表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/64

Ep01.「Age of Darkness」#12

久々の更新! ……気付けば文字数ガガガ!




「えっと、それは……もしかして?」


 目を瞬かせながら驚く彼女の様子は、どこか新鮮に見えた。

 あどけなさの残る少女のように見えて、その実彼女は妖艶な魅力を兼ね備えた魔女なのだが、いまばかりはどうにも年相応と言うか、見た目の印象のままといった風合いだった。


「あぁ、昨晩の件だが君を信用してみようと思う」


 そう告げると、彼女はへなへなと萎れその場に座り込んでしまった。

 何事かと慌てて近寄って見れば、表情もくしゃくしゃっと歪め、まるで親を見つけた迷子の様にホッとしたような泣き顔を浮かべていたのだ。


「何と言えばいいのか、こういう気持ちは初めてで……安心したら腰が抜けてしまって……なんだか私、今とても幸せなんです」


 ふにゃっと柔らかい笑顔を浮かべ、差し出した俺の手を両手でぎゅっと握り締める彼女。

 その仕草は男性の視点からして実にあざといと言わざるを得ない。

 保護欲を駆り立てられる弱々しい笑みや、すっぽりと覆ってしまえそうな程に縮こまった小さな体、そして潤んだ瞳からの上目遣い……そして彼女がしゃがみこんだことで生まれた高低差から覗く微かな胸の谷間は意図せずして見えてしまう天然のトラップだ。

 これが宵闇の魔女の真価なのかと戦慄を覚えてしまう。

 精神操作魔法の類が効かない俺には魅了の魔力によって堕される心配は無いはずだが、こうして物理で攻めてくる手段もあるんだなって。

 いや、これで絆されるわけは無いはずだが……断じて無いが、健全な男子としては好感度の変動を感じざるを得ないと言うか。

 元々、彼女の事を嫌っていたりしていた訳ではない以上、これを何と言えばいいのだろう……男の性ってことで片づけておくのが良いのかもしれないな。

 下手に言葉を並べると、それこそドツボに嵌りそうだ。

 とにかく、この天然ジゴレットに主導権を渡さない為にも、こちらから話を進める必要があるだろう。


「それで、君にはやって貰わなければならない事が幾つかある」


「はい、なんでしょうか?」


「まず、俺は三日後にこの砦を発つことになった。

 そこで事後承諾になってしまうが、君にはその道中に同行してもらう事になる」


「はい、それは構いません」


「ちなみに、目的地は――中央だ」


「……なるほど、それならばいかに魔王と言えど手出しは難しいでしょう」


「ここで詳細の全てを話せないが、当日までに必要な準備を済ませておいて欲しい」


「分かりました、ではまた後日に」


 切り替えが早いのか、驚く程あっさりと要件の伝達が済んでしまう。

 寸前までの感極まった表情など夢幻だったかの如く消え去っており、一介の使用人に仕事を申し付けているような会話の雰囲気になっていた。

 この辺りの印象操作の上手さが、彼女の持つ特異な能力の存在を裏付けているのかもしれない。

 要件についても内容など一切語っていないが、彼女はそれだけで察していた様子だったのもやはり侮れない点だろうな。

 NPCだから話の辻褄を合わせてくれた、合わせられたと言う感じでは無く、少なく見える情報の中から要点を抜き出して整合性を補填したかのような、そんな雰囲気だった。

 これは勝手な予測だが、彼女の魅了の能力があれば大抵の事は何とかなるのだろう。

 おそらく、この砦の中で使用人として働いていることも一つのカモフラージュであり、能力を使って目立たない様に装いながらも情報を集めていたんじゃないかと、そう思うのだ。

 さっきの会議の内容、特殊任務についての情報が事前に漏れていたという訳ではないと思う。

 ただ単純に、彼女は魔王から逃げる術、身を守る術を得るために、魔物と常に最前線で戦うこの砦に身を隠しながら丁度良い人材を探していた。

 その為の情報収集と偽装工作が、彼女の今のポジションと言う事なのだろう。


「さて、フラグは立てたがこれからどうしたものかな……」


 予定していた優先目標であるジュゼットの合流、クエストの受注は済ませたのだ。

 思いのほかあっさりと終わってしまったので拍子抜けしている感じもある。

 やるべきことは色々とあると思うのだが、どの程度まで自由な行動が取れるものだろうか。

 目下の懸案事項としては、装備の補充が可能かどうかと言う点に尽きるだろう。

 魔法の発動媒体として、俺が所持している唯一の杖はステータスの表示がバグっているあまり見覚えのない謎の一本だけだ。

 辛うじて読み取れる数値を見るに、耐久度は昨晩の魔法の行使で限界近くまで擦り減っている。

 一応、予備として簡易の発動媒体である指輪などを身に着けていない訳ではないが、MP効率が悪いのがネックになるだろう。

 そう、既に自分がこの状況に巻き込まれてから――荒野で魔物の大軍勢に襲われた時から考えればかなりの日数が経過しているはずなのだ。

 時間の経過に関しては実際に体感している訳ではないが、少なくとも俺は既にこの世界の異常について勘付いている。

 昨晩の魔法の行使から鑑みても、その異変は最早明らかだった。


 それは、MPの回復速度が極端に遅いと言う事だ。

 おそらく、この世界において魔法が一般的でない理由もこの現象が関与しているように思う。

 自分のキャラクターの唯一の種族特徴である魔法適正、その中でも最たる要素であるMP運用効率の極端なまでの高さを持ってして、昨晩使った魔法で消耗したMPを補填することができていないのだ。

 それだけではない、既に目覚めた時点でMPが大きく減退していたのは≪焼払暁星リィ・ヴァ・ディーン≫を使用した際に枯渇寸前まで消費したMPの影響だろう。

 自分の記憶には欠如があるのでこれも定かではないが、たしか消費したMPの補給は自然回復でも静止的に安定した……つまり、非戦闘状態ならば効率が悪化することは無かったはずだし、一晩も経てば全快しないことは無かったはずだ。

 眠気が訪れないことが何らかの影響を与えている可能性もあるが、自身の体質の変化と言うのがそれに影響しているとはどうにも考えにくいことだった。

 まだ仮説の段階だが、現在この世界では環境に存在するエーテルが非常に薄い状態なのだと思われる。


 それがこの世界の実情――設定として、最近の話では無いと思われるのは魔法の普及率の低さや、俺の行使した魔法に対する反応を見れば珍しい物なのだろうと推測できた。

 辛うじて魔法を使える者も、前線ではなく王都で研究職をメインとしているらしいことから推察すると、例えば今の俺の状態を見るにMPを消費した場合の回復が極端に遅いために、自然回復量に頼っていては魔法を使い捨てのようにしか利用できないことや、そもそもが地平線を埋め尽くす勢いの大群を相手にそこそこの火球を一発や二発撃ち込んだところで戦況がどうにかなるものでもないことから、魔法ではさして戦略的な効果が得られないと考えられていることがあると思う。

 もしこの推測が間違ていなければ、単体で亜竜を狩れる実績を示した俺を何とか前線に留め置きたいと思うよりも、いずれは使えなくなってしまうかもしれない消耗品として、ここぞと言う場面で力を発揮すれば良い任務に付けた方が、最大の効果を発揮できると考えるのも正解……なのか?

