序)裏山のダンジョン
序)裏山のダンジョン
あれは、十年前のことだったろうか。いつもの三人に引きずられるようにして、俺はおままごとをやらされていた。場所は家の裏山にあるダンジョンだ。これまたいつものように俺が「お父さん」で、残りの三人が「お母さん」役を主張してゆずらない。
「これはもう、ルーに決めてもらうしかないようですわね。この中の誰と結婚するのか」
ひとつ年上のゴル姉が、ろくでもないことを言い始める。止めようと思ったが、ゴル姉の髪がわしゃわしゃうごめいているのを見て諦める。髪が動いているのは、かなり機嫌が悪い証拠だ。
「異論はない」
俺と同い年のモノが小さくうなずいた。そして大きな瞳でじっと俺を見つめる。
「ルーは私と結婚するよね? もしそうなら、うなずいて」
ぐるんぐるんぐるん。モノの顔の中央に位置する瞳が青い光を放つ。やばい、この光は……ぐぅ。
「ルーはうなずいた。ルーは私のもの」
……はっ。いかん、モノの催眠眼で眠らされていた。
「モノ姉ちゃんだめだよ! 魔法使うのはずるっこだよ!」
外見に似合わぬ怪力で俺を抱えていこうとするモノを、ティオが引きはがす。ティオはいい子だ。素直で、可愛い。ゴル姉のように怖くないし、モノのように問答無用でもない。いい子なんだけど……
「お兄ちゃんは弟のボクと結婚するんだよ!」
俺は溜息をつく。ティオは本当にいい子だ。家族としては。俺と違って勇者である親父の血を色濃く受け継いでいて、七歳にして魔法剣の使い手だし。
ぎちり。ぎちり。
「お兄ちゃん、ボク、本気だよ?」
「ああ、それは良く分かってるよ」
だから困ってるんじゃないか。
ぎちり。ぎちり。
ティオとモノは、ティオが俺を引きはがした後、がっしりと四つに組み合っている。七歳児と八歳児の力比べに、ダンジョンの床が軋む。片やサイクロプス族の族長の娘で片や勇者の後継者。そこらの大人では割って入ることすら死を覚悟せねばなるまい。
「はぁ……あなたたちときたら。まったくもって、優雅ではありませんわね」
ゴル姉が、やれやれ、という風に首を振る。じろり、とティオとモノが組み合ったまま三つのジト目をゴル姉に向ける。
「ゴル姉に言っておく。今日は護符があるから石化は効かない」
モノの首には、干して拳サイズに縮めたゴブリンの生首がぶら下がっている。どうやらあれが護符のようだ。市販の護符は高いから、わざわざ自作したと思われる。リボンをつけてピンク色に塗ってるあたりに、少しでも可愛くしようとしたモノの努力の跡がうかがえる。こう見えて努力家なのだ、モノは。
「ボクだって、不意打ちされなきゃ、耐えられるよ! ……たぶん」
ぽうっ、とティオの身体が燐光を帯びる。勇者の血を引くティオは、魔力で己の肉体や感覚を自由に強化できる。元の魔力がまだまだ小さいので、強化の幅も狭いが、それでも生半な呪いではティオの強化した抵抗力を突破できまい。
「だからあなたたちは愚かだと言うのです」
あくまで優雅に、オリュンポス神族の血を引くゴル姉がうそぶく。
「今日、ダンジョンのこの部屋を選んだ私の“神”慮遠謀! かちゅもくして――っ!」
「……」
「……」
俺とモノは黙っていた。無言のまま口を押さえてのたうちまわるゴル姉にかける言葉がないままに。
「やーい、ゴル姉ったら、舌かんだー!」
ティオだけが子供の残酷さで事実を指摘する。
「うりゅひゃひ! ゴルゴーンの呪い!」
かっ、と。ゴル姉の瞳が大きく開いた。髪の毛が蛇になって広がる。モノの目と違い、ゴル姉の石化の呪いは蛇となった髪の毛の先端から放射される。効果は強力だが鏡で反射できるなど、欠点も多い。目をそらしても効果は薄くなる。それに蛇になった髪の毛が怖いのでつい目をそらしてしまう。
が、それが失敗だった。
「しまった、この部屋は――」
