Ep01.「Age of Darkness」#10
少し遅くなりましたが本編更新。
ザクザクと話を進めたいと思いつつも、細々と書いてしまうのは自分の悪い癖かもしれません。
地味に「後書き」が今回で一番執筆速度早かったと思います。
本編は一人称視点なので、情報の取捨選択が難しいですね。
「それで、トニック様はどこに向かわれる予定だったんですか?」
「特にこれと言って行く当てがあったわけじゃないんだ。
伯爵に呼び出されて面会をしたまでは良いんだが、その後の予定も無くてね……案内してくれた人も別の任務に行ってしまったみたいで。
とりあえず、歩けばどこかに辿り着くだろうみたいにふらふらとしていたんだけど――よくよく考えると、意味も無く徘徊してる俺って相当な不審者なんじゃないだろうか?」
「あ、あはは……でも、無理もないですよね昨日の今日で複雑な砦の中は把握できないでしょうし、こちらの方は私も案内しませんでしたから。
うーん、そうですね、だったら食堂に向かいましょう。
まだ朝飯は御済みじゃありませんよね?」
「あぁ、まだだよ」
「私もまだなので丁度良いですね。 では行きましょうか、こちらですよ」
彼女の後に従って砦内を進む。
この砦、外観からは非常にシンプルな造りをしているのに、内部は意外と立体的と言うか、絶妙に方向感覚を狂わせると言うか……どうにも慣れないんだよな。
VRゲームのダンジョンを例にして言えば、こういう構造物は大体が敵と戦闘をすることを前提にするので部屋と部屋を繋ぐようなイメージで構成されている場合が多い。
そうでなければパーティ戦が前提となっているゲームバランスに影響を与えてしまうだけじゃなく、プレイヤー側のストレスを強めてしまったり、開発側としても敵AIや難易度の調整が極端に難しくなってしまう。 探索系のダンジョンならば通路の幅を取りつつも部屋が少なくなる傾向などはあるが、多くのVRMMOでは部屋を基準とした構造を採用する場合が多い。
このダンジョンのシステムをVRゲーマーは「部屋」と呼んでいる。
逆に、コアな一部のゲームや探索系特化のハクスラ――ハック&スラッシュと呼ばれる、財宝を求めて何度も潜るタイプのダンジョンや、そういうデザインを前面に押し出したゲームの愛称――を意識したダンジョンで稀に採用される方式が「迷路」と呼ばれている。
前者と違ってプレイヤーを惑わせる、不利にさせることを意識したダンジョンが作られるので、まず間違いなく不評を買うのが特徴だ。
難易度が温くてもコアなファンには怒られるし、リターンが少ないとこれまた怒られる。
まずもってライトユーザーには不評を買いやすく、熱心なユーザーには絶妙な難易度を要求されるので調整がシビアになる。
製作者側にもプレイヤー側にも優しくない、だから人気が無いと言うのが一般的な見解だ。
最も、俺はそうは思わない。
俺の師匠の一人に超絶変態なメイズマニア、ハクスラマニアが居たのだが、そんな師匠の言葉を借りると「理不尽な壁を無理矢理こじ開けてこそ、ファンタジー世界に挑んだ証しだ」そうだ。
実を言えば、結構この師匠のことが俺は好きだったりする。
師匠の愛したマイナーVRMMORPG『UltiMazE』。
最も古いRPGシリーズの面影を色濃く残すそれは、サービス開始前から「前時代的」な雰囲気や「シビア過ぎるゲームバランス」に対して否定的な意見が多かった。
サービス開始後は特に顕著で、当時のVRゲームとしては高すぎる難易度や各種コンディション値の存在によってまともにゲームをプレイするのすら危ういシビアな設定が物議を醸していた。
俺もプレイ前までは特に興味が無かったんだよな、別のVRゲームを遊んでいたというのもある。
最初の出会は偶然で、そのプレイしていた別ゲーから師匠にムリヤリ拉致られて始めることになったタイトルだったのだが、師匠の入念な……と言うか、執念? 異常なまでの熱量に押し切られる形でノウハウをみっちり叩き込まれた俺は、気付いた頃にはそのディープな世界観にどっぷりとハマっていた。
結論から言えば、ハクスラはスルメゲーだ。
最初は何度も心を折られる。
理不尽なゲームシステムに殺され、理不尽な罠に殺され、理不尽な戦闘で何度も殺される。
