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ジンへの依頼

 年が明けて、半月ほど経った金曜日。

 達也さんは貴文やジンくんと飲みに行ったので、一人で夕食を済ませる。今日の夕食は、親子丼。

 『二人ともちゃんと野菜食べてきなさい』って達也さんに言っておいて、自分はコレなのは、どうかとも思うけど。たまにはね、手抜きをさせてもらおう。


 その日、彼が帰ってきたのは夜遅くなってからだった。ジンくんの住む楠姫城で飲んでいたのだから、仕方ないか。


「ジンにな、ちょっと頼みごとをしてきた」 

「頼みごとって?」 

 お風呂上りの濡れ髪をタオルでガシガシふいている達也さんに、お茶を淹れる。『飲みすぎた』とかで、珍しく夜に日本茶の気分らしい。今日は亮くんも参加をしていたから、貴文が帰った後で後輩二人と、もう一軒はしごをしてって……どれだけ飲んだのかしら。

「貴文がジンに、式で歌ってほしいって、頼んでいたから、そこに”色”をつけてもらおうと思ってな」

「式で歌ってって、あの子ったら何を……。ジンくん、OKしたの? それ」 

「新しく曲を作って、亮と二人で出席ならって。契約とか、いろいろ規制があるみたいだな」

 美紗の結婚式で織音籠(オリオンケージ)が演奏したようなものを、貴文はイメージしているらしいけど。あれは、新郎本人だったし、招待客もメンバー主体だったから許されたんじゃないの?

「何でまた……」

「彼女、“JIN”の声が苦手らしくってな。それを、何とかならないか、てさ」

「無理に、何とかしなくってもいいじゃない」

「食わず嫌いが多い子らしい。貴文はそれをどうにかしたいみたいだな」

 他人との距離がつかめない子が、そこまで踏み込むか。

  

「ちょっと、変われそう……な、雰囲気?」

「うーん。それは俺たちの希望的観測だな。その助けになるような“スパイス”を歌につけれないかって言うのが俺の頼みごとだったんだけどな」

 少し冷めたお茶を口に運ぶ。酔っていても変わらぬきれいな仕草は、骨の髄に浸みこんだ物なんだなと、関係のないことを思う。

「貴文自身が、ジンとの距離をどのあたりにとっているかで、あいつの心まで届くかどうか判らんって」


 中学生のころは、あんなに懐いていた”お兄さん”だったのに。

「貴文は、今日もあの目をしてた?」

「ああ。ジンたちが二人だけでわかる話をしていたりすると、すーっとな」

 そうそう、そういえば、と、達也さんが話の方向を変えた。

「ジンって、長いこと美紗ちゃんに片思いしてたらしいぞ」

 お茶を吹きそうになった。

「どこから、その話がきたの!?」

「あれ、沙織は知っていたのか?」

 あ、まずい。今まで黙っていたのに。

「うーん」

「隠し事?」

「いやー。美紗のプライバシーだし」

「ま、いいや。ジンが言うには、美紗ちゃんは他人と触れ合うのが嫌いだったからって言っていたけどな」

「ジンくん、それ、いつ知ったって?」

「同居するときには事情は聞いていたってさ」

 誰に、だろ。美紗じゃないよね。あの子自身の口ぶりだったら。

「で、そんな話をしている二人を見ている貴文の目がな。いつもと、また違う感じだったんだよな」

「どんな風?」

「強いて言うなら……恨みがましい、かな。ボソッと『知ってたのかよ』って」

 『知っていた』って、何を?