 まぁ、確かにいざという場面で故障する可能性のある道具なんて、例え絶大な利があったとしても肝心な場面で害の方が優りそうではあるな。


「ジン・トニック殿。 どちらへ向かわれるつもりですか?」


 思考の海に沈んていた俺を引き上げた声の主はメイサだった。

 じっとこちらを見上げる視線が、威嚇するかのように目を覗き込んでくる。

 キッと引き締まった目元は鋭い猛禽のようでもあり自然と緊張を感じてしまう。


「いえ、特に目的があったわけではないんですよ」


「砦の中は複雑に入り組んでいます、闇雲に出歩かれるのは感心できません」


「面目ありません」


「例え中央の貴族の方であってもここは戦場、本来ならば即刻客室へと戻っていただくところですが……貴方には伯爵様から良く計らってやって欲しいと直々に承っております。

 先ほども旅路に必要な物資の融通を受けたいと訴えておられましたよね?」


「えぇ、そうですね」


 ざっくりとそんな話をしていた覚えはある。


「では、参りましょうか」


「何処へですか?」


「ひとまずの支度金と免状を預かってまいりました。 これから軍の資材保管庫へ向かい、その後は城砦外縁に広がる自由市を案内するようにと承っております」


「へぇ、自由市なんてあるんですね」


 素直に驚いてしまう。

 確かにこの砦は街一つを内包しているような大きなものだが、その外にも堅牢な防護陣が敷かれていたり、野営地が設営されていたのを思い出す。

 それだけの莫大な消費があるならば、それを支える需要や物資も莫大になるだろう。

 物を取り扱のは商人の仕事であり軍や貴族の扱うものじゃないので、外に商売を構える人間が集まるのも当然の帰結だと言えるな。


「それでは、ジン・トニック殿の案内を私が務めさせて頂いても宜しいでしょうか」


 ちょっと驚いたのは、彼女が直々に案内役を買って出てくれるらしい。

 メイサはてっきり専任としてアーリュシアの警護のみを担当するのかと思っていたのだが……よく考えてみれば、今朝も二人は別行動だったじゃないか。

 気付かぬうちに、彼女に対して勝手な先入観を持ってしまっていたようだ。


「こちらこそ宜しくお願いします、メイサさん」


「メイサ、と呼び捨てて頂いて構いません」


「なるほど、ではこちらもジンと呼び捨てにしてください」


「それは承諾致しかねます。 ではジン・トニック殿、こちらです」


 はぐらかすわけでも無く、バシッと拒絶されてしまう。

 彼女のその一貫した姿勢は冷たくも見えるが、キビキビとした姿勢は純粋に格好良く見えた。

 ――が、取っつき難い感じはイメージ通りと言うか、なんと言うか。

 これから中央まで行く仲間なんだから、仲良くしておきたいと思ってるんだけどなぁ……どうやら、俺たちの旅の行方は中々に前途多難なようだ。




 多数の兵士を養うため、戦闘を継続する為には莫大な消費と需要が生まれる。

 それらを担う為にも自然とこの砦の周囲には露店街のような場所も生まれているようだ。

 砦の内側は確かに堅牢堅固で無骨なイメージが強いが、一度その背に広がる人界の領域に近づけば人の営みの色が強く濃く出ていた。 むしろ、こんな時代と場所だからこそかもしれない。

 生死が混ざり合う境界線――現代に生きる俺の感性から言えば、それは「日常」と「非日常」の境界と言っても良い。 だからこそ本能的に強く求める、人としての在り方や生き方を。

 この自由市の空気はまさに、そんな活気と陰気が混じり合っているような独特の空気感をしているように思えたのだ。


「はぁ、これまたすっごい人の数だねぇ……」


「自由市での商売には関税が掛かりませんから、わざわざ王国の果てから辺境まで一攫千金を夢見て商品を運ぶ商人も少なくないのです。 大成する者はごく一部でしょうが、だからこそ皆が躍起になって売買を行うのでしょう」


「これって伯爵の指示でやってるの?」


「当然です。 この辺境領にて勝手を行うことは例え中央の貴族でも一切罷り通しません」


 ごった返す人混みを見ながら、メイサの説明に聞き入る。

 布を張って屋根代わりにした簡易店舗がひしめき合い、稀に木造や石材を組んだ立派な商店もあるが基本的には自由市の名が示す通り市場という見た目だ。 ただやたらと規模が大きい。

 中には幌馬車をそのまま店舗にしてる店もあるようだな。

 自由市を利用してるのは兵士ばかりかと思えば意外とそうではない。

 近隣の村人と思わしき質素な服を身に纏う者から、商人と思われる布製の服を着こなすもの、腰巻だけを身に付けて逞しい上半身を曝け出す人足や、さらには露出が多い衣装を着こなした派手な女性の一団など、実に様々な人間がこの市場を行き交っていた。


「意外なほど人が多いな」


「我々と魔物との『戦争』は王国内で最も物資が消費される場所ですから――」


「――消費がある場所には当然需要があり、需要が生む消費が更に需要を生む、と」


「……その通りです」


 途中でセリフを奪ったからかメイサの目つきが少し細くなった気がする。

 仕事熱心なのは良いんだけど、何故か彼女の風当たりがきつい様に思われる……のも仕方がないか、急にぽっと出てきてアーリュシアを中央へ護衛する任を伯爵直々に任されたのだから、領地の守護を任された騎士にして見れば目の前で名誉や矜持を奪われた様な物で、怪しさ全開な上に嫉妬も全開、ついでに敵意も限界突破していてもおかしくないだろう。

 それでも、会議室での一見ではそれほど敵対的な視線は感じていなかったのだが、何故か今はキンキンに冷えきった視線を遠慮なくぶつけられているような気がする。

 ……まぁ、俺の勘違いってことにしておこう。

 あの時と今で俺の何かが変わったわけじゃない、変わるとすればそれは彼女の方であり、メイサに何があったかなんて他人である俺が一切の説明もなく理解することは不可能なのだから。

