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湯江信士

 俺は、前世の記憶を持っている。

 前世での名は、晃宇(こうう)。戦場とは、誰しも恐怖を抱く場所であるが、晃宇はそういった"死に対する恐怖"とは無縁の人間だった。死を理解していないわけではなく、死は誰にでも訪れるものであるから恐怖を感じる必要はない、というような考えをしていたのである。戦いしか能がないうつけだと周囲に囁かれていたが、こうして別の人間として記憶を思い起こしてみると、晃宇は決して"うつけ"などではなかった。


「晃宇殿は戦うことがお好きなのですねえ」

「ええ、まあ」

 権力争いに躍起になり、醜さ、生き恥を曝すよりは、余程有意義だろう。とは言わなかった。


 足早に家へ帰ると、血に濡れた着物を水桶へ放り込んだ。家に充満する鉄の臭いに、妙な安心感を得る。一種の中毒かもしれない。冷たい床に寝転がり、目を閉じる。鼻腔を刺激するカビの臭い、土の臭い、鉄の臭い。外では近所のガキ共が走り回っている、鬼ごっこだろうか。不意に右肩に痛みが走った。触れてみると、ぬるりと液体が指に纏わりつく。ああ、そう言えば斬られたのだった。手当て―――いや、面倒くさい。


 生き疲れてしまった、と言うわけではない。ただふとしたときに、妙な虚無感を抱く。


 晃宇の根源にはいつも、母の死が付き纏っていた。母は病弱で、晃宇が幼少の頃に亡くなった。晃宇は母との二人暮らしであったために、母が好きだった。母を護るために強さを得ようと、体を鍛え始めたくらいだ。

 

 母の死に、晃宇は泣いた。

 母は帰ってこなかった。


 やがて晃宇は泣き止んだ。晃宇は幼いながらに考えた。母は、逝くべき場所へ逝った。悲しむのではなく、自分もこの世の"やるべきこと"を全て終えてから、母のところへ向かおう。


 母が念仏のように「強く生きて」と晃宇に言っていた。この強さは、母が死んでも悲しむことなく、立派に生きてという意味だったのだろうが、晃宇はそこに戦いの強さを見出した。母を護るために鍛えた体であったが、そうだ、母の言いつけ通り"強く生きよう"。そうしたら母もきっと喜ぶ。神もきっと、母の元へ送ってくれるだろう。


 こうして晃宇は、一心不乱に戦い続けた。こうすることでしか、己の心を支えていけなかった。こうすることで、一層母に近付けた気がした。


 見習い兵士として戦場を駆けるようになった頃、束の間の休息で行きつけの酒場へ足を運んだ。

「は?別に、僕は強くなりたくなんてないね」

 廃れた酒場で、酒に酔った晃宇(おれ)が思ゆくままに吐露した過去に、嘲るようにお前が言った。


「理解できない。死人は死ぬだけだ。死後の世界なんてないし、強さを極めたところで死人の元に逝けるわけがない」


 自分の生き方を否定され、頭に血が昇った。我慢できずにそいつの頬を思い切り殴りつけると、思いのほか軽かった。吹っ飛んだそいつは、酒場の壁に穴をあけて外へ倒れ込んだ。「喧嘩なら外でやっとくれ」と呆れる店主を一瞥し、俺は荒い呼吸を整えた。

「俺は、強くなりたい」

 何かに取り憑かれたように、俺は呟いた。俺の言葉に、心底嫌な顔をした男は、仰向けになりながら唸った。

「あーやだやだ、筋肉馬鹿はこれだから……殴るしか能がないの?あのさあ、そういう縛られた生き方、息が詰まるっしょ」

「黙れ」

 偶然酒場で出会って、偶然隣で飲んでいただけの得体の知れない男を、俺は蹴って殴って黙らせた。男はただただなされるがまま、じっとしていた。逃げもせず、泣きもせず、ただ衝撃に耐えながら俺を見つめていた。こいつの底知れない雰囲気が、俺を苛立たせた。


 胸倉を掴んでもう一発、と拳を握ると、男はふっと息を吐いた。

「ねえ」

 俺は拳を止めた。掠れた声に、少しだけ冷静になったのである。酒の酔いが冷め、かっとなって殴ってしまった目の前の男が急に不憫になった。しかし男は痛みや怒りなど一切感じさせない声色で、むしろへらりと笑ってみせた。

