サファイアの純真
正直ノルは、ロゼがこんな性格だとは想像していなかった。
孤島に建てられた高い塔へ幽閉されて教養だけを学んで。自身の宿命を知りながら生かされてきた12年間。
きっとしんみりしたヤツに違いないと思っていたのに、ロゼは清々しいまでにその予想を裏切っている。
風呂上がり。
ノルが暗いリビングへ戻ると、ロゼは濡れ髪のまま窓を開け放ち、月明かりの下窓際のソファで読書していた。
「…髪乾かせよ」
取り敢えず一番気になったことを口にすれば流し目を送られる。
「魔法使えばすぐだろ」
「魔法は好きじゃない」
「…だったらタオルで拭くとか」
「面倒だ」
バッサリ言い捨てると読書を再開してしまう。
「灯りも点けねぇで見にくくないのかよ?」
「これだけ明るければ充分だろ」
一体塔でどんな生活をしていたんだと眉根を寄せながらタオル片手にロゼの元へ行く。
「拭けって」
ずいと差し出しても可憐にスルーされたノルは、舌打ちしてからダークブラウンの髪にタオルを被せ、優しく拭い始めた。
ロゼは一瞬躰を強張らせたがとくに抵抗は示さない。
「夜は冷えるだろうが」
何となく気を許されたような気になったノルの声はぶっきらぼうながらどこか優しい。
「…世話焼きな監視人だ」
「お前が自分のことちゃんとしねぇからだろ」
「本人が構わないと言ってるんだから放っておけばいいだろう」
「放っておけるかアホ」
偉そうな態度をとるくせに自分を蔑ろにするような奴はノルには放っておけない。
ロゼの言う通り、彼は少々世話焼きだった。
偏ったメニューばかり注目するのを見かねて、挙げ句の果てには料理を作ったりする始末だ。
塔で貴族としての教養を積んでおきながら、健康管理などには全く目を向けられなかったロゼにとって、彼の行動はとても新鮮で少々鬱陶く感じられた。
なんせ彼は禁忌の子。
尊い血族に産まれた穢れた血。
病気なんかで死んでくれたらラッキーと思われはしても、長生きして欲しいと望む者などいないはずである。
ロゼは珍妙な生き物を見るような目でノルを見ていた。
χχχ
武道の時間。
ロゼの相手を務めるのは無論、ノルだ。
お遊びではないが命の取り合いでもない互いの腕を磨くための試合。
二人の間の空気だけは別の空間のように張り詰めている。
「始め!」
掛け声と共に駆け出したロゼの眼差しは真剣だった。
全力で撃ち込まれる木刀。
ノルも渾身の力を振り絞って迎え撃つ。
互いに一歩も譲らない。
試合の域を超えた深刻さと身が裂けるような緊張感。
冷めたルビーが煌めき、ノルは眉根を寄せる。
手抜きすることなんてできやしない。
「そこまで!」
響いた声と同時に静止した二人。
ピジョンブラッドの瞳が間近でサファイアの瞳を捉えている。
彼の木刀はノルの首筋に添えられていた。
対するノルのものはロゼの心臓目掛けて切っ先が服に触れそうな場所で止まっている。
どちらが先だったかはわからない。
睨み合う数秒間。
ふっとロゼが息を吐くことで場の空気が緩んだ。
ノルは内心で溜め息を吐く。
本気でかかってくるロゼに少しでも気を抜けば、今の関係は崩れてしまう気がする。
殺したいわけねぇのに
今の自分たちの立ち位置を知らしめるようなことをするロゼに、苦々しい気分になった。
昼休憩の時間。
中庭のベンチで読書するロゼと隣で舟を漕いでいたノル。
二人が同時に顔を上げたのは、ロゼの前に人が立ち、彼の本に影を落としたからだった。
鮮やかなルビーの瞳を覗き込む澄んだトパーズの瞳。
「透明感が違うな」
そう言って顔を離したラビにロゼは片眉を上げた。
ラビはあまり講義に出席しない一年の首席で、七家の中でも血の濃いジョーヌの家の者だ。
「失われたロッソもそんな色だったんだろうね」
悪気なく吐かれた言葉にノルが少々ドスのきいた声を掛ける。
「おい、何の用だ」
「んー?人間の赤い目が見てみたくって」
「人間の…?」
言ってから思い出す。
コイツ、副委員長のお気に入りだった
「なんか爽やかな感じでいいな。毒々しくなくて」
冷たい眼差しを向けるロゼにもお構いなしにほのぼのと落とされた言葉にノルは脱力してしまう。
「さすがっつか何つーか…」
ジョーヌの血筋独特のマイペースさである。
彼らに勝る魔力を持つ人間はいないため生まれる余裕なのかもしれないが。
「おれラビ。よろしく」