 彼女の事は態度の変わった今もあまり警戒はしていないし、これ以上ヒントも無いまま悶々としても仕方がないだろう。


 メイサのことについて考えるのは止めて、俺は自らの成すべきことに取り掛かるとしよう。

 自由市に来ている目的は当然、ここで取り扱っている商品を見て必要なものを購入することだ。

 俺は人混みの流れに合わせながら散策し、気になった商品を少しずつ眺めて戦力の補充になりそうなアイテムを探すことにする。

 現在、俺が保有しているアイテム、装備などはほぼ0に近い。

 虚空に指を伸ばして仮想インターフェースを操作していると、傍目からは異常な奴に見えるので怪しまれてしまうだろう。 ゲームの世界ならばNPCはプレイヤーの行動に疑問を持たないが、この世界のNPCたちが同じと言う保証は無いので今は余計な不信感は与えない方が良いだろう。

 思考だけでインターフェースを操作できる技術はこういう時に役に立つのだ。

 ちょっとしたコツが居るが、慣れれば歩きながらでも操作する事は可能だ。

 改めて所持アイテム類の一覧を見るが、相変わらずデータの一部がバグっているのかノイズ混じりと言うか、文字化けのような状態になっているものがある。 これらのアイテムは一旦隔離して放置しておこうと思う。 元が何だったのかも分からない上に、バグっている状態のアイテムがどういう影響を他に及ぼすか予測が立たないのが恐ろしい。 触らぬ神に祟りなしだ。

 逆に、そうして隔離していない使えそうなアイテムだけ数えると片手で事足りてしまう。

 記憶を上手く辿れないが、以前の俺はアイテムの浪費癖か、もしくはアイテムに頼らないプレイヤーだったのか……いや、今の俺の思考から逆算すればアイテムがあれば積極的に利用するタイプだったはず、むしろ自分で自作できるならば積極的にクラフトしていたはずだ。


 ――クラフト、そうか生産スキルか!


 今のところ市場の商店ではこれと言って有用なアイテムは発見できていない。

 取得している【鑑定眼】のスキルでアイテムの情報ウィンドウを閲覧できるのだが、俺が捜しているような武器とか魔法道具のような存在は見つかっていない。

 自由市に来る前に軍の資材保管庫に立ち寄り、ざっと武器や防具、資材などに目を通した上でリストの写しを借り受けて置いたが、ピンとくるものが無かったのだ。 と言うか、俺の戦闘スタイルが魔術師なのだからそっち系の装備が無いと厳しいのだ。

 この世界には魔法が普及していないこともあり、俺に見合った装備は軍の物資の中には無かったので自由市で見繕っている訳だが……まぁ、望み薄だとは思っていた。

 そこで、今の閃きが重要になる。

 そう、「無ければ作ればいい」のだから。

 意識だけでメニューを操作し、スキル画面から取得可能なスキルのリストを急いで引っ張り出す。

 傍目からは真剣にアイテムの物色をしているように映るはずだが、実際に見ているのはアイテムでは無く俺にだけ見えている仮想ウィンドウの表示したデータと言うわけだ。

 ……むぅ、確かに生産系のスキルがあるはずだと確信していたのだが見当たらない。

 取得可能なスキルがかなり大量にあるので見逃したかもしれないな。

 ここは落ち着ける場所でゆっくり確認した方がいい。 何らかの可能性で取得できない理由があるのかもしれない。

 もしかしたら別のゲームの知識と混合して覚えてしまっている可能性もあるが、俺は自分の直感を信じているし……何より、幾つかのレシピは印象に残っているのだ。

 この記憶が間違っているとは思えない。 戻ったら精査することにして、ある程度は実験用として素材を購入しておけば追々スキルを思い出すかもしれないしな。

 ただ、そうなると資金をどこまで何に割くかだが――


「……時間をかけすぎではありませんか?」


 思考の海に沈んでいた俺に、メイサが突き放す様な一言を投げかけて来る。

 この活気と喧騒の溢れる中、さして大きな声を出したわけじゃないのに彼女の声は俺の意識を一瞬で捉えて引き摺りあげたのだ。 耳触りが良いと言うか、凛とした良く透る声だと思う。

 ただ、その落ち着いた声音に少しだけ苛立ちを含んでいるような、そんな棘を感じたのはどうやら気のせいではなさそうだ。

 ちらりと振り返って彼女の様子を見ると、きりっとした立ち姿は微動だにしていなかったが……何だろう、感情の起伏が少ない印象のある彼女の顔に誰かの面影が重なると言うか、物言わぬ目の中にちろりと微かに感情の揺らぎが舌を覗かせた様な気がしたのだ。

 あと、引き締まった口元が僅かに強く結ばれているような……そんな気もする。

 内心では結構怒っているのかもしれないな、いきなり見ず知らずの怪しい男の世話を任されて、その男が暢気に人混みの中でゆっくりとウィンドウショッピングしているわけだから。

 逆の立場なら、女性のショッピングに付き合わされる男性という構図だろうか。

 興味が無いなら付き合わされる方はひたすらに暇だと言うのも仕方がない話だよな。

 とは言え、そんな言外の抗議があるかどうかは知らないし、もしあったとしても俺にも目的と言う物がある。 彼女にはしっかり見張りの仕事を続けて貰うとして、一応は俺の目標について認識を共有しておいた方がいいだろう。

 正当な理由があると分かれば、彼女もそこまで難色は示さないだろう。


「いや、これは必要なことなんだ。 俺は準備が出来るなら何事にも万全を期したいと考える性質でね、完璧主義とは違うんだけど……獅子は兎を狩るにも全力を尽くすって言うだろ?」


「獅子? ……自らを猛獣に例えるのは構いませんが、それは驕りではありませんか?」


 例え話に獅子を使ったのは不味かったか?

 あー、NPCの教育レベルや時代設定などによっては知らない事の方がそりゃ多いか。

 まぁ、獅子については猛獣だと理解はしてくれているみたいだし、伝えたいことをしっかりと言語化してしまった方が無難かな。


「いやいや、それはあくまで例え話さ。 俺は獅子では無くて非力な人間だから、兎を捕まえる為には罠を使う知恵や経験、弓や銃と言った道具が必要になるのさ。 メイサだって、全裸で魔物と戦って生き残れる自信は無いだろ?」


「それはそうでしょう」


 喰い気味に返ってきた言葉が鋭く突き放すような内容で驚い……あ、あぁー、そうか。


「……あー、今のは俺の失言だな。 女性に対して言う言葉ではなかった、すまない」


 そりゃ、メイサも気分が悪くなるわな。

 騎士と言えど女性に対して全裸になる話を振ったのはセクハラ行為であり、言ってしまえばさっきの俺は「お前ちょっと全裸になってみろよ?」と無理難題で挑発してるようなもんだな。 無意識とは言えちょっと酷い発言だったかもしれない。

