序章2 きっと変わらない日常
その日も、永世 文月の日常には特に変化がなかった。
朝起きて、食事をして、学校へ行く。学校では退屈な授業――数学や理科系科目など――はすっ飛ばし、好きな科目――国語系や歴史系の科目――は比較的熱心に聞く。そして放課後は部活動に所属していないために特に予定がない。大した予定がないのもいつものことなので、ホームルームのために担任が教室に現れるのを暢気に待つ時間に一日を振り返ってみているが、やはりというか当然というか、何もない平和な一日であった。
強いて挙げるなら数学の時間中に担当教員に居眠りを見破られたことがいつもと違ったことだろうか。とは言え、その教員とも1年以上の付き合いになるし、毎度毎度寝ていればさすがにいつかは気づかれることくらい分かりきっているので、さして驚きもしなかったが。
「おーい」
(さて、今日はこの後、有り余る放課後の時間をどうすべきかね……)
「おーい!」
(ゲーセンには昨日言ったし、借りてたマンガも昨日読み切った。家に帰ってもいいけど、特にすることもない)
「おいって」
周囲のクラスメイトたちは放課後の予定を立てるべく騒がしく作戦会議を続けている。客観的に見て、そして主観的に見ても友達の多くない文月と違い、大半の高校生の放課後は予定で詰まっている。仮に予定が無くても授業終了と同時に行われる作戦会議で予定を立ててしまえる。
普段、友達付き合いを割と面倒がる文月ではあるが、いざ自分が手持無沙汰になってみると、少しうらやましくも思う。
(まあ、人との付き合いをめんどくさがってた身としては、致し方なしというほかない。友達がいないわけではない。いないわけではないんだけどね)
「おいこら文月」
「はあ……」
先ほどから聞こえていた声がだんだんと剣呑な雰囲気を持ち始めたことに気がついて、文月は数少ない友人の声を無視することをやめにした。声のする方へと顔を向ける。
「なんだよ。環樹」
「聞こえてるんならちゃんと返事をしたら?」
そこには若干不機嫌そうにまなじりを上げながら、文月を見下ろす少女の姿があった。
朽無 環樹文月の数少ない友人の一人にして幼馴染の少女である。小柄な体格と少し幼い顔立ちからどこか小動物のような、守ってあげたくなるような印象を抱かせる少女であるが、文月にとっては幼少期からの腐れ縁。歳が同じなだけのやかましい妹のように思っていた。
「おお、怖い。髪まで茶髪に染めちゃって。不良になってしまうなんて」
よよよ、泣き崩れる真似をしながら怒り気味の幼馴染にそう言うと、パコン! と小気味のいい音を立てて頭が柔らかいもので叩かれた。
「地毛だって言ってるでしょ! 文月だって知ってるでしょ」
「そうだったっけ?」
あくまで知らなかったふりをしながらこたえると環樹は「もぅ」と言いながらも笑ってくれた。縁が腐り始めるまでの間で何度も繰り返した遊びのようなものだ。これをやると大概お互い調子を取り戻す。
「それで?」
「うん?」
一連のやり取りにひとしきり満足してから、文月が用件を問いただすと、環樹は一瞬何を言われたのか分からなそうな顔をしてから「ああ! そうだった!」と思い出したように話し始めた。
「今日、このあと暇?」
「え?」
「面白そうな本屋さんを見つけたの! ほら、文月って本好きじゃない? 暇だったら、一緒に、その、どうかなって」
「まあ、暇だけど。急にどうしたんだ? 環樹本好きだったっけ?」
「え」
「いや、本読んでるとこ見たことないなって」
「え、ええっと」
気まずそうに眼をそらし、ギギギっと音が鳴りそうなほどぎこちなくなってしまった環樹を文月が見つめていると、
「暇なんでしょ! じゃあ、決定ね! 校門で待ってるから!」
と怒鳴って環樹は教室を出てしまった。
(いったいなんなんだ?)
文月には何が彼女を怒らせたのか、皆目見当がつかなかったが、どうやら自分の今日の予定は決まったようだ、ということだけはわかった。
(それにしても環樹が本屋ねぇ。いったいどんな本屋が出てくることやら)
環樹と短くない期間一緒にいる文月の記憶には、環樹が本を読んでる姿というのは数えるほどしか存在しない。それも大抵、試験日直前の教科書や漫画等。小説好きの文月をわざわざ誘って行くような本屋に環樹が行く、というのが想像できなかった。
(だけどまあ、ついて行ってみるのも悪くないかもな。退屈だったのは事実だしね)
環樹の普段と違った様子に、何か面白いことが起こりそうな予感を感じて、文月は荷物をまとめた。