美紗の引越し
「お姉ちゃん、一緒に住む、今田 仁さん」
美紗の紹介に、今田さんは、私のほうを向くと
「今田 仁です。昔、桐生さんにはお世話になりました。これから、よろしくお願いします」
と、キレイなお辞儀をした。
へぇ。達也さんの知り合いなんだ。
「姉の、桐生 沙織です。よろしく」
そう、挨拶を返したところで、戸口に立っている貴文に気づいた。なんて、顔をしてるのやら。
まあねぇ。あの身長には、驚くか。美紗と並んだら、三十センチほども差がありそう。美紗は一応、成人女性の平均身長に少し足りないくらいなんだけど。チビな私と違って。
「タカ?」
「んあ?」
呼びかけた私の声に、返事らしきものを返した貴文の顔を見て、美紗が噴き出した。
「タカ、口が開いてる」
慌てて口を閉じる貴文を見て、今田さんが咽喉の奥でクツクツ笑っていた。
久しぶりに、声を立てて笑う美紗を見た気がした。
今田さんの分の家具も運び込まれ、荷物も入れ終わり。
三部屋のうち、一部屋を共同で使って、あとの二つはそれぞれが個室として使うらしい。
それなりに、ケジメはつけているのか。そのための3LDKか。
達也さんは今田さんの荷物の片付けも手伝いながら、世間話をしている。
「桐生さんが、美紗のお姉さんと結婚しているとは知りませんでした。」
「俺だって、美紗ちゃんの相手がお前とは思わなかったぞ。それにお前、ジンだろ?」
「ええ、まあ」
「亮とお前が今もつるんで、仕事までしているとはな。相変わらず大魔神コンビだな」
「だから、大魔神と違いますって」
ちょっと待って。
『ジン』に『亮』って、確か……
「達也さん?」
「何?」
「いつだったか言っていた、”後輩”?」
「ああ、そうそう。オリオン……なんだったっけ?」
「織音籠です」
床に腰を下ろしてビデオデッキの配線をしていた今田さんは、ふたりの会話に横から乱入してしまった私をいったん見上げるようにしてから、立ち上がった。
そして。
「織音籠のヴォーカルでJINといいます」
そう言って、軽く頭を下げてから。ふっと、立っている姿勢が変わった。
その立ち姿に、記憶が呼ばれる。
この人。さっき妙なところで見た。
「美紗、のCDラックの……」
「ええ。美紗は、よくライブに来てくれてて」
そうだ、さっき荷物を解いた中に、何枚かあった美紗らしくないCD。あの、真ん中の大きい人だ。
CDを買って、ライブにも行って? で、今度は同棲?
美紗、あなた何しているの?
そんなことをしていて大丈夫?
「仁さん、ちょっと、この棚なんだけど」
美紗の呼ぶ声に
「ん、どうした?」
と、軽く返事をして部屋を出て行く今田さん。
「達也さん。美紗、大丈夫なのかしら」
「何が?」
出て行った今田さんの後姿を追うように目が戸口から離れない。
「何の心配をしている?」
「あの子。あんな人と……」
「”人見知り”の心配?」
正確に言うと人見知りではないけれど。私たちの結婚当初、達也さんと目を合わせない美紗の事を母は、『人見知りな子で』と言っていた。
「俺の知っているジンなら、大丈夫」
「ホントに?」
「あいつは、優しいから。美紗ちゃんを傷つけることはないだろう。それに、美紗ちゃん良い顔で笑っているし」
確かに。久しぶりに見る顔で、今日の美紗はよく笑っている。
一通り、荷物が片付いて。
「タカ、探検に行こうか」
そんな言葉で、美紗が貴文と夕食の買出しに出かけた。今日は、珍しいものをよく見る。美紗から、貴文を誘うなんて。
大好きな”ミサ姉”に誘われて、貴文は子犬が尻尾を振るように玄関へ向かった。
出て行く二人を見送ると、今田さんはキッチンに立って、お湯を沸かし始めた。
「桐生さん」
リビングの床に腰を下ろしている私たちに声をかけてきた彼は、部屋の入り口の鴨居にもたれるように手をついていた。
あれって鴨居に、頭ぶつかるんじゃない? こうして見上げると、余計に大きいわ。
