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穢れなき天使の愛し方  作者: 皇緋那
30/52

第30話 あたしが何をしたっていうの?

 天使かどうかもわからないまま、人を殺し、そして復讐に殺されていった少女。

 彼女との遭遇から、すでに一週間が経過していた。


 遺体は研究施設へと運ばれ、さまざまな鑑定や調査が行われた。

 身体は天使のものと同一であり、肉体年齢はまだ1桁だったという。

 そのほかにも膨大な量の資料がつくられる。

 出てくる結果は、まきなやひづきとの一致を示すものがほとんどだ。

 遺伝子も半分ずつがぴったり合い、まるでふたりの間に生まれ落ちた娘とも思われた。


 それを聞いためるくは、悲しそうな表情を見せた。

 発言者の研究員はあわてて取り繕っていたが、なにを想っていたかはよぞらにも想像がつく。

 なにせ、自分の仲間、それも一緒に天使になったふたりが行方知れずになっている状況での彼女との遭遇なのだ。

 悲しくならないわけはないと思う。


 少女については、最も有力な説としてファム・ファタールによってまきなをもとに作りあげた人造天使だという話があらわれて、ほとんどの人々がその説を信じた。

 それが本当だとしたら、あまりに残酷な運命ばかりが待っていると思う。

 命じられるままに人を殺すことしか知らず、痛みの中に埋もれて消えていく。

 もう一人であっても、彼女のような者を生んではならないだろう。


 同時に。捜索隊の全滅事件もまた処理がはじまっていた。

 山中での落石や土砂崩れといった事故だと報道され、少女の存在も、まきなの行方不明ですらも明るみには出ていない。

 世間の混乱を防ぐ目的ではいいのかもしれないが、天使たちがこの世界と剥離しているみたいでいい気分にはなれなかった。


 そして事件唯一の生き残りである女の子は、カウンセリングを受けているらしく、たまにその姿を見る。

 いまだになにかに怯えているのか常にふるえていて、その表情が視界に入るだけでやりきれなくなる。

 無理もないだろう。見習い天使の仕事として友達といっしょに捜索隊へ参加し、そこであんなことが起きたのだ。


 聞いた話によると、友達が目の前で殺害され、あの瞬間は復讐心しか頭になかったそうだ。

 誰が彼女を責められるだろうか。

 きっと、一緒に天使になりたいと思っていた相手だったんだろう。


 あの事件にまつわる話はすべて暗い話になってくる。

 こっちの気分まで陰鬱になってくるけれど、よぞらまで沈んでもいられない。

 気をとりなおして、まきなの手がかりを探そうと心に決めていた。


 そんな中、いつも通りにこむぎやめるくからの呼び出された。

 内容はまきな捜索についてであり、腕時計に似たアイテムを渡してきた。

 これは捜索にたいへん役立つものであり、完成したばかりの最新機器だという。


 腕時計型の、本来なら文字盤にあたる部分が液晶画面になっている。

 起動してみると周囲の地図が表示され、管制室の機材を小さくしたといったところか。

 これは登録してある特定の波長に似た反応のみを広範囲に追跡できるという代物で、今回はあの少女のものを追えるそうだ。

 これなら、きっとまきなも見つけられる。


 さらにこむぎはもうひとつ、まきな発見だけでなくもうひとつ頼みがあるようだった。

 もしファム・ファタールによる人造天使の製造が行われている場所を突き止められたら、そこを潰してほしい、と。

 よぞらはすぐに頷き、めるくにも目を向けた。

 もちろん、彼女も深く頷いていた。


 ◇


 広範囲に反応を解析していくと、ある一点に行き着いた。

 あの少女とほとんど一致しているという結果が出たのだ。

 そこがまきなのいる場所だろうか。


 よぞらはめるくとともに地図に示された場所へと急行し、山奥にある人の近寄らない洞窟にたどり着く。

 そこが自分達の目的地であると確認して、踏み込んでいくのだ。


 まずはじめの一歩を踏み出し、違和感を覚えた。

 岩や砂の踏み心地ではなく、ぐちゅりと粘液の音までもする。

 足元を見てみれば、そこは触手で埋め尽くされ、ぬらぬらと光沢をもった床だった。


 こんな山奥であるため蝙蝠でも住んでいるかと思えば、生き物の気配どころか、これらすべてがゲレツナーなのだろうか。

 しかも床だけでなく、壁一面同じように粘液まみれだ。

 いつ襲ってくるかわからない触手たちにも気を配りつつ、めるくとよぞらは変身して突入、粘液に触れぬよう飛行して奥へと進んでいった。


 洞窟は自然にできたというより誰かが掘り進めた跡なのか、まっすぐ奥に続いている。

 腕時計型アイテムの液晶に表示されている反応が徐々に近くになっていき、よりあたりを注意深く見回す。


 触手の隙間に杭で打ち込んだかのように取り付けられたランプが照明になっていて、なにも見えないほど視界が悪いほどではない。


 そんな状況なら、奇襲をかけようとする女の子を事前に察知し、回避することは簡単だ。

 殺気に満ちた、しかしあの少女のようにまだ幼い声が響く。

 なにやらけたたましい音で駆動する工具を構えた人影が迫り、トゥインクルの横を通りすぎていった。


「避けられた。でも、次は殺す……!」


 襲ってきたのは、またしても年端もゆかぬ女の子だった。

 真っ赤な髪をふたつに結んでいて、まとめた先がくるくると巻いている。

