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5)キュクロス邸殺人事件

 後から思えば。

 俺が枕を涙で濡らし、添い寝したティオに慰められていた、ちょうどその頃。

 事件は起きていたことになる。


+++ Another View +++

 私は血のついた短剣を、倒れた男の外套で拭い、鞘に戻した。

 男の下からじわじわと血があふれだして絨毯に広がる。

 わずかな後悔が胸をつく。この絨毯は、今は亡き父様が遠い東の国から持ってきてくれたものなのに。これでは、もう捨てるしかない。

「何を気にしてるのだ、私は」

 それより先に考えることがあるはず。思考に優先順位をつけろ、モノ・キュクロス。サイクロプス族は男が戦い、女が導く。筋道を立てて考えるのは、女の仕事。

 じじじじ。火皿の上で燃える灯心の紐を見つめる。この灯りは床で死んでいる男が持ち込んだ。火皿に刻まれたイルカのマークは、男が宿泊している宿屋のもの。そこに男の仲間がいる。

「時間を稼ぐしかない」

 揺れる炎を見ながら考えることしばし。

 宿屋を襲撃する方法を七通りまで考えた後、私はそう結論付けるしかなかった。たとえ毒ガスを使って宿の人間を宿泊客と従業員ごと皆殺しにしても、男の仲間を特定できない以上、確証は得られない。

 私は立ち上がり、手足のストレッチをする。ベッドの下から緊急避難用のバックを取り出し、これから必要になるだろうアイテムを追加で放り込む。

 伝言やメモを残しておくつもりにはなれなかった。

 今や私が生まれ育ったこの屋敷と、愛する家族こそが、もっとも信用がおけぬ存在になってしまったから。それくらいであれば、この死体と、私が逃げ出したという痕跡だけ残しておけば良い。ルーならば、現場と状況を見ただけで、正しい推理をしてくれる。

 そこまで考えて、私は思わず笑い出してしまった。

「ふ……ふふふ……何をうぬぼれているのだ、私は」

 正しい推理をしたからといって、ルーが私の味方になってくれるとは限らない。正しい推理とはすなわち、私が男を殺して屋敷を逃げ出した、ということだ。それなら、私を処罰する側に回ると考えるのが道理のはず。

 なのに、私の中にある猜疑心のすべてを費やしても、ルーが私の敵になる、という考えは欠片も浮かばなかった。家族ですら信じられないのに、幼なじみの男の子だけはそこまで信じてしまっているとは。これも『恋は盲目』を実証する新たなケースのひとつであろうか。

 否、と。

 私の中の冷徹な錬金術師が答える。

 これが恋でなくとも、私はルーを信用できる。彼が幼い頃から私たち四人のリーダーであるのは、魔力でも知恵でも才能でさえも補えない、判断力と決断力を有しているがゆえ。

 だけど、と。

 私の中の恋する乙女が訴える。

 それはつまり、ルーと、ルーを通してティオとゴル姉を私の運命に巻き込むということ。平穏な日常を捨てて争乱の道へ引きずり込むことだ。私はそんなことをしたくない、と。

 そしてもちろん。

 冒険者としての私は、そうした心の中の葛藤のすべてを棚に上げて、荷物をまとめ、逃走の準備を整えていた。何よりもまず、生き残る方法を考える。それが十年前のあの事件から私が学んだことである。

 どう逃げるかは、決まっていた。

 ここは盛大に。町の人間すべてが分かるやり方で逃走するとしよう。

+++ Another View End +++


 深夜。

 落雷のような音で俺は目覚めた。目覚めはしたが、身動きは取れなかった。

「むにゃむにゃ。ダメだよお兄ちゃん。ボク、男の子だよ?」

 ティオがどんな夢を見ているのか丸わかりな寝言を呟きながら抱きついてくる。肉体強化は眠っている時の方が安定するのか、魔力消費がほとんどない、適度な力加減になっている。

 つまり、逃げられない。ティオは俺よりも体温が高いのか、こうして布団の中で抱きしめられていると、ぽかぽかと暖かい。

 目覚めるきっかけになった音は、もう聞こえない。もしかしたら、夢だったのだろうか、と俺が考えていると今度は鳴子の音が聞こえてきた。

 カンカンカンカンカン。カンカンカンカンカン。

 都市に住む限り誰もが恐怖して行動せざるを得ない、火事を知らせる音だ。

「起きろ、ティオ! 火事だ!」

「むにゅ……え? 何?」

 まだ寝ぼけているティオを放っておいて、家の外に飛び出す。

 周囲を見回す。火の気配、なし。煙、なし。近所ではない。気が付けば、鳴子の音も止まっている。

「ルー! 火事はどこだ?」

 パンツ一枚で親父が飛び出してきた。俺は首を左右に振った。

「分からない。近くではないと思う。鳴子は北の方角から聞こえた」

「よし」

 親父がぐっと膝を曲げる。

 どん! 親父の姿が消える。頭上を振り仰ぐと、夜空に小さく親父の姿が見えた。現役勇者ならではの跳躍力。あの高さなら、町の反対側の城壁まで視界に収めることができるだろう。

