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流れた時間と、変わる貴文

数行ですが、地震の記述があります。

苦手な方は注意してください。

 休日には、市内の名所旧跡巡りに行ったり、足を伸ばして貴文の住む町まで出かけたり。達也さんとの毎日は、変わらず緩やかに流れていく。



 翔の産まれた翌年に、『未曾有の大惨事』と形容される大地震が起きて。 

 日本中を飛び回るように仕事が入っていたジンくんたち織音籠(オリオンケージ)は、運よくその日は地元に居て無事だと美紗から連絡を受けてほっとした。県外に住む智也くん一家も無事だったし。


 それからしばらく、貴文も講義の合間にボランティアに出かけたり、私たちの病院からも応援人員を出すためのやりくりをしたりと、それぞれができることで、お手伝いをする。



 被災地から離れている私たちの街が日常に戻ったころ、貴文の就職が決まった。うちの病院とも取引のある医薬品卸の会社に入ることになった。

 私たちの住む蔵塚市に支社があって、美紗の住む楠姫城市にも営業所はあるらしいけど。


「支社勤務だったら、家から通えて楽なのにね」

 例年通りお盆で帰省した本間の家で、母が言うのに対して貴文は、

「母さんが薬局長している病院に営業なんて、やりにくいことこの上ないし。ミサ姉だって、仕事に復帰したから、できれば大学の近くの営業所に配属された方が、いいんだけど」

 そんなことを言っていた。

「彼女とも遠くなっちゃうし?」

 私が、からかい半分で”ひらひらの彼女”の存在をほのめかすと

「彼女なんて、今いないから」

 と、憮然とした顔でおナスの漬物を口に運ぶ。

「それに、『社会人になったら、一人暮らし』って、父さん言ってただろ?」

「まあな。それに、一人のほうが気楽なんだろ?」

 達也さんの言葉を、笑ってごまかしながら貴文は、から揚げに箸を伸ばした。

 

 貴文が言うように、五十歳を目の前にして、先月からとうとう私も薬局長をすることになってしまった。

 私の呼び方が、『桐生さん』『桐生先生』から『薬局長』に変わり、周囲は『リハビリの桐生』『薬局の桐生』と呼び分ける手間がなくなったと、勝手なことを言ってくれている。


 

 慣れない管理職としての仕事をこなしつつ、日々は流れていく。

 ふと食事をしながら見た達也さんの短髪に白いものが増えたことに気づき、過ぎた時間に思いを馳せる。

 『永遠にとは、言わない。一瞬、一瞬を重ねて一生にしていこう』

 そんなことを誓った、若い日からどれだけの一瞬を私たちは重ねてきたのだろう。

「俺の顔、何か付いてるか?」

 若い頃と変わらない、きれいな箸使いで焼き魚の身を解していた手を止めて、達也さんが尋ねる。

「ううん。お互い、歳をとったなぁって」

「そりゃな。沙織を巡って立ち回りをやらかした時の俺の歳に、貴文がなったんだし」

「そうか。そんな歳なんだ」

 貴文の年齢で、私は前の彼氏と婚約をしてたわけだ。で、二年後には、達也さんと結婚して貴文が生まれて……?

「うわー」

「どうした? いきなり」

「お母さんやお父さんが、気の毒になった」

「なんだそれ」

 目で笑いながら、焼き魚の身を口に運ぶ。

「あの貴文が婚約とか、結婚とか。親になるとかって考えたら、自分がなんて無謀なことをしてたかと」

 両親への申し訳の無さに良心が痛む。 

「子を持って知る親心か」

「ね?」

「確かに。来年には、俺が父親になった歳だと思うと……クルもんがあるな」

「どうする? それを考えたら、来年にはお祖父ちゃんお祖母ちゃんになっていてもおかしくないんだよ」

 そんなことを言って笑いながらも。

 心のどこかで、そんな日は来ないかもしれないと思っていた。


 貴文が人を観ている時の、冷たい目は続いていたから。



 貴文が唯一、あの目で見ない人物が存在することに気づいたのが、貴文が社会人になって二度目のお正月だった。貴文は希望通り大学近くの営業所に配属になって、一人暮らしを続けていた。


「たぁちゃん。おめれとー」

 舌足らずの言葉で挨拶をする翔が、かつての美紗を追いかけていた貴文の姿に重なる。『たぁちゃん』『たぁちゃん』と、カルガモの雛のようについて歩く翔を、貴文は肩車だなんだと、ずっと相手をしている。


「なんだか、昔の達也さんを見ているみたい」

「そうか?」

「うん。あんな感じだった」

「タカ、最近よく遊びにくるわよ。中学生の頃ほどじゃ無いけど、月に一回くらいは」

 美紗が思わぬことを言った。

「貴文が?」

「うん。そうねぇ。今の家に引っ越してからだから……ここ一年くらいかな。特に仁さんがツアーで留守だったりしたら、『動物園に行くか』とかって遊びに連れて行ってくれるの。お姉ちゃんたちみたいに若い時の子じゃないから、私も追いかけるのがしんどくって。タカが相手をしてくれると、助かるわ」

