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Ep01.「Age of Darkness」#11

ひっそりと約半年ぶりになる更新。




「ジン・トニック殿は此方に居られますか!」


 丁度、最後の一口を放り込んだところで、食堂の喧騒を切り裂くような鋭い声が走った。

 聞き間違いでなければ、どうやら俺を探している様だ。

 何事かと思って声のした方、食堂の入り口へと振り向いてみる。

 日に焼けた肌に少し色素の薄いブロンドの髪、キッと吊り上がった目元は軍人特有の厳しそうな印象を放っていた――のだが、ビシッと着こなした甲冑が描く緩やかなラインがや、端々にあしらわれた装飾の雰囲気が、どうにも彼女に対する第一印象をマイルドな物にさせていた。

 視線が合うと、一つ目を瞬かせて俺の元へと小走りで駆け寄ってくる。

 詰め寄せた人で混雑している食堂を、苦労する風でも無くするりするりと縫うように進んできた彼女の動きは、まるで猫のようだと思わされる程に慣れを感じさせられるものだった。


「貴方がジン・トニック殿でお間違いないですね?」


 睨みつける様な彼女の視線に少し戸惑うが、俺は頷くことで意思を示した。

 言葉で返さなかったのは、まだ朝食が口の中に居座っているからだ。


「辺境伯から貴方をお呼びする様に仰せつかりました、騎士のメイサです。 よろしく」


「……はい、どうも」


 何とか色々飲み込んで、一つ息をついて返事をする。

 差し出された彼女の手を握り返すと、思っていたよりも強い力で握り返されて吃驚する。

 ぐっと込められた力で席から立ち上がらされると、そのままグイグイと引っ張られて食堂から引きずり出されていく。


「ちょ、ちょっとメイサ!?」


「お嬢様にも後ほど辺境伯から直接お話があると窺っています。

 今朝も直々にトニック殿を歓待して頂いていたことは有難く思っておりますが、何分、事は急を要するので細かな説明をここで申し上げられない点についてはご容赦を願います」


 突然の事態に驚くばかりだったアーリュシアが彼女に待ったを掛けるが、メイサはそれを意に介した様子も無く、徹頭徹尾淡々とした口調で対応している。

 ちらと振り返った彼女の横顔には表情の一つも浮かんでいるように見えない。

 その勢いと言うか展開の速さに、俺はただただ流されるままだ。


「では、行きましょう」


 再度、彼女が俺の手を強く握ってきたのは彼女なりの合図なのかもしれない。

 足早に進む彼女に遅れない様に俺も歩を強めた。

 冷たそうな態度や表情とは裏腹に、彼女の手は熱を帯びているかのようにとても暖かかく、じわりとした掌の湿り気も俺は特に不快だと感じなかった。


 迷路のような砦の中を迷いなく進む彼女に手を引かれ、気付けばあっという間に伯爵の執務室の前まで辿り着いていた。

 メイサは繋いでいた手を離し、お手本のような一糸乱れない所作で扉をノックする。


「失礼します! 騎士のメイサです、ジン・トニック殿をお連れしました!」


 彼女がピンと張った声で高らかに宣言すると、静かに内側から扉が開かれた。

 それを見た彼女は扉に手をかけて開け放ち、そのまま体を室内へと滑り込ませて俺に道を譲るようにして構えた。


「……どうぞ、辺境伯がお待ちです」


 立ち尽くす俺に彼女がそう言って促してきた。

 俺は頷くと、室内へと足を踏み入れる。

 朝に訪れた時とは打って変わって張り詰めた空気感が充満しており、それはまるで強い日差しの中でひりひりと肌を焼くような感覚に近かった。

 正面にはハルトナー辺境伯、そして俺を囲むようにして見覚えの無い兵士がずらりと並んでいた。

 閉ざされた扉にの前にはメイサが立ち、まるで俺を逃さないように身構えているようにも思える。

 彼女を含めて女性が三人、男性が辺境伯を含めて五人の合計八人に囲まれているわけだ。

 食堂で見た兵士とは彼ら纏っている雰囲気はまるで違う。

 おそらく、彼らの一人ひとりが武芸に秀でた優秀な士官なのだろうことは火を見るよりも明らかだ……そんな彼らに囲まれた俺は、出所の知れない謎の緊張感と相まって気が気では無い。

