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美紗の結婚

 再始動した、ジンくんたち織音籠(オリオンケージ)はそこそこ調子が良いらしくって、忙しくしていると美紗が笑っていたのが、お盆で帰省したときのこと。どんな心境の変化か、就職以来初めて、美紗がお盆に帰省をしていた。

「秋からツアーも始まるし、この前は久しぶりにライブにも行ってきたの」

 ライブは、やっぱり良いわ、と上気した顔で言っている。

 その横では貴文が、あれを生でって……と、目をそらしている。



 六月に織音籠の新しいCDを買ってきた、と、ホクホクした顔で学校から帰ってきた息子は、その日、夕食をとってすぐに自室に引っ込んだ。

 数分も経たないうちに、

「こんなもん、聴けるかー!」

 と、叫び声がして達也さんと顔を見合わせた。


「貴文? どうした?」

 ドアの外から声をかける達也さんの後ろから様子を窺うと、赤い顔をした息子がCDを手に出てきた。

「父さん、これ聴くのにリビングのコンポ貸して」

「ジンだろ? 父さんも聴きたいから構わんぞ」

 そのまま、CDを手に二人がリビングへと向かった。


 お皿を洗いながら、聞こえてくる歌声に耳を傾ける。

 ははぁ。なるほど。ハスキーで色っぽいわね。これは、高校生には刺激が強いわ。

 ヤカンにお湯を沸かす準備をして。残ったお皿を洗い上げてしまおう。 



 三人分、甘めのミルクティーを淹れて、リビングへと運ぶ。

 貴文は、相変わらず赤い顔をしてクッションを抱きしめていて。達也さんは苦笑いを浮かべながら、歌詞カードを行きつ戻りつめくっている。

 聞こえてくる歌詞は、いなくなった恋人を想って、泣き濡れるような内容だった。

 これ、美紗には……どうなんだろう。聴いていて、しんどくなかったのかしら。

 ジンくんの”家出”に、壊れたように泣いたという美紗の姿を思うと、息苦しくなるような歌だった。


 そして、実際に美紗の泣く姿をたった一人で目にした貴文は、サビの『空っぽになった心が云々』って歌詞を聴くと、

「ミサ姉だ、あの日の」

 そうつぶやいて、手にしたCDケースの裏面ジャケット、ジンくんらしき男性の後姿をあの冷たい目で見つめていた。


「達也さん、あの目」

 こっそりと耳元で囁くと

「うん。アレ、は確かに最近、見るな」

 と、返事が返ってくる。

 そのまま、黙って息子の顔を眺めながら、歌を聴く。

「父さん、歌詞カード見せて」

「ほら」

 ありがとう、と受け取った貴文は、パラパラとページをめくる。

「ジンさんじゃなかったんだ」

「どうしたの?」

「んー。この歌詞書いたのジンさんじゃなくって、ベースの人のほうだ」

 確か、作詞は二人が分担しているって美紗が言っていたことがあったっけ。ジンくんの声だから、彼が書いた詞のように聴こえるけど、泣いた美紗がモデルってわけではないのかもしれない。

「訳あり、ってこの前ジンが言ってた奴だったか」

「あー。二人で結婚式に行ったって」

 そういえば”ベース担当の奴が”と、ジンくんが言っていたように思う。

「人生いろいろ、だな。恋人が離れて泣く奴もいれば、殺そうとする奴もいる」

 ギョッとするような事を言って、達也さんが空になった紅茶カップを手に立ち上がった。

「泣くだけにしておけば、やり直すチャンスもあるのにな。ジンと美紗ちゃんにしても、このベースの奴にしても泣くだけで留まれたから、今がある」

 誰のことを言っているのか、息子には解らない話をしながら達也さんが貴文の頭に手を置く。

「お前は、間違えるなよ」

 父親の言葉に、貴文は子供のような仕草でうなずいた。


 

