第31話 一緒に帰りましょう
壊されたまきなを目にしたクリアは、傍らで泣く少女につかみかかり、憤りの矛先とした。
クシュシュは──ひづきは、かつて仲間の天使だった。
彼女が行方を眩ませてからも、敵だなんて思ったことがあるはずもない。
このときは、めるくがはじめてひづきへの嫌悪と怒りを抱いた瞬間だったのだ。
自分でも経験したことのない絶望がそこにあって、どうすればいいのかわからないまま感情を表出させる。
答えを求めているわけでもないのに彼女の身体を揺さぶり、激情のまま問い詰める。
「まー子に何をしたんですか、答えてください」
まきなをあだ名で呼ぶその響きでさえもめるくの感情を煽ってくる。
その「まー子」を名付けたのはひづきであり、呼ばれる側も気に入ってくれたから、3人だけの特別な呼び方にしようと決めたのだ。
今となっては、そんな過去はもはや呪いにしかならない。
ひづきとまきなとめるくの関係は、とうに戻れなくなってしまっているのだから。
襟首を掴まれ、身体を大きく揺さぶられ、クシュシュはクリアに従う。
自分がまきなに対して犯した行いを告白する。
声が震えているわけは、その感覚を思い出す彼女の苦しさであり、同時に脳裏に甦る快楽の侵攻によるものでもあった。
さやと接触し、自分の意識があいまいになり、唯一まきなを求める気持ちだけが確かになっていたとき。
即ちまきなを殺す直前のことが、クシュシュの口から語られていく。
「私は……まー子を穢したんだ。身体を好き勝手に弄んで、身体の内も外も、顔も胸も腕も脚も子宮までも私のものにしようとしたんだ」
クシュシュは触手に動きを止めさせたまきなに襲い掛かり、彼女が叫ぼうと、助けを求めようと、決してやめようとしなかった。
唇も奪ったし、唾液、血液、消化液、すべてを飲み込んだ。
絡み付く触手どもと感覚を共有させ、まきなのことをどこまでも感じていようとしていたのだ。
はじめのうちはひづきに呼び掛けたり、めるくやよぞらのことを呼ぶこともあったまきな。
しかしすでに満身創痍であったうえ、その身体を蹂躙されてはすぐに抵抗もできなくなり、ただクシュシュに好き勝手されるだけの肉人形となってしまった。
そこで、彼女のことを喜ばせてあげようと触手どもが打って出たのは、人間に倣った方法だった。
まきなに子孫を作らせるのだ。
幼子が生まれたのなら、彼女もきっと笑顔をみせたりしてくれるとばかり思っていた。
でも、うまくできたのはたったふたりだけ。
失敗するたびにまきなの下半身は使い物にならなくなっていき、すぐに肉の塊をずるりと落とすだけとなっていった。
いつの間にかいなくなっていたふたりだけの成功例のことなどすぐに忘れ、ずっとめるくが潰したような怪物を孕ませては次に移っていったのだという。
そうして生まれたのがまつきとなつきである。
しかし、姉妹のことはさやに任せっきりだったそうで、よく知らないらしかった。
まつきが殺人を犯し、報復に命を落としたのも知らないまま、クシュシュはまきなに肉塊を生ませていたのだ。
すべてを聞き届け、これ以上ないほどに不快となったクリア。
吐きそうになるのをおさえ、かわりにクシュシュを床に叩きつける。
粘液でぬめる床では衝撃にならなかったが、憤りは伝わっただろうか。
クシュシュはへたりこんだまま動かなかった。
クリアはもう、彼女の話など聞きたくもなかった。
どうやって死んでいったかなどを聞いても、後味が悪くなるだけだ。
最もすべきことはなにか考え、復讐でもなんでもなく、まきなを連れ帰ることにたどり着く。
剣を握りなおし、絶命したまきなが埋め込まれた壁のほうへと歩み寄った。
「まー子。一緒に帰りましょう」
自分の力を集中させた刃によってまきなを拘束するものを切り裂いていき、彼女の身体を受け止めた。
そこに体温は無く、吐息もない。
それでもまきなはまきなだと、連れて帰るのだ。
クシュシュのほうを振り返ることもなく、クリアは洞窟の外へと歩んでいく。
ゆえに、ひとり残されたクシュシュが自ら命を絶とうと思い立ち、洞窟の壁や床と繋がる一本を引きちぎったことを知らぬまま去っていった。
洞窟が崩壊する前兆である揺れがはじまった原因がそれだとも知らないままである。
◇