 ずだん! 親父が着地した。衝撃で敷石がずれて音を立てる。

「煙が見えた。モノちゃん家の庭からだ。明かりがついて、人も出ていた。どうも妙な感じだったな。火事じゃなさそうだ」

「行ってくる」

「おう。俺はちょっと周囲を探る」

 そう言うと、親父はパンツ一枚で再び夜空へと跳躍した。俺も似たような姿なので、このままルーの家、とはいかない。ひとまずちゃんとした服装をするべく、家の中に駆け込む。

「ルー! 何があったか分かる?」

 玄関には、灯りを持った母さんがいた。即座に俺は視線をそらした。

「ん? どうしたの、ルー……あ、こらっ、見ちゃダメっ! 後ろ向いてなさい!」

 風呂で裸を見せても平気なくせに、乱れた夜着はダメらしい。

 母さんに、親父が見たことを報告し、服を着替えてモノの家に走る。

 モノの実家であるキュクロス家は、南部地域では名家だ。大きな屋敷の周囲には火事の鳴子に飛び起きた人々が集まり、何が起きたのか噂をしていた。

 門は開いていたが、顔見知りの老巨人が門番に立っていた。大きな棒を持ち、入ろうとする野次馬を押しとどめている。

「ドットじいさん、俺だ。ルーだ」

「帰れ。中に入れることはできん」

 老巨人はぐい、と棒を俺に突きだした。

 この十年間、モノの屋敷でやった悪戯やヤンチャは数知れず。警戒されるのはいつものことだ。俺は両手をあげて老巨人をなだめた。

「中には入らないよ。けど、モノが心配でね。呼んでくれないか?」

「ダメじゃ! 帰れ!」

 老巨人の叫びは、俺の周囲にいた野次馬が逃げ出すほど迫力があった。俺は反論せず、じっと老巨人を見た。指が白くなるほどきつく握った棒の先端が、小刻みに震えている。

「帰れ!」

 老巨人はもう一度、そう叫んだ。俺は無言のまま踵を返し、ゆっくりと歩いた。背中に老巨人のひとつ目の視線を痛いほど感じる。

 俺はそのまま屋敷の裏に回った。こういう時のために、潜入路は確保してある。

 屋敷の裏庭から、茂み伝いに屋敷へと近づく。あちらこちらで人が動き回っているようだ。庭にも灯りを持った人が出ていて、途中まで近づいたところで足を止めざるを得なかった。

