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穢れなき天使の愛し方  作者: 皇緋那
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第29話 どうしてあんなに似ているんでしょう

 どこかもわからない場所で、クシュシュは意識を取り戻した。

 屋内であることだけは確実だが、壁も床もなにかに埋め尽くされていて、もうもとの建物の面影はどこにも感じられない場所だった。


 自分はさやによって作り替えられたも同然だった。

 この身体はまだひづきの意識を保てているが、配下であったはずの触手たちが言うことを聞いてくれない。

 命じようとしても、なにも起きてくれない。


 それでも完全に主導権のなかった先程の天界社襲撃よりはましだ。

 この建物を埋め尽くしているものどもとは、一本だけで繋がっていて、一定の範囲なら自由に動かせてくれるようだ。

 そんな猶予を設けてくるのは、欲望でできているだけのやつらではない。

 あの女、ファム・ファタールで間違いないだろう。


 とにかく、歩き回ってみるしかない。

 リードのように自分に繋がれているものが許す限り、周囲を調べてみる。

 ただ触手だけが一面に広がっているなか、ある一点に少女の姿が見えて、全速力で駆け寄った。


「まー子!」


 天使の仲間だった彼女。

 傷だらけになりながら無理やり変身して、めるくを助けてこんなところにまで連れてこられてしまった。

 まきなは意識がないようで、倒れているまま動かない。

 胸のあたりが上下していることから呼吸は確保できているのだろうが、不安になってくる。


 隣に屈むと、あの頃のように近くにまきなを感じられる。

 傷ついていても、彼女の肌は美しく、どうしても触れたくなる。

 いまの変えられてしまった自分にそんな資格がないと知っていながらも、そっと頬に手を伸ばす。


 そこで最後の自制心がはたらいて、彼女に触れようとする腕を自分で押さえつけた。

 いくらまきなが眠っていて、彼女が許してくれるのだとしても、それは自分がもう文ひづきではないと認めてしまうみたいで。


「……じれったい。ちょっと、やらしい雰囲気になってもらえる?」


 背後に突然気配を感じたが、自分につながる触手を掴まれてしまい、逃げることは許されなかった。

 姿を見なくても正体はわかっている。黒羽さやだ。


 彼女の手が首筋にまで伸びて、抵抗がゆるされないままに親指が皮膚を突き破ってくる。

 体内に突っ込まれた指先から冷ややかな液体が血の中に混ぜこまれて、意識が朦朧とする。

 自分の認識があいまいになって、考えられる余裕がなくなって、もう欲望しか頭になくなっていく。


 指が引き抜かれると、傷はすぐに塞がっていき、ちいさな痕を残すだけとなった。

 さやはクシュシュから離れていき、壁に寄りかかって好奇の目を向けてくる。


 それらはすべて、いまのクシュシュにはどうでもいいことだ。

 目の前のまきなの存在だけが大切なもので、いとおしいものなので。

 今度はためらいなく彼女の身体に指をすべらせて、できるだけくっついていようと覆い被さった。


 まきなが目を覚ましかけて、ひづきの名をつぶやく。

 彼女がクシュシュのしようとしていることを知ったら、どう思うのだろう。

 考えるだけで、むしろ腹の底が沸き立つような感覚に襲われた。


「ごめん、まー子」


 この声はきっと聞こえていなかっただろう。


 クシュシュがまきなの頬に口づけをしたことを合図に、建物の内装になっている触手どもが動き出す。

 これから始まるのは、天使を堕とす行為。

 そして、まきなの身体にクシュシュを刻み付ける行為であった。


 ◇


 まきなが連れ去られてからというもの、天使隊の面々はさまざまな仕事をキャンセルして捜索に当たった。

 ふだんは借りないお巡りの手まで借りて、必死で探し回ったのだ。