 俺は反省すると共に深く腰を折って謝罪する。

 すると、メイサの片眉がぴくりと上がり、少し間をおいて頷くと謝罪を受け入れてくれた。

 さっきまで身に纏っていた緊張感は霧散していて、むしろ少し険が取れたような気もする。


「それは構いません、私は女では無くハルトナー辺境伯の騎士です。 貴方の言う猛獣の例え話についても我ら騎士にとっての剣と鎧、そして心構えを差しているのだとは私も理解しました」


「そうか、気を使わせて済まない」


「いえ、私の知識不足による落ち度です。 貴方に非はない」


 彼女も騎士の礼なのだろう、ピッとした動作で右手を胸元に当て目を軽く閉じて小さく腰を折る。

 メイサって本当に動作の一つ一つがきびきびしていて格好いいよな。

 何だかんだで顔も可愛いし、一見近寄りがたい雰囲気も意外と付き合っていく上で適度な距離感を保ちやすい気がする。

 俺の感性が図太いだけと言う可能性もあるが、メイサがこうして後ろを付いてくる状況にしたって、本来なら監視されているのだから視線が気になったり、多少の気まずさを覚えてしまうと思うのだが、彼女の精神的、物理的な距離感が丁度良いのか負担に感じない。

 意外と、従者として彼女は優秀なのかもしれないな。


「……申し訳ないが、そう言う理由だから時間は掛けさせて貰うぞ」


「ご自由にどうぞ」


 一応、念のために断りを入れておくと素っ気ない返事が返ってくる。

 ただそこに冷たさなどは感じず、むしろ何か納得したような落ち着いた雰囲気すらある。

 もしかしたら、こうして待たされることに慣れているのかもしれない。

 ……メイサの考察はそこそこに切り上げて、アイテムの物色に戻ろうか。

 どうにも情報が不足しているからか、気付けば思考がどんどんと深みに沈んでいく傾向がある。

 馬鹿になるつもりは無いが、もっと簡潔に状況を飲み込むように思考をシフトしないといけないかもしれないな。 思考の森を広げておいて、逆に霧に巻かれて道を見失うのでは意味が無い。

 そう心に決めつつ、俺は素材アイテム探しを続行することにした。




 大分熱心に探していたからか、結構な時間が掛かっている。

 そろそろメイサから不満の声が挙がるんじゃないかと思っていたのだが、彼女は辛抱強く俺の後を黙々と付いて来てくれた。

 これがデートなら最低以下の内容だが、彼女は一体どう思っているのだろうか……うーん、切り上げるにしてもまだ目的を達成している訳じゃ――そこで、ふと視界に変化が訪れる。


「……ん、これは……」


 俺は視界に飛び込んできたそれを眺め、手に取って確かめる。

 背筋がぞくりとする感触……待ちに待った、望んでも見なかった果報が飛び込んできたのだ。


「店主、これはなんだい?」


 俺はまず、さり気ない調子で店主に声を掛けて見る。

 男はそこそこの身なりをしており、おそらく中央あたりでも商売をしているそこそこの行商人だろうと今日の自由市を回って得た経験則から当たりを付ける。

 幌馬車の荷台を店舗兼倉庫にしたそこそこ広めのスペースで商いをしている男だ。

 扱っているのは木材が大半のようだ。

 槍などに使う硬い木材、弓に使われる弾力に優れた木材、他には樹液を元にしたにかわやシロップ、染料など木工系の素材から、槍や弓の完成品まで様々だ。

 中には薪用の木材、燃料用の炭などまで品数や種類も豊富にあるようだ。

 それなりに立派に見える店構えだが……二台の荷馬車はあちこちが痛んでおり、幌も補修の後が一目で分かるほどみすぼらしいのがどうにも気になった。 また、俺の発動させているスキルによって見える情報と、店側が提示している情報に食い違いがあるのも引っ掛かる。

 ……この自由市において『そういう店』は少なくなかったのだが、男の雰囲気はまた一つ彼らとは違っていると言うか、何て言えば良いんだろうな……そう、迷っているような揺らぎがある。

 とにかく、まずは会話をしてみることにしよう。

 その中で彼を見極める為に必要な情報も浮かんでくるはずだ。


「それは≪指揮棒≫だ。 演奏会などで指揮者が使う道具なんだが……なんだ、兄さんは初めて見るのかい?」


 男は三十代くらいだろうか、あごひげに逞しい身体と商人にしては肉体系だ。

 日に焼けた肌もあって健康的な労働者、この場合は熟練の行商人と呼ぶべきだろうか。

 少し厳つい見た目とは裏腹に、弾んだ口調は意外と気さくな感じで第一印象は悪く無い。


「いや、見覚えのある意匠の≪指揮棒≫だったんでな……これはどこで手に入れたんだい?」


 そう、俺が見つけたそれは≪指揮棒タクト≫であり、彼の言う意味での指揮棒ではない。

 アイテムウィンドウでもしっかりと装備品としてのステータスを確認している、正真正銘の魔法使い用の装備として作られた性能を有している立派な武器だ。

 まさか、半ば諦めていた完成品が見つかるとは思っていなかったので、俺は自分の幸運と文句を言わず付き合ってくれたメイサに感謝する。

 さり気なく視線をメイサに向けると、彼女と視線が交差し――どうやら、俺の意図を何となく察したようで瞬きで応えてくれた。

 さて、俺の方は彼に応える様に気さくに会話を続けることにした。

 まず聞き出すべきなのは、この≪指揮棒≫が一般流通しているかどうかだ。

 もし製作者がどこかに居るのであれば俺と同じ境遇のプレイヤーが存在しているかもしれない。

 それは、俺たちの置かれている状況を正確に把握する為の大きなヒントになるはずだ。


「中央の商人向けの卸し市場があるんだが、そこで入札したものだ。 何でも古い蔵を処分する際に出てきた遺品の用でな……一見地味に見えるが意外としっかりした造りだし、蔵の古さを考えたら大分昔のものらしいんだが見ての通り、カビたり割れたりしてない新品同様と言っても良い状態だったんで落札してみたのよ」


 商人は素直な性格なのかそれとも行商人の常套手段か、店頭販売員のように良く廻る口で俺との会話に興じてくれる。

 中々貴重な情報なので、俺は彼の教えてくれた内容を心のメモ帳に記しておく。


「一目見た瞬間、「これは逸品だ!」と商人としての勘を頼りに落札してみたんだが、生憎と俺のツテでは良い買い手が見つからなくてな……気付けばこうして辺境くんだりまで一緒に旅して来きちまったって訳よ」


「……これと同じものは他では売ってないんですか?」


「んぁ? あー、指揮棒自体は当然職人の工房があるが、商人として言わせてもらえばこいつと同じ奴は……ねぇんじゃねぇかな? 商人としての目利きを信じて貰うならば、そいつを作ってる工房に心当たりはねぇよ」