なつきとの戦闘を続け、迫ってくるチェーンソーの回避を何度も繰り返す。
しかし、息があがってもなつきは戦おうとしていた。
いくら武器を振りかざしてもトゥインクルに届かないとわかってはいるはずなのに、何度でも向かってくるのだ。
それだけの執念がある、というより、そのほかにすがれるものを知らないのだろう。
彼女の心になにかできることが見つかるまで、付き合っていこうと思っていた。
けれど、そういうわけにもいかなくなってくる。
洞窟そのものが悲鳴をあげるように揺れ始めたのである。
このままでは、なつきもトゥインクルも巻き込まれてしまう。
やむを得ず、彼女の首に手刀を叩き込み、気絶させようとした。
うまく入らず短い悲鳴をあげられたが、この際それでもかまわない。
怯んだ瞬間にチェーンソーを奪い取って、なつきを抱え、出口に向かって飛び立った。
光が見えるまでにはすでに天井の触手がちぎれて落ちてくるなどしていたが、どうにか間に合わせ、外へ飛び出す。
快晴とはいかない空模様だったが、日光を浴びるのが久方ぶりのことにも感じられた。
もがくなつきのことを降ろし、彼女にチェーンソーを手渡す。
彼女はそれを奪い取ると、憎悪のまじった視線を向けてこう言い放った。
「いまだけは感謝してやる。でも、あたしはこの感情を死んでも忘れやらないから」
洞窟の崩落から助けられた礼に見逃してくれる、ということのようだった。
背を向けて、きっと行くあてのないはずのなつきは遠ざかっていく。
彼女の生まれたときにはすでに狂っていただろう人生を、よぞらひとりではどうもできない。
それが悔しくて、強く拳を握るほかになかった。
洞窟に残っているめるくのため、なつきがいなくなっても、よぞらはトゥインクルに変身したまま待機を続けていた。
彼女を信じていたから、わざわざ助けに入っていこうとも思わない。
むしろ、心配性のめるくはなんで来たんですかと怒りそうだ。
なんて考えてみても、崩落直前になってやっと合流できためるくは憔悴しきっていて、よぞらを叱る余裕もなさそうだった。
理由は一目瞭然。背負っているのが探していたまきなであり、彼女がすでに亡くなっていることはめるくを曇らせるに十分すぎるだろう。
よぞらだって驚いていた。
あの明るくて強いまきななら、死ぬはずがないとずっと思っていた。
それなのに、めるくに背負われている彼女の表情は諦めのうちに潰えていったことを示している。
どんな仕打ちを受けていたかも、身体に残る痕でわかることだった。
「めるくさん、あの」
「戻りますよ。まー子を、帰してやらないと」
「……はい」
天界社は天使たちの家であり、生まれた場所なのだ。
山奥のこんな場所より、きっと安らかにいられるだろう。
まきなの遺体をふたりで支えながら、天界社にまで戻っていった。
その間言葉を交わすことはなく、空も静かで、沈黙に満たされていた。
◇
天界社に着けば、まきなの遺体は引き渡され、冷たくなった彼女の感触から解放される。
こむぎは帰還を待っていたらしく、同時に結果も察していたということで、報告は短く終わった。
めるくにとってほんとうに衝撃的で、心にできたばかりの深い傷があることはわかっている。
あまり触れないで、彼女には先に自室へ戻ってもらった。
今はひとりにさせておくべきだというこむぎ。よぞらも同意見だ。
本題は、まきなのことよりなつきのことだ。
彼女の死は確かに悲しく、大きな損失である。
けれど、後ろばかり向いてもいられないのが現実なのだ。
「まさか、あのまきなに娘なんて。しかもあの子もそうだったなんて。当のまきなは逝ってしまったし、残酷にも過ぎるよね」
その言葉に、こむぎにも怒りが生まれているのを垣間見た気がした。
なつきのことはよぞらに任せてくれるという。
無理に関われば、姉のまつき、そしてまつきに復讐したあの天使のような悲劇がまた生まれてしまう。
ゆえに、行方を追うのをこむぎたちからの干渉の限界と決めたそうだ。
現状なにもできていないよぞらだったが、いずれ彼女とも話せるときが来るだろうか。
来るのなら、一緒に暮らし、一緒に翼を広げたい。
あの姉妹の目は純真で、だからこそ知っていることが歪んで道から外れていっただけなのだ。
やり直すことはできるはず。なつきはまだ、生きているのだから。




