マラカイトの生彩
「父上はああ言っていたけど、ノアが気負う必要ないんだからな」
自室へ案内するディエンは眉根を寄せて言う。
「誰だってそうだけど、ノアも自分のために生きろよ」
ノアは穏やかな心地で頷いた。
ディエンのために生きること。
それはもはや強制されたことではなく、ノアの強い意思となっている。
ディエンの部屋は上品な調度品が必要なだけ置かれており、シンプルながら暖かな雰囲気だった。
全てが白く簡素な部屋にいたノアは、部屋を織り成す様々な色彩に圧倒されてしまう。
「服は俺ので我慢してくれ。窓には今度特殊加工してもらうから。ベッドは…大きいから一緒に寝ても大丈夫だと思う」
ノアがイヤじゃなければ。
部屋の中を案内していたディエンが寝室で苦笑する。
彼の言う通り大人でも大の字になって伸び伸びできそうなベッドにノアは目を瞬いた。
「…ディエンがいいなら」
「じゃあ、これからよろしくな、兄弟」
その言葉にノアは今度こそ目を丸くした。
透き通っ淡い色合いには違いないが、自然光の下でゼニスブルーに見えた瞳は魔法で灯した光の下ではパープルに見える。
「…知ってたのか」
「今日知った。…ごめん」
ディエンは羽のようにフワフワなノアの髪をそっと撫でてみる。
全体的に色素の薄い彼は神秘的で繊細そうで、硝子細工に触れるような心地になった。
大事に大事にしなくてはならないと思った。
同じ顔の双子の兄弟なのにおのが分身なんて思えやしない。彼は大切な宝物みたいだ。
さっきは頭に血が昇って腕を強く引くなんて暴挙に出てしまったことを深く反省する。
「今まで気づかなくて、本当にごめん」
一人っ子として育てられてきたディエンは未だに不思議な気分だった。
しかしノアがこれまでずっと双子と知りながらあの白い部屋で一人で過ごしてきたかと思うと眉尻が下がる。
そんな彼にノアは息を溢すように微笑んでから首を振った。ディエンと一緒にいられるなんて夢のようだ。
夜、二人で寝ても余裕があるベッドで横になる。大体の時間を一人で過ごしてきたノアには何だか擽ったい。
ふと、ディエンが唐突に口を開いた。
「ノアは俺のために生かされてたって聞いた」
ノアは高い天井をぼんやり眺めながらその声に耳を傾ける。
「俺、自分が助かる換わりにノアが死ぬなんてイヤだ。だからもしそんな時がきても、俺に構わず生きて欲しい」
静かながら強い声だ。
「…おれはディエンを助けたい」
けれどノアも一歩も譲らなかった。
するとディエンは感情を露にノアの方を向く。
「ノア、もう大人の言うことなんて聞かなくていいんだ」
「違う。おれは自分の意思でそうしたいって思ってる」
対するノアも真剣な眼差しを彼に向けている。二人はしばし無言で向き合った。
先に折れたのはディエンだ。
「…わかった。そんな時が来ないようにする」
要は死にそうになんてならなければいいのだ。
「俺は自分の命を大事にする。だからノアもそうしてくれ。もしノアが死にそうになったら、俺も同じことをするかもしれないよ」
最後は砕けた雰囲気で言ったディエンに、ノアは神妙な顔で頷いた。
χχχ
読書くらいしかすることがなかったからと言うノアの学力はなかなかのものだった。
ディエンの部屋に来てからは、彼の考案でディエンつきの家庭教師より共に学を得ている。
「俺にできるんだからノアにできないはずがない」
そう豪語するディエンに勧められ、魔法についても学ぶことになった。
ぐんぐん腕を上げるノアをディエンは誇らしげに見詰めていたものだ。
周りの人々は、いつも共にいるディエンのお陰でノアにも同じように接してくれた。
ディエンがノアを大切に思っていることがありありと感じられたからだろう。
12になると、すっかりディエンにも劣らない文武を身につけたノアは、ディエンと共に全寮制の学舎へ入学することになる。
そこで彼らは双子が嫌煙されるのは一部の地域でのことだと知った。
白子への認識は変わらなかったが、世界にはノアのように色素の薄い家系もあるため、酷い差別を受けることはなかった。
第一、彼らは零組なのだ。
喧嘩を売るような人はそうそういない。
何だかんだで故郷より自由で楽しい時を過ごしていた二人も気付けばもう最高学年だ。
「生徒会長の役が回ってくるとは思わなかった」
ディエンは自室のソファに沈み込む。
「オルキスが蹴るとはな」
因みに隣に座ったノアは副会長だ。
「ロアンが生徒会を避けるために昨年から風紀に所属していたのは知っていたが…」
「ヴァサリエも引っ張られた」
人嫌いの節があるロアンは、連絡役にヴァサリエを選んだんだろう。
ヴァサリエはそこら辺はどうでもいいらしく、あっさり承諾したという。
上位三名がそんななので、とうとう彼らに生徒会の役が回ってきてしまった。
「…うちは結構忙しいんだがな…」
強力なモンスターが現れたとかで故郷から呼び出しを受けることもしばしば。
「決まってしまっては仕方ない」
それでも七家でもない彼らには、オルキスのように優雅に役を蹴るなんてこと、出来やしなかった。
「ああノア。学長に呼ばれてしまったから明日は先に帰省してくれ」
「待ってる」
「いいよ。あの人は話が長くて有名だからさ」
いつになるか分からないというディエンにノアは仕方なく頷いた。
明日から春休み。