 そして、迎えた春三月。


「うわ、こいつらヤッパ、でっけぇ」 

 高校の制服を着ている貴文が、小学生のような顔で言う。口をポカーンと開いて。

「タカ、お前初めて会ったときとおんなじ間抜け面」

 クツクツと咽喉の奥で笑いながら、新郎の正装でジンくんが言う。

 ごめん。私も『でっけぇ』って、心の中で思っちゃった。


 ジンくんを取り巻くように織音籠の面々が勢ぞろいをしている光景は、圧巻だった。芸能人のオーラがどうとかじゃなくって。ジンくんに負けず劣らずの体格の良さに、ただただ圧倒される。



 チャペルで式を挙げて、同じ敷地内のレストランでこぢんまりとした披露宴。

 双方の親兄弟、織音籠のメンバーと家族。後は、美紗が大学時代に一番仲がよかったという友人が数名。

 美紗が『いい式だった』と言っていた式に倣ったとかで、ビュッフェ形式で会食が行われる。


 

 メンバーの結婚式では”恒例の余興”として、織音籠が一曲演奏して。初めて生で聞いた彼らの演奏に、古い記憶がよみがえる

「あー。思い出した」

「なにが?」

 つぶやいた一言に達也さんが反応する。

「あれだ。”一年の移動動物園”」

「だから、何が?」

「織音籠の、大学時代の別名」

 達也さんのもう一人の後輩の亮くんと、あと二人ほど私と同じ大学の学生だったはず。私が四年生のときに、一年生で。

「私が四年生の頃、学部は違っても噂になるような、明るい髪色の派手な一年生グループがいたのよ。髪が長くてカラフルなインコみたいな子と、キタキツネみたいなつり目の子とひょろっと背の高いキリンみたいな子とがいっつも一緒につるんでて。で、もう一人、学外生らしいライオンと一緒に学園祭のステージに出て、バンド名が檻《ケージ》がどうとかって名前だったから、口の悪い上級生が”移動動物園”って」

 思い出した、思い出した。そうか、あれか。

 他の学校の生徒だって噂のライオンが、外大生のジンくんだったわけだ。



「”JIN”の名付け親ですよね。確か」

 ウーロン茶片手に、ジンくんのお兄さんの(たかし)さんが私たちに声をかけてきた。

 式の前に軽く互いの親族紹介があり、ジンくんのご両親には私たちもご挨拶をさせていただいた。

 お兄さんは、私と同い年だって言ってたかな、確か。

「すみません、高校生の悪ふざけで」

 達也さんが神妙な顔で頭を下げる。

「頭を上げてください。両親も俺も別に怒っているわけじゃない」

 むしろ、感謝してますよ。『桐生さん』には、と、孝さんが微笑む。 

「感謝、されるようなことは何も……」

「いえいえ。弟に”JIN”を与えてくれた」

 ”JIN”を与えた??

「高校一年の夏休みに、あいつは『Call me ”ジン”』って、下宿から戻った俺に言ったんですよ。そして、蛹が蝶に生まれ変わるようにあいつは”JIN”になった」

「蝶、ですか」

「ええ。心当たり、ないですか。入学当初のジンとあなたが卒業する頃のジンと。別人、でしょう?」

 ジンくんをさらに人当たり良くしたような、やさしそうな目でジンくんの姿を眺める孝さん。達也さんも、何かを思い出すような顔でジンくんを見る。

「少々、中学校で嫌な思いをしたせいで、声を出さず人目を避けるように小さくなろうとしていたジンが、あなたのおかげで背中を伸ばして、声を出すようになりました。ずっと、家でも話していましたよ。”ジン”にしてくれた『桐生さん』のことを」

 続けられた孝さんの言葉に、うわぁ、なんか……恥ずかしい。とほのかに顔を赤らめて、額を押さえた達也さんが、つぶやく。

 その様子を、笑いを含んだ目で見た孝さんが今度は私を見る。

「そのジンが、両親以外で唯一”(ひとし)”と呼ばせる相手なんですよね。美紗さんは」

 あ、本当だ。

「そう、ですね」

「それだけ、ジンにとって特別なんでしょうね」

 孝さんの言葉に、私もジンくんを見る。

 美紗の友人たちに囲まれて、二人で笑い合っている。


 互いが、互いに

 特別、なんだろう。



「桐生さん、ご無沙汰しています」

 孝さんが立ち去った後、そう声をかけてきた女性がいた。

 南方系の顔立ちで、背が高い。そして、従者のように、キタキツネとインコの二人を後ろに従えていた。

「ゆり?」

 達也さんが、首をかしげるように確認する。

 ゆり?

