファムは挨拶もないんだ、と余裕の笑みで応える。
「よくこんな中世のお城みたいな場所、見つけたものね」
「……いい物件は、案外探せばみつかるの」
ファムを睨むらびぃとめるくに、おどけて首をかしげてみせるファム。
上機嫌なのだろうか。一挙一動が軽快で、陰鬱な地下の空気にも記憶にあるさやの性格とも合わないようすだ。
「それだけ元気があるなら……まだ楽しめそう。いくよ、なつきちゃん」
「え、でも、いまは見習い天使どもを駆り出してて、こいつらの監視は」
「……いいから。それより、天使さんたちに忠告ね。脱出するなら、相応の覚悟が必要になるから」
そういって、ファムはなつきを連れて去っていく。見習い天使も一緒に引き連れていき、警備はまったくなくなってしまう。
なつきは焦っていた。だから、協力者である彼女にも伝えられていないなにかがあるとまでは推察できる。
つまりこれはどう見ても罠で、誘い込まれているのだ。
また先ほどの言葉も引っ掛かり、考えなしに飛び付いていい好機ではないのは明白だ。
「それでも、いくしかないわ」
「無論です、私たちが行かなければこの状況は変わりませんから」
よぞらも同じことを考えていた。
巻き込まれてしまった人々を助けるという覚悟なら、とうに決めている。
天使として曲げられない覚悟であり、たとえ傷を負ったとしても変えないだろう。
三人で互いに見つめあい、それから頷きあって、めるくが剣を振るう。
氷の彫刻に変えられたことでたやすく格子が砕け散り、牢の外へと出ることが可能になった。
ほとんど誰もいなくなった地下には音がよく響き、氷の砕ける音もかなり何度も反響していた。やたらと広いのは事実らしい。
牢のある最奥部までに連れてこられた道は、ぼんやりとなら覚えているはずだ。
記憶を頼りに来た道を戻り、ときにらびぃとめるくにも意見を求め、三人で進む。
いっこうに景色の変化が見えずに不安になるが、歩き続ければ着くのだと足を止めなかった。
一本道を歩いて、分かれ道では相談してどっちだったか思いだし、階段を上って下りて、やっとすこし開けたところにたどり着く。
まだまだ地上は先なのだろうか。
そう思いつつ、やや広間となっている場所へと足を踏み入れた。
すると、一瞬だけ張り詰めた空気であった気がし、慎重にあたりを見回し、警戒体勢になる。
なにも見つからないが、たしかに殺気かなにかがあったような気がしてならず、よぞらは落ち着かなかった。
「気のせい、でしょうか」
「……いいえ。上ですよ、よぞらさん」
めるくに言われるがまま視線を天井のほうへやると、上空から蒼い閃光とともに拳が迫ってきて、回避を余儀なくされた。
なにが起きているのかと土煙が巻き上がる光景に目をこらすと、晴れていく煙のなかに蒼の光が見えてくる。
「っち、見つかっちゃったよ。じゃあ、そっちも出てきて」
「えー、せっかくサプライズだと思って隠れてたのに」
視界が鮮明になっていくなか、物陰からもうひとりが姿を現した。
敵意をもつ相手がふたり並んで立ちはだかる。
ファムはきっと、このふたりなら足止めが任せられるとして手下たちを動かしたのだろう。
一方は灰色に白いフリルで飾り立てたドレスに、白と黒のオッドアイをもつ。
もう一方はキャミソールの肩紐を見せる着崩し方をしており、茶髪のロングヘアをなびかせている。
どちらにしても、それだけならまったく記憶にないような特徴だ。
けれど、顔立ちと身体つきはまったく変わっていないゆえ、すぐにわかってしまった。
「……まさか。あなたたちまでなんて」
めるくの呟きに相手は答えてくれない。
ふたりはすでに戦闘体勢で、ただ殺気を放つのみだ。
らびぃもめるくもよぞらが心の整理をつけるまでなんて、待ってくれない。
「ここで足止め食らってもらうから」
「そう簡単には進ませないぞー、ってとこかしら」
目の前の少女たち──紅まきなと穣こむぎは、すでに堕ちた姿で佇んでいる。
戦うほかの選択肢は、そこには用意されていなかったのだ。
深紅の髪に蒼い炎の翼の天使と、枯木色の茶髪に墨色で染め上げられた蝶の翅を持つ天使。
立ちはだかるふたりに立ち向かわなければならないのか。
よく考えてみればそうだ。
死した天使たちがよみがえっているのだから、ふたりがいてもおかしくない。
ファムが言っていた覚悟とは、きっとこのことだったのだ。
散っていった彼女たちとの再会に沸き立つ感情を押さえつけ、手にした武器で貫くことを求めていたのだ。
いまのよぞらたちにそれができないと見抜いていたからこそ、ファムはこうして警備をたったふたりに任せた。
それだけで十分だから。あるいは、まきなやこむぎと戦わなければならず苦しむよぞらたちを楽しむためか。
めるくもらびぃも、先ほどの勇ましさはどこへやら、剣や注射器を持つ手が震えている。
