第3話 これが天使のお仕事ですか!
『エーロドージア』は天使の敵である。
天使たちを贄とし、人々の欲望を解放させ、それらを眺めることで自らの欲望を満たすことが目的である悪の組織。それがエーロドージアなのだ。
悪の組織ならば、ボスと幹部がいて当然だ。
その幹部たち三名が一堂に会し、滅多にしない話し合いというものを行っていた。
ひとりは緑と赤のオッドアイを持った、よぞらの前にも姿を現したあの少女である。
その身体には海洋生物の触腕と思われる器官が巻き付いており、しかしそれを気に止めてはいない。
ほかのふたりは小鳥の意匠がちりばめられたふわふわ髪の青年と、黒薔薇の髪飾りを着けている幼い少女がたたずんでいて、いかにも悪の組織の会合というふうだ。
「やぁクシュシュ。今日もお出かけかい?」
「お前に関係ない」
クシュシュと呼ばれ、さっさと出ていこうとしていたオッドアイの彼女は立ち止まった。
青年がそのふわりとした茶髪を揺らして歩みより、彼女を壁際まで追い詰める。
彼の顔立ちが整っているだけに、なにも知らない女性なら赤面する場面であろうが、クシュシュは真顔のままだ。
むしろ、うんざりしているという表情だった。
「天使なんかよりさ。俺と性欲解放、しようぜ」
「ネトリーノ。てめーは直腸から触手の卵を産みたいのか」
「おっと、俺にそういう趣味はないね」
睨まれたネトリーノが引き下がり、クシュシュはため息をついた。
同時に、黒薔薇の少女も真っ赤な長髪のあいだからふたりを見上げ、手にしたうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「クシュシュが可愛いのはわかるけど、ネトリーノもしつこい。もうすぐ100回目だよ。あたしはたった62回であきらめたのに」
「てめーもついこないだまでやかましかったんだからな、バラバローズ」
バラバローズはクシュシュに指摘され、不機嫌そうに頬をふくらませた。
それだけなら幼げでかわいらしいのだが。
手にしたうさぎのぬいぐるみに容赦なく噛み付いて食いちぎり、真っ赤な綿を露出させていく様は、決してそうは言えない光景だった。
ちぎれた欠片は地面に唾ごと吐き出され、無惨にも頭部と片腕をなくしたうさぎはそこらに投げ捨てられた。
「クシュシュ、できたらかわりになりそうなもの持ってきて」
「りょーかい、私の好みでいい?」
「かまわないけど。あんまりこわさないで」
その言葉には、壊す楽しみは自分が貪るという意志がこめられている。
バラバローズのそんな提案に、クシュシュは乗り気な姿勢をみせた。
食いちぎったぬいぐるみの代わり。それが、同じぬいぐるみであるとは限らないのだ。
悪の組織であるのだから、答えはひとつ。
バラバローズの壊したいものであり、クシュシュが狙っているものは、間違いなく天使であった。
◇
天使隊の本拠地は『天界社』と名付けられている。
初代の長のころには、天使もエーロドージアもいなかったが、現在は天使の研究に力を注いでいるらしい。
らしい、といっても。めるくもまきなもらびぃもこむぎも、みな同じ研究施設で育っていた。
そこで一緒に訓練を受け、数名の候補生の中からこの天使隊に選ばれたのだ。
めるくが隊長を務めているのは天界社の本社ビルを警護する役目もあわせ持った、いわば最上級のエリートであり、他の天使たちの管轄下では考えられない数のゲレツナーを撃破しているのだ。
きっと、生活環境も悪くないはずである。
一般的な住宅というものに住んだことのないめるくでも、恐らくそうだと思う。
おかげでよぞらもすぐに自室を気に入ってくれたらしく、めるくとまー子が案内したとたんに飛び回っていた。
「すごい、すごいですよ、この部屋! テレビ、冷蔵庫に、クーラーもある……はっ、本棚が茶色です! もしかして木ですか!?」
めるくたちも、はじめて部屋を与えられたときここまで喜んだだろうか。
まー子ははねまわりそうだ。めるく自身はと言うと、必死になって使い方を覚えようと説明書を熟読していたはずだ。
隣のまー子も同じように新米のころを思い出していたらしく、めるくに声をかけてきた。
「あたしたちが入隊したばっかのころ、思い出すよね」
「……そうですね。はじめての一人部屋で説明書を読んでいたら、いきなりの出撃命令で中断された記憶が」
まー子との思い出話に浸ろうとしたときのことだった。
全フロアに響く警報が耳に飛び込んできたのだ。
「あのとき、そのままですね」
「うんうん。よし、じゃあよぞらちゃん、初出撃といこうか!」
「はいっ!」
いまだに気分が高揚しているらしいよぞら。喜んでついてきてくれる彼女に、すこしだけ罪悪感が生まれる。
だが、敵は待ってくれない。天使の登場を待ちわびていることだろう。
エーロドージアは天使を誘い出すため、時に本拠地周辺に出没する。
今回は通りをふたつほど過ぎたあたりだ。
目標に到着するとオッドアイの敵『クシュシュ・テンタキュウ』と、その傍らにはめるくたちと同年代か、すこし下であろう少女を捕らえている触手の姿があった。
菌糸のような細い器官を伸ばし、少女の胸から乳腺へ侵入していこうと試みている。暴れているためまだ成功していないが、彼女が疲弊すれば、最悪の結果を招くのは明らかだ。
恐らく、彼女は訓練中の天使見習いで、運悪く遭遇してしまったのだろう。