「僕さー、好きな人がいるんだ。生涯護り抜きたい人がいる」

「……それが?」

「お前もさ、"今ここに在るもの"に目を向けなよ。いない人を思い続けるのは、きついし、辛い。お前の人生だから勝手にすればいいけど、生きてるのなら、楽しめばいい。苦しいばかりで見返りのないなんて馬鹿馬鹿しいと思わないか?」

 いかにも簡単そうに言ってのけたそいつは、つい先ほどまで殴られ続けたにもかかわらず、けろっとした表情で服装を整えた。先程あけた穴から再び酒場へと入っていくそいつの背中を見て、俺は、急に面白さが込み上げた。


―――そうか。俺は、縛られていたのか。

―――何のために生きるのか。お前は好きな女のために、生きているのだな。

―――それならば俺は、お前を、越えたい。

―――お前が縋るこの世界で生き残り、お前を殺すことで、お前を超えたい。

―――だからお前も、俺を殺す気で来てくれ。


―――俺を殺せ。俺を楽しませてくれる、数少ない友よ。


「俺の生きる意味は、お前だ。隼徳」


 これは、隼徳、晃宇が共に兵士見習いとして、各々の組織に身を置いているときの話である。この数年後、隼徳は手柄を上げて将軍へ、晃宇は組織を取りまとめる幹部として戦場を駆け巡るのであった。



「まさか、お前に言うことになるなんてなあ」

 笑いが止まらず、ふっと息が漏れる。


―――"今ここに在るもの"に目を向けなよ。いない人を思い続けるのは、きついし、辛い。

 過去(しゅんとく)に囚われ続けて、自分を苦しめる友人は、まるで若い頃の晃宇を見ているようだった。晃宇の記憶を辿ると、胸が痛んだ。


 確かに辛かった、存在しないものを追い続けるのは。

 答えが見つからないのだ。母が俺に「強さ」を望み、俺はそれに答え続けようとした。戦って戦って、屍が転がる戦場を駆け続けた。今思えば、考えるのを放棄していただけなのかもしれない。俺は、母の言葉を祀っていただけだった。そして強さを求め、戦って、そのあとは―――?

 

 隼徳に諭されなければ、晃宇(おれ)は何も遂げることなく死んでいたのかもしれない。


 旬はあまりよく覚えていないのだろう。隼徳を"立派な人間"だと言い張るくらいだ、記憶が混乱しているのかもしれない。対して、俺は晃宇としての記憶を、比較的どれもはっきりと覚えている。個人差、なのだろうか。


 旬は立派と隼徳を手放しで持ち上げているが、隼徳もお前と同じただの男だった。生涯護り抜きたい女以外、どうでもいいと言ってしまうような男だった。余計な一言が多く、素直すぎる性格から、喧嘩を吹っ掛けられるのが多い男だった(俺も吹っ掛けた)。変なところで卑屈的で、時々自信をなくしては「やはりあの人は僕が護らなくては」と決心を改める男だった。


 普通の、男だったよ。


 それでも隼徳は、確かに強かった。

 修練を積んで、他の誰より抜きん出て強かった。しかし、旬が思っているような、生まれつきの才能なんかではない。それはあいつの身体を見ればわかった。数えきれないほどの古傷、よくもまあ死ななかったものだと思ったくらいだ。文字通り、死にもの狂いだったのだろう。その覚悟が、何よりも隼徳を強くした。


「似ているよ、旬」


 お前は、本当は芯の強い奴だ。友人思いで、大切なものを護るためには、死にもの狂いで食らいつく。旬の大切なもののベクトルが、"己"に向かないのが心配なぐらいだ。変にプライドが高いくせに、自分を簡単に切り捨ててしまえる。好きな女に命を捧げていた、隼徳にそっくりさ。


「似てるもんか」と不貞腐れる旬に、俺は笑った。


 そっくりさ。本当だ。

 でもまあ、これは言わないでおこう。お前が隼徳をしっかり思い出したときにとっておく。


 お前はきっと、お前が思っているよりずっと、ずっと、護りたいもののために戦うことができる。

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