 内心の焦りと極力顔に出さない様に努めつつ、状況が分かっていない俺は相手の出方を窺う事に決めた。

 消極的な考えだが用があって呼びつけられたので、ここは相手から説明をしてくれるだろうと思たのだ。


「……初めまして、トニック殿。 自分はハルトナー辺境伯領一等騎士のラー・ハンセムと申します、以後お見知りおきを。

 そこの二人も自分と同じく一等騎士のベン・ザッカヴァーとエリシア・ペルル、彼女の隣が二等騎士のルミネ、そしてトニック殿の後ろに控えるメイサの四名が今後トニック殿と行動を共にします」


 清々しい表情と声音で商会を済ませ、握手を求めて来たのは短く刈り上げた茶髪に碧眼をした青年だ。

 二十代半ばくらいだろうか、百九十はありそうな高身長に甘い声とマスク、少し無骨ながらも流れる様な所作で差し出された手は、どこか洗練されたものを感じ取れた。

 ラーと名乗った彼に対する印象は、気の良い好青年と言った感じだろうか。

 しかし、握手に応じたらその第一印象は大きくひっくり返されることになる。

 骨にひびがいくんじゃないかと思う程の強烈な握手に、俺は飛び上がりながら叫びたくなる衝動を必死に隠し、それを誤魔化すためににこやかな笑みを浮かべて対応するしかなかった。

 何だよコイツ、いきなり敵意剥き出しじゃないか!

 いったい俺が何をしたって言うんだ……。


 彼に紹介されたベンは齢を重ねた男の渋さを全開にした、顔の彫りがやけに深い四十代前後のおっさんだ。

 同じく差し出された手を取ると、案の定、痺れるような強さで握り返された。

 と言っても、腹黒青年ラーのように陰湿なやり取りと言う感じではなく、単純に常に全力で応じているだけのような無骨さが感じられた。

 言うなれば、彼は剣を握るのと同じ容量で握手をしているというだけなのだろう。

 その力強さは味方だとすれば頼もしいが、敵に回せば厄介なことこの上ないだろうな。

 そして、敵か味方かも分からない今現在、しかも直前に敵意を持って握り締められた俺の手に更なる負荷を掛けられると言うのは、既に拷問に近い何かになっているとしか言えない。

 悪意は無い……多分、悪意は無いんだと思うんだが、この状況はどうしても腑に落ちない。

 笑顔を浮かべているはずだが、頬が変に引きつっていないか心配だ。


 理不尽さへの苛立ちとズキズキと疼く右手の痛みを内に抱えたまま、続く二人の女性とも握手をする。

 彼女たちは多分、常識的な範囲で握手してくれたのだろうが、俺の手は女性の力でも疼痛を感じてしまう程に痛めつけられていた。

 気付いたのは、彼女たちの手はすべすべとした女性らしい柔らかなものじゃなく、皮が厚く、硬くなった武芸者特有の鍛えられた手だったと言う事。

 エリシアはすらりとした長身に焦げ茶っぽい色味のある金髪、瞳は灰色をしていて全体的な雰囲気としては落ち着いた淑女といった感じだ。

 ただし、その中にもやはりピンと張った糸のような緊張感を持っているような、そんな感じの人だ。

 ルミネは女性の中でも小柄な方で、だいたい俺の胸の下くらいしかない。

 くりっとした明るいブラウンの瞳と髪は快活そうな彼女のイメージを後押ししている。

 ショートヘアや、あどけない顔、身軽そうな彼女が放つ雰囲気は、そのまま小動物的な可愛らしさを醸し出しているように思う。

 そんな彼女のこちらを見る目が、何故か輝いて見えるのは俺の錯覚だろうか。

 握手も心なしか強めに握られているような気がしたし――と言っても、まだ手の感覚が痺れていてまともな状態じゃなかったから定かではないのだが――それに何と言えばいいのか、こう握手した手の上下のふり幅も他の騎士よりも大袈裟だった気がするのだ。