今回の目標はあの触手のゲレツナーを潰し、少女を救出することだ。
クシュシュとはいずれ決着をつけなければならないにしても、いまは誰かを助けることが先決である。
「っし、いくよめるくっ!」
「えぇ、ゲレツナーの撃破は任せますよ」
まー子とふたり、心を集中させる。
変身に伴って、翼を広げるイメージを高めていく。
目の前で囚われている少女を助けたいという思いが原動力となって、めるくとまー子の周囲を駆け巡る。
今まで着ていた私服が分解され、代わりに戦闘服を具現化させる。白と金の衣装は天使の権威を示すものとなる。
次は背中だ。めるくには冷静沈着を象徴する精密な機構が、まー子には爆発的な情熱を象徴する深紅の炎が作り上げられる。翼である。
変身に伴う感覚の変化が脳を襲い、一瞬の電撃ののちに適応する。翼からは鮮明にエネルギーの流れが伝わってくる。
残ったものが手元へ集結し、最後に手にするのは武器だ。
強く握ったのを合図に天使を包んでいたものが晴れ、翼を広げ、ふたりの天使が降り立つ。
「澄み渡る翼のクリアスカイ。エンジェル・クリア」
「燃え上がる翼のデッドヒート、エンジェル・ヒート!」
めるくは青のエンジェル・クリア、そしてまー子は赤のエンジェル・ヒート。
剣を握ったクリアと拳に包帯を巻き付けたヒートは名乗りをあげ、構えた。
天使には、変身と同時に武器が現れる。それらは使用者の気性に合うように、戦闘スタイルになじむように無意識が選んだものだ。
「見ててね、先輩エンジェルの戦いってやつ!」
そう言って、ヒートが突っ込んでいく。
考えるより先に身体を動かし、しかし相手が動いた瞬間には思考も動かす。
怪物との戦闘をケンカにできるまー子には、バンデージはぴったりだと言えよう。
炎をまとった拳は触手の拘束を焼く。細いなら一瞬で灰塵と化す。
相手が再生しようとするなら、さらにそこを殴り、焼き尽くす。
ヒートを捕まえようとしてくる相手にも拳をお見舞いし、やがてゲレツナーはその体躯を小さくしてゆく。少女を助け出すにはあと一歩だ。
ここでクシュシュが動く。彼女から伸びるものが、解放の兆しが見え安堵しかけた少女をもう一度叩き落とそうと標的にしたのだ。
クリアの出番はここだ。
少女がクシュシュによってヒートとゲレツナーの戦闘から離れた瞬間、一気に加速する。
ゲレツナーを倒すのがまー子の仕事であるならば、少女を助けるのがめるくの仕事だ。
高速で飛び出し、すれ違い様に少女に伸びる触手を斬り、宙に放り出されている少女自身を抱きかかえ、着地する。
クシュシュのさらなる魔の手はクリアへと向かってくるが、クリアの敵ではない。スピードに特化している機構の翼は、一瞬のうちにすべて切り払うことを可能にしている。
もちろん、よぞらにも、クシュシュにも、ヒートにも見えない速度でだ。
少女のことをそっと下ろしてあげて、腰がぬけているのに気づくと、見学中のよぞらに少女を預け、クシュシュのほうを見る。
敵は舌打ちをした。クリアのことをこれ以上攻撃してこないらしく、背中から伸びた触手を一本、ゲレツナーの中枢まですべりこませ、活性化するだけして去ってゆく。
ゲレツナーはおぞましくうごめく。クシュシュにもう一度もらった力で増殖し、急速に再生していく。
ここままではキリがないし、増殖が速い。
よぞらを守るためにも、早期決着が望まれた。
「っしゃきた、決め技いっくよー!」
クリアからの合図で、ヒートが準備に入る。
深く息をはく彼女。いまだけは、触手が伸びてきても殴りかからない。
集中してエネルギーの形をコントロールすることで、戦闘服へと変化させていたものを攻撃へ回すことができるようになる。
それがゲレツナーを浄化し止めを刺すことができる必殺技発動のやり方であり、いまヒートが行っていることであった。
「バーニンハート☆インパクトッ!」
ゲレツナーに向かって拳が振り抜かれ、攻撃を受けた部位は焼けるの領域を超えて焼失し、すべてが浄化されてゆく。
一撃ごとにクレーターを作るように炎が触手を消し飛ばし、次の炎が拳によって運ばれ、それが繰り返される。
人質のもういないゲレツナー相手に、手加減など必要ないのだ。
敵が消え去ったことを確認する。そのときすでにクシュシュは去っており、逃げられてしまったようだ。
だが、今回の目標である少女の救出とゲレツナーの撃破には成功した。
めるくとまー子は、それぞれクリアとヒートのままでハイタッチをする。
それからよぞらのもとへ戻り、囚われていた彼女に声をかけた。
天使はすでにふたりとも変身を解き、もとの分解していた私服を着た姿になっていたが、少女は意識を朦朧とさせながらも天使だとわかってくれたらしい。
「大丈夫ですか?」
「……うぅ、は、はい。ありがとうございます、天使様」
「無事でなによりです。では、天界社まで送りますね」
めるくは少女を背負った。被害者を天界社に関連する医療施設へ届けるのも仕事であり、人助けの一端なのだ。
隠れて見ていたよぞらとまー子に合流し、万一のために歩調はゆるめずに歩き出す。
「どうよぞらちゃん、これがエンジェルの仕事だよ!」
「……いきなり戦闘は無理ですし、私としてはまずは変身の制御などからやっていただこうと思っているのですが」
「は、はいっ!」
めるくは隊長として、後輩を導く責任がある。
特に、謎多きよぞらに対しては、より一層重いだろう。