第37話 お姉ちゃんも嬉しかったの
エーロドージアの本命は、天界社の本拠地にあったらしい。
バラバローズの命を受けた大量のゲレツナーが送り込まれ、状況は混乱している。
天界社側も全力で迎撃しているが、好転には至っていない。
現在はらびぃとこむぎのふたり、即ちエンジェル・スコープ、ブルームのふたりが前線に立って戦っている。
だが、天使がついていても数で押されている。
いっこうに押し返せず、援軍の見習いたちがただ犠牲になっていく。
きっとヒナタがこの様を見れば、バラバローズを喜ばせるだけの足手まといだとすぐにわかるはずだが、撤退命令は出ていないらしい。
この苦戦は、ほんとうなら多くの天使たちがいるはずのところ、いまはたったふたりしか動員できないでいるのが原因ともいえる。
せれすとえりすがいればもっと善戦できただろうし、よぞらがいてくれればある程度は撃退も見込めるはずだった。
もっと欲を言うのなら、まひるとみなも、そしてめるく、まきな、ひづきがいれば。
そんなことを考えてしまい、ブルームは自身の思考を振り払った。
彼女たちの力は借りられないのはわかっているのに。
仲間がいることに甘えていた日々が、こむぎの頭を軟弱にしていたのだ。
隣からは、なんとか生き残った少女たちを守り抜くために必死の形相で飛び回るスコープの声が聴こえてくる。
飛び散る血を浴びてツインテールの先が銀ではなくなっており、見開いた眼には使命感と憤りが詰め込まれている。
きっと目の前で少女が命を散らす瞬間を見てしまい、一度は心が折れかけたのだろう。
それでも奮い起ち、これ以上の犠牲を出さないため戦うことを選んだのだろう。
その姿に触発され、気合いを入れ直すため、二挺拳銃へエネルギーを流し込む。
瞬く間に複製された拳銃がいくつも宙に並び、使い手の指令で弾丸を放ち、ゲレツナーの一体をついに撃破することに成功。
敵はついに膝をつき倒れ、そのまま動かなくなる。
しかし、それでもたった一体だ。しかもさっきのはかなり死にかけの手負いだった。
軍勢はまだまだいるし、さっきの奴と同じような奴が何体もいる。
ゲレツナーの消滅しつつある死骸は、ほかのものに踏みつけられることでめちゃくちゃに変形している。
協調性、戦略、そして知性などなにも持ち合わせてないことがうかがえる。
一体一体の能力は突出して高くない。たださまざまな凶器や拷問器具を持って振り回しているだけの烏合の衆だ。
だが、脅威にならないのは少数を相手にしたときの話である。
手斧を持った一体の攻撃をくぐり抜けながら、石を投げてくるもの、爆弾を投げてくるものにまで注意を払わなければならない。
爆風を受けてこむぎは体勢を崩しかけ、咄嗟に近くにいた一体を盾にすることでなんとか追撃から逃れる。
盾に使ったゲレツナーにとどめを刺しながら次へと移り、再び銃撃を重ね、どうにか数を減らそうと尽力する。
「こむ姉! 生き残った見習いは全員逃がしたわ!」
「よくやったよ、らびぃちゃん! まだ戦える?」
「当然、まだいけるわよ……!」
彼女自身は、決して対多数の戦闘に向いた天使とはいえない。
武器の注射器だって、刺し、注入するという工程が必要になってしまうものだ。
それでも、みんなを助けようと、こうして全力で戦っている。
自らの妹分として誇りに思えるし、ブルームだって頑張らなくては、という気分になれる。
いったん深呼吸をすると、すこしでもよけいな思考が晴れた気がする。
再びスコープと肩を並べているこの状況で、彼女に格好悪い姿は見せられない。
ブルームが掛け声をあげると、ふたりで敵の群れに向かって飛びかかっていき、最低限の消耗でゲレツナーたちを対処していく。
時には敵の武器を奪い、その巨体を盾に用い、最後に天使の武器による一撃で仕留める。
倒した相手が浄化されてすべて消えていかないうちに次へ、また次の標的を狙い、迅速に処理を重ねる。
きりがないようにも思えるが、徐々に相手の攻勢が弱まっているようにも思える。
ゲレツナーの振るう攻撃の数が減りつつあるのだ。
このまま撃退できる可能性も見えてくる。わずかな希望だが、それはたしかな光明だ。
さらなる追撃を行い、ここから見えているゲレツナーどもを片付けてしまおうと引き金に手をかける。
が、その瞬間、希望を掻き消す荊が伸びる。ブルームは回避を余儀なくされ、姿を表した宿敵のほうを見た。
「……あれ。もっと傷だらけにしておく予定だったのに、五体満足だなんて」
「やっと親玉の登場ね……わざわざ前線に出てきたこと、後悔させてあげる!」
勇猛にも突っ込んでいくスコープ。バラバローズへと向かうまでに二体のゲレツナーを貫きダメージを負わせ、その飛び散る血を目眩ましとしながら接近する。
