第33話 誰か、助けてくださいよ
天使たちが直面している現実は、無垢なだけの少女たちには重すぎるほどのものだった。
立て続けに起きる、仲間の死と裏切り。
1ヶ月後、ずっと一緒に過ごしてきた仲間がそこにいるかもわからない。
いままでずっと隊長を務めてきためるくだったが、決して心の強くない彼女には受け止められる現状ではなかった。
もはや部屋に閉じ籠るしかなく、誰にも見せられないような泣き顔ばかりしていたのである。
すでに涙は枯れ果ててしまったが、泣き腫らした目元は誰かに見られたくなかった。
まー子が死んだとわかってから、ろくに食べ物も口にしていない。
このまま、糸が切れるように死んでいけたら、どれだけ楽なことだろう。
いくら落ち込んだって、いくら心配まみれになったって、引き上げてくれる人はもういない。
まー子も、ひづきも、もうこの天界社へ戻ってくることはない。
考えるたびに心が暗く染まっていくのはわかっている。
あり地獄にかかって埋もれるみたいに、勝手に悲観的になって、勝手にネガティブになって。
このままでだめなことがわかっていても、抜け出せないでいた。
めるくが応じないことがわかっているからか誰も訪ねてこない自室では、警報だけが響いてくる。
出撃する気にはなれない。
足手まといになるだけなのは目に見えている。
それに、また誰かがめるくのせいであんな結末を迎えてしまうかもしれない。
自分はきっと、いないくらいでいい。
数えることもやめた、何度目かの警報が鳴った。
エーロドージアは変わらずに攻めてくる。
きっとよぞらたちが出撃して、きょうも町の平和を守ってくれているのだろう。
めるくなどいなくても、まったく問題なく。
そんな中、めるくは閉じ籠りはじめてから一度も聞いていなかったノックの音を耳にした。
扉のほうに顔を向ける。鍵をかけているから、無断では入れない。
誰かが呼び掛けているのか、人の声がする。
どうやら、扉の向こうにいるのはよぞらであるようだ。
「……めるくさん。お願いしてもいいですか」
脳裏に浮かぶよぞらの表情は真剣なものだ。
声色からして、いまのよぞらも同じ顔でいることだろう。
いまさら、めるくなんかになんの用だろうか。
先程の警報はエーロドージア出現だった。だったらめるくなんかに構わずそちらへ向かえばいいのに。
「先日、まひるちゃんとみなもちゃんがファム・ファタールのほうへ行ってしまいました」
元がさやだからとはいえ、それは裏切りだ。
あれだけ天使に憧れていた後輩たちがそんなこと、あり得るのか。
驚きの中、よぞらの声を続けて聴いた。
「エーロドージアの攻撃は激しくなるばかりで。ファム・ファタールが合流してからは人々を避難させるのも難しくなっています。だから、どうか」
めるくに戻ってきてほしい、と。
確かに人々も平和も天使の守るべき大切なものだ。
けれど、それ以前に、それを守る天使たちが死んでしまっては意味がない。
足手まといの自分がいたら、またあの悲劇が繰り返されてしまうかもしれない。
だったら、いないほうがいいに決まっている。
「……よぞらさんに何がわかるんですか」
こうして閉じ籠っていたって、世界はなにも変わらずに回っている。
だから、無理をして誰かを犠牲にするのなら、いっそのことなにもしなくていい。
黙りこむよぞらにはきっと、本当にわからないのだろう。
誰よりも、誰かと過ごした時間の短い彼女には、心の一部が抜け落ちたようなこの感覚が。
もう失いたくないと奮起するのではなく、負の渦に呑まれていく心の暗闇が。
思わず扉を開け放った。
自分の姿なぞどうでもいいくらい、湧き出てくる感情だけで身体を突き動かした。
心無い一言は、そうして飛び出していく。
「からっぽのあなたには、何も言われたくありません」
呆然とするよぞらの横をすり抜けて、天界社を出ていく。
こむぎとらびぃがゲレツナー退治に駆り出されているらしく、社内では誰も会わないまま街へと出ていって、響く轟音や銃声に耳を塞ぎながら歩き続けた。
襲ってくるのは後悔だ。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろうか。
よりにもよって、からっぽ、だなんて。
やはり自分の思考は、巡らせてはいけないものなのかもしれない。
こんな天使が生きていたところで、マイナスにしかならず、皆を蝕むのみだ。
街行く人々は、めるくを見てこそこそと話している。