 一目瞭然と言うほど露骨では無いが、明らかに他とは握手の質が違うと感じられた。


 最後に後ろの気配が動いたので振り返ると、メイサが扉から一歩だけ俺に歩み寄っていた。

 そして、無言無表情のまま手を差し出される。

 俺がその手を握り返すと、五人の中では一番柔らかなタッチで短く握手を交わし、すぐに手を離してまた一歩下がって扉に張り付いた。

 彼女の態度は初対面から徹底しているし、アーリュシア相手にもそれを崩さないことを知っているので特にこれといって思う事は無い。

 ……まぁ、俺は彼女の少し生真面目すぎる様な姿勢も嫌いじゃないかな。

 もう少し愛想が良ければ見た目相応に魅力的なんだと思うんだが、冷徹と言う言葉が人の形になったような彼女の個性も悪くないと思うのだ。

 表面上では取り繕っているが隙あらば敵意を差し込んでくる優男や、彼女と同じで不器用な性格なのだとしても匙加減を知らない猪男よりも、幾分か付き合い易いと言える。

 むしろ、彼女の場合は仕事相手としてならコミュニケーションに不都合があるわけでもないしな。

 テキパキしてて不要なやり取りが無いので、逆に端的に分かりやすくて与し易いかもしれない。


 そうして俺たちの顔合わせが終わったと見るや、おもむろに辺境伯が本題を切り出す。

 紹介されていない伯爵の隣の二人は彼付きの護衛か補佐で、俺とは関係無いから紹介されないとかそんな感じなのだろう。

 見た目からも筋骨隆々の屈強そうな兵士だし、一切言葉を喋っていないが放っている雰囲気が伊達じゃないのは一目で感じられる。

 おそらく、この室内で最も強い戦士二人だと思われる。

 髪型は角刈りと短髪だが、おそろいのちょび髭がトレードマークかもしれない。

 あれがこの世界での流行の髭なんだろうか。


「では、本題と行こう。

 今朝方、トニック殿に依頼した件について進捗があったので正式な形として呼ばせてもらった。

 そこのラー・ハンセム以下五名を貴殿の下に部下として配属する。

 これより三日後、ジン・トニック殿率いる特務小隊は我がハルトナー辺境伯領の次期後継者であるアーリュシア・メイア・ハルトナーを王都カルカンデラまで護衛する任務に就いてもらう。

 出発は日の出と同時刻、全日程はおよそ一ヶ月程度として定めた上で路銀、馬車、装備、食糧など道中で必要になるであろう物は全てこちらで準備させる予定だ。

 旅程については後ほど詳しく説明させるが……現時点で何か質問はあるか?」


「先ほど、私が率いる特務小隊と仰られましたが、私が統率を行うのですか?」


「対外的には最も爵位の高いアーリュシアが率いていることになるだろうが、実質的には彼女を守護するのが諸君らの役目となる。

 その中で誰を中心、誰を指揮官とするかという話だ」


「私には軍務経験も、土地勘もありませんが」


「その為に用意した部下だ。

 ラーは現在騎馬隊で中隊長を努める若き騎士、ベンは長年戦場の最前線で戦い続けた上で生き抜いてきた近接戦闘のエキスパートだ。

 エリシアは軍医としての経験も積んだ補給兵科の士官で、その他にも様々な実務経験を豊富に持つ優秀な人材だ。

 ルミネは元々流れの冒険者だったが、かなり腕が立つと噂されていたので我が軍でスカウトした。

 扱いとしては一兵卒あがりとなるのだが、斥候としての技術や、こと戦況を判断する鼻の良さは折り紙付きだと聞いている。

 冒険者時代に王国全土を広く歩いた経験があるらしく、今回の任務においても道中の案内役として活躍できるだろう。

 そして、貴殿の後ろにいるメイサも庶民の出だが若くして戦闘に長けた女性騎士だ。

 主にアーリュシア付きの護衛騎士としての任を与えているので、今回の任務でも彼女の下に付けることとした。

 見た目は少し無口で不愛想な奴だが、アーリュシアの護衛としては彼女以上の適任者はいないと断言できるだろう」


 辺境伯の紹介を受けながら、俺は情報を整理していた。

 今の俺はあの体験の影響からか、彼の思考が少なからず理解できる。

 この紹介の中でも、さり気ない一挙一動に含ませた暗号のような情報が隠されている……と言うか、用心をするように俺に注意を促しているのか。

 俺が一連のやり取りで感じたのは次の内容だ。


 まず、メイサは唯一無条件で信用できる人物だろうと言う事。

 伯爵の口ぶりからは彼女が女性であるアーリュシアの傍付き兼護衛として、女性である彼女を用いていると言うのが主な理由のように語っているが、それだけでは自信の表れと言うか、彼女を重用する動機としては薄い。

