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名木田旬

 まさか、このタイミングで職を失うなんて思わなかった。三十路近いこの歳になって、無職になってしまうなんて。

 歳を重ねていくと、昔と今を無意識に比較することも多くなった。プライドばかりが強固に積み重なり、肝心の自分自身をいつも置き去りにしていた。

 無職となって、俺は少しだけほっとした。

 時間に追われ、やらなくてはならない"仕事"ばかりが積み重なり、やがて自分自身を見失った俺への転機なのだと―――俺が俺を見つめ直す時間なのだと、そう思うことにした。


 俺は物心がついた頃には、自分以外の記憶を持っていた。"自分以外"とは、確信はないが、俗に言う"前世"の記憶なのだろう。これは皆が持つものなどではなく、俺が―――俺だけが持つ記憶だった。

 名木田旬(なぎたしゅん)、それが俺の名前である。そして昔の俺の名前は、隼徳(しゅんとく)。偶然にも同じ"しゅん"の名前を与えられていた。


 前世と言っても、正直俺は隼徳のことをあまり知らない。というのも、恐らく隼徳の時代は、数百年も前だからである。およそ「そういえば、こんなことがあった…かな」と思い出すことが出来ても、過去の出来事を順々に思い出すには、時が経ちすぎていた。

 

 そして何より、隼徳と俺とは、名前がどんなに似ていても、全くの別人であった。

 例えるならば、ゲームの主人公に感情移入してしまったかのような。自分視点で物事が動いているのに、あたかも自分は天の上から出来事を傍観しているような。そんな曖昧で頼りない感覚なのであった。そうでなくとも、名木田旬と隼徳は、片や己の無能さを突き付けられて無職、片や立派に武勲を上げ皆に認められて将軍。比べるまでもなく、俺が劣っているのは明白であった。


「記憶はあっても、それは俺じゃないからなあ」


 まるで劣等感を生みつけるためだけに残ったかのような、前世の記憶。修行を重ね、女一人のために将軍にまで成りあがった。なんだそれ、かっこよすぎだろう。男ならば、そんな体験を是非ともしてみたかった。

 

 霞みがかった過去に、情けないとわかりつつも羨望と嫉妬を絡ませた。


「せめて俺にも、隼徳ほどの才能があれば、」

「まあな、隼徳は強かったからなあ」

 俺の独り言を掬いとったのは、俺の大学からの友人、湯江信士(ゆえしんし)であった。湯江は唯一、俺が前世の記憶持ちということを知っている人間である。

 昔から何人かには、俺は"前世の記憶を持っている人間だ"と言ったことがある。けれど皆、同様に信じなかった。俺を嘘つきと呼び、馬鹿にした。俺はそうして初めて、"この記憶は言いふらすものではない"のだと気付いたのである。けれどそんな固い決心も束の間、この湯江信士という男に、俺はまんまと口を滑らされていた。



 信士は俺と同じで前世の記憶を持ち、実は隼徳と面識があったのである。これを聞いたときは飛び上がるほど驚き、恐怖に身を震わせた。信士は、隼徳と敵対していた晃宇(こうう)という男だったからだ。殺し合いも、したことがある。晃宇は確かに強かった。信士は綺麗好きで、身なりをきちんとする男だが、晃宇は"紳士"というよりは"暴君"で、ひたすら力任せに戦う戦士だった。


 あまりの変わりように、初めて会った時には気付かなかった。


 大学のサークルで初めて出会った信士は、細身で清潔感溢れる、笑顔が胡散臭い爽やか眼鏡という印象であった。常々、イケメンには苦い思い出を植え付けられるので、イケメンの部類に入る信士も当然俺の中では苦手な部類であった。

 サークルの飲み会では、不運にも、湯江信士が隣に座った。なんだよ、隣かよ。俺は複雑な気持ちの中で、表情に出ないように顔に力を入れる。周辺の女の子がこぞって、信士の隣に座りたがった。それらから逃げるように壁際に座り、俺に「旬、座って」と促すことで、スマートに俺を壁にした。あ、ちくしょう。壁にしやがるのか。馬鹿にしやがって。女の子が不服そうに俺の隣に座るので、俺は心の中で舌打ちをする。