「美紗は、運動不足。また、本ばっかり読んでいるんでしょ」

 母の小言を笑ってごまかす美紗。

「貴文は社会人になってから、うちにもよく来るようになったな」

 母の淹れたお茶を受け取りながらの父の言葉に母が、さらに言葉を重ねる

「休みが取れたからって、去年は春と秋のお彼岸にも来てたわよ」

「うちに帰ってくるより、マメじゃない」

「こっちに来るほうが近いから、しかたないだろ」

 干支を象った上生菓子を口に運びながら、達也さんが私をなだめるように言う。

 私たちの代わりに親孝行してもらっているってことで、気持ちを収めることにするけど。

 休みの日にデートじゃなく、従弟の相手とか、祖父母孝行とか、って……。やっぱり、彼女はいないのか。

 貴文の心に巣食った”何か”を癒せる相手に、この子が出会える日は来るのだろうか。


 母の淹れたお茶をいつに無く苦く感じながら、縁側でミニカーを並べる翔とその相手をしている貴文に目をやる。


「達也さん。貴文の目」

 貴文は、誰も見ていないというのに。


 暖かなまなざしで、翔を観ていた。


 何かが変わった、のかもしれない。

 その昔、貴文の存在に美紗のまとう雰囲気が変わったように。


 幼子の持つ、天性の力に

 貴文が変わることを祈る。



 その祈りが、ひとつの形になったのが、二年近くが経った初冬のことだった。

「沙織、貴文が今度、彼女を家に連れて来るからって」

 電話に出ていた、達也さんが振り向いて言う。

 カレンダーを確認して、互いの休みをあわせて。


「とうとう、来たわね」

「とうとう、だな」

 ご飯をよそいながら話しかけると、お箸を並べながら相槌が返ってくる。

「どんな子、だろうな」

「ふわふわのひらひら?」

「ああ、そんな子かもな」

 昔、一度だけ達也さんが会った事のある”彼女像”を勝手に想像しながら、お茶碗を並べて。


 どんな彼女でもいいか。

 貴文が、幸せになれるのなら。それで。



 約束の当日。

 貴文が連れてきたのは、背の低い私よりさらに低そうな小柄な子だった。

 ただ、”いい目”をしていた。


「相沢 千穂と申します」

 はっきりとした聞き取りやすい声で、そう名乗った彼女は、緊張した顔をしていたけれども、私の目をまっすぐに見てきた。

 『疚しい心があると、見れない』とか『心の底を覗かれる』とか言われる私の目を。

 意識的に、視線に力をこめる。 

 この目に、負けないだけの想いを貴文に向けてくれているかしら?


 千穂さんは一度も視線を揺らすことなく、私を見つめ返してきた。

 この子なら。大丈夫かもしれない。

 貴文のあの目を、暖められる子かもしれない。


「で、式はいつにするの?」

 貴文に目を向けて、具体的な話を促す。

「んー。今から準備したら、夏から秋くらい?」

「急ぐ事情はある?」

「いや、今のところは特に」

 貴文が苦笑する。いくらなんでも、親子二代続けて順番抜かしの結婚はないわね。

「来年は薬価改定よ。春から忙しい年でしょ?」

 二年に一度、薬の公定価格が変更になる年だ。価格が公表される年度初めには、薬品毎に仕入先を決める入札があるのよね、うちの病院。

 残業続きになる日々に頭が痛い。

 って。それはおいておいて。

 卸の営業をしている貴文も、卸値の交渉とかでいろいろ忙しいはず。

「それに、参列者のスケジュール合わせに時間を置いたほうがいいわ」

 ジンくんとか、ジンくんとか、ジンくんとか?

「ああ、そうか。そうだった」

「そうよ。とりあえず、早めに伝えるところには伝えときなさいね」

「了解」

 軽く片手を挙げながら、息子が返事をするのを見て。


 千穂さんに改めて視線を向ける。

「本とバレーさえあれば幸せな男だから。構えずに気楽に付き合ってやってね」

 図書館の司書をしているという千穂さんとなら、きっと本が縁だったのだろうと推測をする。子供のころからの本好きは、美紗の家に通っていた中学生のころにさらに磨きをかけた。ジャンルの広さも蔵書量も凄まじいあの家の本棚から、好き勝手に本を借りて読んでたらしい。

 バレーは、相変わらず趣味で続けていると本人が言っていたし。

「ハイ。どうぞ、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

 そう言って笑いかけると、彼女の顔が綻んだ。

 あどけない、けれど目の底に強さを湛えたような笑顔だった。



「よさそうな子、だったな」

 二人が帰ってから、お茶を淹れなおして。

「そうね。私と目をきちんと合わせてきたし」

「沙織の眼と、勝負できたか」

「うん。あれなら、大丈夫じゃない?」

「後は、貴文の方か」

「今日はどうだった?」

 私は貴文たちの目を意識的に見ていたので、息子が”あの目”をしていたかどうかが判らなかった。

「判らない」

「達也さんも?」

「緊張してたんだろうな、あいつ。俺たちのこと、食い入るように見ていたぞ」

「そうかぁ」

「千穂さんの方がリラックスしてた気がするな」

 大物だよ、あの子は。

 そう言って、達也さんがお湯飲みを口に運ぶ。


 体は小さくっても、”大物”の千穂さん。

 どうか貴文のことをよろしく。

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