なにを話しているのかは、勝手に聞こえてきて、耳を塞いでいるのに響いてくる。
天使なのに戦っていないだとか。また避難しなきゃならないのか、だとか。
めるくのせいじゃない。そうだ、めるくはわるくない。
「誰か、助けてくださいよ」
思い浮かべたまきなの姿に、枯らした涙があふれてくる。
この弱い心は凍りつかせてしまったほうがいい。
融かしてくれる炎のもう潰えた、冷たい者になろう。
抑え込んでいく心の動きは、天使が清純であるためには毒となっていた。
そのことにも気づかないで思考を振り払って、自分を否定し続ける。
まるで自らの首を絞めるようで、やがて本当に冷たく、涙も雫から結晶へと変わっていく。
欲望の匂いを嗅ぎ付けたネトリータが目にしたのは、死人のような蒼白な顔色で、世界への絶望の目を鈍く光らせた、もはや澄み渡ることのないめるくの姿だった。
「あん? 天使、エンジェル・クリア……だよな。ひとりでなにしてるんだ、羽振りのいいオジサン待ちか?」
めるくの視線がネトリータへと向く。
感情を伴わず、氷の彫像のような無表情で敵意を向けてくる。
エーロドージアならば、殺すしかない、とでもいうふうに。
めるくの身体が変化をはじめる。
いつも通りの変身ではない。清廉であることを辞め、立ち止まった彼女には天使の戦闘衣装は纏えない。
青空の色は曇天の灰色となり、機構で作られた翼は不安の闇に染まりきり、剣には霜が降りる。
心を閉ざして、敵を睨みつける、天使ではなくなった少女。
鋭く、冷たく、尖った氷柱を向けられているとネトリータがたじろぐほどだった。
「お前、本当に天使かよ」
「私は──温もり亡き永遠の翼。プリザーブド・クリア」
名乗りをあげながら斬りかかり、咄嗟の防御で差し出された銃器を冷気に侵食させていく。
クリアの力を帯びた冷気は、たとえ低温でも脆くはならない金属さえも脆弱にしてしまうものだった。
続く蹴り上げる一撃で銃器が砕かれ、鼻を蹴られたネトリータは大きく吹き飛んで手元の現実を疑っていた。
なぜ銃火器が、こんなにも簡単に壊れてしまうのか。
答えはひとつ、相手が悪かったというだけだ。
クリアは氷の結晶に近いものへと物質を作り替える能力を秘めている。
銃器にその影響があらわれることで、砕けやすくなってしまっていたのだ。
「っちくしょうが、やっちまえゲレツナー!」
苦し紛れに繰り出したのは醜悪な男の怪物で、クリアのほうへ近寄っていくが、剣を振るう寸前にはすでに氷像へ作り変えられており、たやすく砕け散っていった。
それでも時間稼ぎにはなった、とネトリータは姿をくらませていく。
クリアは無感情に追跡を開始する。
屋根の上をいちいち飛び跳ねる必要のあるネトリータに対し、クリアは安定して飛行を続けている。
さらに持ち前の速度は健在であり、高速飛行は得意分野といえるほどだ。
すぐに追い付かれ、斬撃を避けきれず、ネトリータは背に大きな傷を負った。
斬られた瞬間に凍結していくがゆえに出血は一滴もない。
しかしネトリータが感じているのがこの上ないほどの灼熱であるとは容易に想像がついた。
「ま、待ってくれ! 俺は見逃してくれよ!」
「……いいえ、エーロドージアは倒さないといけませんから」
感情を表に出さないまま、振りかざした剣にエネルギーを集中させていく。
最後の斬撃によって、冷気の底まで彼女を叩き落とすのだ。
その刃の名を告げ、それがネトリータが聴く最後の言葉になろうというとき。
思わぬ邪魔が入ったことでクリアの攻撃は中断された。
「私の仲間をいじめないで、めるく先輩」
暗雲からの雷撃、赤き竜の翼。ファム・ファタールだ。
いまの凍りついたクリアを面白がっているらしく、にやつきながら全身を舐め回すように眺めている。
ネトリータが助けるなら早くしてくれと抗議するまでファムの観察は続き、そう言われた後はさっさと彼女を抱き上げ、去っていく。
今度のクリアは追わなかった。
ファム・ファタールの相手は、ひとりでは荷が重すぎる。
それに、いつかあの少女と戦った記憶を呼び覚まそうとすると、頭が締め付けられるように痛むのだ。
だからこれ以上は深追いしたくないと、身体が動かなかったのだった。
クリアはもう天使ではない。
では、これからどうすればいいのか。
わからない。けれど、いまは敵を討ち滅ぼすためだけに動こう。
思考することを拒んだめるくは、ただ地面へ降り立つと、壁に寄りかかった。
硬い。だが、支えがないよりすこしだけ安心できた。




