第17話 激戦、二大エーロドージア!
トゥインクルはバラバローズがこちらを追ってきていることに、彼女の姿が見える直前に気がついた。
次の瞬間、後方に放った矢は弾かれていた。
トゥインクルの予感が正しかったことが、証明されてしまったのだ。
クリアはどうしたのか問いたかったが、それより先にバラバローズの殺意が迫る。
迎撃は通じず、回避行動を余儀なくされた。
すると、少女を封じている縄のかたまりが木々のあいだへと放り出されてしまう。
トゥインクルがこの瞬間忘れていたのは、バラバローズの狙いが自身でなく捕らえてある少女だということだった。
「……トゥインクルちゃんか。かわいいね、鮮血が似合いそう」
ただ眺めているだけなのに、バラバローズはびくびくとちいさく痙攣し、表情を蕩けさせている。
そのなめまわすような視線は天使の動きを止めるのに十分であり、そのまま縄のかたまりまでたどり着かれてしまう。
拘束はひきちぎられ、枷が叩き割られて、ふらつきながらもあの少女が解放された。
「やっと出られたぜ。まさかお前に助けられるなんてな。礼に一晩抱いてやろうか」
「あぁ。殺させてくれるの?」
「前言撤回だ、お前とするには縛り上げないと駄目だな」
トゥインクルの眼前には、ふたりのエーロドージアが立っている。
状況は極端に悪い。
バラバローズを追ってクリアが来てくれたとしても、ひとりで相手ができるだろうか。不安がつきまとう。
逃げるか戦うか。
それを決めあぐねて、ふたりの少女が幼い容姿に不釣り合いなほどの邪悪を纏っているのを呆然と見ているしかなかった。
「そうだ。これからもう一人天使がくる」
「は? なんで再起不能にしてこなかったんだよ」
「……こんなところで雑に消費したらもったいない。せっかくなら、最初から最後までじっくり味わいたい」
「そういうことかよ。言っとくけど、俺戦えねえからな」
「わかってる。か弱い幼女になったんでしょう。このまま荷物でいられるとか、どんな脳神経のはたらき方してるか気になっちゃう」
そういって、バラバローズはとなりの少女に迫り、おさえつけた。
どんな拷問がはじまるのかと身構え、必死に抵抗するのをねじふせて、唇をふさいだ。
相手が赤面してもかまわず、しばらくのあいだはそのままだった。
闇が華奢な身体から同じく未成熟な身体に流し込まれていく。
そのあいだに、トゥインクルのもとにはクリアが駆けつけてくれたけれど。
彼女が呟いた言葉は、最悪です、だった。
あの行為が口を通して欲望をやり取りしているものだと知っているのだろう。
バラバローズがはなれると、おさえつけられていた方は吐くような仕草をみせ、深く息をついた。
それから、心底愉快であるという表情をみせ、やがて抑えきれなくなったのか大きな笑い声をあげた。
「これだっ、これだよ! 欲望の感触ってやつはさぁ!」
禍々しく、生理的な嫌悪を催す闇がうずまき、少女のもとに集ってゆく。
できあがったのは、鳥を象ったマシンガンであった。
「ネトリーノ。完全復活、した?」
先程までむりやり唇を重ねていた相手とは思えないほど平然とするバラバローズ。
それに対し、呼び掛けられた側は気取ったように、三度ほど指を振った。
「今の俺は女の子、しかも幼女だ。もうネトリーノの名は捨てるべきだぜ、そうだろ? じゃあ……ネトリーノにロリータをかけて、ネトリータ。
よし、これだ。俺はネトリータ、ぶちこまれたくなきゃ」
「なにをぶちこむの? 熱した火掻き棒?」
「……あっ、ついてなかった! とにかく快楽にオトしてやるから、覚悟しな!」
ネトリータからは見た目が青年だったころよりもねじくれた欲望が見え隠れする。
前提が『幼い少女になって』であるぶん、ある程度の倒錯とみなされているのか。
ふと隣をみると、調子の狂う会話が繰り広げられていたにもかかわらず、めるくは真剣な眼差しを保っていた。
「トゥインクル。ネトリータの相手を頼みます。ですが、危険を感じたらすぐに逃げるように。傷ついたら、許しません」
トゥインクルは目をまるくし、そして深く頷いた。
めるくもふたりを同時に相手取ってどうにかなるとは思っていない。
思っていなくても、ふたりは天使なのだ。
食い止めなければ誰かに矛先が向けられるのなら、食い止めるほかに選択肢はない。
弓を引き絞り、矢を放つ。
バラバローズ、ネトリータ。二名のあいだを通り抜けていく矢はかぶら矢のような役割を果たし、交戦の幕が開かれる。
天使も標的を見定めて、戦闘はすぐに始まった。
クリアの剣とバラバローズの茨が交差し、トゥインクルに向けてネトリータの弾丸が放たれる。
マシンガンによる連射を飛翔して回避したトゥインクル。
翼にも意識を張り巡らせて、銃弾の軌道を読んで飛び回る。
徐々に激しくなってゆく攻撃に対し、風の流れを使って先を読んで対処する。
ネトリータの弾が尽きる気配はいっこうにない。
飛ぶ力が尽きてしまったとき、あの弾丸たちはすぐさまよぞらを蜂の巣にするだろう。
この状況を打開するには、どうにかネトリータへと接近し、武器あるいは使い手を封じなければならない。
いずれにしても、一時銃弾が大きな障害になってくる。
弓と矢だけではどうにもできない量の敵弾を、どう止めればいいのだろうか。
トゥインクルはまず瞳を閉じて、よけいな情報をカットした。
翼から伝わるものと、自分の思考だけを研ぎ澄ます。