かくいうよぞら自身も矢の狙いを定められないだろう。
そんな様子に気づいてか、こむぎが子供のようにくすりと笑って、まきなにこう言い出した。
「せっかくこうなってからはじめましてなんだから。名乗ってあげましょ、まきなちゃん」
「うん、いいよ。じゃあ、天使らしくいこうか」
ふたりはまるで、天使たち本人でありながらそうではないように、口上を読み上げる。
エンジェル・ヒートではなく、エンジェル・ブルームではなく。
堕ちた翼たちが脳裏をよぎる思い出と重なって、網膜に焼き付いてくる。
「灯火亡き延焼の翼、クルーエル・ヒートッ!」
「未来亡き荒廃の翼、エフェメラル・ブルーム!」
「さ、始めようか!」
クルーエルとエフェメラルを前に、攻撃体勢に入るには一拍より長い心の準備が必要になってしまう。
それは相手にとっては十分すぎる時間だった。
拳と弾丸が迫り、咄嗟の防御でなんとかしのぐほかない。
クルーエルの攻撃である重い拳の一撃を受けためるくは大きく後方へ飛ばされ、またエフェメラルの銃撃を弾こうとしたらびぃは注射器を取り落としてしまう。
残るよぞらが矢をつがえるも、うまく狙いが定まらず、ようやく放った一本は銃弾で撃ち落とされてしまう。
さらにはその弾に続くもう一発がよぞらの肩を射抜き、血を飛び散らせた。
「よぞらさん……!」
「よぞらちゃんっ!?」
「っと、あたしのことも忘れないでよ」
腹部を狙った容赦ない一撃が、めるくを襲ってくる。
先の衝撃により倒れたままの彼女には回避もできず、無防備な身体に拳が突き刺さる。
めるくは肺の空気とこみあげた生温かな血液を吐き出した。
無論、傷を受けていないらびぃへの警戒を怠るエフェメラルではない。
拾おうとしていた注射器が蹴り飛ばされ、らびぃの反撃は封じられたのだ。
ためらいは脱出の希望を奪い、かわりに傷をもたらす結果となる。
「まだ、やる?」
それは、クルーエルたちなりの優しさからの発言だったのだろうか。
殺すなと命じられているだけで、自分達の手で穢したいエーロドージアの意思なのか。
窺い知れないまま、よぞらたちは担がれて、元いた牢のなかに再び放り込まれていった。
クルーエルもエフェメラルもすぐに去っていき、その姿は見えなくなり、傷ついた天使たちだけが残る。
それから牢には、絶望的な雰囲気ばかりが漂っていた。
頭を抱え、なんなのよと呟き続けるらびぃ。
苦しそうにお腹を押さえ、冷や汗を浮かべるめるく。
よぞらは服で急ごしらえの包帯を作り、肩の銃創に巻き付けた。
これで会話が弾み、ほがらかに処刑の刻を待っていられるわけはない。
クルーエルとエフェメラルを避ける道を見つけるか、戦うことを心に決めないかぎりこの状況は変わらないだろう。
よぞらはただ待っているのも性にあわず、かといって壊れているこの牢からひとりで出ていく気にもなれず、鉄格子の残骸に手を伸ばした。
叩くと甲高い金属音がする。これで、本で読んだことのある救難信号を打ってみる。
それで誰かに伝わるなど思っていないが、こめるメッセージは「SOS」だ。
繰り返して遊んでいるだけで、時が過ぎていく。
ふと、この地下に響いているのがよぞらの打つSOSだけではないことに気がついた。
いったん止めて耳を澄ませると、確かに足音がしている。
もしやエーロドージアかと身構えたとき、その正体は姿を現した。
「今の、救難信号だよな。もしかしたらめるく達じゃないかって思ってたんだけど、あってたみたい」
「えっ、どうして、あなたがここに」
「ま、話は後……私はゾンビたちと同類じゃない。信じて」
天使たちは目を丸くした。
そこにいたのは、すでに倒れたはずのエーロドージア──『クシュシュ・テンタキュウ』であり、かつては天使『文ひづき』だった少女。
助けが本当にやってきたことにも驚きつつ、彼女に招かれるまま牢から出る。
特に苦しそうなめるくには肩を貸して、一歩一歩進む。
「あなたがひづきだと信じる……けど、ゾンビたちと同類じゃないって、どういうこと?」
めるくがたずねると、話はあとだと言ったはずがちゃんと答えてくれた。
「洞窟の崩落を起こさせたくせに、生き延びちゃったんだ。でも、そのまま黙って消えようと思ってた。そこにまひるとみなもが来て、頼まれちゃったんだ。みんなを助けて、って」
まひるとみなもだって、たださやが悪行を重ねていくのを見ているばかりではない、ということか。
とにかく傷の治療を優先させたいと伝え、まずはひづきが来るのに使ったという別のルートの案内を頼んだ。
こちらを心配してくれる彼女の姿を見れば、かつて彼女が天使だったということも頷ける気がした。
よぞらは心の中でひっそりと、いまのクシュシュを『ひづきさん』と呼ぼうと決めたのだった。




