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夏休みはバイトをしようと、自分の小遣いくらい稼げるんだと啖呵を切ったんだが、面接で会った店長の一言で止めた。
「かわいいね、君。こっそり時給を上げようかな」
何を評価してもらったのかは分からない。いや、分かる。だから嫌だと思った。水色のワンピースに紺色のデッキシューズ、長い髪の毛はストレートにして結ばなかった。丸出しの膝小僧はツルツルにしてある。
「で?」
「玲くんの面倒みるから、バイト料頂戴」
次の日、アタシは神張ハミングロードを抜けて環状道路を渡り、パキパキ鳴る竹林を通ってバイトをねだった。今日はツインテールで黒のタンクトップ、背中にスカルが浮いて見えるジルを合わせて、足元は厚底の編み上げブーツ。シマシマのタイツは外せない。やっぱりこの方が自分っぽい。
「何か欲しいなら買ってやるけど?」
違う。そういうことではない。首を横に振るアタシを軽いため息で流してしまう。忙しいはずだから断るはずはない。個展は来週に迫っている。ちっちゃい小皿を五百万とか注ぎ口がついた変わった大皿を七百万で平気で売る人だ。その為に仕方なく会議やら打ち合わせやらを自分でやるようになった。
「ダメ?」
ありがたい申し出のはずだ。額に浮いた汗が光る。集中している。
「夏織、杏ちゃんとケンカでもしたの?」
「そういう訳じゃないけど。バイトしようかなって面接行ったら、かわいいから時給上げてやるとか言うから止めた」
「上げてもらえばよかったじゃないか、十円だってバカにできないぞ」
「凛くんが言っても説得力ないよね」
「玲より、商談を頼みたいよ」
「それはハードル高過ぎ」
「だよなあ」
陶芸師、石田 凛。母親の杏と同じ歳でその世界では有名らしい。過去が見える皿だとか幽霊が覗く湯飲みだとか、髪の毛が沸く小皿とかもあった。アタシのお茶碗も凛くんの作品で、たまに花びらが見える。凛くんの作品は砥部焼きをルーツに持つらしいが、それはまるで青磁器のようだった。
と誰かが記事に書いていた。
「舞川の博物館に恐竜が来てるでしょ? 玲くん、好きじゃん、アタシ、連れて行くから」
商談に使う小皿を十枚ずつ数えて紫の風呂敷に包んでいく。手つきがキレイで色っぽい。色っぽいのは指先だけではないのだけど。知っている大人の誰よりもキレイな人だ。男なんだけど。
「何が起こるか分からないぞ」
「分かってる、大丈夫」
玲くんは発達障害だとかで、八歳になる今も学校へは行っていない。一応私立の学校に席はあるし、市役所の人との面談も定期的に行われている。使ったことがないランドセルは埃が被っていくので、たまに拭いてあげる。ひらがなを教えたのはアタシだ。
「じゃあ、頼むよ。はい」
作務衣のポケットに手を突っ込み、無造作に札を出した。三万円。こんなにいらない。
「分からないだろ、舞川からタクシーに乗るはめになるかもしれない」
否定は出来ない。その話はよく知っている。
「ありがと、凛くん」
「気をつけて行けよ」
「はぁい」
「頼んだよ」
「はぁい、はぁいはぁい」
ぴょこんと手を空に突き出す。その爪は杏が付けてくれたビーズがついた付け爪。
「あ、爪取る」
玲くんに刺さったら殺されるかもしれない。凛くんの奥さんは二年前に亡くなっている。宝物の玲くんは、杏に放ったらかしにされてるアタシと同じようにみんなで育てている。ありがたい仲間様々であるのだ。アタシは凛くんの作業机に座り、アルコールやらなんやらを並べて一枚ずつ剥がしていく。
「窓、開けてからやれよ、髪の毛も臭くなるだろ」
凛くんは身体を伸ばしてあちこちの窓を開けていく。
「凛くんさあ」
「あぁ?」
「アタシ、こないだ、幽霊が作ったハンバーグ食べたの」
「ふーん。ちゃんとした肉ならいいけどな」
「帰ってから吐いたし、お腹も壊した」
「ああ、そうだよなあ。旨かったか?」
「うん。すりごまを入れるのがコツなのよ」
返事がなかったので振り返る。凛くんは集中して大きな皿を光に翳していた。作務衣から伸びた腕にはしっかりと筋肉がつき、背中のしなりがそれこそギリシャの彫刻のようだ。カッコいい。
「お皿、割れてるの?」
「いや、見えるか? 右っ側」
「あ」
手形があった。
「子供のみたい。小さいね」
「そうだな」
八百万で売ったものだそうだ。
「金返せって言われないの?」
「ああ、言われなかったな」
言われたら、はいはいと返すに違いない。剥がした爪を並べて凛くんに行ってきますと言った。