何故かこのタイミングで突然自己紹介したラビは、にこりと微笑んでからどっかへ行ってしまった。
「…知ってるっつの」
学舎で彼を知らないヤツはモグリじゃなかろうか。
しかし、残念ながらノルの声がラビに届くことはなかった。
χχχ
休日。
もう昼過ぎなのに健やかな寝息が聞こえてくるベッドに目を遣り、ノルは息を吐いた。
平日には無理矢理起こす彼だが、休日くらいいいだろうと放置しているわけである。
寝起き最悪なロゼに何度ヒヤリとさせられたことかわからない。
昼飯も一人分でいいかと踵を返した時、後ろから小さな呻き声が聞こえた。
荒い息を吐くロゼは明らかに魘されている様子だ。
ノルは彼のベッドへ近寄り、起こそうと細い肩に手を掛けようとした。
瞬間、掴まれる手首。
驚きに固まったサファイアの瞳を間近で捉える鮮やかなルビー。
ロゼは息を吐いてからノルの手首を解放し、とさりとベッドへ腕を落とす。
「…お前か」
気怠げに前髪を掻き上げ、片方だけ口角が持ち上げられた。
「ようやく殺す気になったか?」
冷めたルビーの瞳とその表情に初めて顔を合わせた時を思い出す。
「…アホ。魘されてたんだよ」
苦々しい顔をしたノルをロゼは鼻で笑った。
いつも他人の前では気を抜かないロゼが自分の前でだけ気を抜くのは、心を許してくれたからだと思っていた。
しかしそれは違ったのだとその時ノルは悟る。
ロゼはノルに殺されてもいいと思っている。
多分、殺されたいとすら、思っている。
だから…
急に激情が湧いたノルはベッドに飛び乗ると、ロゼの顔の両脇に手をついて至近距離で睨みつけた。
「そんなに死にたいのかよ!」
燃えるようなサファイアの瞳。
「そんなに俺に殺されたいかよッ」
いつか彼に殺すと言ったのはノルだ。
しかし、その言葉を再び頭に思い浮かべた今、身が引き裂かれるような思いになっている。
ロゼは思わず目を丸くする。
「…なんで…」
早く死んだ方がいいだろう。
生きていることを望まれていないのだから。
そう思っていたのに、自分を生かしておきながらいつか殺すと宣言した彼の命を握る少年は、酷く傷ついたような顔をする。
唇を引き結んで必死に泣くのを堪えているみたいに。
「殺すんだろ?俺を」
止めてくれるんだろう?
その手で。
ノルは絞り出すような声で言う。
「…お前が狂ったら、殺してやる。でも、本当は、俺は…」
お前を殺したくなんかない
声にならない声は確かにロゼに届いていた。
ルビーの瞳がにわかに見開かれる。
一度も考えたことがなかった自分を殺す者の気持ち。
肩口に額を押し当ててきたノルの肩が震えている。
「お前も俺と同じ気持ちだったのか…?」
ロゼはぽつりと言葉を落としていた。
彼はずっと恐怖と闘っていたのだ。
いつ狂うかもしれない恐怖と。
親殺しなんて彼もしたくない。
少なくとも正常な頭ではそう思う。
ノルと初めて会った時、その正しい鮮やかな色合いに粛清されるんだと思った。やっと解放されるのだと。
彼はロゼの予想を見事に裏切ってくれたが、確かな約束をくれた。
それでロゼはだいぶマシな気分になったのだ。
自分一人で堪えている気になっていた。
しかし正しい色を持つこの少年も、必死に堪えていたのだ。
人を殺す恐怖から。
ロゼはノルに救いを見出した気になって随分好き勝手に当たってきたと思う。
「悪かった」
「…なにが」
「八つ当たりしてた」
どこら辺までが八つ当たりに含まれるのだろうとノルはぼんやり考える。
「これからはもう少し控える」
止める気はないらしい。
そんなことよりも、ノルにはロゼに是非考えなおして欲しいことがあった。
再び気高いルビーの瞳を見詰める。
どうか手を下す時が来ないようにしてくれなんて言えない。
だからせめて。
「生きようとしてくれよ」
約束は必ず守るから、その時まではどうか。
真摯なサファイアにロゼは目を瞬いた。
自分に死を与える人間が生きろと言う。
何だか可笑しくなってしまった。
くすくす笑いだしたロゼに今度はノルが目を瞬く。
「お前、変なヤツ」
いい加減殴ってやろうかとノルが思った頃、笑いすぎて水気を帯びた美しいルビーがゆるりと細められた。
「生きてやるよ。ノルに殺されるその時まで」
初めて彼の口から聞いた特別な響きを持つ自分の名前。
添えられた女王のように気品溢れる優雅な微笑み。
「…必ず見届ける。側で…最期まで」
いつか訪れるかもしれないその瞬間まで、共に生きよう