「つまり、これはワンオフって事ですね」


「まぁな、そもそもが骨董品だから二度と手に入る保証はねぇ……売れる保証もねぇってのが、そいつの運の尽きでもあるんだがよ! はっはっは! まぁ、薪にするには勿体ないし、大した荷物にならないからここまで持ってきただけだからな」


 ざっくりと情報を纏めると、この≪指揮棒≫はどこかの工房で作られたものではない、つまり、現状では逃せば他に入手手段が無いと暗に仄めかされている。

 こちらはそれを否定する材料が無いので吹っ掛けられるかもしれないな。

 少しこちらの興味を商人に晒し過ぎた気がするのは、男の目が静かに暗い輝きを宿したことからも窺える気がした。 彼の纏う雰囲気も、表情には出ていないがグッと一方に傾いた。

 ……さて、どうしたもんかなぁ。


「ちなみに、値を付けるなら幾らにします?」


「……金貨10枚。 それ以下はビタ一文も負けられないな」


 そらきた、いきなり法外な値段を吹っ掛けて来るな。

 今までの話だと男は≪指揮棒≫の本来の価値に気付いていないのは明白だ。

 しかし、こちらの買い気を感じ取っているのだろうか大きく出たようだ。


「本当に商人ですか? それって売る気が無いですよね」


 俺は男に対して「全く呆れた、お笑い草だぜ」って顔をして挑発してやる。

 まぁ、相手も一端の商人だしこんな見え透いた挑発には乗っからないだろう。


「何だかんだで愛着が沸いちまってな、今じゃお守り代わりみたいなもんなんだ」


 彼の発言に少し思う所があったが、完全に手放す気が無いって訳でも無いようだ。

 よし、ここは一気に攻めてみようか。


「指揮棒の相場は生憎と分かりませんが……美術品や骨董品、材質や意匠を考慮してこの指揮棒の適正な価値を計算すれば金貨にして1枚が良いところでしょう。 こういう事を尋ねるのはアレかもしれませんが、一体いくらで落札したんですか?」


 俺の保有スキル【鑑定眼】は[ランク:A]に強化しているので、アイテムのスペックや基本相場まで完全に見抜くことが出来る。 金貨1枚と言うのはハッタリじゃない。

 相手が金貨10枚と言う法外な値段を吹っ掛けて来るのには何かワケがあるはずだ。

 そう思って、単刀直入に商人に言葉を突き付けてやる。


「……金貨5枚だ」


「それは嘘ですよね。 中央からここまでの路銀も決して安くないし、金貨5枚の価値が本当にあるならば好事家が多い中央で捌いた方がいい金額になるはずだ。 つまり、これは中央では金貨5枚の価値も付かなかった一品ということになる。 更に、辺境まで持ってきてしまったと言う事は、道中でもまともな値段が付かなかったはず……お守り代わりとして愛着が沸いたのが嘘ではないとしても、商品としての価値はずっと低いでしょう」


 嘘だと断言したのはハッタリだが、その後の推測はあながち間違っているとは思えない。

 商人が本当に金貨5枚で落札したなら、それ以上の金額で売れると判断して買わなきゃただのバカでしかないわけで、目の前の男は考えなしに散財するようには見えない。

 むしろ、それなりに場数を踏んだ商人だと俺は確信している。

 現に表情や仕草は自然で、ここまでは目立った荒も無い……が、俺の眼には彼の心の内側で揺らいでいる感情が見えるのか、何かを隠したい、後ろめたさのようなものを見抜いていた。


「……いいや、金貨10枚だ! さっきも言ったがビタ一文も負けられねぇ!」


 商人は意外と早く交渉を打ち切って来た。

 値段は下げないぞと言い切ることで、客は逃すがこれ以上の追及を避けようと言うのが狙いだろうか。 探られたくない腹があるのだろう。

 となると、仮定していた一つの予測が揺さぶりになるかもしれないな。


「……なるほど、そう言えばここは他の店に比べて商品の量が少ないですね。 中央からここまで商品を運ぶの経費が掛かるはず、並大抵の覚悟では遠い道程を踏破することは難しいですし、それなりに商材を売り捌かないと戻ることも難しいでしょう。 そうそう、小耳にはさみましたが王国全土で野盗の被害が増えているとか……各地で行商を行っている商人にとっては他人事じゃない、頭の痛い話でしょうね――」


「――何が言いたい!」


 感情を露わにした商人は、まさに傷口を抉られたかのように悲鳴のような怒声を上げる。

 想定とりも早い展開に内心では少し面を喰らったが、ちんたら進めたい訳じゃないのでこのままぐいぐいと押してみようか。

 今や交渉の主導権は完全にこちらの手中にある。


「別に、何も……ただ、そうですね。 これだけ広い市場に多くの商人がひしめき合っているのだから、その中の幾人かは一攫千金を夢見て辺境を目指したはいいものの、道中で野盗に襲われて命からがら逃げ切ったものの、商人にとっては命よりも大切な商材を奪われてしまった……そんな人間も少なくないと思うんですよね」


「……」


 図星だったのか、顔を逸らして視線を逸らされる。

 すぐにこちらに向き直ったのは、彼の商人としてのプライドや経験から弱みを見せてはいけないと思ったのだろう。 悔しさに歪んだ表情は、普段なら犯さないようなミス――交渉中に内心を隠し通せなかった、表情を取り繕えなかった自分への苛立ちが半分、好き勝手に言葉のナイフを突き立てて来る俺への憎悪が半分ってところかな。

 この調子でガンガン行こう。


「メイサ、金貨10枚を出してくれ」


 俺はそう言ってメイサに向き直る。

 旅支度として用意して貰った軍資金は彼女が預かっており、必要になる都度メイサに頼んで払ってもらっていたのだ。

 流石に説明も無く金貨10枚と言う大金を要求したら説明を求められるかと思ったのだが、彼女は一言も発することなく俺の指示に従って金貨を差し出してくれた。

 俺は眩く輝く金貨を右手で一纏めに持って店主の前に差し出す。


「けっ、何だ買うのかよ! だったら、うだうだ言ってねぇで最初から素直に――」


 文句を言いながらも、そいつを受け取ろうと手を伸ばす男の動きに合わせて、俺は自分の右手を引き戻す。 空を切った自らの手を、そして俺の挙動を見て顔が漂白される商人。

 その顔を真っ直ぐに見据えながら、俺は意識しながらにやりと唇を釣りあげて宣言してやる。


「――こいつはあんたが喉から手が出る程欲しいモンだろ? だが、俺はこの金でその指揮棒を買うつもりは無い」


「なっ!」


 俺の宣言に男が絶望したような表情を浮かべる。

 それもそうかもしれない、目前まで差し出された金貨10枚の大金があるのに手が届かなかった……微かに浮かんだ期待や希望を、あまりにもあっさりと裏切られてしまったのだから。


