忠君のタンザナイト
強いモンスターが現れる場所というのは大抵決まっている。
彼らの故郷はまさにその場所に近く、人間の土地であると印された石碑はいつもモンスターの標的となっていた。
それを失えばもう住んでいられなくなる。
そこでは貴族の使命はその石碑を死守することだった。
χχχ
豊かな緑に囲まれた簡素な白い東屋。
そこがノアの世界の全てだ。
彼には双子の兄がいるのだが、彼は歴代最強と謡われる類い稀なる魔力を保持しているという。
そんな彼にもしものことが起こった時のためにノアは生かされている。
双子は不幸を呼ぶ。
そんな言い伝えのあるこの地では、双子は産まれた時に片方が存在しなかったことにする、つまり早々に命を奪うのが習わしだった。
それだけでもノアが今生かされているのは異例なのだが、それに加えて彼は色素欠乏症でもあった。
白子と呼ばれるそれは不吉な兆候としてこの地では何より忌み嫌われていた。
ノアの聞いた所によると、双子というのはとても似通った魔力の質をしているらしい。
そのお陰で、例えば彼の兄が死の淵に立たされた時、ノアが全魔力を相手に捧げるつもりで差し出せば、自身の命と引き換えに相手を救うことが出来るのだという。
双子の兄がこの地になくてはならない存在だからこそノアは生きていられるのだ。
彼はそれがとても誇らしかった。
まだ見ぬ双子の兄を心から敬愛している彼には、小さな世界で人知れず生かされていることも、世話人の仕事だからとわりきったような態度も気にならない。
いつか世話人が話してくれた彼の兄は、ハニーゴールドの髪と感情と共に濃淡を変える美しいマラカイトのような瞳を持つ凛とした少年ということだった。
確かに造形だけはお前とそっくりだよと最後に溢していたのが忘れられない。
一つだけ望みが叶うなら。
いつか役目を果たす時ではなく、その前に一度でいいから元気なその姿を見てみたいとノアは思った。
χχχ
その日、午前のレッスンを終えたディエンは気晴らしに敷地内を探検してみようと思いついた。
なるべく人に見つからないようにこそこそ廊下を進む。
ディエンの住んでいる館は広く複雑で、全ての部屋など回ったことがなかった。
知らない所に来た気分になって夢中で足を進めていた彼は、ふと窓の外に目を遣り足を止める。
食事を運ぶ使用人の姿が目についたのだ。
どこへ?と目を凝らしてみると、豊かな緑の中、白い六角形の建物があることに気付く。
今までそんな所に建物があるとは知りもしなかったディエンは、俄然興味が湧いた。
思い立ったらすぐ行動とばかりに走り出す。
森まで来ると、木々の合間に忍んでこっそり建物に近付いた。
ちょうど空の食器を持った使用人が出てきて扉に鍵をかける。
その後ろ姿が見えなくなると、ディエンは飾り窓の嵌められた淵を掴んでそこへ飛び乗り、そっと中を覗いてみた。
東屋の中に影が差し、そこにいた人物が振り返る。
ディエンは驚きに息を呑んだ。
顔の造りがあまりにも自分によく似ている。
しかし次には、見開かれた透き通った硝子玉のような瞳に目を奪われた。
タンザナイトのようなそれは今まで見たどんな宝石よりも清らかな輝きを放っていた。
そんな瞳を囲むのは白鳥の羽のように純白な睫毛。波打つ髪も同色だ。
それと比べたら澄んだ肌は赤く色付いているようにさえ見える。
自分と同じ人間になど思えなかった。
いつか不吉な兆候だと聞いた白子という存在を思い出す。
彼は白子なのだろうか?
ディエンには聞いた話が全く信じられなかった。
その存在はあまりにも清らかで尊いもののように感じられた。
ディエンと彼は時が経つのも忘れて見詰め合った。
どれくらい経ったか、ディエンはハッと我に返った。
彼について知りたくて、習ったばかりのテレパシーで話し掛けてみる。
テレパシーは距離に関係なく会話ができて便利だが、集中しないと言葉を送受信できないため突然の通信にはあまり向かない。
(俺の声が聞こえる?)
肩を揺らしてからぎこちなく頷いたのを見てホッとする。先生と練習した時よりもやりやすかった。
(俺の名前はディエン。あなたの名前は?)
(…ノア)
すんなり聞こえた返答に驚きながら口パクでノアと言ってみる。
開かない窓越し、ノアが肩の力を抜きながら確かに頷いたのを見てとても嬉しくなった。
(ノア…優しい響きだ)
その音の響きはディエンの中にすんなり入って胸を温かくさせた。
(俺、こないだ10才になったんだ。ノアは?)