そこまで言ったところで舌が痺れる。
裏山のダンジョンにある鏡の間。壁や床や天井に鏡が仕掛けられた部屋で、昔はこの鏡を利用した罠もあったらしい。今はただの鏡で、俺たちはそこに写る自分たちの姿が面白いのでよくここで遊んでいた。
鏡に反射した呪いが、四方八方から襲いかかる。ターゲットになっていたモノとティオは一瞬で石になった。俺も身体が痺れて動けない。
「戦いというのは、頭を使ってやるものですわ……と言っても、聞こえていないでしょうけどね」
ほっほっほ。目をそらしているので詳細は分からないが、笑い声のオクターブの高さから、ゴル姉が得意満面になっているのは分かった。
「さて、邪魔ものもいなくなったことですし、結婚式を挙げることにいたしましょうか、ルー」
これは……まずい。汗腺はまだ生きているようで、俺の額を冷や汗が流れる。ゴル姉は一番上のお姉さんが結婚したばかりで、結婚についていろいろと聞き出しているらしい。最近、やたら俺の服を脱がそうとするのも、何か良からぬ知識を身につけたせいだと思われる。
「大丈夫ですわ、ルー。“規制”事実と言うのがあって、それさえあれば周囲がどれだけ反対していても結婚することができるのでしてよ。姉から聞きましたから、間違いありませんわ」
あ、やっぱり。お父さんに反対され、駆け落ち同然に逃げ出したはずのゴル姉のお姉さんが急転直下で結婚式にこぎつけた理由とやらを聞き出したのだ。
「その“規制”事実とやらの内容が不明だったのですが、子供を作る秘術と関係していることが分かりました。私とルーの子供を作れば、ふたりの間に立ちふさがるすべての問題は解決するのです」
代わりにものすごい数の新たな問題が発生しそうな気がするぞ、ゴル姉。
「秘術ゆえ、詳しいことまでは分かりませんが、だいたいの想像はついています。少し痛くて血も出るみたいですけど、我慢してくださいね? 私たちの未来のためなのですから」
いやだ、とも。助けて、とも。痺れた俺の喉から声は出ない。走って逃げようにも、足は床にはりついたままだ。
万事休す――そう思われた時。
「それではルー、まずはパンツを……あ、あら?」
ゴル姉のうろたえた声が耳に飛び込んできた。
「足が……くっ、えい……ど、どうして動きませんの? ……ああっ!」
今度はゴル姉の素っ頓狂な声。
「もしかして、鏡で増幅された呪いが私自身を麻痺させたというのですか?」
もしかしても何も、その通りだと思うよ、ゴル姉。
首が動かないので、俺の目は組み合ったまま石化したモノとティオの姿しか見えない。石化しているので表情こそ動かないが、どうやら耳は聞こえているらしいふたりの気配は感じられた。
(いつものこと。ゴル姉らしい失敗)
(ゴル姉は、やっぱりゴル姉だね)
とか考えているに違いない。
予想通りの結果とはいえ、予想外に状況はよくない。ここにいる四人とも、簡単には呪いから解けそうにない。子供でも入る裏山のダンジョンであるから、そうそう怖いモンスターが徘徊している可能性は少ないが、動けないままではスライムにすら食われてしまう。
どうしたものかと考えていると、ダンジョンの奥の暗がりから臭い――硫黄の臭いが漂ってきた。
「グルルル……」
続いて獣のうなり声。やばい。本当にモンスターがいる。
嗅覚と聴覚のふたつの情報から、俺は相手の正体を推測する。最悪の場合だと、竜。それも赤竜だ。しかし、そんな凶暴なモンスターが町の近くの裏山ダンジョンにいる可能性は低い。
もうちょっとありえそうなのは、ケルベロスだ。でかい屋敷では、ギアスの魔法をかけて番犬として飼っている。その中で、魔法を破って逃げ出したものがダンジョンに入っているのだとしたら?
俺は必死に考えた。野良ケルベロスが俺たちを襲うとして、その理由は何か?
