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穢れなき天使の愛し方  作者: 皇緋那
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第39話 煌めきはここにありて、ただ一輪の華となる

 どうにかヒナタから逃れていった先で、よぞらは目を覚ました。

 いつもの小屋の天井と、こちらを覗きこんでいるめるくの姿が見える。

 頭の体重を預けているやわらかな枕はひんやりとしていて心地よく、そしてはじめて知った人のぬくもりの感じがする。

 なんて思っていると、どうやらそれはめるくのふとももだったらしく、よぞらはあわてて離れた。


「……よかった。ちゃんと起きてくれましたね。一晩じゅう、ずっと心配してたんですから」


 すでに一夜が明け、朝の爽やかな空になっていた。

 その言葉で思い出す。自分が受けた傷と、さっきまでなにを見ていたのか。

 ヒナタに切り裂かれ、ほんとうならあそこで死んでいるはずだった。

 しかし、背中を押してくれたふたりのおかげで、よぞらは再び目を覚ますことができたのだろう。


 あの虹色の煌めきがなんだったのかはまだわからない。

 けど、よぞらはたしかに、めるくたちのいる現実に生きている。

 それだけでもとても安心できる事実だと思う。めるくに向かって一緒に生きてくれだなんてわがままを言った手前、こんなところで力尽きていられない。


 そうしてめるくのほうを見て、よぞらはふと思い立つ。

 あのとき見たものが何かわからないのなら、よぞらの隣には彼女がいるではないか。

 気を失っていたあいだに見たものをめるくに話し、彼女も黙って聞いてくれる。


「……そう、ですか。まー子のやつが。あの子なら、やるでしょうね。こむぎさんも、よぞらさんに託したかったものがあって、それは紛れもなく彼女たちなんだと思います」


 めるくもまた、よぞらの身体に宿った虹色の輝きのどこかに、まきなのようなあたたかなものを感じたのだという。

 自分の胸に手をあてると、確かに鼓動が伝わってくる。


 あのときふたりが伝えたかったことが、なんとなくわかるような気がした。


 自分は生かされた。そして、まだよぞらにはできていないことがある。

 自分を作り出した親であるヒナタ。彼女の考えは、きっとこの先天使のみんなを不幸にする。

 そして、彼女はよぞらを抹消し、跡継ぎを作り直すと言っていた。


 命は、そんなに軽々しく弄ぶものじゃない。それは、与えられた本ではなく、自分の身体で世界にふれてきて知ったことだ。

 自分の心の中に現れた、まきなとこむぎのためにも。決して、譲ることはできない。


「めるくさん。行きましょう、今度は決着をつけるために」


 何度やっても結果は同じだと、よぞらは思わない。

 身体は動く。意識は明瞭だ。空白じゃない明星よぞらなら、きっとできる。


 めるくは止めようとしなかった。止めても、よぞらが聞かないことをわかっているのだろう。

 寄り添って、いっしょに歩いてくれる。

 差し出されためるくの手に自分の手をかさねると、やっぱりちょっとひんやりしていて。

 でも、彼女が向けるぎこちない笑顔は、よぞらの心にほんのりと熱をもたせてくるのだった。


 ◇


 天世ヒナタは理解できない。明星よぞらの感性も、彼女が天使に肩入れをする理由も。

 天世ヒナタは考えていない。自分が明星よぞらになにをしたのか、あるいはしなかったのか。

 無理もないであろう。

 清廉であればいいとよぞらを閉じ込めたのも、天使は捨て駒であり人間と考えてはならないという価値観も、先代のものを真似しているに過ぎないのだ。


 ヒナタは自分が間違えているなど微塵も思っていないし、ゆえによぞらが歯向かってくることなど予想もしていなかった。

 先代がいなくなってからは自分に近い存在などずっとおらず、よぞらなら自分をわかってくれると依存しすぎたこともある。

 ファム・ファタールなんて、万全のヒナタなら戦えた相手のはずだった。なのになにもできなかったのは、よぞらの身体が奪われたからだ。


 よぞらがいると、ヒナタはうまくいかない。

 だったらよぞらがいなくなるしかない。

 別の、今度は歯向かわない子供を、作り直すしかないじゃないか。


 思考も心情も吐露する相手はいない。私兵がいても、あれは兵器と変わらない 、あるいは働き蟻とでも言うべきか。

 指示を下す。それ以上の接触など、するだけ無駄なのだろう。


 でも、もし、そこに誰かがいたら、結果は違っていたのだろうか。

 もしもの話の答えなんて誰にもわからなくたって、求めてしまうものだ。

 その答えを出してくれる相手を、ヒナタはよぞらだと思い込んでいたのかもしれない。


 眩しく照りつけられ、強い光だけがそこにあり、空色に満たされた『ヒナタ』と。

 暗いなかで、たくさんの星たちが輝き、それぞれ自分の色を見せている『よぞら』。

 決して同時にできるはずのない表裏の名のとおり、隣にいられるはずなんてないのに。


 管制室から届く警報が、ヒナタのいる社長室にもやってくる。

 感情に負け、天使の力を変質させてしまったでき損ないの反応だろう。

 つまり、よぞらはめるくとともに、再びやって来たのだ。


 今度こそ、彼女たちを処分し、ヒナタが思う天使隊を指揮しなければ。


 天界社が始まってより代々、幾度となく誰かの血を吸ってきた日本刀。それを手にとり、立ち上がった。