「そうさ、所詮そいつはただの良く出来た木の棒だ。 そいつは正しく使われなきゃ指揮棒としての価値も発揮しないし、商人のあんたにとっては売れなきゃ商品でも何でも無い。 お守り代わりと言っても、飢えた腹を満たしてくれる訳でも無ければ、野党に襲われたあんたの命を救ってくれる神様でもない――いいか、そいつは今やあんたにとっても、俺にとっても、商品としての価値がないただの木の棒になったんだ」


 金貨10枚なんて法外な値段を吹っ掛けたんだから、客が買う気を失ってしまうのは当然だよなと、男にハッキリと分かるように伝えてやる。 俺はもうそんなものをお前の付ける値段で買ってやる気は無いぞと言う意味を込めて。


「っ!」


 腐っても彼は商人だ、俺の言外にこめた意図も正しく読み解いたのか苦々しげな顔を浮かべ、視線を地面に向けてしまう。 思っていたよりもショックが大きいようだ。

 俺の仕打ちに対してか、自分のしでかした過ちに対してか、そこまでは俺も分からない。

 ただ、俺の方はここで交渉を終わらせる気は無い……むしろ、今ここからが交渉のスタート地点だろう。


「だから、その役立たずになったその木の棒以外の商品を――ここにある金貨9枚分の商品を、「適正価格」であんたの店から購入してやってもいい」


「ど、どういう事だっ!?」


 揺さぶりを入れてやると面白い様に動揺してくれた。

 おいおい、そんなに顔に出さないでくれよ、声を裏返さないでくれよ……別に俺は悪役だって訳じゃないのに、思わず雰囲気に流されて悪い笑みを零してしまいそうになる。


「ただし条件がある、よく聞いて判断してくれ。 この指揮棒は誰が何と言おうと『金貨1枚の商品』だ、それ以上でもそれ以下でも無い……そのことに異論が無いなら、この『金貨10枚を使って店の商品を俺が買う』と約束するが、どうする?」


「……何だよ、同情でもしてくれるってのか!? あんたはよぉ!」


 狼狽える彼の顔には、混乱の中にもちゃんと俺の言葉を理解してくれた理性の色が見える。

 だからこそ混乱しているのだろう。

 何故なら俺は、指揮棒を含めて金貨10枚分の買い物をしてやってもいいと言っているのだから、金の欲しい商人としては自分に都合が良い様に思えているはずだ。

 おそらく男の脳裏には「目的のブツさえ購入できれば満足するはずなのに、何故こちらに都合の良い条件を提示するのか」と自分に大きなメリットのある話に聞こえているはずだ。

 当然、頭の隅では言外に「指揮棒を金貨1枚で買わせて貰う」という条件も伝わっているはずだし、それは当然、俺の方の主張を通そうとしているのだからこちら側にとって十分なメリットになっていると理解しているはずだ。

 だからこそ、何故彼は「指揮棒以外の商品に払う必要の無い金貨9枚を出すのか」という理由が見つけられないでいる。


 何故なら、彼がより多くの金貨を得るというメリットは彼にとって至上命題のはずであり、その最大のメリットを享受できると言う条件をこちらが積極的に提示していることが、俺の意図の裏付けを取れないことが、そして語調を変えて強調した「適正価格」と言う単語が、彼の思考回路を強烈に締め上げているはずだ。

 どうしても、彼はこの提案に裏があるんじゃないかと疑っていると言うことであり、それは逆にそれだけ慎重にならざるを得ない理由が彼に存在していることの証明だ。

 当てずっぽうだったが、会議室で軽く聞いていた王国の現状についての知識……貧富の差が広がり野盗が増加していると言う話から、彼の馬車の様子を見て鎌を掛けて見たのだ。

 野盗の話を述べる度に、彼の口許は小さく歪んでいたのを俺は見逃さなかった。

 十中八九、彼はここに来る道中で野盗に襲われていたはずだ。

 だから本来ならあるはずの商材が少なくなってしまい期待できる売り上げが減少する。

 予定していた売上が出ないと儲けるどころかそもそも中央に戻ることすら困難になり、ここへの滞在で消費する経費が更に彼の財布を圧迫していくので、何とか利益を上げようとして値を吊り上げれば当然売れないし、かといって今のまま引き伸ばしても……彼は商人として既に詰んでいる可能性があると考えたのだ。 そして、それは遠からずと言った様子だ。

 彼の第一印象とは正反対の印象が会話の節々に滲み出ていたのは、そう言った焦りから上手く自分の気持ちを制御できなかったからだと思うのだ。

 だからこそ、彼が渇望していた再起する為の資金を得るチャンスを引き合いに出した俺の意図……彼の商人としての生命を繋ぐチャンスをちらつかせる俺の意図を把握しなければならない。

 最悪、これが彼にとって「悪魔との契約」になる可能性を考慮しているのだろう。

 生きたまま死にたい人間なんていない、搾取され続ける一生は誰だってまっぴらごめんだ。

 一応、彼はまだそのことに頭が回る程度には思考能力を残していると言う事だ。

 そして、彼は俺に「同情する気か」と尋ねたがそうじゃない。


「違う、俺は「適正な価格」での取引を望んでいるだけさ。 ぼったくられるつもりも、相手の足元を見るつもりも無い。 俺は客であんたは商人、お互いに真っ当で公正な取引がしたいって言う提案さ。 商人のあんたには今更こんなことを言う必要も無いと思うが、厳格で公明正大な取引こそが最も神聖な商売の本質だ……そうだろう? さぁ、商人のあんたはこの売買契約をどうしたい?」


 再三の俺の取引の要求。

 こちらの真意を懇切丁寧に俺が語ってやる必要なんてないのは当然であり、彼が今すべきはこの取引について互いに納得できるかどうかの決断なのだ。

 裏があるかどうかを調べても意味が無いぞとだけ言ってやる。

 捻くれた奴ならば逆の意味に取るかもしれないが、目の前の男がまだ商人だと自覚しているならば、俺は彼がこの取引を受け入れると確信している。

 今のはそう言う口説き文句だ。

 受け入れないと言った場合は……まぁ、商人でも無いような奴に対して容赦をする必要は無いんじゃないかな。 メイサに迷惑をかけるかもしれないが、ちょっと強引にやるしかあるまい。


「……金貨を、金貨を全て確認させてくれ。 信頼関係を重視するからこそ、お互いにフェアな立場にあるべきだ。 俺にはそれらの金貨が本物かどうか調べる義務と、資格がある」