(…おれも)
(本当か?同い年の子に会ったのはノアが初めてだよ)
ディエンは嬉しそうに笑う。
そんな彼を見てノアもふわりと微笑んだ。
その微笑があまりに穏やかで胸が詰まった。
(ここから出られないのか?)
(うん)
(俺、ノアが出られるように父上に頼んでみる)
するとノアは緩く首を振る。
(いいんだ)
透き通った静かなタンザナイトの瞳を見ていると切なくなった。
(けど…俺はノアとちゃんと会って、もっと色んな話がしたい)
(ディエン、そろそろ戻った方がいい)
耳を澄ませば館の方が何やら騒がしい。
(…また来る)
言い残して素早く走り去ったディエン。
ノアは穏やかに目許を緩める。
「ディエン、か」
唯一の願いは案外あっさり叶ってしまった。
きちんとどんな顔つきかは分からなかったけど。
光を受けてきらきら輝くハニーゴールドの髪、エバーグリーンの瞳が徐々に鮮やかになる様はとても美しかった。
マラカイトという宝石を見たことがないノアは、きっとそれはどんな宝石より美しいんだろうなと思う。
ディエンはノアの存在を知らないらしい。
それでも構わないとノアは思う。
白子は不吉といわれているのに、ディエンはイヤな顔一つせず知り合えたことを純粋に喜んでくれた。
ノアはそれがとても嬉しかったのだ。
聞いていた通り、双子の兄はとても良い人らしい。
彼は幸せそうに微笑むと、飾り窓から差し込む光の中、静かに目蓋を下ろしたのだった。
χχχ
それからディエンは度々ノアの元をこっそり訪れた。
一方ではノアついて何とか情報を集めていた。
ノアは俺の双子の弟
それを知ったのはついさっき。
世話人を問い詰めて吐かせたのだ。
そっくりなあの顔も、テレパシーが通じやすかったのも、妙な親しみが湧いたのも納得できる。
双子や白子がどう思われているかはディエンも知っている。彼が生かされている理由も聞いた。
バカバカしい
そんなのただの言い伝えだと自分たちが証明すればいい。
ノアを自分の命の保険だなんてディエンには思えない。あんなに清らかで尊いと感じる存在を。
俺が護る
彼があのままでいられるように。
ディエンは急ぎノアの元へ向かった。
彼を閉じ込めている白い建物の扉を蹴破る。
目を丸くして座り込んでいたノアの腕を掴んで立たせた。
身近で透き通った瞳に捉えられると身が引き締まる思いがした。
護るべきものを再認識する。
清らかな彼には真っ白なこの建物はひどく似合っていた。
けれどディエンはそのままになどしてはおけない。ノアにもっと広い世界を見せたかった。
日の光に含まれる彼にとって有害だという成分を遮断するローブを着せ、フードを被せる。
「行こう」
白い腕を引いた。
「どこへ?」
ノアは足を踏ん張って動こうとしない。
「どこでもいい。一緒にいられる場所だ」
強い眼差しに息を呑んだノアを引っ張って外へ連れ出す。
「ディエン、こんなことして大丈夫なのか?」
困惑した声だった。
ディエンはそれには答えず、敷地から出るためひたすら走る。
厳つい門が見えた頃、行く手を塞ぐように現れたのはこの地を治める彼らの父親だった。
「ディエン、どこへ行く」
「ノアといられる場所へ」
ノアへ向けられる冷えた視線。
「それは忌み嫌われる存在だ。どこへ行こうと迎え入れられることはない」
「そんなのただの言い伝えだ!ノアはそんなんじゃない。それを証明してやる」
鋭く心臓を抉るような視線を投げる父とそれを真っ直ぐ見返す揺るぎない目をしたディエン。
ノアは石になったように動けず、鮮やかなマラカイトの瞳をただ見詰めていた。
するとしばらくして、彼らの父親はふっと息を溢すように微笑んだ。
「やってみるがいい。ノア、ゆめゆめ生かされている意味を忘れるでないぞ」
ディエン、お前の部屋の主はお前だ。好きにするがいい。
そんなことを言ってどこかへ行ってしまった父親にディエンはようやく息が吐けた。
「ディエン…」
「ノア、俺の部屋で一緒に暮らそう」
柔らかな笑みに促され、ノアは小さく頷いていた。