「旬、って呼んじゃった。ごめん。俺のことも信士って呼んで」

 照れたように笑う信士に、眩しさを感じて眉をひそめる。くそ、イケメンは罪だ。周囲の女の子も信士に夢中であった。確かに、こいつは綺麗な顔をしている。男というよりは中性的な顔立ちで、細身なくせに俺よりも身長が高い。照れ笑いは卑怯だ、危ない。若干変な扉を開けそうになった。

「私も信士って呼んでいいー?」

「ああ、いいですよ」

「やだ、敬語やめてよー」

「女性と会話するのは、緊張してしまうので」

 女の子が歓声を上げる。照れ笑いをしつつ、俺の方を向いて頬杖をついた。近くで見るとわかる。こいつ、目が笑ってない。


「旬って俺の昔の友達にそっくりなんだよね」

 俺の耳に口を寄せ、小声で囁く。透き通るような声に、俺は息が詰まった。なんだこの状況。なんなんだ。女の子たちは俺たちの状況を見て「あー二人で内緒話」「ずるーい」と口々に文句を言っているが、冗談ではない。こいつ、ほんとやべえやつだ。

「その人さ、もう死んじゃったんだけど」

「へ、へえ」

 同情させるつもりか。その手には乗らんぞ、と気を強く持とうとするも、簡単に揺らぎかける自分が情けなかった。


「"俺を殺せ"」

「…?」

「"俺を楽しませてくれる、数少ない友よ"」


―――俺を殺せ。俺を楽しませてくれる、数少ない友よ。

 脳裏に閃光が走った。ぱち、と弾けたその中で、誰かが笑っている。鼻腔を刺激する、血の臭い。かつて隼徳(おれ)を幾度となく殺そうとした。屈強で、獰猛で、強さを具現化したような男だった。


「こう、う?」

「…やっぱりか」

 にやり、と笑った信士に、俺は文字通り飛び上がった。同じ前世の記憶持ちに驚いた、と言うよりは、晃宇という"敵"に出会ってしまったという事実に驚いたのである。


「ちょ、え、うわあああ」

 周囲の人々がどよめいているのも、気にかけられなかった。ただただ、目の前の男に、恐怖を感じた。


 晃宇という男に、隼徳は畏敬の念を抱いていた。ライバルとしては怖くもあったが信念を曲げないその強さには尊敬していたし、剣を交えたからこその信頼は確かにあった。けれど、それは、隼徳の強さありきの話である。

 強さが拮抗していたからこそ、隼徳は晃宇を道は違えど信頼に足る者だと思っていた。が、今は違う。俺は―――名木田旬は何も持っていない。今、襲われてしまえば、俺は、あっけなく死ぬ。


 俺は反射的に荷物を掴み、店を出た。一目散に逃げ、その間に止め処ない悔しさが喉の奥から込み上げた。隼徳のときの逃亡とは訳が違う。隼徳は、戦う術を持ちながら、戦いの怖さを知りながら、逃亡を選択した。だが今の俺は―――


「くそ、なっさけねえ」

「なにが?」

「う、え…ぎゃあ!」


 俺の必死の全力疾走に追いつくことは、信士にとってはどうとでもなかったようだ。あっけなく逃亡劇を終えた俺は、首根っこを掴まれて捕獲された。


 殺される、と思った。遠い記憶であるが、彼は隼徳を殺したがっていた。隼徳はあまり戦いを好まなかったため、鉢合わせたら全力で逃げていたくらいだ。もしかして、前世の恨みつらみが、俺たちを引き合わせたのか。逃げなければ。こんなところで、戦うなんて。


 俺は、戦い方を、何も、覚えていないのに。


「何で逃げるの?」

「お、おま…晃宇だろ!隼徳を何度も殺そうとしたッ…そ、そりゃ、逃げるだろ!」

「あ、そうか、そうだよな」


 信士はそのまま俺の首根っこを離した。


「俺、旬を殺す気ないよ」

「…は?」


 殺しに来たんじゃないのか。そのために俺を探して、近づいたのでは、ないのか。


「や、俺もまあ、旬の思ってる通り、晃宇の記憶はあるんだ。あるんだけど、晃宇と俺とは別人というか、そんなに晃宇の感情に振り回されないというか。だって、何百年も前の話だよ。そんなのさ、いつまで引きずってんだよって話じゃん。恨みよりも、同志を見つけた驚きの方が強いさ」