「美紗の”人見知り”の話しをしてたのよね?」

「うーん? あれ?」

 貴文に対しては、あの子、”人見知り”していなかったんじゃないかしら? 貴文の目が翔にだけは暖かいのと同じで。

 息子と妹の今までのやり取りを思い出そうとしている横で、酔っ払いも頭を抱えている。

「あー、違う。確か、潔癖症がどうとか」

「潔癖症? 誰が?」

「美紗ちゃんが」

「なにそれ。初めて聞いた」

 潔癖症が、解剖も動物実験もある薬学部の授業なんて耐えられるわけないじゃない。


「ああ、思い出した」 

 空になったお湯飲みに、お茶を注ぎ足しているところで達也さんがつぶやいた。

「他人と触れ合うのが嫌いな美紗ちゃんは、潔癖症じゃなくって人嫌い。だから、表情を作って過ごしてきた。うん、これだ」

「表情を作って?」

「ジンはな、そう言った。ええっと、なんていったっけ。お面……じゃなくって、ほら、着ぐるみ? 違うな」

「被り物?」

 こう……と、何かを被るジェスチャーに、思いつく答えを言ってみた。

「そう、それ! そんな風に、表情を作ってきてたって」

「で、貴文が『知ってたのかよ』?」

 お面、お面。何か、美紗がらみで、聞いたことがある。

 なんだったけ。


 表情、お面、お面、表情……


 頭の中で繰り返す単語に、狂気を孕んだ表情がフラッシュバックする。

 四半世紀も前の出来事なのに。私を刺そうとした、かつての婚約者の顔が鮮明に浮かんで、思わずわが身を抱きしめる。

 それに、引きずられたように、浮かんだ貴文の声。

 『ミサ姉のお面が割れて、中から知らない人が……』

 あれは、確か……美紗が壊れたように泣いた日のこと。

 それを知っていたジンくん、ではないな。話がつながらない。


 ええっと。お面はクリアして。

 表情、ね。


 中学生だった美紗の人形のような表情は貴文も、ジンくんも見ていない。高校生の頃には大分マシになって、貴文の相手をしていたし。

 

 『大学生のころには、完璧にコントロールできるようになったから』


「あれ、か……?」 

「どれ?」

 

 マシになったと私たちが思っていただけで、美紗は感情をコントロールしていて。それをジンくんは”何かを被っているような表情”に捉えて、貴文はあの日、それが”割れた”と感じた。

 制御不能に陥った美紗の感情を見たのは、貴文だけで。


 そんなことを、考え考え達也さんに話す。

「それで、『知ってたのかよ』か」   

「あの時、あの子。すごくおびえていた。怖くって逃げてきたって」

 血の気が引いて、真っ青になっていた息子の顔が浮かぶ。

「考えてみれば、あの後、パタッと美紗の家に行かなくなったわ。受験があるから、って本人言っていたけど」

 受験が終わってからも部活だなんだって、足が遠のいた。実家にも顔を出さなくなっていたし。

「なのに最近は、また行っているのよね?」

 あー、解らない。


「考えても、仕方ないことなのかな」

 つい、投げ出したくなる。

「美紗がジンくんと出会って乗り越えたみたいに、貴文自身が越えることなのかな」 

「本人が、SOS出してないしな」

 とりあえず、ジンが作る曲の参考になるか、情報だけ送っておくよ。

 そう言って、達也さんがお湯飲みをシンクに運んで。


 今日のところは、ひとまず。

 就寝。



〔お姉ちゃん、今日タカが千穂ちゃんと遊びに来たわ〕

 美紗からそんな電話がかかってきたのが、五月の中旬だった。

〔ジンくんは、いたの?〕

〔うん。亮さんも来てた〕

〔千穂さん、二人を見て何か言ってた?〕

 織音籠が親戚にいるって、あの子教えてあるのかしら?

 美紗のクスクス笑う声が受話器を通して聞こえる。

〔美紗?〕

〔あのね。『年をとった織音籠だぁ』って〕

〔何それ〕

〔JINの声が変わったころから、聴いてなかったんだって。声が気持ち悪いって〕

 そのまま、クスクス笑っているけど。良いわけ? 美紗自身が大ファンなくせに。

〔でね、仁さんから義兄さんに伝言〕

〔代わろうか?〕

〔たいしたことじゃないから。いい? 『何とかなりそうです。当日をお楽しみに』って〕

〔それで、解るの?〕

〔らしいわ。解らなかったら、また連絡してもらえれば詳しく話しますって〕

〔はいはい。じゃぁ、伝えておくわ〕

〔よろしくー〕

 翔が電話を代わって、”今日遊びに来た、お嫁さんのちほちゃん”のお話を一生懸命するのを聴いて。

 電話を切った。

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