 彼にとってアーリュシアは最愛にして最後の子でもある。

 彼女こそが彼の全てと言ってもいいだろう。

 そんな彼が、アーリュシアの傍に常に控えさせる騎士として彼女に任を与えている事、それに加えて俺に対して紹介した際の力強い頷きが暗に「彼女を頼れ」と示唆していると思えた。

 それだけ彼女に信用を置ける理由……察するにアーリュシアの乳母の娘や、伯爵の信頼する部下の娘など、その辺りではないかと推察する。

 庶民の出だと紹介した点も含めて、ただの実力以上の理由を持っていると推察するのが妥当だろうし、逆に腕前の方も立たねば言い訳として成り立たない以上それ相応なのだろう。

 もしかしたら、彼女が寡黙な理由も余計なことを漏らさない為の演技という可能性すらあるな。


 ルミネは斥候らしい。

 冒険者上がりと言う事をわざわざ口にしたのは、やはり万が一の可能性……金に靡くかもしれない事を注意しろと言っているのかもしれない。

 逆に、扱いさえ間違えなければ信用できるとも取れるが……さっきの俺に対する態度を鑑みると、裏切ったりするような風には見えなかったな。

 おそらく、伯爵の見立てでも裏切りは無いと思っているのだろうが、用心にこしたことは無いということを言っているのかもしれない。

 また、今回の王都までの道中での道案内を担当する、いわゆるナビゲーターを務めるのが彼女と言うわけだから、その比重は旅を無事に終えると言う意味では重いものとなるだろう。

 ……可能性で言えば、彼女のことは気に掛けておくべきかもしれないな。


 エリシアは軍医の経験を積んでいると言っていたので、道中の衛生管理や傷病者の手当を担当することになるのだろうな。

 伯爵は彼女の説明の際には特にこれと言った素振りを見せていないので、おそらくは信用しても問題ない人材と評価しているのだろう。

 ただ、メイサと比べると絶対の信頼を寄せていると言う訳でも無いのだろう。

 適任者を探す中で彼女ならば問題が無いと判断できる材料はあったが、彼自身がそれ程深くしらない程度と言う事か。

 彼が辺境伯領内にどれだけの兵士や騎士を有するのか分からないが、膨大な数の人間のうちどれだけを彼が把握しているかと言うのは難しい話だろう。

 特に人となりを保証できるほど見知った人材となれば尚更だ。

 先にも結論付けたが、メイサはそう言った面から見ても特別な存在だと見て取れる。

 エリシアに対する俺の心象も悪くないので、特別意識することは無いかもしれない。


 ベンは戦闘のエキスパートだそうだ。

 年齢を重ねた外見とは裏腹に、全身から溢れだす気力や生命力が窺えるほどの偉丈夫だ。

 隣に立つラーと比べてもその体格差は凄まじく、一目見た時から達人クラスじゃないかと思える程の威圧感を感じていた。

 最も、その威圧感の殆どは彼の睨みつける様な強面が原因の大部分であり、残りが潜在的に感じている強さに起因するのだが。

 ともあれ、伯爵の心象的には彼もまた信用のおける人物なのだろう。

 魔物との戦闘が激化している中で前線を任せられる有用な人材を態々割いたことから、彼に対する信頼感と任務に対する警戒心を持っていることが窺える。


 ……警戒心、か。

 まるでこの旅路で「何かが起こる」ことを確信しているかのような――いや、きっと「それ」は起こるのだろう。

 メタ的に言えばゲームのイベントとして、クエストの妨害をする動きは必ずあるという風にも考えられるが……それ以上に、どうにも微かに漂っている空気と言うか、背中にべたついて纏わりつくような悪寒のような何かが、どうにもそれだけに止まらない事件の気配を予感させる。

