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貴文の結婚

 貴文が、二十七歳の誕生日を迎えた十月。秋晴れの気持ちいい日に、結婚式が行われた。

 千穂さんが望んだという、神前で式を挙げる。

「さすがに、達也さんに憧れてきただけのことはあるわ」

「何が?」

「着物が様になってる」  

 わが息子ながら、やるじゃない。

「あれはな、母さんに所作を習いに行ったらしい」

「はぁ?」

「お茶の先生をしてたのが、母方の祖母さんだったからな。俺以上に、母さんはきちんと習っているよ」

 神前式が決まってから数回、桐生のおうちにお邪魔してたらしい。

「知らなかった」

「俺も、この前電話で初めて聞いた」

 こそこそ話していて、隣の母にペチリと膝を叩かれた。

「なんですか。両親がいつまでもおしゃべりをして」

「はい」

 二人で肩をすくめて、口を閉じる。


 厳かに、式が執り行われ。

 その後、披露宴が始まる。


 二人は仲人を立てず、高砂席は新郎新婦だけだった。末席から見守っていると、立ち寄る人が次々といて、それぞれが築いてきた人間関係を思う。

 あんな目をしていながら、貴文は自分なりに距離を測って人と付き合い続けてきたのだと。


 達也さんと二人、ビール瓶とお銚子を持って、主賓席に挨拶に回る。このテーブルは、貴文の職場関係。それも所長とか、営業課長とか。上司に当たる人たちが集まっている。


「息子がいつもお世話になっています」

「こちらこそ」

 達也さんがかけた声に、立ち上がって会釈を返した女性は確か”薬品情報(DI)室長”。

「失礼ですが。お母様、本間さん、ですよね?」

「はい」

 どこかで会った事がある人?

 思い出そうと、一生懸命顔を見る。

「美紗さんと、大学の時仲良くしていただいて。彼女の結婚式にもお邪魔させていただきました」

「ああ。そうでしたか」

 数少ない、美紗の友人とこんなところでご縁があるとは。

「それと、うちの母もお世話に」

「はい?」 

「検査室の大森、って、覚えてられますか?」

 出てきた名前に、達也さんと顔を見合わせる。私が薬局長になる少し前に定年退職した検査室長、だ。

「大森室長の……」

「はい。お二人のお噂は母から」

 コロッケのお話も聞かせていただきました。

 そう、付け加えられて顔が火照るのが解る。

 大森検査室長ー、おうちで何を話しているんですかー。


「室長には、私どももお世話になりました。お元気でいらっしゃいますか?」

「ええ、今日も孫の子守を」

 達也さんの言葉に、目をきゅっと見開くように笑う顔が、確かにお母さんによく似ている。

「親子ともども、お世話になります。至らぬ息子ですがよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 そんな挨拶で、会話を切り上げて。


「あー、びっくりした」

「本当にな」

 ビール瓶をスタッフに渡して、席に戻る。


 そろそろ、余興が始まる。


 滞りなく、宴は進んでいき。

〈それではここで、新郎の叔父様と、お友達よりお祝いの歌です〉


 司会のアナウンスが流れる。


 親族席からジンくんと亮くんが立ち上がって、ウェディングケーキの後ろにセッティングしてあった、白いピアノへとスタッフに案内されていく。

 ピアノの前に座る亮くんと、マイクの前に立つジンくんに、客席がざわめく。


〈 タカ、千穂ちゃん。おめでとう。俺たちから見ると、この二人は似たものカップルだと思います。確か……中学生だったタカは俺たちを『大魔神』と呼びました。そして去年の千穂ちゃんは『大江山の鬼』と。二人にとっては、どうやら俺たちは人間ではないらしいです 〉

 ジンくんのスピーチに、会場が笑いの渦に巻き込まれる。

 上手いなぁ。今までの二人の上司とかのスピーチとは大違い。


〈 大魔神で、鬼なオジサン達からの、はなむけの曲です 〉

 そう締めくくったジンくんの言葉を合図に、亮くんの手が動き、ピアノのイントロが流れ出す。


 ジンくんのハスキーな低音が重なるように歌を紡ぐ。


 人との距離を怖がる青年を励まし、初めの一歩に躊躇う若者の背中をそっと押す。


 どちらかといえば抽象的な、恋愛の歌詞なのに。なぜか、そんな連想をしてしまった歌だった。

 『変わろうとしている貴文の支えに』そんなことを言っていた、達也さんの暗示にかけられただけかもしれないけど。



「さすが、だな」

 隣の席で、達也さんがぽつりと言ったのが聞こえた。

「なにが?」

「美紗ちゃんの”人嫌い”を乗り越えさせた声に、あいつの優しさをこめた(うた)だ。貴文の心に届かないわけがないよ」

「そう、ね」


 高砂席に座る息子を遠目に眺める。

 千穂さんを連れてきたときの緊張した目。翔を見つめる暖かい目。ここ十年ほど私たちの心を騒がせた冷たい目。

 『父さんみたいになりたい』そう言って未来を見つめていた目。『かあしゃん、抱っこ』甘えた声で私を見上げてきた目。『ミシャ姉、あのね』美紗を追い続けた幼い目。


 時間を遡るように、貴文の表情が脳裏に溢れる。

 溢れた思い出が、涙になって目からこぼれる。



 ねぇ、貴文。

 ジンくんの言葉は、

 お父さんやお母さんの想いは、

 あなたの心まで届いているかしら?


 余韻を残して、歌が終わる。


 隣の席の母が、目元からハンカチを離した私の手を握る。

 涙のにじんだ母と、顔を見合わせて微笑みあった。


「義兄さん、義姉さん。織音籠(おれたち)から、ささやかなお祝いです」

 披露宴の後。お客様の見送りを終えた私たちに、ジンくんがきれいにラッピングされた薄い板状のものをくれた。

「さっきの歌は、形を変えて発表することになるので、これは桐生さんたちへ」

 隣で、亮くんがそう言って微笑む。

「ありがとうな。貴文が新婚旅行から戻ったら、また飲みに行こうな」

 達也さんの言葉に、後輩二人がうれしそうに笑う。


 帰ってからラッピングを解くと、中身はCDだった。披露宴で聞いた曲と、歌詞を変えたバラード調の二曲。伴奏はどちらもピアノとギターのみ。

 そして、それからしばらくして出た織音籠のミニアルバムには元気が出るようなアップテンポと、眠りを誘うスローテンポの二つのヴァージョンになったこの曲が収められていた。歌詞がさらに変わっていた。


「あいつら……マメだな」

 そう言って笑う達也さんと一緒に、お茶を飲みながらジンくんの歌声を聞く。 



 『子供を生むことは無いかもしれない』

 若かった日、そんなことを思った私も、近いうちに”祖母”になる日が来る。

 娘二人が、ややこしい恋愛をして。孫を抱くことが適わないかもしれなかった両親も、”曾お祖父ちゃん”と”曾お祖母ちゃん”になる。


 多くの人にかけさせた心配や、流させた涙を糧に

 私たち家族は小さくってもたくさんの華を咲かせてきた。

 その華が、次世代へと命をつなぐ実をつけた。



 貴文

 次はあなたの番よ。 


 心に抱え込んだ”何か”を栄養にして、

 華を咲かせなさい。

 そして、千穂さんと一緒に、

 人生の実をつけなさい。



 END. 

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