 俺の期待通り、彼は額に珠の汗を浮かべながら苦渋の表情で声を絞り出す。

 まぁ、そんな悲壮な顔をしてほしくは無いのだが……彼にとってはここで相手の機嫌を損ねた場合に提案自体が無かったことになる可能性がある以上、あまり強いカードを切りたくない場面のはずであり、第三者の介入を求めると言うのは自らの致命傷にすらなり得る最強のカードだ。

 金貨を確かめさせろと言う彼の言葉に、メイサがピクリと反応した気がした。

 彼女は彼女で男の挙動不審な態度に対しての不信感や、この辺境領を守護する騎士に叙任されている己の持ち出した金貨が、贋作じゃないかと疑われていること全てが面白い筈がない。

 そんな静かな怒りを発しているように思う。

 彼女は表情こそ乏しいが、感情は豊かなのだと……思う。

 特に、涼やかな態度と違って内側は結構な熱さを秘めているのが彼女の性格のようだ。

 俺は手を広げてメイサの動きを先に制しておく。

 すると、背中越しに明らかに不満そうな雰囲気と、差すような視線が投げかけられる。

 ちらりと肩越しに表情を見ると、やはり変化には乏しいのだが眉がはっきりと憤っていた。

 ……そんなにカチンと来たの? プライドかなり高いのかな。


「メイサ、それは彼の言うとおりだ。 君が立派な辺境領騎士であることは、この場にいる誰もが……彼も疑っていないことは明白だ。 それでも、彼が商人である以上は成さねばならない義務と責任がある。 取引する商材の確認は必要だ、金貨10枚分ともなれば尚更な」


「……承知しました」


 渋々と言った様子で、彼女はすっと気配を収める。

 しかし、俺への視線による抗議は止めないようだ。

 穴が開く程じっと見つめられているようで、背中にじんわりとした寒気がするのですこぶる居心地が悪い。 俺、まさか彼女に背中を刺されたりしないよな?


「おい、誰か替商の赤鼻を呼んでくれ! 木材屋の笛吹が呼んでると!」


 俺が商人に頷くと、彼も意を介したのか覚悟の表情を決めて、俺たちのやり取りを見ていた野次馬に向かって叫んだ。 いつの間にこれ程の野次馬が集まっていたのかと思うが、白熱した舌戦は刺激に飢えている市場の人間には良い肴らしいな。

 こいつらから見物料でも絞ったらそれなりに儲かるんじゃないだろうか。


「笛吹、儂はここに居るぞ! すまないが、通してくれないか! ほらほら、どいたどいた!」


 野次馬の輪の外縁から声が上がり、笛吹と呼ばれた商人に名指しで呼ばれた赤鼻と言う替商が野次馬を割って現れる。

 あだ名の通り、赤い鼻をした小太りの男だ。

 仕立ての良い服と背負っている大きな道具箱が目を引く格好だ。

 赤鼻が近くに寄って来たことで、笛吹から彼について紹介を受ける。


「……兄さん、こいつはこの辺りの自由市を仕切ってる顔役で替商の赤鼻だ。 赤鼻、こいつが持ってる金貨10枚の真贋を確認して欲しい」


「笛吹、どうやらそこの騎士様が用意した金貨らしいじゃないか。 あの紋章付きの鎧は間違いなく辺境領の騎士様だと思うが……それでも確認するのか?」


「一応、客はそこの兄さんだ。 そいつが商人との公明正大な取引を、と持ち掛けてきた。 ならば信用の有無に拘わらず、通すべき通りはきっちり通さなきゃいけねぇだろ?」


「なるほど、そう言われたならば仕方がない。 その金貨を儂が預からせてもらっても良いか?」


「あぁ、構わない。 この場で鑑定できるか?」


「当然! 替商も商人の一人だ、赤鼻の名に誓って鑑定は厳格かつ公平にな場で行う。 特にこういう自由市では、良からぬ考えを持つ輩も少なくない……それもまた商売の一つではあるのだろうが、儂の取り仕切るシマでそれを商売として許すつもりはない」


 無駄な会話を挟まず、話を前へと進めていく。

 赤鼻は顔役と言うだけあって野次馬を追いやると、背中の道具箱から計量の秤とおもりを取り出し、一枚ずつ金貨の真贋を鑑定していく。 慣れた手つきや鋭い眼光は歴戦の戦士をも思わせるもので、彼もまたその道の達人なんだと直感させられるのに十分な迫力を伴っていた。

 最も、俺には金貨について不安は無い。

 既に俺のスキルで見て問題が無いことを確認しているからな……俺にとっては既に消化試合と言った感じだが、対岸で作業を真剣に見守る男にとっては一秒がとてつもなく長く感じていてもおかしくないだろう。

 小さく息を吐くと、赤鼻は全ての金貨を丁寧に纏めて俺に返してくれた。


「……ふむ、間違いない。 この男が提示した金貨は全て上質なものだ! 商人の神に誓って、赤鼻がこの金貨の真贋と、これから行われる取引が公明正大になるものと保障しよう!」


 大声で宣言したのは、この場のゴタゴタを彼の名の元に纏めたという宣誓だろうな。

 余計な茶々がこれ以上入らない様に、睨みを利かせて牽制してくれたのだろう。


「……すまんな、赤鼻。 手間をかけた」


 何故か真贋を確かめられた俺たちよりも、結果を見守っていただけの笛吹の方が滝の様な汗を浮かべていた。 顔にも安堵の表情が浮かんでいる。


「何を言う笛吹。 顔役として、そして商人として、至極真っ当な商売を行っただけに過ぎんよ。 今晩に上手い酒の一杯ぐらいは期待しても良いんだろう?」


「あぁ、一杯どころか一本まるごと奢ってやるさ」


「ははっ、それは楽しみだ!」


 快活に笑うと、挨拶もそこそこに赤鼻は人混みの流れの中へと消えていった。

 おそらく、彼のもつシマでの問題を解決するためにああして巡回しているのだろう。


「兄さん、本当に良いんだな? 今更、その金貨を引っ込めるなんて無いだろうな?」


 喉を大きく鳴らし、緊張した面持ちで彼は俺に確認をしてくる。

 心配性に思えるが、ここでやっぱりやめるなんて言われた日には絶望しか残らないからな。

 これが自分の都合のいい夢かもしれないと、最後まで疑いたくなる気持ちは分からなくはない。

 向こうが念を押すのだから、俺も条件を再度提示して確認してやろう。


「察しているだろうが、俺は正直者なんだ。 その棒っきれは誰が何と言おうと金貨1枚の価値だし、あんたの店の他の商材も「適正な価格」で俺は買っても良いと言ったんだ。 客が買う気でいるんだから、後は店に売る気があるのかどうかじゃないか?」


「分かった、俺だって商人の端くれだ! 兄さんの言う通り、この小枝は金貨1枚の価値しかねぇし、俺の店の……その棒っきれ以外の商品を「適性な価格」で金貨9枚分、しっかり買っていって貰おうじゃないか!」


