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宝石のような瞳  作者: ふゆしろ
6/13

オクスブラッドの崇高

真っ昼間からワイン片手にルビーレッドの花弁を食む。

赤薔薇の花弁はヴァサリエにとって唯一食べられるものだった。


「探し人は見つかったようだな」


風紀室にて一番奥の椅子に座るロアンが視線を寄越した。

そう言う彼は最近まで他人に興味の欠片も見せなかったのに、今では学舎を騒がせている某新入生に入れ込んでいるようだ。


開かれた窓から白い花弁が舞い込んだ。


ヴァサリエは血のように赤い瞳を細めて呟く。


「春だなぁ…」


もう一人の友人も何やら熱心に親睦会のパートナーにダンスの手解きをしているらしいのだ。


「長くかかった方か?」


「いや、見つける前に相手が他界しちまうこともあったから、今回は早い方」


雲一つない空を眺めて落とされる声はひどく穏やかだ。


ロアンは深いオクスブラッドの瞳を眺める。

悠久の時を生きる彼にかける言葉など、ありはしない。



 χχχ



廻る時の中、ヴァサリエはただ一つの魂を愛し続けた。


彼はある時は村娘である時は勇ましい狼族の頭領だった。


初めて会ったときには七家でも厳格なヴィオレの家の長男で、想いが通じた後も彼の血族への忠誠は変わらなかった。

それでも誠実にヴァサリエへ想いを伝えてくれた彼を…彼の魂を心から愛したヴァサリエは、生まれ変わっても愛し続けることを誓う。


次の生では結ばれるといいと言って彼は命を散らしていった。


始祖に近い濃厚な血を持つヴァサリエには、その魂に印をつけるのなんて簡単だった。

しかし敢えてそれをしなかったのは、そんな形ではなく相手の意思で自分を選んで欲しかったからだ。


ヴァンパイアにしなかったのもそう。

一応意思確認をするものの、相手はいつも人であり続けることを選んだし、ヴァサリエも血で縛りつけることはしたくなかった。


いつの時代でも、彼が欲したのは当人の心から湧き上がる愛だ。

何度身の裂かれる想いを味わってもその気持ちは変わらない。


いつか愛を囁きあった魂の異なる個と最初から始める。何度も何度も。

出会って親しくなってやがてまた愛してもらえるまで、決してこれまでの輪廻について語らない。


目を見た瞬間湧き上がる愛しさから抱擁を交わしたい衝動にかられても、甘い蜜のような血で喉を潤したいと欲しても、それを実行することはなかった。


例え相手が最初に愛した魂の姿に酷似していたとしても。


ヴァサリエはラビの顔を見た瞬間、あまりのことに躰が震えた。


そっくりだったのだ。


人間にしてはやけに整った容姿…シルバーホワイトの猫っ毛も大きな丸い瞳もすっと通った小さめな鼻も淡く色付く薄い唇も細みな体躯さえ。

ただ一つ異なるのは敷き詰められた睫毛に縁取られた瞳の色。

いつかアメジストのようだったそれは今、トパーズの煌めきを放っている。


ロアンを見る度思い出していた忘れられない相手が確かにそこにいた。


ついでに言えばあっさりした性格も彼に似ている。

同じ魂でも容姿や性格がいつも同じようになるなんてことはない。それなのにこれは一体どうしたことか。


彼にそっくりで同じ魂を持った、別人。

それを頭がきちんと理解して受け入れるまで少し時間がかかった。


打ち解けてみれば、澄んだ瞳で時に残酷なことを淡々と口にするところや、血族への思いや無頓着なところも彼とは異なっていて、徐々にラビという人間に惹かれていくのがわかった。