 司祭長の声が聞こえてくる。

「私が知りたいのはふたつだけです! この死体となった男は誰か? そして、モノ嬢は、どこにいるのか?」

 司祭長の声が聞こえたのは、モノの寝室。明かりが煌々とついており、巨人族を含む数人の人がいることが影の動きからうかがえた。

 そして裏庭の地面には焼け焦げた黒い円。あたりに漂う錬金術の薬品の臭い。

 かさり。背後から草を踏む音。

 腰から短刀を引き抜きつつ振り返る。背後の人影が慌てて手を振る。

「待って待って。ボクだよ、お兄ちゃん」

「脅かすな、ティオ」

 短刀をしまう。

「ごめん、ここまで緊迫してるとは思わなくて……何があったの? モノ姉ちゃんは?」

「その前に逃げるぞ。ここはもうすぐ人が増える」

 足跡を消してから、中に入るのに使った道とは別の抜け道を通って屋敷の外に出る。どちらも二度と使うことはない。

「ねえ、教えてよ。何があったの?」

「モノは屋敷にはいない。モノが作った、錬金術で空を飛ぶ“箒”があっただろ? あれを使ったようだ」

「花火みたいに、どっかん、ひゅるひゅるするヤツ?」

「それだ」

「あれって、遠くまでは飛べないんじゃなかったっけ?」

「町の城壁の外に出るくらいの距離は飛べる。夜中に飛ぶのは危険もあるが、城門を通らずに外に出るにはこの方法しかない」

「じゃあ、なんで?」

「分からない。が、推測はできる」

 モノの寝室にあるという男の死体。

 消えたモノ。

 モノでなくては動かせない“箒”を使用した痕跡。

 老巨人の俺に対する過剰なまでの警戒。

 その一方で、司祭長という外部の人間を中に入れてしまったチグハグさ。

「モノは逃げ出したんだ。それも、出来るだけ目立つ方法で逃げる必要があった。“箒”を使ったのはそういう理由だろう」

「町の外でテストした時も、すごい騒ぎになったものねー。見物客の中に突っ込んじゃって」

「“箒”はひとつ作るだけでも、すごいお金かかるんだ。見せ物にして金を集めようとしたのが失敗だったな」

「あの時もすっごい怒られたよね。モノ姉も無茶するなぁ」

「たぶん、モノはもっと無茶なことをしてるか、するつもりだ」

 ティオが足を止めた。

「人を……殺したり?」

「聞いてたか。そりゃそうだよな」

 俺も足を止めて振り返る。勇者ならではの魔力による知覚力強化。屋敷の中からは司祭長の声も聞こえたろうし、俺には聞こえなかった言葉もティオの耳なら拾ったろう。

「うん。断片的で、よく分からなかったけど。モノ姉の部屋の中で、男の人が殺されてる。その人はモノ姉の家の人じゃないんだけど、盗人やそういうのではないみたいだった。でも、モノ姉の家の人たち、なんだかおかしくて……司祭長さんや、警備隊長さんがイライラしてた。ねえ、お兄ちゃん。モノ姉、どうしちゃったのかな?」

「生きている。そしてモノは俺たちの仲間だ。今はそれだけでいい」

「……お兄ちゃんはいつも単純だね」

 ティオはくすっと笑うと、俺に近づいて手を握ってきた。

「ゴル姉のとこ、行くんでしょ? 早く行かないと、夜が明けちゃうよ?」


 ゴル姉が住むマンションは、町の中心を通る大通りに面している。モノのキュクロス家ほどではないが、ゴル姉もオリュンポス神族の末裔だけに裕福な家の出だ。両親はおらず、三人姉妹で高級マンションに暮らしている。

 門番のガーゴイルに割り符を見せて合い言葉を告げる。乗る人間の魔力で浮遊する円盤に乗り、最上階の八階へ上がる。

「遅いわよ」

 ゴル姉は起きて待っていた。床には儀式用の魔法陣が描かれ、その中に六体の動物の人形が並んでいる。ヒヨコ、犬、ネズミ、ネコ、雀、カラス。

 人形は口々に、町の中で起きていることをさえずっていた。

「ぴよぴよ。非番の警備隊員に、自宅待機命令が出たぴよ」

「町の東門に嗅ぎ慣れぬ男たちがいるワン。鉄と血の臭いがするワン」

「下水道からキュクロス家に潜入チュー。以後、チューい深く観察を続ける」

「にゃー。広場ではキュクロス家に死体が転がっていることが噂になってるにゃー」

「ちゅんちゅん。夜では何も見えないちゅん。朝まで待つちゅん」

 ゴル姉は情報をメモし、人形に指示を出した。

「ゴル姉、こいつらステイさんの使い魔じゃなかったっけ?」

「ええ。ちょっと使わせてもらっています。それで、そっちはどこまで情報を掴んでるのかしら?」

 俺とティオが見聞きしたことを言うと、ゴル姉はうなずいてから溜息をついた。

「キュクロス家は一年前にモノのお父さんが“病気”で急死。後を継いだモノのお兄さんも、わずか一ヶ月で“事故”で死亡。今の当主はモノの伯父さんでしたわね」

 ゴル姉の言葉に、ティオが首を傾げる。

「えと……それと今夜のこの騒ぎにどんな関係が?」

「モノが騒ぎを起こして逃げ出したのは、キュクロス家を止めるためだ。俺たちに何の連絡もなかったのは、よほど切羽詰まってたんだろう。夜が明けて城門か開いたら、すぐに追いかけるぞ。ゴル姉も準備してくれ」

 これには、ゴル姉も驚いたようだった。

「すぐに……? 私だけでも、残って情報を集めた方が良いのではなくて?」

「いや、ここは全員でまとまってモノと合流する。事態の全容が把握できても、モノを失っては意味がない」

 俺の言葉に、ゴル姉とティオは顔を見合わせて、楽しそうに笑った。

「あらまあ。はっきりしてますわね。ちょっとモノに妬けますわ」

「これがボクたちでも同じだよ。お兄ちゃん、いつもシンプルだもの」

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