 天使隊は死と隣り合わせであっても、すぐに諦めてしまえない少女ばかりが天使になる。

 めるくもそうだし、よぞらだってそうだった。


 しかし数週間も捜索しているのに、まだまきなの気配は欠片もなかった。

 現れるエーロドージアもネトリータやバラバローズばかりで、倒しても情報は得られない。

 もはや見つかるはずもないと、お巡りたちが折れようとしている。


 そんな状況に舞い込んできたのは、新たな火種であった。


「隊長、それによぞらちゃんも。来てくれるかしら?」


 らびぃに呼ばれ、ふたりは管制室へと向かった。

 モニターには地図が表示されており、中央になにか動く丸がある。

 なにかの反応だろう。


 らびぃはこのなにかが問題だといい、話をはじめた。


「この反応。所属不明の天使、っていう結果が出るけど、なんか腑に落ちないのよね。動きが怪しいっていうか、まず野良の天使なんて存在するのかしら?」


「いえ、天使はこのような探知から所属隊がわかるようにされているはずですが」


 目的もなく放浪するように、地図上を動く白い丸。

 それが動き回っている山のあたりは、たしかいま警察と見習い天使たちが重点的に捜索している場所ではなかったか。

 まきならしき影を見たとの目撃情報が相次いでいて、可能性としては最も高い場所なのだ。


 この白い丸がまきなであるという可能性も捨てきれない。

 よぞらとめるくは、捜索隊の支援も兼ねて出撃することになる。

 ワープの座標を近くに指定して、らびぃが起動させる。


 この直後、管制室にかかってくる通信はその捜索隊から発されるものだった。

 当然、通信機の向こうで起こっている光景に、めるくとよぞらが遭遇することになる。


 ◇


 その光景はまるでスプラッター映画のようだった。


 あたりには、切り裂かれ打ち捨てられた死体とおびただしい量の血だまりが作られている。

 ほとんどが警官の制服を着た男性で、残る数体が天使見習いの少女である。


 その中央に立ち、血に濡れたマチェットを自分の髪でぬぐう少女がおり、これらの死体は彼女がやった殺人の結果とみえた。

 少女は血液が付着せずとも深紅の長い髪をもち、ジャケットやホットパンツを着用している。

 ただ赤く染め上げられているせいでもとの色がわからないまでになっていて、赤のほかには肌の色と瞳の黒だけが彼女を彩っていた。


 状況は最悪だった。

 悲鳴と叫び声を聞きつけて、よぞらとめるくが到着したころにはすでに遅かったのだ。


 警官が叫びながら発砲するが、たやすく回避されてしまう。

 そのままマチェットで首を裂かれ、噴水のように体液を散らして倒れ、すぐ動かなくなる。


 続く見習いの天使が槍を得物に攻撃するが、少女の凶器は突きを潜り抜けて使い手にまで到達する。

 深くまで差し込まれた刃が被害者の腹部を大きく開いていき、絶命まで導いていく。

 その際すでに幾度かの痙攣ののちに命を落としていて、凶器が引き抜かれると同時に支えを失い地に伏した。


 捜索隊は十数名で構成されていたが、ここにある遺体は残酷にもその人数とほとんど一致している。

 中にはばらばらで個人が特定できないものもあり、できれば直視したくない。


 誰も助けられなかった、間に合わなかった。

 そんな事実に落ち込んでいる暇もなく、少女はよぞらたちにも襲いかかってくる。

 変身を間に合わせ、クリアがマチェットを弾き、少女に向かって剣を振るう。


 彼女にとって予想外の展開だったのか少女は回避が一瞬遅れ、ジャケットに切れ目が入る。

 クリアたちを脅威とみたのか大きく飛び退き、凶器を握り直しながら警戒の体勢をとった。


 少女と間近で顔を合わせたクリアが、トゥインクルにこぼす。


「あの殺人鬼、どうしてあんなに小さい頃のまきなに似ているんでしょう」


 確かに、髪色も瞳も面影がある。まきなよりも小柄故に、クリアは小さい頃の彼女を思い浮かべたのだろう。


 相手の正体がまったくわからない。

 天使なのか、エーロドージアなのかさえ曖昧だ。