 俺の知り得る情報は少なく、可能性を追い求めても真実は見えてこないだろう。

 疑心暗鬼になれば視野が狭くなる。

 今までもダンジョン攻略の際に罠の存在に注視するあまり敵の存在を忘れていたり、その逆として罠に足元を掬われたことだって幾度となくあった。

 重要なのは常に心構えをしつつ、起きた事態に対して如何に対処するのかと言う事だろう。

 実際、この旅路が果たしてどのようなものになるのかは不明だが、ただの観光旅行で終わるということは間違いなくないだろうと思っている。

 これは俺の勘であり、最も信頼しているものの一つでもある。


 情報化社会というデジタルが信奉されている現代に生まれた自分が、ゲームという完全に数値に支配された世界において、曖昧で不明瞭な第六感こそを第一に考えている。

 ふとした瞬間に思い返す度に、どこか自嘲気味に笑みが浮かぶ考え方だと思うのだ。


 頭の中で言葉を結び、今しがた聞いた情報を即座に整理する。

 今回のクエストの同行者は俺を除いて六人。

 護衛対象であるアーリュシア、護衛の騎士ラー、ベン、エリシア、ルミネ、メイサ。

 男性三名に女性四名。

 序列としてはアーリュシアを頭に据えるが、伯爵は俺に信を置いて事に当たる構えのようだ。

 そこにどんな意図があるのかは考えが及ばないが、おそらくは俺を餌にして何かを釣りあげるつもりなのではないかと言う予想は付く。

 当然だろう、俺は身元不明の怪しい流れの人間だ。

 そんな相手に伯爵の唯一の実子を任せると言うのは控え目に考えても常軌を逸している。

 傍目から見ればどうだろうか?

 おそらく、「ハルトナー辺境伯家は次期当主の護衛を満足に付けることも出来ない程に、魔の領域との戦闘で疲弊している」と見られるのが関の山だろう。

 事実として連日続く攻勢を前に激しい消耗を強いられているのは間違いない筈だ。

 この状態がいつから続いているのかは分からないが、それでも精強な軍を維持できているのはハルトナー辺境伯領のポテンシャルの高さからだろう。

 王国内でも随一の領土を持ち、領内で生産する食糧を王国全土に輸出しているほどだと聞いただけでも、その地力がどれ程に強大かは想像に難しくない。

 そんな莫大な影響力を有する伯爵家の事実上唯一となる後継者の護衛が、そんな少数であると言うのはどう考えても尋常ならば在り得ない話だろう。

 これ以上は俺の想像の埒外にあるが、その異常な状態を見た「誰か」が「何か」を仕掛けてくるのではないかと言うのが俺の抱いた不安の正体ではないかと思うのだ。

 勿論、それが絶対である保証は無い。

 ただこの旅路が安穏としたものではないだろう。

 もしかしたら、自分が想像した以上に迂遠で壮大な謀略があり、道中は何も起こらないのかもしれないが――だとしても、そう易々と気が抜ける物でも無いだろう。


 何より、俺が今差し当たって気になっているのは護衛として随伴する騎士の存在だ。

 特にラーは隠すことなく視線に敵意を滲ませている。

 無理もないと思うが、平然と受け流すには懸念が多すぎる。

 万が一という程でもないが、彼が裏切る可能性もあるかもしれない。

 護衛に敵の伏兵が紛れ込んでいたという可能性……それは他の四人にしても同じだが、ラーの含みのある視線は敵であれ味方であれ厄介ごとを招きそうだと感じている。

 女性陣は女性陣で厄介だ。

 自慢じゃないが女性に対するのは苦手だし、その機微を敏感に察することが出来る程に俺自身は色男じゃないということを正しく自覚している。

 ようは彼女たちの第一印象が正確かどうか判断に悩んでいると言う事だ。

 逆に男であるラーとベンは俺にとっては理解しやすい。

 ベンに対しては自分の第六感や、伯爵の態度も含めて信用を置けると既に結論付けた。


 未だ不気味ではあるが、思考がクリアなことが情報の整理に一役を買ってくれていた。

 俺は多くの疑問や懸念、不安など未解決な感情を正しく隔離し、己の定めた行動理念に基づいて今後のプランを構築できた。

 ――と言っても、今の自分には何ができるのか、何を確認しておくべきか、どこまで対処できるかという自問自答に近い確認のようなものだが。

 現状の自分は魔法使いであり、そして出来ることは非常に限られていると言える。

 咄嗟の事態に十全に対応するのはまず間違いなく不可能だ。

 だから半分くらいは諦めのような気持ちで腹の奥に覚悟を決めただけ。

 結局、最後は精神論に行きついてしまう辺り、俺はあの単純明快な親友のことをあまり馬鹿に出来ないんだな……なんて思いつつ、伯爵の補佐役から更に詳しく説明を受ける。


 首都までの道中で立ち寄る予定となっている宿場町やその特徴、風土や文化など、確認は広く多岐に渡り、気付けば視界の端のARに表示されている時計機能の時刻から、打ち合わせが五時間以上にも及んでいることに気付いた。