次第に慣れてシステムに馴染んできた――特に憤りを感じなくなってきたなと思った頃に、もう一度訪れる壁によって再び挫折し、心を折られる。
一端の冒険者を気取り、金や運を駆使して集めた当時の自分が用意できる最高の装備で意気揚々とダンジョンに挑み、とうに踏破したはずのエリアで詰んで殺されるのだ。
一瞬の油断が命取りになると理解していても、死ぬその瞬間まで何が起こったか理解できない。
まさか、今のプレイヤースキルの自分が、入念に準備したアイテムが、安心感を与えてくれた強力な装備が、たった一度のミスとも言えないトリガーによって水の泡と消える。
全てを失ったあとに残るのは途轍もない虚無感だ。
自分が信じられなくて、声すらも出ない程に弱り切った心で、ただひたすら凍えていた。
あの時の俺は一か月もの間、全てのVR環境から遠ざかる程の大きなショックを受けたのだ。
しかしある日、何の気もなしに俺は自然とVRマシンを起動して、再び『UltiMazE』の世界に潜り込んでいた。
このゲームの一番の特徴はキャラクターデータをロストすると言う事だ。
普通は育てたキャラクターを何度も使う、死んでも一時的なペナルティや罰金などだけで、復活ポイントで蘇生して何度も同じキャラクターで挑める。
しかし『UltiMazE』は一度死ねばそれで全てが終わりだ。
必死に鍛えたスキルも、装備も、金も、全てが失われる……ただ一つ、プレイヤーが今までに得た『経験』という名の数値の無いバラメータだけを残して。
俺は保存しておいたアバターの外見データから新規キャラクターを作成して、そのまま裸一貫でダンジョンに挑んでいた。
本来ならば多少は町で、そして下位の難易度のダンジョンで装備やスキルを多少は鍛えるなどして準備を整えるべきなのだが、その時の俺には失うものが何もなかったからだからか、はたまた自暴自棄な考えがあったのか……無謀に思えるその行為を実行するのに躊躇いは無かった。
手にしていた初期装備のダガーはこのゲームで最も弱い武器だ。
リーチが短く、重さが無いので攻撃力に対しての補正も低い。
しかし、小さい分取り回しが効くし、素材の剥ぎ取りを行うにはこの手の装備は必須になる。
どれだけ成長して装備が豪華になろうとも、このか弱き相棒を手放せないプレイヤーは多いのだ。
俺は無我夢中で戦闘と探索に没頭する。
師匠から叩き込まれた『スキル』が俺の背中を突き動かす。
キャラクターが覚えるスキルは様々で、システム的なアシストから、武器を使ったアクションスキル、多彩な効果を発揮する魔法まで、育て方次第になるが幅広く冒険をサポートしてくれる。
ただし、それらのスキルは常に万能ではないし、必須でも無い。
例えば「罠の探知」や「宝箱の開錠」、「モンスターの気配察知」といった攻略ウィキでは冒険者にとって『必須』とされるスキル群も、プレイヤーが自身で補うことが可能だ。
眼で視て、音を聞いて、肌で感じて……VRが与えてくれる全ての情報を、全力で読み解きながら刻一刻と変化し続ける状況の中で最良の判断を選び取る。
だが、その時は最善だと思った判断が次の瞬間には自らの首を絞めることがある。
一手、二手、三手……怒涛のように迫りくる情報の波を、先の流れを予測して最終的に望んだ結果に辿り着く為なら敢えて茨の道を進むことすら厭わない。
どうせ、失う時には全てが無くなるのだ――そう思う事で気が楽になった。
途中からは安全マージンの確保だとか、効率的なプレイだとか、町へ補給に戻ることすら意識していなかった。
ただひたすら潜り続けた俺は……やっぱり、無理な行軍に耐えきれず拾った装備が尽き、食糧やアイテムも使い果たしてしまったのだが、それでも潜り続けることを止めなかった。
結果的に言えば、俺は再びキャラクターをロストしてしまう。
しかし、その時の俺の胸にはこのゲームに挑んで以来、初めて感じたであろう清々しい気分が満ち満ちていた。
目敏く俺の復帰に気付いた師匠が連絡をくれたので、ゲーム内で落ち合う事になった。
サービス開始以来ずっとプレイしているベテランの師匠は装備もスキルも万全の見るからに屈強なアバターで待ち合わせの酒場に現れ、片や俺は布の服とちっぽけなダガーを腰に一本差しただけの貧相な初期メイクキャラだった。
それでも、俺を見た師匠は心底驚いたような顔をした後、本当に嬉しそうな声と表情で貧相な俺のアバターの背中を強く叩いてくれた。