 χχχ



澄んだトパーズの瞳に見詰められるとその純粋さに益々手が伸ばせなくなる。

血を濃く遺すことを一番に考え貫き通してきたというジョーヌの血族は、他のどの血族より魔力が強く瞳の色も純色で神の血が濃かった。


たまにラビがその指の先まで整った白い手を前触れなく伸ばしてくると、どうしようもない気になる。

本人にはその血に対する気負いも矜持もあまりないらしいのが余計に効いた。




中庭の芝生に胡座をかいて空を眺めていたラビの隣に片膝を立てて腰を下ろす。


「ヴァンパイアって、シルバーブレッドで心臓撃ち抜かれると死んじゃうって本当?」


相変わらず澄んだ瞳で真性のヴァンパイアに気兼ねなくそんなことを尋ねるラビにヴァサリエは苦笑する。


「そんなこと知ってどうするつもりだ?」


「あんたを終わりのない生から解放しようと思って」


ゆるゆると目を見開いたヴァサリエを少しの間眺めた後、ラビはおもむろに肩をすくませた。


「なんてね。本当にもう死は望んでないんだ」


「ああ…」


なんて質の悪いジョークだろう。


「もしそうして欲しいって言ったら、お前は俺を殺すのか」


「どうかな」


軽い雰囲気の返答だったが、きっと彼なら実行するかもしれないとヴァサリエは思う。

そしてラビは己の行為に罪悪感など抱きはしないのだ。純粋に望みを叶えたとしか思わないだろうから。


無垢ではないのに純粋で残酷な彼が愛しかった。


ラビは深いオクスブラッドの瞳をじっと見詰める。

陶器のように白い頬へと手を伸ばし、うっすら感じられる温もりに目を細めた。


「冷たそうだと思ったのに」


「お前は暖かい」


「あんたが人より冷たいから」


ラビは小柄な躰で細身ながら背の高いヴァサリエを抱き締める。


「何我慢してんの?」


人間より幾分冷たい躰が一瞬強張った。


ラビに想いを告げること。触れること。

ヴァサリエが内に秘めている感情は多い。


細い腕に抱かれても尚、その背に腕を回すことすらしない彼にラビは軽く睫毛を伏せる。


「…ばかだよ、あんた」


それから抱擁を解き、近距離で深いオクスブラッドの瞳を見詰めた。

何より雄弁に想いを伝える美しい瞳を。


「おれが想いを口にするまで黙ってるつもり?神と一つになるまで胸の内に仕舞ったままかもしれないのに」


ヴァサリエは口許にうっすら弧を描いたまま、トパーズの瞳をただ見詰めている。

そんな様子にラビは肩を落としてしまった。それから独り言のように話し出す。


「…おれ、あんたの目見た瞬間にわかったよ。探してたものがようやく見つかったって」


血のような赤い瞳が一層深まる。


「けど、そこにどんな意味があるかわかんなくてずっと考えてた」


鮮やかなオクスブラッドにありありと浮かんだ感情にはすぐに気付いていた。

けれどそれは相手のことで自分のことじゃない。


「いつか、"その存在があるから喪っても絶望に囚われずに済む"って言ってたよな。新たな出会いに希望を抱くって意味だと思ってたけど…違うんだろ」


純粋なトパーズの瞳が煌めく。


「あんたの意中の人は同じ魂を持った人。あんたは長い生の中、ただ一つの魂を想って来たんだ」


ヴァサリエは蒼白い目蓋をそっと下ろした。


「今はおれなんだろ」


確信を持った声で静かに言う。


少しの間の後、ようやくローズレッドの唇が開かれた。


「お前はどう思ってる?」


ラビは衝動的に薄く鮮やかな唇に口付けていた。


はっと上がった睫毛から覗いた瞳はいつになく鮮やかな赤。

目を開いて唇を寄せていたラビは視界いっぱいに広がった鮮烈な色にひたすら見入った。


永遠のような僅かな触れ合いの後、ヴァサリエは鮮やかな瞳を細めてこれ以上ないくらい甘やかに笑んで見せた。


「愛してる」


とても大事そうに落とされる。


「…好きだよ」


ラビは微かに片眉を上げた。


全く、このヴァンパイアの人の良さは本当に手におえない。

長い指が壊れ物を扱うようにシルバーホワイトの髪に触れ、柔らかい頬を伝った。


「慎重すぎるんじゃない?」


呆れを含んだラビの声にもヴァサリエの甘い微笑は変わらなかった。


「お前はとても綺麗だから」


そんな、答えになってるか分からないようなことを言う。


「あんたの方が綺麗だよ」


ラビは人知を越える美貌に肩をすくませた。


「血が欲しいんじゃないの?ヴァンパイアさん」


特有の尖った耳をツンと悪戯に触られ、ヴァサリエは幾分固い声を出す。


「いいのか?」


「どーぞ」


無防備に曝け出された白い首筋に喉が鳴った。

本当にラビはこの柔肌の下に流れる血の価値を分かっていない。


ヴァサリエは細い首に顔を寄せ、そっと舌を這わせる。鼻に抜けるようなラビの色めいた声に興奮は高まるばかりだ。


牙を突き刺す。

蜜のように甘美な味と匂い立つ魅惑の香り。

力がみなぎるのを感じる。


あまりの快楽に牙を抜けない。


「…おれを、殺す気?」


愛を紡ぐように艶やかな声が吐息に混じって聞こえ、ようやく興奮が少し収まった。

傷口を舐めて癒す。


再び絡んだ視線の先、トパーズの瞳が蕩けている。


「…エロい顔」


「どっちが」


鮮やかな瞳を細めてうっとりラビを眺めるヴァサリエの色気といったらない。

彼は愛しげにラビの頬を撫でながら、いつまでも見詰めるのをやめようとしなかった。


「…そんなに見られたら穴が開く」


困ったように言ったラビに小さく笑った。


「ヴァンパイアにとって、吸血は人間が躰を繋げるようなものなんだ」


満ちた心で穏やかに語ったヴァサリエ。


「だから?」


ラビは澄んだ瞳で小首を傾げる。


「…恥じらいとかねぇの」


「……ないな」


しばらく考えてから真顔で言ったラビにヴァサリエは肩をすくませた。


「人間式の色事も?」


「うん」


そういやコイツ、既に子作りしてたんだっけ


純粋な瞳の幼気な少年は無垢ではないのだ。


「ヴィスは人間式もイケるの?」


「まぁ」


「ふぅん…」


ヴァサリエがそれについて突っ込んだ話をしようとした時、不意にラビが口を開いた。


「おれ、別にヴァンパイアになってもいいよ」


ヴァサリエは思わず息を呑む。


「もうこの魂にはあんたが染みついてるみたいだし」


どうせまた別れて出会うのだ。

魂のパートナーは不動なようだし、それならもう共に生きればいいんじゃないかと思う。


「…人間じゃなくなるんだぞ」


「そうだな」


無頓着な様子であっさり首を縦に振るものだから、ヴァサリエの方が心配になってしまう。


「簡単に死ねねぇし」


「うん」


「料理も食えない」


「へぇ」


「それに…」


必死に言葉を探す姿にラビは小さく苦笑する。


「仲間にしたくないならいい」


ヴァサリエはすぐには答えられないようだった。


「おれが死ぬまでに決めて」


「…わかった」


いつも相手を想って深い愛を注いできたヴァサリエは、初めて重要な選択に迫られ僅かに困惑していた。


俺は、本当は…


ラビは澄んだトパーズの瞳を細める。

彼にはヴァサリエが下すであろう決断が分かっていた。





永く続いた輪廻はきっと…

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