 信士の言葉に、俺は少し冷静さを取り戻した。確かに、俺も隼徳とは別人だし、薄れゆく記憶に感情を振り回されたことはない。恨みがそのまま来世に残るということも、ないのかもしれない。


「それと、ぶっちゃけ晃宇は隼徳を恨んでないよ」

「はあ!?冗談だろ?何度殺されかけたと思ってんだよ」

「"俺を殺せ。俺を楽しませてくれる、数少ない友よ"」

「それ、晃宇が俺に会うたびに叫んでた…」

「言葉そのままの意味だ。晃宇は敵対とか関係なしに、隼徳を友だと思っていた。殺しにいってたのは事実だけど、憎くてじゃあない。楽しかったんだよ」

「…」


 思い出してみれば確かに、無邪気な笑顔を浮かべていた。信士とは別人みたく、身なりを気にしない晃宇は無精髭にボサボサ頭のおっさんだったが、子供のようにはしゃいでいた―――気がする。

「確かに…?」


 苦手意識があった信士だが、案外共通する記憶を持っている人間と出会うというのは嬉しいもので、隼徳の時代を語り出したら意気投合してしまったのである。



 前世から一変して無職人生を突き付けられた俺、名木田旬と、前世から一変してイケメン爽やかクソ眼鏡の勝ち組へと(前世も決して負け組ではない)登った信士。俺はいたたまれない気持ちになって、信士と距離を空けて歩いた。

「まさか隼徳とこうして肩を並べるようになるなんてな」

「やめろよ、無職になった俺に気を遣うな」

「気を遣ってると思うか?逆に追い打ちかけてるんだよ」

「そうだよな、お前はそういう奴だ。効果は抜群だ」


 良い笑顔で言ってくるあたり、俺の傷を自覚しているのだろう。ちくしょう、こいつ鬼畜すぎる。こういう部分がこいつの良いところでもあり、むかつくところでもある。


「俺に何かいい仕事紹介してくれ」

「あ、そういえばさ、俺の友達の妹がさ、ストーカー被害に遭ってるらしいから、ボディーガード探してるんだけどお前やれば?」

「その投げやりなハ◯ーワークやめてくんない?俺が腕っぷしないの知ってんだろ」

「いや、それがさ、その妹、もしかしたら、俺たちと同じかもしれないんだよ」

「同じ、て?」

「前世の記憶持ち」


 信士はくだらないことをいう男ではあるが、嘘はつかない。こういうところは、晃宇の性格を引き継いでいるのかもしれない。


「信士はさー」

「ん」

「なんで、俺のこと、わかったの」

 俺は全然わからなかったのに、と俺はため息をついた。つくづく俺は駄目な男だ。隼徳の面影は欠片もない。情けなくて、嫉妬深くて、無能な男だ。隼徳の記憶は、常に俺を劣等感に突き落とす。信士は俺の言葉に、首を傾げた。

「はは、お前、それ、訊いちゃう?」

「なに、どういう意味」


「お前、隼徳のときと何も変わってないよ」


 呼吸が止まった、ように感じた。何も変わってないだと?よく見ろよ。今、俺無職だぞ?比べて隼徳は、立派な男だった。俺とは全然、違う。


「旬、お前、昔すぎて覚えてないんじゃないの?隼徳を過大評価しすぎだ。あいつ、言うほど立派な奴じゃなかったよ」

「何言ってんだ!あいつは一人の女のために命捧げちゃう奴だぞ。下民から将軍にまで成りあがった奴だぞ」

「はは。まあそう思ってんならそれでもいいけどさ、お前、隼徳に振り回されるのはもったいないよ。旬は隼徳じゃあないんだから、隼徳と違うってことにいちいち傷つく必要はないんだ」

「そんなこと、」


 わかってる―――本当に?

 別人だと言い張って自分を慰めようとして、結局切り離せずに自身を傷つけていた。過去の人物にこれでもかというほど心を掻き乱され、俺は劣等感に溺れていた。信士は笑っている。こいつも敵だったのにな、今じゃあ記憶を共有する友人だ。


 変だな、変な運命だ。



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