 俺と補佐役、そして偶に伯爵が声を発し、他の面々は延々聞き続けるだけの会議がだ。

 特に俺の後ろに立ち続けているメイサは身じろぎ一つせず俺の背後に控えていた。

 俺の集中が少し切れたことで、全く気配を感じさせること無く立ち続けていた事実にようやく気付いた位だ。

 完全武装とまではいかないまでも、武装したままの状態で同じ姿勢のまま五時間以上ひたすらに立ち続ける……並大抵の事では為し得ない所業だろう。

 それとなく、話の流れに合わせて全員の表情を窺うように周囲を見渡した時、メイサの様子を確認したのだが涼しげな表情のまま彼女は構えていた。

 流石に伯爵からの信用が厚く、アーリュシアの傍付きとして配されているだけあると言う事か……少しだけ彼女に興味が沸いてきた。

 もしもの話だが、俺が魔法使いではなく剣士としてこの場に居たならば、実力を測る為に試合の一つも申し込んでいたかもしれない。

 そんな俺の好奇の視線を察しているのか居ないのか、彼女はちらりと一瞥しただけですぐに視線を正面の虚空へと戻していた。

 頬の一つも動かさないその仕草が、目に焼きついて脳裏から離れなかった。

 何故だろうか、その物静かで凛とした雰囲気がやけに心を燻らせるような、微かなざわめきを感じさせて俺の心の水面に波紋を生んでいた。

 しかし、そんな俺の感傷もしばらくすればクリア過ぎる思考の白さに掻き消されるようにして、薄らいでいく感じがした。




 結局、あの後さらに二時間を費やして会議は終了した。

 本来ならただの顔合わせだけで済ませるつもりだったと後から聞かされて、酷く恐縮したからだろうかまだ顔が熱い気がする。

 極度の緊張感からそう錯覚しているだけで、実際には体温が上昇していたりも、汗をかいたりもしていない。

 何故なら、ここは仮想現実世界の中……ゲームの中なのだから。

 まだ確定ではないかもしれないが、そう考えた方が全てしっくりとくる。

 少なくとも現実世界ではないのは確かだ。

 漫画やアニメだと異世界召喚とか浪漫溢れる展開もあるのだろうが、既に仮想現実というリアルなファンタジー浪漫が実現しているこの現代において、古典的浪漫は創作の中だけのものと割り切ってしまえている。

 勿論、夢見がちな少年少女は未だその浪漫が、奇跡として起こることを期待しているかもしれないが、サブカルチャーに精通している現代の少年少女は数あるジャンルの一つ、ファンタジー作品の金字塔の一つとして異世界召喚を捉えている位だ。

 異世界召喚という最古の浪漫は、VR技術の登場によって空想という二次元の世界から、現実という三次元の世界に出現したのだから。

 仮想現実世界の中では、どんな幻想も、妄想も叶う事が出来る。

 それは人の欲望を余すことなく満たせる夢の様な……いや、夢そのものと言ってもいいだろう。

 空を飛びたい、英雄になりたい、億万長者になりたい、若返りたい、ハーレムを築きたい、異性になりたい――大小様々な、古今東西荒唐無稽な夢と願望、欲の全てをVR技術は叶えるに足るだけの器があった。


「それはまさに人類の希望――『奇跡』と言っても良い」


 そう言ったのは誰だったか……親しい人だったのは覚えているが、上手く顔が思い出せない。

 続けて何かを言っていたようにも思うのだが、白に塗りつぶされて思い出せない。


「なぁ『奇跡』を手にしてるってことは、俺たちは何なんだろうな?」


 幼い日の記憶……だった、だろうか……その言葉を聞いた時、俺は言葉で表せない程の衝撃と、恐怖にも似た不安を感じた……のだった、はずだ……本当に……いや、しかし……。