「ようやく、お前も一端の迷宮探索者になったみたいだな! 歓迎するぜ、ジン!」
それから、再び俺と師匠は二人でダンジョンに挑むようになり、幾つもの冒険を繰り返しては喜怒哀楽を共にしてきた。
キャラクターのロストはあの日から一度も無く、遂には最難関ダンジョンの踏破にも成功した。
その時の達成感と充実感は、それまでに積み重ねて来た苦労や悲しみを大きく上回るもので、思わず師匠と俺は柄にもなく抱き合って飛び跳ねながら喜んでいたっけ。
今でもあの日々の経験は俺の中で生きている。
その師匠とはしばらく会っていなかったが、俺が次に『Armageddon Online』をやるつもりだと連絡したら、必ず会いに来てくれると約束してくれたのは正直とても嬉しかった。
今の俺のVR世界における基本プレイヤースキルを鍛え上げてくれた大事で尊敬できる師匠でもあり、同じ趣味と感動を共有できる気安い友人でもあるからだ。
残念ながら『Armageddon Online』のCβの公募枠には環境用件が満たせず応募できなかったようだが、遅くても正式版の頃には合流してくれると言っていた。
ダンジョンの中では大胆な言動が目立つ人だったが、意外と律儀で約束は必ず守ってくれる人なので、きっと会えるのはそう遠くない日のことだろうな。
ただし、今の状況が解決しない限りは俺の方が会いに行けないような気もするが――
「着きましたよ、ここが食堂です」
「ん、あぁ……凄い立派な食堂だな」
「そうでしょう? 護国の英雄たちの胃袋を一手に担う大食堂ですからね」
少し思い出に浸り過ぎていたかもしれない。
気が付けば食堂に辿り着いていた。
俺がぼんやりとしていたことは幸いにしてアーリュシアには気付かれていないようだ。
気が散っていたのを誤魔化す様に食堂に関する感想を述べて見たりもしたが、幸い彼女は気にした様子が無かったので変な気を遣わなくても良かったかもしれないな。
でも、凄いと思ったのは本当だ。
学校の体育館くらいはありそうな広いスペースを埋め尽くす様に、所狭しと大量の机や椅子が設置されているのだが、それでも足りないんじゃないかと思う程の大勢の兵士たちが鬼気迫る表情で朝食を平らげているのだ。
その圧倒的な熱気に気圧されてしまう。
「……座る場所、無さそうだよなぁ……」
その光景に思わず俺がそう呟いてしまった程だ。
隣で聞いていたアーリュシアはくすりと微笑んだあと、「大丈夫ですよ、まずは配膳の列に並びましょう」と俺を促して外周をぐるりと包む列の最後尾に向かう。
「お、姫様!」
「おはようございます、アーリュシア様!」
「お、おはようございます姫!」
「アーリュシア様、今日も可憐です!」
「お勤めご苦労様です、姫!」
たちまち周りの強面たちがこぞって彼女に声を掛ける。
「おはよう諸君! 朝食をしっかりとって本日も王国を守る盾として任務に励んで欲しい!」
それに彼女は笑顔で応えながら力強い口調で激励を飛ばす。
盛り上がる男たちの異様な雄叫びは、砦全体を揺るがすんじゃないかと思う程の質量を持っており、その膨大な熱量の渦に、正直なところ昨夜相対した亜竜種以上に俺は参っていた。
こういう方向性の熱は、俺には無いんだよなぁ……。
アイドルとかに入れ込むって気持ちが、俺には今一つ理解できないんだよね。
別にアイドルに熱を上げなければいけない訳じゃないけど、そういう話題で盛り上がってる人を見る時にその感覚を共有できないってのが、俺は少し勿体ないんじゃないかと思ったりするのだ。
まぁ、アーリュシアは凛とした全体の雰囲気の中に、アクセントのように愛嬌がある容姿をしているからな……これで戦闘には出ないただのお飾り姫様だったなら、ここまで人気でも無かったのかもしれない。
戦場に自ら剣を持って並び立ち、張りのある透き通る声で戦場に指示を響き渡らせる。
守るべき女性が自らの傍にいると言うのは、男に負けを許させない為の強力な楔だ。
この砦の指揮の高さの一つは彼女の存在が大きいのかもしれない。
まさかとは思うが、彼女自身がそれを自覚しているとすれば、伯爵からの頼みごとを引き受ける上で厄介になるかもしれないな……その辺は伯爵が上手く手を回してくれると信じておこう。
「――お、隣に居るのはもしや昨晩?」
げ、タゲが俺に飛んできたか!?
