第二話 零れ出した夢
やっとヒロインが出てくる話をかけました。
ほんのちょっとだけど。
あ、環樹だってもちろんヒロインです。
それから少しして、文月たちは『寓話の森』で立ち尽くしていた。というのも、ドアに『close』の板がぶら下がっていたからだ。窓から中をのぞいてみたが、昨日と同じく薄暗く人気はあまり感じられない。
「あれ、やってないのかな?」」
「おかしいな。昨日は明日来いって言ってたのに」
「だよね。何かあったのかな?」
「どうだろう。出直した方がいいかな?」
そうは言ったものの、その選択は文月にとって気乗りのするものではなかった。理由はわからないがなぜか持ち出してしまった形の本が気にかかったのだ。購入するにしても、返却するにしても、事情を話すなら早いほうがいいに決まっている。
「どうしたもんか……」
途方に暮れてしまった。ここで立ち尽くしていても何が変わるわけでもないのだが。
「ドア開けてみれば?」
「え?」
「お店自体はやってないかもしれないけど、巻菜さんはいるかもしれないでしょ? 鍵が開いてれば、中には人がいるってことじゃない?」
「確かにそうだけど。いや、いいのかな……」
環樹の言葉に文月はなるほど、と思った。しかし同時に、仮に鍵がかかっていなかったとしても、営業中でない店に勝手に入っていいものだろうか、という疑問が浮かんだ。
「考えすぎだよ。怒られたら一緒に謝ってあげるから!」
「あ、おい!」
悩んでいるうちに環樹がドアに手をかけて、「えい!」と引っ張る。
「あ」
「空いてる、な」
ドアに鍵はかかっていなかった。文月は退路が断たれたような、そんな気分になった。
(まあ、約束はしていたわけだし、鍵も開いてた。そんなに怒られることはないかな)
そう気を取り直して前を見ると、環樹が店に入っていくところだった。
「行くでしょ?」
「ああ、うん」
手招きする環樹に文月は意を決した。二人で店の奥、巻菜のいたカウンターもどきへ向かう。
慣れたのか、本棚からの存在感が今日はあまり気にならなかった。通路を進むと明かりが見えてくる。
(よかった。いるみたいだ)
環樹も同じように感じたのか足取りが軽くなった。通路の終わりに近づく。あとは本棚の陰を覗き込むだけだった。
しかし、予想に反してカウンターには誰の姿もなかった。やはり留守だったのだろうか。
(鍵もかけないで、明かりもつけっぱなしで?)
いくらなんでも不用心だとは思うが事実、巻菜の姿は店にない。やはり出直すべきだったのだ。そんな風に思い出した時、カウンターのさらに奥から人の気配がした。
よく目を凝らすと、薄暗いせいでわかりづらかったが、引き戸の様なものが見える。
考えてみれば当然のことであった。店が店舗スペースだけであることは少ない。バックヤードなりなんなりスタッフスペースなりがつきものだ。巻菜の店の場合、もしかしたら自宅も兼ねているかもしれない。
そうこう考えていると人の気配は一層強まり、戸が開いて巻菜が顔をのぞかせた。少し驚いた様子ではあったが、、すぐに事情を呑み込んだのか、
「あら? 泥棒かと思えば…… 随分可愛らしい二人組ね」
「あははは……」
にやりと笑う巻菜に文月も環樹も気まずげに笑うことしかできなかった。
事情を説明して謝っても、巻菜は特に気にした風もなく笑うだけだ。
「約束していたんだもの。構わないわ。鍵をかけていなかったのは私だし」
「すいません……」
「大丈夫よ。あなたたちなら別にいいわ」
そう言って微笑まれると、くすぐったさに二人は赤面した。
「おもてに『close』の札がかかってましたけど……」
心配していた内容について尋ねてみる。こうして本人を前にしても、何かアクシデントがあったのではないかと、若干不安だったのだ。
「ちょっとね、探し物をしていたのよ」
「大丈夫ですか? 大事なモノなんですか?」
「ええ。そうね。とても大切な本だったのだけれど…… 文月君にも申し訳ないし」
(……ん? 俺? それに本って)
嫌な予感がした。文月は自分の背中から冷たい汗が流れ出すのを感じずにはいられない。
ちらりと、隣の環樹に助けを求める視線を送ると、「あーあ」という顔をした後目を背けられた。どうやら助けてはくれないらしい。
「どうしたの?」
急にぎこちなくなった文月を見て、巻菜が心配そうに顔を覗き込んだ。
「あ、あの、どんな本でしょう……」
「文月君と約束していたやつよ。ほら、あの緑の」
(うわあ!)