 唯一わかることといえば、彼女は人を殺したということと、こちらにも敵意を向けていることだけ。


「ひとつ、聞いてもいいですか?」


 トゥインクルは声を張り上げた。

 言葉は少女にも通じているようで、首をかしげている。


「まきなさんのこと、知ってますか?」


「……まきな?」


 覚えがあるのか、目を丸くする。

 が、それ以上の情報は出てこなかった。

 すこし考えたあと、足元を気にしだしたかと思うと、適当な天使見習いの武器をひったくって投げつけてきたのだ。


 トゥインクルが矢を放って撃ち落としたが、同時に少女自身も向かってきている。

 そこへクリアが割って入り、再びマチェットと剣での戦闘が繰り広げられる。

 執拗に首もとを狙ってくるのは殺意の表れだろう。

 相手を殺す以上の目的が、少女からは感じられなかった。


 先程の一瞬で少女はクリアがどれだけ危険か理解したらしい。

 大きく距離をとったり、警戒しているのがよくわかる。

 そのぶんトゥインクルは意識から外しているらしく、狙いを定めるのは容易だった。


 つがえた矢はなるべく命にかかわらないような部位を選んで射る。

 狙い通り、彼女が武器を振り下ろした瞬間二の腕へと突き刺さって、結果マチェットを取り落とさせることにも成功した。

 すかさずクリアが奪い取り、トゥインクルに投げ渡してくれた。


 頼りであった武器を失ってしまった少女は、二歩か三歩後ろへよろめくと、死体のひとつにつまづき尻もちをついた。

 痛みに震えているのか、うわごとのように小声で呟き続けている。


「たすけて、いたい、いたいよ、おかあさん」


 呼吸が荒い。

 眼もせわしなく動き、心の底から恐怖している。

 人を殺すことに躊躇いの無い一面とはうってかわって、ひざを擦りむいた幼い子供のごとく泣いている。


 この子はいったい、なんのためにこんなことをしていたのだろう。

 まったく意味がわからない。

 連れ帰って、事情を調べてもらうべきではないか。

 トゥインクルはそれを実行すべく、少女に歩み寄ろうとした。

 できることなら、これ以上傷つけたくなかったのだ。


 けれど少女は怯えて後ずさっていった。

 自分に刺さった矢を無理やり引き抜いて、それを武器として応戦しようともした。

 しまいには、足元の死体を引きちぎって投げつけたり、血だまりを目眩ましに使おうとした。

 どれもトゥインクルには効果がなかったが、少女はどうにか逃げる隙をうかがっている、らしい。


 つぶやきの声が、天使たちの耳に響いてくる。


「いや、たすけてっ、おかあさん」


 懇願する少女。

 どこかに浮かぶまきなの面影は、このまま彼女を殺すことを踏みとどまらせるにはじゅうぶんだった。

 状況は変わらないまま、しばらく時が過ぎる。


 そしてあるとき、ほとんど悲鳴にも近い声とともに、少女は刺し貫かれた。

 天使見習いに与えられる長柄の槍が、彼女の胸を突いたのだ。

 おかあさん、と誰にも届くことの無い言葉が虚空に消えて、同時に少女もその短い生涯を終えていく。


 何が起きたかと思えば、そこには捜索隊の生存者であろう訓練生がいた。

 同じ訓練生の仲間が殺されていくなか、怯えながら隠れていたのだろう。

 がたがた震える彼女を責めるなんて、できるわけがない。


「……何だったんでしょうね、いったい」


 クリアが絶命した殺人鬼を抱き上げて言う。

 所属不明の天使反応が彼女のことであるなら、遺体を調べてもらう必要がある、とも。


 トゥインクルは事件の終結を喜べなかった。

 何人もの人々がこんなふうに犠牲になって、少女に償わせることもできず。

 助かったのも一人だけだった。


 まきながこの光景を目にしたら、よぞらたちを慰めてくれるだろうか。

 めるくの抱える不安が、すこしだけわかるような気がした。

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