 刀身にふれればひんやりと冷たいのが伝わってくる。

 その磨き抜かれた表面に映るヒナタ自身の顔はいつも通りで、そこに喜怒哀楽はいずれもない。


 天使を処分するのにわざわざ感情を出してやる必要もまた、どこにもないのだ。


 ◇


 昨日と同じ、エントランスで対峙する少女たち。

 日本刀を構えて殺気を放つヒナタと、弓と剣をそれぞれ手にしたよぞらとめるく。

 どちらも譲らぬ戦いが、始まろうとしていた。


 動き出すのはほぼ同時。ヒナタのほうがわずかに早く、向かってくる弓と氷の弾丸を避け、避けられなければ切り捨て、さらに一発を打ち返す。

 真っ先にめるくが対応し、振るった剣が氷の壁を出現させ、ヒナタの斬撃を誘う。


 そこでヒナタは氷の壁を駆け上がって越えてしまうと、上空から飛びかかった。

 どうにか上へと矢を放つが、重力に従うヒナタは矢が突き刺さろうと止まらない。腿と腕と脇腹、合計三本が深々と傷を作っても、痛がる素振りさえ見せずに刀を振るう。


 そこへ滑り込んだめるくは冷気を浴びせ、流れ出たわずかな血液からヒナタを侵食しようと試みる。

 ヒナタが気づかないわけもなく、対策となる薬品を取り出され、その試みは失敗に終わった。

 めるくもただでは終わらない。剣がヒナタの手元に迫り、薬品の入った瓶の破壊にかかる。

 さらに瓶を挟むように日本刀も振るわれ、ガラスの割れる音が互いの耳に届く前に刃どうしが激突する。


 凍結が使えない異常、純粋な力と切れ味で勝るヒナタのほうが上だ。

 さらに、薬品の瓶が割れ、あたりにばらまかれたことで揮発したぶんをめるくが吸い込んでしまい、しだいに状況は不利になっていく。


 その状況をひっくり返すのがよぞらの役目であり、つがえた矢には思いがこめられていた。

 純白の輝きを伴い、矢がヒナタの肩を射抜く。

 ついにわずかなうめきを漏らした。ダメージが通っているのだ。よぞらは追撃の用意にかかり、限界まで引き絞る。


 矢傷を受けた相手はなにを思ったのか、めるくを蹴り飛ばすと自らの腕を切りつけはじめた。

 血を吸ったあの刀は妖しい光とともになにか特別な能力を発現させてしまう。

 それを止めるべく矢も剣も手元に狙いを変えるが、すでに遅い。

 ヒナタがすべての傷は再生し、妖刀となった刃はただ振り抜いたのみでふたりを一挙に吹き飛ばしてしまう。


 先に追撃を受けたのはめるくだ。ヒナタはまだ宙に放り出されたままの彼女を受け止め、さらに投げ飛ばした。

 狙いは瓶が割れたあの場所で、ばらまかれた薬品の池に直撃、めるくは背と肺から重大なダメージを受けることになる。

 襲ってくる痛みで動けないなら、まだ攻撃が通るとみたのか、まだヒナタの狙いはめるくにあった。

 うめく彼女を踏みつけて、刃を突きつける。


 このときやっとよぞらが体勢を立て直し、矢を間に合わせることができた。

 咄嗟にヒナタはめるくを蹴り飛ばし、その反動で自らも矢を回避する。

 壁に叩きつけられてしばらくは動けないだろうめるくよりも、今度はよぞらを狙うと決めたらしい。

 向かわせた攻撃はすべて弾かれ、一気に接近される。


 今度は逃げられない。立ち向かうと決めたのだから、飛び込むしかない。

 よぞらが弓を捨て、突如肉弾戦に移行したのは予想外だったらしく、ヒナタは刀を防御に使わざるを得なくなる。

 そこへ、意識も朦朧としているだろうめるくが氷の弾丸を撃ち込み、あのヒナタをよろめかせるまでに至った。


「……理解できない。何度やったって結果は同じはずなのにッ!」


 めちゃくちゃに切りつけられて、よぞらは力が抜けて、意識をなくしそうになる。

 強がってみても、妖刀の斬撃は確実に命にふれてくる。

 めるくはあれが最後の力だったのか、動こうとはしていても身体が言うことを聞いてくれていない。


「これだけ傷つけたのに、どうしてその瞳から光が消えない!? 理解できない、理解できない……!」


「私には、みんながくれた思い出があるから」


「訳がわからない! それがなんだっていうんだ、私の隣には誰もいないっていうのに」


 よぞらの身体から漏れる光。赤と紫と青の輝きが、ぎりりと歯を鳴らすヒナタを照らす。

 彼女は天使たちの思い出なんかに自分が逆襲されたのかと心底から癪にさわっていて、彼女は咄嗟に突きを放ってくる。

 避けきれないよぞらの身体にはむろん刃が侵入してくる。痛くて、怖い気持ちだってある。


 でも、だからこそ、彼女の声はよく聞こえた。


「よぞらぁっ! あたしのこと、仲間はずれにしないでよねっ!」


 傷だらけの身体でも駆けつけてくれた少女──らびぃが、光を届けてくれる。


 よぞらの空白を、みんなが染めてくれるんだ。

 まきなの赤で、めるくの青で、らびぃの緑で、こむぎの紫で。

 手を伸ばした虹色は、思い出の色。そして、命の色だったのだ。


 それを理解した少女の身体は変わっていく。

 突き刺さった敵意を弾き出し、天使の力のその先へと。

 明星よぞらがたどり着いた、五つの光を束ねたとき生まれる永遠の輝き。


「我が理は生命。穢れなき翼にして、あらゆる穢れを受け止める翼!

 私の名前は──トゥインクル・イグジスト!

 煌めきはここにありて、ただ一輪の華となる──!」


 めるくも、らびぃも、ヒナタでさえも息を呑む。


 少女は託されたものを胸に、宿敵の目前に降り立ったのだ。

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