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車内は空いていた。並んで座ると玲くんは水筒を開けた。イオン飲料の甘い香りがする。一口飲んでホッと口を丸めた。何をするにも一所懸命で見ているとほんわかする。
「あ、カオちゃん、またネコさんです」
これさえなければ。向かい側に座る老夫婦の足の隙間から顔だけのネコがこちらを見ていた。あれは死んでる。周りの人は気付かなかったので、そうだねと合わせて水筒のキャップを閉めてあげた。
いつか分かる時がある。アタシはそれを月の光の下で実感した。死んでる人と生きているアタシたちとの違い。それまではこの玲くんと変わらなかったかもしれない。見えない誰かに話しかけたりしていたかもしれない。
「カオちゃんも飲みますか? リュックに入ってます」
リュックを開けるとストレートティーのペットボトルが入っていた。ありがたくいただく。
「おいしいね」
「はい」
すぐそこに立っていた女の子二人が笑いながら誰かを指差していた。アタシの後ろの方だったので振り向く訳にも行かず、聞き耳を立てると小声で言った。
「気持ち悪い、手話って」
気になったので振り返ると隣にいた人と目が合った。手話を使っていた人たちはその人の後ろにいた。さっきの気持ち悪いって聞こえたんじゃないだろうか。
「あ」
「あれ? こないだの」
目が合った人はかわいいから時給上げようかなと言った店長がいるレストランの人だった。少し歳上のようだ。大学生かもしれない。話しかけようとしたら、立っていた女の子がサンダルを鳴らして近づいてきて先に声をかけた。
「霧都先輩、偶然ですねっ」
二人はこの人の前に立って、かわいく笑った。二人ともデニムのショートパンツで胸元が広いティーシャツを着ている。双子コーデだ。
「バイトですか?」
「うん」
「あのお店、おいしいですよね、ウェイターの人、みんなイケメンだし。店長も素敵ですよね」
正直、面接で飲んだ紅茶は不味かった。自分でいれた方が断然美味しいと思う。でも確かに料理は美味しかった。
二人がまた口を開こうとした時、玲くんが言った。
「しゅわって何ですか?」
双子コーデの一人が一瞬だけ嫌な顔をした。そもそもアタシたちのことは眼中になかった。すいません、と頭を下げて移動しようとした。
「口が利けないから手を使って会話するんだよ。この人たちみたいに」
霧都先輩と呼ばれた人が、それこそ手話を使って玲くんに答えてくれた。もちろん手話で話していたらしい人たちも手元を見ている。その人が霧都先輩に手話で答えた。少し眺めてみる。何が気持ち悪いんだろう。霧都先輩は玲くんに向き直って言った。
「俺と同じ大学の先輩なんだ。かわいい子がいるねって話してたんだよ。君のことかもね」
双子コーデのことだと普通に思うだろう。それを玲くんに振るとは、この人面白い。双子コーデたちはムッとしている。
「あ、伝えておいたよ。手話、気持ち悪いんでしょ?」
双子コーデのムッとした顔が一瞬で赤くなる。なんか居たたまれない気分。ちょうど舞川駅に到着したので、すいませんでしたと声をかけて電車を降りた。暑い空気がアタシたちを包む。
「玲くん、お昼食べたの?」
「まだです。でも恐竜に会いたいです」
恐竜が逃げるわけはないからとりあえず何か食べよう。食に興味ないのも困る。ハンバーガー店に決めた。
「ポテト好きです」
「アタシも。大きいのにしようか」
「俺も」
俺も?
振り返ると霧都先輩だった。
「一緒に食べていい?」
嫌とは言えない。はいとも言えない。
「はい。一緒に食べましょう」
「え?」
「そうしようか。あの席はどう?」
タイミングよく空いた席を霧都先輩が示す。先に座ってて、と言われた玲くんは、はいと返事をして向かっていった。
「あの子、面白いね」
「興味だけならやめてください」
「弟?」
違うけど面倒なので、そうですと答えた。
「ネコ、いたよね?」
びっくりした。見えたのか。
「俺もあんなんだったなあって。懐かしくなった」
分かる、さっきそんな気分だった。霧都先輩は一番大きい三段のハンバーガーを頼んだ。ポテトも炭酸飲料も大きい。細いのに食べられるのだろうか。アタシたちは魚のグリルがサンドされたものにポテトをつけた。飲み物はウーロン茶とリンゴジュース。
アタシと玲くんは並んで座り、向かい側に霧都先輩。玲くんはキラキラした目で霧都先輩を見ている。
「ぼくは、石田 玲といいます」
「玲くんと呼んでいいですか?」
「はい、お兄さんのお名前はなんですか?」
「ぼくは天久 霧都といいます。霧都くんと呼んでください」
先輩ってつけて、と言おうかと思ったがやめた。すかさず、霧都くんですねと玲くんが笑った。別に同じ学校じゃないし。
「手話、教えてください」
もう食べる気がない。それはダメだ。口を出そうとしたら霧都先輩が言った。
「きちんとハンバーガーを食べてからならいいですよ」
「分かりました、食べます」
博物館まで辿り着けない気配がする。すいません、バイトですよねと言いたいが、そこにまた玲くんが食い付いたらと思うと少し悩む。きっと葎ちゃんはこういうのが重なって最終的にはタクシーに押し込んで帰ってくるのだろう。アタシの小さい悩みなんて知らない玲くんは一所懸命に食べている。手話か。
「あの、霧都先輩」
「霧都でいいよ、同じ大学じゃないでしょ? 高校生?」
「あ、はい。一年生です。橘 夏織といいます」
霧都の切れ長で大きい黒目がアタシを見た。
「弟?」
「あ」
そうだった。嘘って難しい。
その時、視界の端っこに双子コーデが映った。行き先が一緒なのか霧都を追いかけてきたのか。見ない振りに決める。
「すいません、母の友人の子なんです。今日はアタシが面倒みるからって。恐竜が好きだから博物館に」
「ああ、そうか。ポスター見た?」
「え、はい。神張駅で」
「あれ、撮影したの、友達なんだ」
「そうなんですか? へえ」
すごいかは分からない。まず、恐竜のすごさが分からないし。
「夏織ちゃん、面白いね」
「ちゃんはつけなくていいです」
「そう? 分かった」
霧都のハンバーガーはすでに半分がお腹に収まっている。玲くんも負けてない。競ってるみたいで楽しくなってきた。アタシもかぶりつく。