バラバローズは予定外という驚きの表情をやめ、にたりと笑って荊を展開する。
棘が並んだ植物の壁が生まれ、注射針を受け止める。
そのあいだにもブルームは考え、そして行動に移っていた。
全速力で回り込んでまずは銃撃、直前に察知され荊に止められるが、そのぶん壁の側に裂かれている注意がこちらへ向く。
スコープへの合図にもう一発撃ち、同時に壁を構成する植物に爆薬が注入され、壁が吹き飛ばされた。
バラバローズも同様に飛ばされて、近くにいたゲレツナーに叩きつけられる。
植物とはいえ自分の一部がちぎれてしまった痛みに呻く彼女。腹いせにゲレツナーのうち数体に先がちぎれた荊を突き刺して、エネルギーを送り込む。
なにかを企んでいるのは確実だ。阻止すべく動くスコープとブルームだが、ほかの雑魚が邪魔をしていっこうにたどり着けない。
やがて注ぎ込まれたゲレツナーたちに変化があらわれると、筋肉質だったシルエットが圧縮され、少女の姿になった。
胸に異物が突き刺さっているままのためか、手にした凶器をひったくられてもなにも言わず、黙っているだけ。
そんなゲレツナー少女に対し、バラバローズはひとおもいに刃を振り下ろし、殺害し始めた。
仲間割れ、なのだろうが、見ていて気分のいいものではないし、なによりあれによってバラバローズは欲望のままに加虐を貪っている。
変化させられた少女たちをひとり殺すごとにバラバローズは一本の荊を再生させていき、戦力を取り戻していく。
これで振り出しだ。敵の数そのものは減っていようが、バラバローズは健在である。
さらには親玉の登場で引き下がっていた敵が一斉に動きだし、スコープとブルームのことを狙いはじめる。
大勢のゲレツナーのあいだを縫って、上空へ飛び、追ってくる荊を回避しつつ銃撃で一体でも潰していこうとする。
だが、そのうちの一体を倒したとき、追ってくる植物はその残骸に突き刺さった。
すると残骸に残っていたエネルギーを吸い上げ、荊が分裂し、思いがけない方向にまで迫ってくる。
避けきれなかった棘が突き刺さり、ブルームは蝶の翅を破られ、両脚にも切り傷を負ってしまった。
翅が壊れれば、飛行に使う力の制御がうまくいかず、不安定になってしまう。
さらに天使の背の翼は非常に敏感で、痛みも強い。
ブルームは反撃に何発も発砲し、なんとか追っ手どもを蹴散らすが、そのうちにスコープが追い詰められていることに気づけていなかった。
「らびぃちゃん……!」
銃を小回りのきくものから大型のものに変身させ、スコープにまとわりつく敵を打ち払う。
すでに彼女もいくつかの傷を受けていて、特に肩に受けた裂傷はひどく、どくどくと多量に出血している。
注射器を取り落としてしまったスコープに、これ以上の続行は無理だ。
しかし助け出そうにも、いまのブルームでは彼女を抱えて飛び去るのは難しい。
逆に格好の的にされてしまうだろう。
残された選択肢は、この場を凌ぎきることだ。
自分の傷のことなど忘れ、スコープに近寄ってくる敵を撃ち、時に殴り、拾った武器で裂いて潰す。武器がなければ殴って蹴って、使えるものをすべて使って守り抜こうとする。
背中が焼けるように痛むが、そんなことは構っていられないのだ。
「ふぅん、そっちの天使が大切なんだ。ほんとはどっちもかわいくて好きなんだけど……じゃあ、大切なものから奪ってあげる?」
血も涙もないことをいい放ったバラバローズの攻撃は、明らかにスコープを狙ったものに変わってくる。
そうはさせるものか。仲間のために戦える彼女を、私の妹を、奪わせてなるものか。
撃退するたびに激しくなってゆく攻勢にどうにか追い付き、いつしかゲレツナーの数は目に見えて減少し、逃げ道も見えてくる。
「……せっかく、しばらくひとりでするのも我慢して溜め込んで、こんなに用意したのに。もうこれだけ? よくここまで立ってられてる、褒めてあげよっか」
そう言うバラバローズ当人は、涼しい顔どころか恍惚としているほどだ。
だが手下の減っていることは把握しているらしい。
ついに彼女は得物であるバールを持ち出し、ブルームのほうへ歩み寄ってくる。
先手を取るべく数発の弾丸を向かわせ、しかし弾かれる。狙いが甘い。
今度はうまくやろうとしても、気がつけば脚が思うように動かなくなりつつある。
「もう辛いよね……楽にしてあげるから。だから、存分に泣き叫んでね」
バールを振るおうとする目の前の敵。
ここでブルームが命尽きれば、スコープが次の標的になる。
まだ死ぬわけにはいかない。
身体のエネルギーを無理にでも結集させ、バールを奪い取り、天使の力をこめて意趣返しとするのだ。
