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あれから一週間が立った。アタシはあのあとまた病院に連れていかれてそのまま入院している。生き霊は本当にいなくなったみたいで現れることも見ることもなくなった。杏も仕事だったから自宅には戻らないことになり、葎ちゃんが来てくれていっぱい面倒をみてくれた。玲くんも来てる。
タブレットで手話の番組を睨みながら二人で手話を使って話をする。誰かの手助けが出来たらいい。
「あんたたち、なんで黙ってやるわけ? 話しながらやりなさいよ。アタシ、分かんないじゃない」
葎ちゃんがタオルをたたみながら言った。
「そっか」
「だいたい口に出した方が覚えるんじゃないの?」
「あ、なるほど。玲くん、葎ちゃんは、怒ってる?」
「なにそれ、ちょっと」
「りっちゃんは、怒っていません、心配、してる、だけ」
軽いため息。口元が綻んでいる。
「恐竜、見たい、です」
「足が治ったら」
足が治るまで開催しているだろうか。
「そうだ、霧都に、頼んでみる?」
付き合わない? と言われ、ありがとうと答えたまま、何の連絡もしていない。何を言えばいいか分からなかった。霧都からもないし。
「はい、そうして、ください」
「待って、誰、キリトって誰?」
葎ちゃんのびっくりした顔がかわいかった。
「えっと、彼氏」
「は?」
「大学生」
「ちょっと、手話やめて。ちゃんと話しなさい」
両手を掴まれた。葎ちゃんは杏と違う香り。
「いい匂い」
「え、もう。はぐらかさないで」
「彼氏だよ。かっこいいし、優しいし、幽霊も見えるのよ」
「ぼくにも優しいんですよ」
「玲は黙って。いつから? 杏は知ってるの?」
「知るわけないじゃん、杏、いないもん」
「どういう意味?」
「彼氏になって一週間だから。あれから会ってないけど」
ため息。薄いメイクがすごくきれい。
「葎ちゃん、きれいね」
「アタシのことはどうでもいいの。彼氏、名前は? なにキリトくん?」
なんか面倒くさい。違う話しないと。
「ねえ、葎ちゃん。凛くんが持ってきたお皿、あれなあに?」
「皿」
葎ちゃんの顔色が変わった。これは怒ってる。玲くんがそっと手話で、大変、と伝えてきた。
「えっとあの」
「皿って? どんなの? 大きくて白くて灰色の花びらの柄で桐の箱に入ってて江戸紫の風呂敷から出てきたの?」
大正解。葎ちゃんの眉間にシワがよる。
「凛が持ってたの? 打ち合わせ終わって帰って来たかと思ったら、あんたを迎えに行ってくるってあの時、それを持って行ったのね?」
凛くんが来てくれた経緯は分からないけど、お家にいた葎ちゃんが言うならそうなんだろう。なんで怒ってるんだろう。
「夏織にちゃんと言わないとね。あのお皿は絶対触っちゃダメ。どんなに悲しくなってもどんなに辛くなっても、どんなに誰かを憎んでもどんなに誰かを恨んでしまっても決して触らないで」
二重瞼で切れ長の目。真っ黒な瞳にアタシが映ってる。
「聞いてるの?」
「うん」
「分かったの?」
「うん」
ニッコリ笑って頷く。
「空々しいスマイルね、杏とそっくり」
「だって、あのお皿がどこにあるかも知らないもの」
葎ちゃんが笑った。
「そうね、そうよね」
おでことおでこをコツンとぶつけておしまい。
「帰るわね、玲、行くわよ」
「はい。カオちゃん、また明日」
「うん、ありがと、また、明日」
葎ちゃんと玲くんに手を振る。いなくなってからスマホを取り出すとメールの着信があった。霧都からだった。
『恐竜、行くなら一緒に行くけど。車イスでもいいよ。玲くん、行きたいんじゃないの?』
同じものを見てたら安心するだろ?
同じことを考えているのも、すごく安心する。
耳が赤くなる。心臓もパクンパクンしてる。
なんて返事したらいいんだろう。葎ちゃんに聞けばよかったな。
ダメ。自分で考えないとならない。車イスだと迷惑じゃないのか。おトイレも時間がかかるだろう。でも治るのを待ってたら恐竜展が終わってしまう。松葉杖を練習して来週とか。スカートは止めてショートデニムとティーシャツと、リュックにして、でも。
クローゼットの中身を頭に浮かべる。
たまには自分で服を選べよ。杏の着せ替え人形じゃないんだから。
「あ」
凛くんに言われたことが分かった気がした。買い物が先だ。
『嬉しい。来週には松葉杖になるからそうしたらお願いしていい?』
心臓のパクンパクンに合わせて霧都に返信した。今週中に買い物に行けるかな。葎ちゃんにお願いして連れていってもらうか、それとも一人で行けるだろうか。ワクワクしたりドキドキしたり。霧都からの返信はシンプルだった。
『いいよ。厚底禁止な』
分かった、じゃあスニーカーを買おう。
了
ヒャゥゲモノ(ひやうげ者)行状や服装などが奇異で突飛な人。(日葡辞書)