そうして気がついたのは、ネトリータがまだ青年の姿であった先日の戦闘において発現させたあの光輪のことだった。
「そうだっ、ヘヴンズフォーチュン! お願い、力をかして!」
あの最悪の闇を祓った輪が、トゥインクルの胸の内側から飛び出してきて、実体化した。
それは銃弾を散らす障壁を展開し、この手におさまってくれる。
ヘヴンズフォーチュンを中心として展開されているのだから、それを持って飛び回れば、傷つかずともあの鉛の嵐を突破できるのだ。
めるくの「傷つくな」という願いに応えてくれたのだろうか。
「いくよ、ネトリータ!」
「……ッチ、なんだそりゃ、なんで俺の弾が通らねえ!」
いくら銃撃をかさねようと、祈りと天命に守られた天使に届かせることはかなわない。
ネトリータに矢が突き立って、そこから浄化がはじまる。彼女は片腕を封じられる。
意外にも判断は早いらしく、矢ごと自らの腕を吹き飛ばすことでそれ以上の被害は免れる。
左腕は使い物にならなくなっており、それは大きくトゥインクルにとって有利だった。
「おい、バラバローズ! 楽しんでないで助けろよ!」
「えー。完全復活したんならそのくらい……」
──クリアはそううまく戦えてはいないようだった。
バラバローズの茨によって両手首をそれぞれ掴まれ、さらに棘が深々と突き刺さって血がにじんでいる。
得物の剣は足元に突き刺さっていて、片腕だけでも動くようにならなければ逆転は難しいだろう。
トゥインクルが矢で援護を、と試みるが、茨は想像よりずっと強靭で一撃では切り離せなかった。
それに的が細すぎる。下手に連発すれば、その前にクリアが矢傷まみれになってしまう。
クリアはバラバローズの視線が逸れているうちに駆け出し、頭突きでも蹴りでもかまわずに一撃加えようとした。
しかし、それは拘束ごと振り回されて、木々に叩きつけられるだけに終わる。
クリアの額から流れた血が幹を彩り、鮮やかな赤を描いている。
ネトリータと話しているままクリアを攻撃していた茨の主は、振り返ってそれを見るなり絶頂にも似た声をあげた。
「きれい……」
エンジェル・クリアは傷ついたとしても気高く美しい。
だが、バラバローズのいうきれいはけっしてそのような意味ではない。
いまだ闘志を絶やしていない瞳を向けられても、その心をへし折りたいとしか思えないのだろう。
だから、そこにある決意にバラバローズでは気づけなかった。
「……クールハート☆バースト」
剣も持っていないというのに、クリアは体内のエネルギーの方向を操作し、すべて一ヶ所、右腕に集めていく。
だが、出力すべき刃はそこにない。
腕を蝕む爆薬となったエネルギーの群れは、行き場のないまま溜められ続けていく。
よって引き起こされるのは、手首から先の破裂である。
もう一方の手を捕らえている茨を引っ掴んで、拘束ごと爆破したのだ。
クリアのかけらとともに鮮血が飛び散る。
片腕を代償として、残る手を解放したのだ。
バラバローズが驚き、それから自分の茨がちぎられたことに悲鳴をあげかけるなか、クリアは剣を片手で引き抜いた。
すかさず一刀を浴びせ、深紅のドレスの布地が裂け、この瞬間に大きく刻まれた刀傷が露出する。
痛覚がほとばしったとき、バラバローズは膝から崩れ落ちる。
「い、いたいよ……こんなにっ、いたいなんて……」
涙を流す少女。
いままで誰かにそれ以上の痛みを強いてきたというのに。
その涙には、ひとかけらも同情の余地が見えない。
「そう、だよね。こんなにいたかったらかわいそうだよね。うんうん……あぁ、わたし、こんなに痛いことを女の子にしてきたんだ。そう思うと、なんだかとってもぞくぞくしちゃうかも」
涙のなか、笑いがこみあげてきたのを惜しむことなく表出させるバラバローズは、間違いなく天使の敵だった。
「はぁ。逃げるよ、ネトリータ。クシュシュももうすぐ撤退するでしょ」
そういって、ふたりのエーロドージアは去っていこうとする。
クリアは片腕がぼろぼろで、いまから追いかけても倒しきれるかは不安だ。
ヘヴンズフォーチュンがどこまで助けてくれるかはわからない。
捨て台詞は、黙って聞いていた。
「もう手加減はいらないってわかったから。今度からは、死ぬまで遊んであげる」
「は、死体相手なんてあんま趣味じゃねえけどな。それ以上に俺は受けじゃねえんだよ」
それぞれの姿が遠ざかっていくなか。
エーロドージアを追うことはせず、互いに変身を解くとめるくに肩を貸した。
いまは気絶寸前まで頑張ってくれためるくの治療が最優先だ。
──そういえば。
クシュシュの話題が出たけれど、こむぎの方はどうなったのだろう。
ネトリータとの戦闘に集中していて、ブルームが放つ銃声は聞こえてこなかった。
「あ、やっとみつけた」
噂をすればなんとやら、か。
口には出していなかったが、ちょうどよく草むらが揺れ、中からこむぎが姿を現した。
彼女も無傷ではなく、ところどころ肌にすすの跡があったり、中には青あざが浮き出ているところもいくつかあった。
「クシュシュは逃げてったよ。その様子を見るに、そっちもかなり厳しかったみたいだね」
こむぎの言う通りだった。護送は失敗だ。
だが、嘆いてばかりいられる状況じゃない。
こむぎにも手伝ってもらい、天界社に戻っていく。
決して敗戦でなく、かといって勝利でもない。
この日の任務は、苦い戦いだった。