モンスターはいつ来るか分からないのだから来れる時はなるべく早く帰省しなさいというお達しを受けているディエンは小さく肩をすくませた。
(ドラゴンの奇襲だ)
そんなノアの声が頭に響いた時、ディエンは全てを後回しにして実家へ戻った。
今や二人は特に気を張らずともテレパシーで通じ合える。
ノアの存在を公にしてから、最初は激しくバッシングしていた貴族衆も、彼がディエンと同等の強さを秘めていると知ると大いに働いてもらおうと考えを改めたようだった。
きっと今も既に闘いに駆り出されているに違いない。
ノア…
ディエンは現場に急ぐ。
巨大なドラゴンは遠くからでもよく目立った。
町ギリギリで攻防を続ける貴族衆。
その中にマントを身に纏う姿を見つける。
無心で向かった。
ディエンの登場に場が俄に活気づく。
一瞬、ノアと視線が絡んだ。
数に圧され、町に浸入する個体が出てしまう。
町で人を襲うドラゴンと石碑の方へ向かおうとするドラゴン。
ディエンは迷いなく石碑を護りに動く。
ようやく全て片付いた時には町は半壊していた。
「ノア!」
急いで駆け寄り無事を確かめる。
彼は珍しく怪我を負っており、俯いていた。
「目、大丈夫か?」
「…ああ」
光攻撃に苦戦したらしい。
その時、甲斐甲斐しく治癒を施すディエンに向かって突如座り込んでいた男が怒声を浴びせた。
「こいつは目の前で仲間が倒れるのを顔色も変えずに見ていやがった!助けることもしねぇでよお!自分は安全な場所へ逃げて軽い怪我だって?とんだ化け物だ!」
「…ノアは化け物じゃない」
父親にも劣らない鋭い眼光に男が怯む。
ノアの手を引いてその場を離れたディエンは、周りに人がいなくなるとようやくノアへと向き直り、安堵した表情を浮かべる。
「無理するな。光属性相手なんて危険すぎる」
「さっきの男の言葉は事実だ」
ノアは透き通った静かな瞳でディエンを捉えた。彼が助けなかった男は死んだのだ。
するとディエンは鼻がつきそうなくらいノアに顔を寄せ、穏やかに微笑んでみせる。
ノアの視力がよくないと知ってから、彼はきちんと想いを伝えたい時には必ずそうするのだ。
「ノアが生きていて良かった」
ノアが男に手を貸さなかったのは部が悪かったからだろう。
自分に何かあればディエンを喪うかもしれない。だから何より自分の命を優先する。
全く同じ考えのディエンには、ノアを責めることなど出来やしない。
人命より石碑を。
他人の命より己の命を。
優先順位は明確だ。
ノアは僅かに純白の睫毛を震わせてから目蓋を下ろす。
双子は不幸を呼ぶ。
白子は不吉な兆候。
もしノアがいなければ、ディエンは民の命を自分より優先しただろう。
多分、土地を治める者とはそうあるべきなのだ。
しかしディエンにとって何より大切なのはノアだった。何よりも彼が無事に生きていることが喜ばしい。
「ノア、帰ろう」
深いマラカイトの瞳が穏やかにノアを捉える。
「…ああ」
硝子細工に触れるようにそっと髪を撫でられた。
ディエンのノアへの認識は共にいられるようになってから全く変わっていない。
それを現すように、ノアに触れる手つきも深いマラカイトの濃淡も全く変わらなかった。
「用事は終えてきたのか?」
ノアが伝えてからあまり時間を置かずに到着したディエン。
透き通ったタンザナイトの瞳にディエンはふっと笑う。
「いや。しかし、学長にうちの事情を再確認していただいた所だったから、ちょうど良かった」
学舎での責務より実家を優先するとディエンは宣言して来たのだ。学長は快く承諾してくれた訳だが。
「入学式や始業式の準備があるから早めに学舎へ行かねばな。勿論、副会長殿も」
「…承知した」
「ついでに父上の後を継いだら補佐を頼む」
ついでに言うことか?と眉根を寄せるノア。
「…貴族衆が黙ってないだろう」
「黙らせるさ」
「……ディエンが望むなら」
ディエンは言い出したらやりきるまで全力を尽くすので、きっとそうなるんだろうとノアはぼんやり思った。
ディエンの部屋に着くと帰ってきたという気になる。初めは気後れしていた部屋も、今やリラックスできる空間だ。
二人はシャワーを浴びて汚れと疲れを洗い流すと、用意された料理を平らげ、早々にベッドへ向かった。
すっかり成長して二人共逞しくなったというのに未だに同じベッドで寝ていることにノアは違和感も持たない。
いつしか隣にあって当然と思うようになっていた体温は、ないと落ち着かないくらいだ。
ディエンもノアがいないと落ち着かないと言うのでやはり双子だと思う。
ディエンはそっとノアを抱き寄せて優しく髪を撫でる。
白鳥の羽のように純白でフワフワな髪。
同じ人間とは思えない、血管が透けるほどに白い肌。
純白の睫毛に閉じられた先にはどんな宝石よりも清らかな輝きを放つタンザナイトの瞳があるのを知っている。
その清らかで尊い存在を今、この腕に抱いている。
「ノア…」
大切に落とされた声。
双子は不幸を呼ぶ。
白子は不吉な兆候。
そんなのただの言い伝えだと思っている。けれど…。
ノアの存在を知ってからディエンは明らかに変わった。
土地を護る者であるという自覚を一番に持っていた彼はもういない。
確かにこの地に住まう者にとっては、その言い伝えは真実なのかもしれない
ディエンはそう思いながら穏やかに目蓋を下ろす。
少なくとも彼にとっては、その言い伝えは真実になり得なかった。
彼らはそうしていつまでも、彼らにとっての真実を守り抜くのだろう