決まっている。肉を食うためだ。ならば――
俺は自分の中の魔力を喉に集中させた。さっきから呼吸はできている。声が出ないのは声帯をふるわせるという任意の動きができないせいだ。
「ゴル……姉」
悪戦苦闘することしばし。ようやく声が出せた。
「あ、あら。どうしましたのルー?」
それまでずっと自分の失敗を悔やんであれこれぶつくさ言っていたゴル姉が聞き返す。野良ケルベロスにはまだ気付いてないようだ。
「モンスターが接近している。臭いと声から、野良になったケルベロスだと思う。ゴル姉は動けそう?」
背後で息を呑む気配。そして深呼吸する音。
「ダメ……ですわね。戦うにしても逃げるにしても、すぐには動けません」
「そうか。俺はもう少しすれば動けそうだ」
大嘘である。が、この嘘は信じてもらわなくてはいけない。
「そうですの。では、早くお逃げなさいな」
ゴル姉が静かな口調で言う。そこはやはり最年長。ティオやモノならともかく、俺ではケルベロス相手に勝ち目がない、とちゃんと分かっている。
「もちろん逃げるさ。逃げて、大人を呼んでくる。だからゴル姉は」
ここでひとつ大きく息を吸う。
「自分を石化しろ。石になれば、ケルベロスに食われる心配はない」
俺の背後でゴル姉が考え込む気配がする。
モノとティオはすでに石化している。後はゴル姉が自分を石化すれば、三人とも助かる。
問題は、石化したケルベロスが石像となった三人を壊す危険があることだが――俺ひとりを食えば、ケルベロスも満足して三人を見逃すだろう。野良ケルベロスならば、食欲以外の理由で人を襲う危険は少ない。
「早くしろ、ゴル姉! ゴル姉がちゃんと石化できてないと俺も逃げて人を呼べないんだから!」
これが失敗だった。ゴル姉を騙そうと少し焦りすぎた。
「なら、まずはこちらをお向きなさいな、ルー」
「う……」
「やっぱり動けないのですわね。まったく、あなたと来たら……ほとんど人と変わらぬ力しかなく、小さい頃から泣き虫なくせに。こういう時ばかり、ちゃんと男の子するんですもの」
くすくすと笑うゴル姉の透明な声。やばい。ゴル姉が何をしようとしているのか、想像がついてしまう。
硫黄の臭いはさらに強くなってきた。うなり声に合わせてダンジョンの石造りの床を踏みしめる足音も聞こえてくる。足音は四足のもの。間違いない、ケルベロス。
「や、やめろ、ゴル姉!」
「ならば私も年上としての義務を果たさなくては。大丈夫、あなただけなら石化させる魔力は残っています」
「やめろよ!」
「モノとティオには後で謝ってくださいましね。できればいつまでも三人仲良くと。では――」
「やめろ!」
俺が叫びと、獲物を見つけたケルベロスの吠える声、そして。
「見ぃ~つけた~~~~」
底抜けに明るい母さんの声が重なった。
「うりゃ~~~」
気の抜けたかけ声。ごうん、と空気を震わす衝撃。
あおりを受け、俺は床に転がる。受け身は取れない。痛い。
そして見る。
超音速の拳を受けて、ひしゃげるケルベロス。拳風で割れる床や天井の鏡。エプロンをつけた小柄な女性の姿。
「うちの子に、なんてことするんですか~~! ぷんぷん!」
どばぁん。再び衝撃波を出して繰り出されるキック。すでにお亡くなりになっているであろうケルベロスの姿がダンジョンの暗闇に消えていく。そして何かが潰れる音と震動が遠くから伝わってくる。
「まったく、もう! ご飯の時間になっても帰って来ないから心配して探しに来たのよ? みんな、反省すること! ぷんぷんのぷん!」
声で怒りながら顔では笑い、目には涙を浮かべて俺たちを抱きしめる母さんの腕の感触。エプロンから漂う、晩ご飯の匂い。
おそらく、この時に俺は決めたのだ。
俺が結婚するのは、母さんだと。