文月の汗はもはや滝を彷彿とさせウ勢いになった。非常に気まずい。しかし、言わずに済ますわけにもいかない。
「古波さん」
「? なにかしら」
「すいません!」
通学鞄から本を取り出して勢いよく頭を下げる。本を差し出してそのままの姿勢で巻菜の声を待った。怒られるだろうか、と戦々恐々としていたが、一向に巻菜は口を開かない。
恐る恐る視線を上げると、そこには今度こそ正真正銘驚いた顔で本を見つめる巻菜の顔があった。
「……」
巻菜は何も言わない。本を見つめる表情からも、彼女の内心をうかがうことはできなかった。
文月にはただ、黙って見つめていることしかできなかった。
どれほどの時間そうしていただろうか。一時間のようにも感じられたし、たった数分であったかもしれない。文月がさすがに声をかけようか迷い始めたころ、
「……そう。ちゃんと見つけられたのね」
巻菜はそう言った。
言葉の意味は分からない。しかしその言葉が文月に向けられたものではないことだけはわかった。
「あの…… 実は」
「いいわ。だいたい見当がつくから」
事情を説明しようとしたところで、文月の言葉は巻菜に遮られる。
「昨日家に帰ったあと…… そうね、朝あたりかしら。返したはずのこの本がなぜか手元にあることに気がついた。違うかしら?」
「……え?」
「当たりみたいね」
「なんで」
説明しても信じてもらえないだろうと思っていた事実に関してズバリと当てられて、文月の思考は一瞬止まった。
「勘、ていうことにしておきましょうかしら」
そう言って、笑う巻菜は先ほどと打って変わって非常に楽しそうだ。
「それに昨日は確かに返してもらっていたもの。夜中に忍び込みでもしなければ文月君が持っていく事は出来ないわ。まさかっ」
いたずらっぽく息をのむふりをする巻菜に、文月は全力で首を振り回すことで答えた。
「でしょう? だからいいのよ」
「……」
「それに」
巻菜は若干もったいぶって、
「きっと文月君はこの子を買ってくれるわ」
「ね?」と念を押すようにされて、文月には頷く以外の選択肢がなかった。
文月は自室のベッドの上で、首をかしげていた。手には買い取ることになった古い本がある。
約束通り本を買い、読み聞かせの約束をした時の巻菜とのやり取りがどうにも腑に落ちなかったためだ。
本を買ったことはいい。そのあと環樹のための絵本の朗読を一緒に聞いたことも。
問題はそのあとだ。わざわざ文月だけを呼び止めて、
『あした学校が終わったあと一人で来て。店は閉めておくけど鍵は開けておくから。環樹ちゃんにはうまいこと言っておいて頂戴』
そう巻菜は言った。
なぜ一人でなければいけないのだろう。環樹は絵本の読み聞かせを楽しみにしている。それに朗読なら絵本以外でもなんとか邪魔にはならないのではないか。
それに、そこから続いた言葉はより一層奇妙に感じられた。
『必ずその子は連れてきてね』
彼女にとって寓話の森の本は子供のようなものなのかもしれない。なるほど『その子』という表現は大きくズレてはいないのだろう。少なくとも彼女にとっては。
しかし、『連れてきて』というのはいかがなものか。少なくとも彼女は文月たちの前で、本は本として扱っていた。『持っていく』という言葉も使っていた。それなのに、まるで本当に人を扱うかのような言葉は、それまでの彼女の言葉とも印象が違うように感じた。
(なんだったんだろう)
考えても答えは出ない。それよりも、明日どうやって棚木をごまかすかの方が重要な気さえしてきていた。
(……寝るか)
明日のことは明日のこと、と考えて眠ることにしたが、翌朝、文月は何ともなりそうにない問題に直面することになった。
「はあっ!?」
「……うん?」
声を震わせる文月のとなり、ベッドの上に、
「な、な、なんで」
「ふわぁ。……おはよう」
あくびをしながら、さも当然のように挨拶をする白い少女がいたのだ。
感想やコメントを頂けると大変ありがたいです。
ブックマークなんて泣いて喜びます。
評価は…… 恐れ多いですね。