突如得物を奪われて驚いた瞬間、バラバローズはさっきまで自分が扱っていた凶器が侵入してくる感覚を自らの胸で味わわされる。
「フラワーハート☆バースト……ッ!」
バールは赤熱し、崩壊していく。
爆裂する直前に引き抜かれたとしても、その威力は衰えず、腕をまるごと吹き飛ばし、さらに皮膚を焦がし肋骨を露出させるだけの被害をもたらし、バラバローズを絶叫させた。
腕が片方なくなり、その周辺では少女の未成熟な胸があった跡に真っ赤な肉と黒い焦げ跡のなかに白く骨が目立っている。
あれだけのダメージが入れば十分で、さらに衝撃波はゲレツナーどもにも影響を及ぼしている。雑魚は一匹残らずいなくなった。
ブルームはしてやった、という感情を隠さず表に出し、それがバラバローズの眼に映る。
自らが受けることを好まない彼女に萌えるのは、同じだけの苦しみを味わわせてやろうという性欲を逸脱した復讐心と、ブルームを汚さなければ気が済まない底無しの欲望だ。
限界が近いというのにエネルギーを無理やり動かしたブルームはすでに脱力しかけていた。
よって、残った右腕で掴みかかってくるバラバローズには抗えず、彼女の苦し紛れの膝蹴りでさえまともに腹部へ受けてしまう。
衣装の分のエネルギーさえ使ってしまった。抗うだけの力はもはや残っていない。
それでもスコープのことを思いだし、残りかすも同然の意識でバラバローズを抱き締め、離さないと決めた。
幸い喉はかすれておらず、声は出すことができる。らびぃに、伝えなければ。
「……あのさ、らびぃちゃん。なんて言えばいいのかわかんないけどさ……その、ありがとう、なのかな」
「な、なによこむ姉、こんなときに」
「泣き虫で、素直じゃなくて、私の後ろをついてまわってたらびぃちゃんがさ。自分に入り込んだ闇を乗り越えたり、誰かのために必死になれたり。お姉ちゃんも嬉しかったの」
「そんな、ここでお別れみたいな話やめてよ、ねぇ」
らびぃの顔は見えなくても、きっと彼女のことだから、泣いているのだろう。
でも、仕方がない。ブルームだって──こむぎだって、自分がもう持たないことくらい、わかっているつもりだ。
「……お願い。私ごと、バラバローズを倒して」
バラバローズがこむぎの意図に気づき、もがきはじめる。
なんとかそれを押さえつけ、こむぎは言葉を続けなければならない。
「今ならこいつを倒せる、みんなを守れるの。だから、お願い」
「……い、嫌よ。こむ姉ごとなんてっ、あたしには」
「らびぃちゃんなら大丈夫だから……だって、私の妹なんだから」
でも、という弱気なつぶやきが聞こえる。
こむぎだってできることなら一緒にいたいけれど、口には出さなかった。
「やって、らびぃちゃ……」
もう感じないと思っていた激痛が、こむぎの身体を襲う。喉を貫かれて、声が出せない。
霞む視界には、一体のゲレツナーが荊に繋がれて生き延びていたようだった。
バラバローズそのものが盾となって、あの衝撃波を直接受けなかった一体。
それを用いて、辛うじて一本のみを再生させたのだ。
「黙って聞いてればッ、天使なんかがあたしを道連れにだなんて、思い上がったことを……!」
感情のままに、こむぎの身体は蹂躙されていく。
何度も何度も荊がこむぎに孔を穿ち、噴き出す血液の勢いすら失って、死はもう訪れているにも等しい。
やっとらびぃが決意したのはそのときだった。
取り落としていた注射器を拾い、叫びをあげながらバラバローズに向かっていく。
それは最悪のタイミングだった。
◇
らびぃに雷が落ちる。
完全にこむぎの死しか見えていなかった彼女に避けることはできず、力尽き倒れるのみだ。
ぼろぼろの状態での雷だったが、まだ生きてくれているらしい。
相方に先立たれた彼女がどうなるのかを見てみたかった側としては、それでいい。
暗雲を用いてらびぃを止め、バラバローズの撃破を止めさせたのはファム・ファタールだった。
せれすとえりすの足止めはやめて、こっちの様子を眺めにやって来たのだ。
すると、ちょうど別れの挨拶の場面だった。
感動して聞き入っていたのだが、バラバローズをここで失うのはあまりよくないと判断し、乗り気ではないが邪魔に入ったのだ。
バラバローズの提案による襲撃は、ここで終わりでいいだろう。
目障りな天使、穣こむぎの始末ができたし、彼女とらびぃの関係性は推せる最期だったと思える終結を迎えた。
ファムにとっては大満足の結果である。
こむぎの遺骸を打ち捨てて、傷ついたバラバローズを回収し、ファムはさっさと切り上げようと翼を広げる。
彼女はよくやってくれた。帰ったら、存分に褒めて、存分に欲望を満たせる用意をしてやらなければ。