「はい。覚えていてくださいましたか?」

「お前も、家族、か」

 達也さんの言葉に、

「ギターのMASAの妻です」

 軽く振り返った彼女はキタキツネと腕を組んだ。

「確か……高校の文化祭で一緒にやってた奴、だよな。亮?」

「はい」

 もう一人の後輩、インコの”亮くん”が返事をする。CDのジャケットとは違って、今日はメガネをかけている。

 亮くんと目が合う。

 なぜだか、見詰め合ってしまった。色素の薄い瞳が、メガネの奥でぶれずにこっちを見てくる。

「おい。沙織」

「なに?」

「こんなところで、クセをだすな」

 ああ、いけない。ついつい、人の顔を見つめてしまった。

 達也さんの声で、われに返る。

「美紗ちゃんとは『中身が違う』と、JINが言ってたのは、このことですか?」

「お前も違うと思うか」

「美紗ちゃんは、ほとんど目が合いませんでしたからね」

 亮くんがそう言いながら、肩をすくめる。

「それでいて、JINとだけは目で会話をしててね。独り身のころ、どれだけ当てられたか」

「お前のほうが結婚、早かっただろうに」

「うちは、俺と同級生ですからね。両方の親に煽られまして。だから、そんなに長いこと”お付き合い”はしてないんです。JINが同棲を始めたころですよ、俺たちが付き合い始めたのは」

「なるほどな。なら、亮の嫁さんはゆりとも同級生か」

「ええ。実は亮くんの奥さんとは、共通の友人が居るんです。もう一人、あの着物の子も同級生ですよ」

 そう言ってゆりさんが、後ろを指差す。美紗となにやら楽しげに話している色白の女性。藤色の付け下げがよく似合っている。

 ジンくんたちと同級生の奥さんってことは。

「美紗よりかなり年上の人ばっかりなのね。他のメンバーの奥さんたちは」

 そんな人たちと、”家族”だって言っているけど……大丈夫? 話、合うの? 話題についていけなくって、仲間はずれに感じたりしないかしら?


 そんな私の心の声が聞こえたように

「お姉さん。あの妊婦さんは、美紗ちゃんと年がかわらないですよ」

 それまで黙っていた、キタキツネが私に話しかけてきた。彼の指差すほう、キリンがかいがいしくエスコートしている妊婦さんがいた。

「うちの由梨(ゆうり)を含めたどこの嫁さんも、俺たちも。美紗ちゃんのことは、妹のように思って大事にしてるつもりです」

「JINが、大事に大事にしてきたのを、俺たちは見ていますから」    

 キタキツネの声に、亮くんが言葉を添える。その横で、ゆりさんが大きくうなずいた。



「あの”ゆり”さんって?」

 彼らが、立ち去った後。達也さんの目を覗き込みながら尋ねる。

 結婚前、ちょっとした嫉妬に不安を抱いたとき。彼が言ったこと。『お前の眼を見つめる限り、俺はお前を裏切らない』を思い出して、意図的に彼の目を見る。

「バレー部のマネージャー、だった子だよ」

「本当にそれだけ?」

「それ以上、何かある?」

 先輩後輩以上の何か、なかったのかな?

 ジーっと目を見る。ふっと、笑いをこぼして達也さんが言うには。

「俺のほうには、何もない。信じろ。アプローチすらさせないくらい、何もなかった」

「ちょと?」

「おっと」

 切れ長の目を細めながらも、視線ははずさずに彼が笑う。

「恋に恋する年頃の、憧れの先輩、だろ」

 ほら、見てみろって。

 彼の指差すほうを見ると、ゆりさん夫婦が子供二人と仲良く料理を選んでいる姿があった。

「心変わりする気もさせる気も、起きる訳ないだろうが。互いも周りも傷つけてまで、俺を欲してくれるのは沙織だけだったよ。安心しろ」

 催眠術師は、そう言って私に安心の暗示をかけた。

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