そう思った次の瞬間には無数の男たちの暑苦しい視線がどうっと押し寄せて来た。
視線だけでなく、言葉も豪雨のように降り注いでくる。
「おぉ、『空歩き』を一撃で屠ったというあの!」
「何!? 本当なのかよそれ!!」
「亜竜種を一撃って……一体どうやったらそんな芸当が出来るんだ!?」
「魔法使いなんだってよ、魔法だぜ! 魔法!」
「流石に担がれねぇよ! 魔法って精々ただのマッチ替わりみたいなもんだろ?
それこそ『竜殺し』なんて、お伽噺に夢見る少女じゃあるまいし信じられねぇっての!」
……あ、誰が言ったか知らんが今のワードに反応して、一瞬アーリュシアの動きが硬くなったな。
いやいや、いいと思うよ?
創作物の世界を楽しむってのは良い趣味だと思うし……それが現実にあるって考えるのは、流石に俺のリアルじゃ白い目で見られるが、この世界ならば紙一重で十分にあり得る話だろう。
とは言え、今までに集めて来た情報は魔法が廃れているらしいし、それこそ神話や創作物の中で細々と語り継がれる程度という認識でしかないのかもしれないな。
むしろ『竜殺し』ってワードはあるんだな、いいよねそう言う異名。
男の子はやっぱり幾つになってもそう言う単語好きだし、何気にそういう言葉が出てくるってことは、言った奴も結構そういう話が好きなのかもしれないと思うんだよな。
「俺は見たぜ! 魔法で竜のブレスを撥ね返し、仕返しに硬い鱗を弾き飛ばすだけじゃなく、内側からドカンと一発でバラバラにしてやったんだ!」
食堂に詰め掛けている兵士たちは、昨晩に亜竜種の撃退を担当しなかったものの方が多いようで、数少ない目撃者がまるで自分の事のように誇らしく語る様子を齧り付くように聞き入っていた。
彼らのおかげで俺に対して密集していた圧力がグッと減り、随分と気持ちが楽になった。
心の中で彼らの活躍に感謝しておくことにする。
なんだか一部では話が誇張されて、姫様を守る為に身を挺して庇っただとか、空を自在に飛べるだとか、水を葡萄酒に変えられるだとかあること無いこと散々に言われているが。
まぁ、別に実害があるわけじゃないだろうと放っておくことにしたのだが――
「けっ、昨日の今日でもう英雄気取りか、あぁ? 朝からてめぇの面を見たせいで胸糞が悪いぜ!」
数百人が居るだろう食堂を一瞬で静まり返らせる怒号のような一声。
凄い肺活量だと感心するべきか、はたまた食事中に迷惑な奴だと注意するべきか、胸糞悪いのはテメェのその態度だと意趣返しをしてやるべきなのか。
声のした方角を振り返ると、昨日の昼間に砦を案内されている時に練兵場で因縁を吹っ掛けて来たウルヴァンの男だ。
その目に浮かぶ色は有効とは程遠いもので、いっそ魔物だと言ってくれた方が納得できる。
一切隠そうとすらしない殺意や敵意がなみなみと溢れていた。
むしろ、出会い頭から今まで一貫して敵視してくれているので、こちらのスタンスを修正する必要も無いのは楽だと言える。 ただひたすらに面倒な奴だと思わなくもないが……まぁ、自慢じゃないがこの手の奴に絡まれるのは慣れてはいるので、大して気にはしていないんだけどな。
この場合、一緒に居るアーリュシアの方が気に掛かる。
彼女は昨日も俺とこいつの仲を何とか取り持とうと苦心していたし、同じ砦に努める同僚として彼の態度を何とか改めたいと言う思いがあるのかもしれない。
今もその表情を悲しそうに歪めて、どうすればこの場を丸く収められるのか思案しているのだろう。
心優しい彼女を悩ませている原因の一端が俺だと言う事実が、俺の心に重く圧し掛かってくる。
勝手に因縁を吹っ掛けてこられてはどうしようもないのだが、本当にどうしてくれようか――
「バウマン卿、ここは食堂です。 戦場に赴く兵士たちの数少ない憩いの場です。
卿が何に苛立ちを感じているのか至らぬ私には測りかねますが、どうかこの場だけは私の顔に免じて穏便に済ませて頂きたい」