 服装は可愛らしく飾り立てられたブラウスであるが、手にしたチェーンソーがその姿に似合わぬ殺意を剥き出しにしていた。


「待って、私たちは」


「うるさい、黙れっ! おねえちゃんを殺しておいて、よくあたしの前に顔を出せたな……!」


「君のお姉さんって、もしかして」


 黙れって言ってるだろ、と叫び、もう一度飛びかかってくる。

 回転する刃が肉を裂かんと迫ってくるが、大振りすぎる。

 爆音と凶器の様相に怯まなければ動きは読みやすい。


 トゥインクルに避けられた後には、悪あがきにクリアを狙った。

 剣での防御は間に合うが、無理やりにでも動き続けるチェーンが刃を削ろうとし、離れざるを得なくなる。

 女の子は舌打ちをし、憎らしそうに顔を歪めた。


「あたしのおねえちゃんは……まつきおねえちゃんは、一週間前に死んだ。天使に殺されたんだ」


 どうやら、この子はあの少女──まつきと言うらしいが、その妹であるようだ。

 まつきに死をもたらしたのを天使だとみなし、トゥインクルたちを敵視しているらしい。


「……あたしは紅なつき。覚えてろ、あんたを殺す奴の名前なんだから」


 ていねいにも名乗ってくれた。

 殺されるつもりはなくても、その名を覚えておく。


 なつきの敵意は、姉を殺されたことからくるものだ。

 確かに彼女に止めを刺したのは見習いの天使だが、まつき自身が犯した罪だって大きい。

 この少女の怒りは確かに大きいだろうが、その怒りで続くのは負の連鎖でしかない。


 彼女はここで止めるべきだ。


「めるくさん、先へ行ってください。ここは私がなんとかします。まきなさんが待ってるかもしれませんから、早く」


「……はい。お気をつけて」


 紅の姓を名乗ったことでまきなとの関連が明確になり、めるくは複雑な思いを抱いていた。

 そんな中でなつきと戦うのは無理だ。


 それに、まきながいる可能性も高いのなら、先にめるくと会わせてあげたかった。


 エンジェル・クリアの金属の翼を広げ、飛び立っていくのを見送る。

 しかしクリアが奥へと進もうとしていることを察すると、なつきは血相を変えて追いかけようとした。

 矢でそのスカートを床に縫い止めてやると、ちぎれきらずに大きく転ぶ。


 転んだことで粘液まみれになりながら、なつきはなおも叫んでいた。


「だ、だめっ! そっちにはあたしたちのおかあさんがいるの!」


 おかあさん、つまりなつきとまつきの母親。

 まきなのことだろうか。


 クリアの後ろ姿が闇に消えていくと、涙を流しているなつきはトゥインクルに殺意を向けた。

 自らスカートをひきちぎり、手足に付着した粘液を乱雑に拭い、投げ捨てる。

 チェーンソーが爆音とともに動きだし、彼女の攻撃的な印象をより強めてくる。


「おねえちゃんだけじゃ飽きたらず、あたしのおかあさんまで奪っていこうとするなんて……あたしが何をしたっていうの?」


 涙とともに叫ぶなつき。

 それを聞いた瞬間、トゥインクルは決して矢を彼女に突き立てないことを決めながら、交戦の姿勢をとった。

 憎しみを受け止めることはできなくても、彼女にできることを探すために。


 ◇


 クリアは行き止まりを見つけた。

 どうやらここが最奥部らしい。


 といっても、景色はまったくと言っていいほど変化がない。

 触手が続くだけの洞窟だった。

 奥のほうに差し掛かると、ぐちゅぐちゅと水の音がするようになったくらいだ。


 その発生源が何者かと警戒していたが、その必要ももうなくなった。

 やっと、見つけたのだ。


「まー子?」


 壁に埋め込まれた彼女は、目も当てられないほど変わり果てた姿だった。

 もはや清廉とは呼べない領域にまで、彼女は蹂躙されていたのだろう。

 傍らにたたずんで恍惚の表情を浮かべるクシュシュが、恐怖にも憎むべき相手にも見える。


 クリアの呼び掛けには誰も反応せず、変わらず水の音が響く。

 意を決して近寄っていこうとすると先にクシュシュが振り返り、一度小刻みに痙攣する。

 その直後、クリアの姿を視認したとたん、一気に纏う雰囲気が変わり、続いていた水の音も止んだ。


「……あ、わ、私っ、なんてこと」


 いままで失っていた理性がきゅうにかえってきたように、彼女は自己嫌悪に陥った。

 どれだけ目の前でクシュシュが泣いて叫んでいようと、クリアの目には触手にまとわりつかれ虚ろな目をしている、生きているのかさえわからないまきなの成れの果てが映っている。


 ぼとりと音をたて、何かが落ちた。

 まきなの身体から人の姿を成すこともできなかった肉の塊が産み落とされ、しかも蠢いていた。

 クリアは心の底から嫌悪を覚え、剣を振り下ろす。

 手応えは人間を手にかけたようで、肉の感触が気持ち悪かった。生暖かな鮮血も、同様だ。


 その手を血で汚したまま、クリアはまきなに触れようとする。

 涙の跡を塗り潰すように赤がべっとりとついて、しかしまきなはなにも答えない。

 もう生きていないのだろう。


 理解したとたんに、心がぐちゃぐちゃになるのがわかった。


 やつあたりに剣を床に刺しても晴れず、壁に向けて振るっても晴れず、泣くだけのクシュシュの背を切りつけても晴れない。


「なんなんですか、これは。どうしてこんなことにならなきゃいけなかったんですか」


 誰に対する訳でもない問いが洞窟を漂っている。

 クリアはその場に座りこむしかなかった。

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