「待っている間にお茶でも、どうです?」
「ああ、もらう」
「日本茶と、紅茶とどっちがいいです?」
「コーヒーは、なしか?」
「俺、ここ十年ほど、コーヒー飲んでいないんで。コーヒー持ってないんですよ。美紗のを勝手に使うのも……ねぇ?」
そんなことを言いながら、問いかけるように私の顔を見る今田さん。
「ああ、だったら日本茶」
「沙織さん、も?」
「はい。それで、お願いします」
いいのかなぁ。茶道かじった人に、日本茶なんか淹れて。
チラッと見た達也さんの顔は、いたずらっ子のような顔をしていた。
「どうぞ」
そう声をかけられて、二人がけのダイニングテーブルに座らせてもらう。これと食器棚は前もって買ったらしく、私たちがついたときには、すでに部屋に入れてあった。
今田さんはシンクにもたれるようにして、腕を組んでいる。
「お」
「あら」
おいしいじゃない。このお茶。
「お口に合いましたか?」
アーモンド形の目を細めるように、今田さんが笑う。
「やるじゃないか。大魔神」
「だから。おれは”今田”です」
クツクツ笑いながら、テーブルに近づいた今田さんが自分の分のお湯飲みを手に取る。
「大きな手……」
達也さんも大きいと思っていたけど。今田さんの手は、それよりもさらに大きく見える。
「ほら、やっぱり大魔神だろ?」
「さっきから、何? ”大魔神”って」
「こいつの名前がな、”イマダ ジン”に読めるんだよ」
その言葉に苦笑をもらしながら、今田さんが、指でテーブルに ”今田 仁”と書いて見せた。
ああ、本当だ。
「でな、それをもじって大魔神」
「最近では、両親と美紗くらいですね。”JIN”と呼ばないのは。ですから、沙織さんもどうぞ、 Call me ”JIN”」
そう言って、今田さんはお茶を一口飲んだ。
「朝から、気になってたんだけどな」
少しの沈黙の後、達也さんが言い出したのは、美紗の指輪のことだった。
「あれ、お前がやったのか?」
「はい」
「どういうつもりで?」
んー、と言葉を選ぶように、今田さん、いや、ジンくんが空を見つめる。視線を達也さんに戻して
「桐生さん、”JIN”のビジュアル、どこかで見てますか?」
「質問で返すなよ。まあ、いい。お前らのホームページで見たことはある」
引越しのためらしく、今日のジンくんはジャージの上下にTシャツ姿だけど。CDやホームページの写真は、もっと服装とか表情とかが怖い雰囲気をまとっていた。さっきの、立ち姿もどこか威圧的だったし。
「あの指輪は”JIN”のイメージ”に合わせてあるんです」
「何、それ?」
思わず声を出してしまった私のほうを、ジンくんは小首をかしげるように見る。
こんな仕草をしていると、目の形のせいか人懐っこい大型犬みたいに見えるけど。
「以前、美紗がしつこいナンパにあったので、”こんな男”がバックにいるぞってアピールですね」
「大魔神が、彼氏だと言いたかった訳か」
達也さんの言葉に、無言で微笑みながらも、私たちから目をそらさない彼。
「指輪で人の心は縛れないぞ」
「わかってます。ただ、あの指輪を見ることでビビる程度の想いなら、美紗に近づいて欲しくない」
そう言いきったジンくんは、強い視線で見えない何かを睨んでいた。
その視線の強さに、彼の想いを見た気がした。
「ジンくん」
「はい」
私の呼びかけに、ジンくんの視線が私のほうを向いた。昔、達也さんに『疚しいとまっすぐ見れない』といわれたこの目で、彼を見る。
彼の”想い”を試すつもりで。
「美紗を泣かすようなことだけは、しないでくださいね」
「はい」
まっすぐ私の目を見て、彼が応える。
「ジン。美紗ちゃんは俺にとっても妹だからな。判っているな?」
私たちの帰り際、一足先に階段を降りた貴文と美紗を追いかけるように玄関を出たところで、改めて言った達也さんの言葉に、彼は最敬礼を返した。
「はい、桐生さん」
の言葉と共に。