プロローグ
プロローグ
ウワァッ、ウファッ、ゥ、ウワァッーーーーーーー・・・・・!
うら暖かい、閑静な住宅街に、不釣り合いな叫び声がこだまする。
と、同時に
カラカラガラガラララカラカラカラ、ジャジャーーーー
軽めの、が、早い、回転音が被さる。
直前。
そのすぐ近くを歩く少年がいた。
黒に近い濃紺の学生服に身を包んだ少年は、人っ子一人いない住宅街の真ん中を、泰然と歩いていた。己の身を包む学生服よりもなお漆黒の髪を、腰近くまでまっすぐに伸ばしている。対比するように、その肌は陽の光を知らぬかのように真っ白だ。透けるような肌色の中に収まる薄い唇は紅を差したよう。すっと通った鼻梁。目は漆黒を宿すが、年の割には老成しているとでも言おうか。無表情な能面のようにも見えるし、ぞくりとするような色気さえも感じる。
が、しかし、それは彼を見る他人の目があればこそ。
少年は、ただ一人、まっすぐに背を伸ばし、滑るように、丘陵を開拓してできたその住宅街の坂を登り始めた。
と。
突如響き渡った音に、ふと前方を見上げる。
ウワァッ、ウファッ、ゥ、ウワァッーーーーーーー・・・・・!
カラカラガラガラララカラカラカラ、ジャジャーーーー
「ど、どいてぇぇぇぇぇ~~~~」
悲鳴に乗せて、意味のある言葉が被さる。
少年は、その切れ長の目をさらに細める。
坂の上方から、自分と同じか少し下だろうと思われる少年が一人。大きく足を前に突き出し、祈るように胸の前で手を合わせたまま、つまりはペダルもハンドルもフリー状態で、坂を転げ落ちるように自転車を爆走させている。
「どいて、どいて、どいて~~~!」
すでに絶叫と化した、その言葉と共に、まっすぐに自分めがけて、突っ込んでくる。
ぶつかるっ!
自転車の少年が思わず目を瞑る!
と、そのとき。
すーっ。と、長髪の少年は体をずらした。
ガラガラッ、ガッシャーーン!!!
目を瞑りかがんだ拍子に、なんとか保っていたバランスがついに崩れ、自転車は大きな音を立てて、電柱に激突した。
シャーッッッ・・・
フレームが曲がり、ひっくり返った自転車のペダルは、先ほどまでの勢いのまま、むなしく空中で音を立てる。
「いたたたた・・・・」
自転車に埋もれて、少年はうめき声を上げた。
「・・・・・」
少しは驚いているのだろうか。一方の長髪の少年は、呆然とそのようすを見下ろしていた。
「つーッ。」
自転車の少年が、改めて顔をしかめると、あっと小さく叫び、へたり込んだまま、上目遣いにそばに立つ少年を見上げた。
二人の視線が、交錯する。
(こいつ・・・)長髪の少年は、すっと目を眇めた。
「あ・・・あの・・・だ、大丈夫?」
その様子を見た自転車の少年が、おずおずと尋ねた。
「え?」
まるで反応するとは思っていなかった、というかのように、驚愕を浮かべた。
(むしろ、転けたのはおまえだろう。)
本当に心配そうに見上げる少年に、妙に拍子抜けした気分になって、こっそりと独りごちる。
「?」
「いや、そのそっちは・・・」
小首をかしげた少年は、あぁっ!と小さく叫び、いまだ胸の前で合わさった手に視線を落とした。
よく見ると、手は何かを包み込むように、ふっくらと閉じられている。
長髪の少年も、つられてその手元に視線を落とした。
自転車の少年は、少しだけ手を開いて、おそるおそるその手の中をのぞき込む。
ニパァーッ!
少年はまるで花が咲くように、また、雲から太陽が顔を出すかのように、満面の笑顔を作った。
手を共にのぞき込む長髪の少年と目を合わすと、困惑気味の相手に向かい、さらに笑顔を向けた。
そして、彼に向かい、その両手を、自慢げともとれる表情で、突き出す。
さらに困惑を隠しきれない相手に、ゆっくりと両手を広げた。
『ピィッ?』
思わず、体をのけぞらせる少年。
「鳥?」
その手の中には、鳥の雛がキョトンとした表情で、座っていた。
「うん。こっちも大丈夫みたい。」
人の良さそうなとびきりの笑顔で、自転車の少年は言った。
「・・・・」
(なんだこいつは?)
長髪の少年は、自転車の少年を怪訝な思いで改めて見た。
「あーっ!」
「今度は何だ?」
思わず声をついて出た。
くるくるよく動く表情で、地面を見た自転車の少年は、泣き顔だ。
その視線を追うと、桶からはみ出した寿司が、地面にいくつか転がっている。
よくよく見れば明らかに営業車(?)と思われる、荷台に岡持用の吊しがついた、少年には少々大きすぎる自転車が、そこに転がっていた。
「寿司政・・・」
長髪の少年は、さらによく見ればわかりやすい法被の文字を読んだ。
「あー、親方にどやされる。」
この世の終わりとばかりに、頭を抱える少年。
しばらく、そうやって頭を抱えていたが、急にガバッと立ち上がった。
先ほどの事故は、まるで忘れてしまったかのように、大切そうに自分の手の中を見る。
「もう、落ちちゃダメだぞ。」
メッと、雛に向かい言ったその顔を、長髪の少年に向ける。
「あの、すみません。ちょっとこれ見ててもらえますか?すぐなんで。」
「え?」
それだけ言うと、返事も待たずに、元来た道を駆け上がっていった。
2ブロック、3ブロック先だろうか。坂のほぼてっぺん。少年はどうやら、とある屋敷の塀に手をかけているようだ。その塀の上からは立派な木の枝が、道路に向かって生えている。塀からその枝に乗り移ると、少年の影は一瞬留まった。そして数秒後。体を振って、道路の方に飛び降りる。そして、何事か木に向かって叫び、大きく手を振ると、踵を返し、再び長髪の少年の元へ駆け下りてきた。
「いやぁ、ありがとうございます。」
なんとはなしにそんな彼の様子を見ていた少年に、そう声をかけると、「あちゃーっ」とか、「やべぇ」とか言いながら、地面に転がる寿司を桶に突っ込んでいく。そして、壊れた自転車をあちこち蹴って、少しでもフレームを戻しながら、なんとか立ち上がらせた。そして桶を岡持吊りに乗せると、おもむろに、長髪の少年に向き直った。
「ほんと、いろいろごめんなさい。あの、僕、こんななんで、早く店に戻って、新しいのつくってもらわなきゃならないんです。も一回、出前に戻らなきゃお客さんも困ると思うんで、ほんと、ごめんなさい。僕、駅前の商店街の中にある寿司政って店で働いてる成人っていいます。おわび、というか、お礼というか、とにかく、店に来てもらったら今日のこと、ちゃんとしますんで、今は、ほんと、ごめんなさい。」
口早にそう捲し立てると、成人と名乗った少年は、深々と頭を下げた。
「あ、ああ・・・」
呑まれるようにそう呟く長髪の少年を尻目に、成人はもう一度深々とお辞儀をすると、壊れた自転車を小脇に抱え、小走りに坂を駆け上がっていく。
(・・・・)
そんな様子を長髪の少年は、しばらく考え込むように見つめていた。
「・・・あれは、何だ・・・。」
そのつぶやきを聞く者は、しかし、誰もいない。