8
凛くんはショートケーキをどかしてアタシの目の前に風呂敷包みを置いた。きれいな仕草で包みを解く。桐の箱だった。
凛くんは箱をそっと開ける。
ぶわっと花びらが溢れた。
溢れたように見えた。箱の中身は大きなお皿だった。真っ白で灰色の点点が花びらに見えたのだ。その時、軽くツインテールを引っ張られた。誰かと思って見上げると。
真っ黒の長い髪の毛。着物を着た女の人。
隙間から見える目も真っ黒。
アタシを優しく撫でる左手は灰色だった。
この手は。
「行け」
凛くんの冷たく響く一言に灰色の左手が反応した。
灰色の左手は女の子の首を掴んだ。
これはみんなに見えているのだろうか。女の子は膝から崩れて床に倒れた。霧都はアタシのときみたいに助けたりはしなかった。霧都に刺さったように見えたナイフがフォークみたいにカランと音を立てて転がった。ナイフには血もついていない。刺さっていなかったのだ。
「霧都、刺さってないのか?」
「大丈夫、これ着せて貰ったから」
店員に聞かれた霧都が、ティーシャツを捲ると黒いベストが見えた。スーツの人が答えた。
「ケガしてからでは大変ですから、一応と言って着せたのは正解でしたね」
警官だったのか。スーツの人は女の子に近づいて、殺人未遂で逮捕しますと言った。女の子は頭を打ったのかぐったりしている。
凛くんは澄ました顔で桐の箱をしまい、丁寧に風呂敷で包んだ。ひらひらと花びらが零れていた。いつもと変わらないきれいな色っぽい手つきに見とれてしまう。
「凛くん」
「バカ夏織め」
「ごめんなさい」
そういえば痛みが引いた。灰色の左手に撫でられたときからだ。
「玲は葎が迎えに行った」
「本当にごめんなさい」
貰った三万を返そうとしたら、いらないと言われた。
「でも」
「たまには自分で服を選べよ。杏の着せ替え人形じゃないんだから」
「杏が買ってくるけど、杏はアタシの好みを分かってるよ」
「バーカ」
ポンポンと頭を叩いて店を出ていく。凛くんはあの警官と知り合いのようで、ありがとなと言うのが聞こえた。
「何なのよ」
潰れた苺。かわいかったのに。食べたかった。
「痛みは? 痛み止め飲む?」
霧都はごそごそとベストを脱ぎ警官に返した。
「平気、多分」
女の子は警官に抱えられてパトカーに乗せられていなくなった。見回したが生き霊はいないようだった。
霧都は向かい側に座った。清々した顔をしている。
「何だよ、あっち行けよ」
アタシにではなく、ちらちらと隠れていた店員に言った。
「霧都」
「ん」
「ありがと」
「こちらこそ。ケリがついたよ。もう見えない?」
「うん、いないみたい」
「よかった」
よかったとふわりと笑う霧都。こんな顔もするんだ。
「うん」
何だか嬉しくなって笑ってしまう。
「夏織さ」
「なあに?」
「また、遊ぼうか」
「また、また今度?」
「うん」
「いいよ、嬉しい」
霧都は手で何かを払った。何かと思ったら、散ったはずの店員たちがまたアタシたちを見ている。
「ああ、もう」
「そうだ、手話って習えるの?」
「え、ああ。今日さ、恐竜見たら連れていくつもりだった。病院のボランティアだけど。小さい子どももいるし、玲くんも喜ぶかなって思ってさ」
「うわ、行きたかった」
「あのさ、夏織」
「うん、アタシ、いつでもいいよ」
クスクス笑う声がする。店員たちが笑っているみたい。
「今日、会ったばかりで、生き霊くっついたり、骨折したり大変だったのは分かってるんだけどさ、言っていい?」
「うん」
なんか、心臓がパクンパクンしてる。
「俺と付き合わない?」
耳が赤くなる。
霧都から目が離せない。
二人が同じものを見てたら安心するだろ? と言った霧都が思い浮かぶ。
「どうぞ、クールな霧都を落としたかわいいお嬢さん」
店員がケーキを持ってきた。置かれたお皿にはチョコレートで花びらが描かれ、一言書いてあった。アタシはそれを読んだ。
「ありがとう」
「どっちだよ、それ」
ふふふと笑う。だって嬉しいから。
「また生き霊が出たらどうするの?」
「一緒に退治するんだよ。俺だけじゃダメだったし、夏織は骨折するからな」
「痛いのよ?」
「あ、痛み止め飲む?」
「平気、嬉しいから」
「飲んでおけよ、心配だから」
小さな粒を二つ、アタシの手のひらに出してくれた。
「怖かったな」
「俺も。あの先生はマジで」
「えー、そっち?」