 気付けば全身に震えと湿りが、心臓が割れる程打ち付けているような錯覚が襲っていた。

 もう先ほどまで何を考えていたかは覚えていない。

 空っぽの脳裏に残っているのはどこまでも澄み渡った思考と、その真っ新な机の上にぽつんと残っていたメモ書きのような行動の指針だけだ。

 グッと強く手を握りしめる。

 現実ならば手が真っ白になり、下手をすれば爪が皮膚を裂いていたかもしれないくらい、強く強く、痛みを求める様に握りしめていた。

 仮想現実の中の肉体、アバターはこの程度では傷付かない。

 ゲーム世界の肉体であれば尚更、頑丈に出来ているのでこの程度では痛みすら感じない。

 それでも、求めれば疼くような痛みが感じられる気がしてグッと拳を固めていた。


 何が不安だったか、何が恐怖だったか、俺は何を思い、何を考え、何を知ったのか……何故、こんな思考が出てくるのか分からない。

 ただ――俺じゃない誰かが、俺に向けて忠告したような――風が吹いた気がした。


 ふわりと微かに鼻先を優しい香りが包む。

 そよ風の先に振り向けば、そこには可愛らしいとも美しいとも形容できる女性が佇み、こちらを窺うようにして視線を向けていた。


「ジン様……」


 宵闇の魔女という称号を持つ彼女。

 魅了の魔力を持ち、若き魔王にその身を狙われている可憐な乙女。

 昨夜、亜竜を討伐した際に彼女は俺に助けを求めて来た。

 理由は何だったか……どうにも記憶が曖昧になっているが、とても下らない嘘のような理由だったと思うが……まぁ、別にそれは些細なことだったはずだ。

 先ほど覗いた頭の中のメモ帳には簡潔な自分の文章で、彼女の提案をどう扱うか記されていた。

 不安に揺れる彼女の瞳は、異性を誑かす魔性の成し得る破滅への誘いなのかもしれない。

 正直に言えば、彼女は美人ではあるが好みとは少し違う気がするし、付き合いも長くないのでそれほど気に掛ける存在でも無い。

 まして、この世界は俺にとってただのゲームなのだから。

 いや、だからこそ――ゲームだからこそ、俺はこの世界(仮想現実)が好きだった気がする。

 どんな理由だったかは思い出せないが、目の前の彼女にかける言葉は決まっていた。


「ジュゼット、君を守ろう」


 その言葉は、俺がこの世界で初めての第一歩を踏み出したかのように、誰かに聞こえたわけではないだろうが、静かに、重く響いた気がした。

 視界にはクエスト受注の文字が浮かび、二つのクエストを受注していることを示していた。

 奇しくもその二つはどちらも女性を守るという内容で。

 いつの間にか握り締めていた手に、熱が籠っている気がした。

 この手の届く限り彼女を守り通そう。


――もう二度と、後悔をしない為にも。


 ふと脳裏に響いた自分の声がやけに遠く、遥か彼方の地平線から届いた気がした。

 思考は相変わらず白の地平線に染まっており、当然のようにそこには誰も居ない。

 自分の姿すらそこにはない……そんな気がするくらいに真っさらな白い世界だった。


 新雪に染まる意識の向こう側、視線の片隅で新たな文字が閃いて次への道を記す。



>クエスト『魔に魅入られた花嫁・宵闇の魔女』を開始しました。

>クエスト『魔に魅入られた花嫁・紫檀の姫騎士』を開始しました。



――??視点――


 彼の口から出たその言葉を耳にした瞬間。

 私の心は胸の奥が張り裂けそうになるほどの悲鳴をあげていた。

 この激しい感情がどういう理由で生まれたのか、どんな色をしているのか……私自身にすら分からないのだ。

 ただ、息ができなくなる程の苦しさの裏で、理解できないままに必死に衝動を抑え込んでいる感覚が存在していた。 理性か本能か、何かは分からないが私の情動を押し留めていた。

 そんな生まれて初めての経験に、私の理性はただ呆然と眺めていることしかできなかった。

今回の内容自体は1月中に仕上げていたにもかかわらず、色々あって更新が遅れてしまいました。

正直、しばらく離れていたので設定とか完全に忘れています(オイ

なるべく大きな間違いはしない様に努めますが、多少の変化は誤差として許容して頂けるとありがたいです。

表現したいニュアンスは変わって無い筈。

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