 向こうも踏ん切りがついたと言うように威勢の良い声を張り上げるが、その顔は今にも泣きそうになっているのを堪えているのだろう、大人の男の顔としては酷い物だった。

 声も震えているが、それを敢えて突っ込んでやらないのも男同士の優しさって奴だろう。

 俺としては、≪指揮棒≫が手に入ればそれで万事解決なのだから。


「よし、ならば契約成立だな」


「ちっ、大した度胸だよ! 商人の土俵で真っ向勝負をして一歩も退かないなんてな……兄さんはどっかの大店で修行してたりするのかい?」


 元の気さくな口調に戻った彼は、頬に涙の痕を残しながらもにこやかに聞いてきた。

 見なかったことにするのも、男同士の友情って奴だろう、別に友人になった気は無いけれど。

 ひとまず、彼の問いに対して俺は素直に答えておくことにする。


「古い友人の教えだよ。 いつも口を酸っぱくして「商売は高すぎても安すぎてもダメだ、天秤は常に水平を保て」って、寝言でもそう呟いてたのさ」


 これも俺の師匠の一人の格言だ。

 とあるゲームで豪商として名を轟かせたプレイヤーの彼が掲げていた信念だ。

 豪商師匠に教わって一時期商人プレイを練習していたこともあるのだが……俺は商売の極意については遂に習得することが出来なかったんだけどな。

 さっきの交渉の仕方も、ちょっと荒いがその中で学んだ一つのテクニックだ。

 価格の操作を得意としていた師匠の思想を汲んでいるので、短期的には損に見えるかもしれないが、長期的には絶対に損はしない……と、思う。

 この辺りで、しっかりと確信が持てないのは俺が商人として最後まで大成できなかったからだ。

 俺がそうやって昔を懐かしんでいると、笛吹が上機嫌に破顔して彼の事情を語ってくれた。


「ははっ、そいつは真理だな! ……想像通り、俺は野盗に商材を奪われて切羽詰ってたのさ。 何とか損失を埋めようと焦るほど結果が遠退いてな……商人として崖っぷちだった。 野盗に襲われた上に、中央で自信を持って仕入れた商材も売り捌けない、本当は明日の飯を買う余裕すらなかった……人間としても崖っぷちだったのさ。 俺らしくねぇ真似までしちまった」


 まるで懺悔でもするように俺に告白してくれるが、それを聞いてどうしろと言うんだコイツは。

 まぁ、そういう境遇や巡りあわせに同情しないわけじゃないんだが……。


「でも、悪いことばかりじゃないだろ?」


「ぁん?」


「ここまで大事に運んできたお守りが、こうしてあんたに最後のチャンスをくれたじゃないか。 あんたの商人としての勘と目利きが正しかった……まだまだ、捨てるには惜しいってことだろ?」


 俺としては、彼がその無価値な≪指揮棒(棒っきれ)≫をここまで運んでくれたことが、この上ない程の幸運だと思っているのだ。

 それに対する感謝の気持ちとして、彼が少しばかり救われるのも悪く無いんじゃないかと思う。


「……へっ、そうかもな……そうだと良いなぁ……」


 鼻をこすりながら笑う彼は、まるで少年のようにも見える……三十路超えてるだろう老け顔だけど。


「さて、それじゃ金貨9枚分の品だが――」


 俺は借り受けていた資料のリストの状況を確認しながら、武器や素材などを次々に注文していく。

 ちゃんと「適正価格」……表のぼったくりな値札ではなく、輸送コストや彼の儲けなどを加味した上での適正な価格で買い付けていく。

 高位ランクの【鑑定眼】は本来の価格だけでなく、この近辺での相場も表記してくれるようだ。

 自由市は良くも悪くも「商人が儲ける為に」許可こそあるものの勝手に開いている市場だ。

 その価格は商人と正規の契約を結んで納品して貰う商材とは値段が違う。

 それでも、突発的な需要と言うのは戦場では常に消耗の度に生まれるものだし、最前線であるここでは次の戦闘まで悠長なことを言っている時間は無い。

 そういう意味でもこの巨大な物資集積場は、少し特別な価格を付けても黙認されているのだろう。

 まぁ、それもこういうマーケットの醍醐味かもしれないな。


 幾らかの素材は俺がこの場で貰い受け、当然≪指揮棒≫も金貨1枚で購入した。

 ≪指揮棒≫はそのままローブの下、上着の脇にあるホルダーに収めてしまう。

 ちなみに、性能の方はこんな感じだ。


▼不死鳥のタクト

 分類:指揮棒 品質:普 INT+32 MND+32 AGI+23

 特性:不死鳥の加護[弱]([癒しの加護]HP/MPの自動回復・微、[リザレクション]装備時一度だけ死亡無効化・発動15パーセント・効果発動時に武器消滅、[不懐属性]耐久値減少無効)

     元素魔法適正[火](火炎系魔法の威力補正・弱)


 ステータス面では決して優れてはいないが、特性によって耐久値が減らないのは補給の望めない現状において最大の恩恵だろう。 魔法適正はタクトの魔法威力マイナス補正からかんがえるとトントン、MP回復については現状がそもそも回復量が低いので効果がどの程度あるのか不明だよな……蘇生効果は確立なので気にしない事にする。

 とりあえず、これで武器に関しては不安が解消したな。

 MPの回復が見込めないこの世界では、魔法発動の媒体が無い場合のペナルティが大きく感じられるはずだ。 特に自分の場合は種族的にMPの絶対量が少ないので残量としても厳しいものがあるはず……消費を抑えることは回数の増加になり、切れるカードの最大数に直結する。

 最優先で解決しておきたい課題だったので、上々の滑り出しと言えるだろう。


 俺は笛吹に砦へ購入した物資の納品をするように言付けてその場を後にする。

 メイサが何か言いたげにこちらを見ているが、気付かないふりをしてもうしばらく自由市を見て回ろうと思う。 もしかしたらまだ掘り出し物があるかもしれないからな。

 今の俺の気分は完全にトレジャーハンターである。

 またの名をフリマを物色するおばさんおじさん。

長らく書きかけで放置してた部分をそのままに筆を入れたので、昔と今でちょっと雰囲気が違うかもしれません。

何でこんなに難産になったのか私にも分かりません。


作者の癖に設定とかうろ覚えになりつつあるので、そのうちまとめ回をやりますが、ひとまず今の話の下りを書き終えてからやる予定です。

……それが何か月後かは分かりませんが、プロット自体はあるので(埃被ってるけど)筆さえ走ればそう遠い話ではないと思います。

すっかり更新の遅いシリーズになってしまいましたが、宜しければ長くお付き合い頂ければ幸いです。 が、頑張るけん!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