彼女は穏やかな口調で、胸元に右手を少し腰を曲げる礼を取る。
その柔らかな雰囲気に緊張感の高まっていた場の空気が緩んだ。
彼女のカリスマは想像以上で、今の一瞬で場を支配していた色を塗り替えてしまった。
「……姫様がそこまで仰るのでしたら、異存はありませんな……」
流石のバウマンも牙を抜かれたように態度が軟化していた。
まぁ、それも当然か。
主家の一人娘であり、行く行くは辺境伯を継ぐと言われている彼女に楯突く人間はここには居ないだろうし、まして彼女のこの性格や態度を前にして意地を張れる人間は少ないだろう。
よっぽと性根が捻じ曲がっているか、はたまた彼女を敵視でもしていないと反発することすら難しそうだ。
バウマン卿が大人しく引いた事で、彼女もほっとした表情を浮かべる。
おそらく、昨日のように強引な方法で決闘紛いの行為に及ばないかと心配してくれたのだろう。
全く、女性に守られてしまっているのを自覚しつつ、何もできない状況ってのはそれだけでストレスが溜まるよな……これがゲームで彼女がNPCだとしても、だ。
この借りは伯爵との約束を果たす時に存分に返すとしよう。
勿論、道中で何もないことが一番良いのだろうけどさ――今にして思えば、伯爵は一体何から彼女を守れと言ったのだろうか?
ふとした閃きを得たことで俺が思案の海に潜ろうとしたその時、耳元で熱い息を漏らしながら低く喉を唸らせつつ、無防備を晒した俺に対して憎々しげにバウマン卿が告げた。
「……屈辱の借りは必ず晴らすからな、その喉笛を噛み千切ってやる……!」
「……」
それに対して俺が無言を貫くと、舌打ちを鳴らしながらバウマン卿は列を離れていった。
まさか俺に突っかかる為に食堂に態々来たのか!? と思ったが、どうやら昨日練兵場で見たガラの悪い兵士たちが彼の為に席と食事を確保していたようだ。
何故か俺は彼が食堂で飯を食べているという、当然そうであるべき事実を目の当たりにしているだけなのに、心の底から安堵していた。
――男の嫉妬とか、しかも強面のヤンデレとか……マジで勘弁ですよ。
一時は静まり返っていた食堂も、時間が経つにつれて元の騒々しさが戻ってきた。
近づいてきた配膳の為のカウンター越しに厨房から食欲を誘う香りが漂ってくる。
働く男たちの飯を作るからだろうか、スパイスの強い香りがお腹をガシガシ揺さぶってくる。
「良い匂いですね」
「はい、食事の内容も我が砦の自慢の一つですから!
父の……辺境伯の訓示の一つが『腹が減っては戦が出来ぬ』であり、もう一つ我が伯爵家に伝わる指針が『健全な精神は健全な肉体から、それは十全な食事によって育む』とありますからね。
長年に渡りハルトナー伯爵領が魔の領域を解放してきたのも、過去に王国を襲った極度の飢饉に対する教訓と備えからです。
今では王国全土に我が領で収穫した食糧、香辛料が輸出されていると言っても決して過言じゃありませんからね……言わば、カルカミック王国の食卓を支える畑としての側面も我が辺境領は担っているのです!
だから、この砦を死守し続けなければならないと言うのは比喩でも何でもなく、王国の民全てを守る盾としての誇りが全ての兵士の胸にあるのです。
そして、伯爵領を支えるのは爵位を持つ貴族だけではありません。
全ての平民が各々の手にした職に励み、奮起し、未来を豊かにするために努力した結果が、今のこの我々を育んでくれたのです!
その感謝の気持ちを貴族、平民の区別なく持っていること、そして、気高き誇りを胸に万民が一丸となって試練に挑む姿勢こそが、我がハルトナー伯爵領の始まりとしてこのエンブレムに刻まれています。
エンブレムの下地となる青のラウンドシールドはハルトナーの血筋を、その中を彩る四色の扇は緑が農民、黄色が商人、赤が騎士、白が職人を表しているのです!」
思った以上にヒートアップした彼女は、意気揚々と俺にそんなことを語ってくれた。
……もしかすると先ほどの一幕で面には出さないまでも、それ相応の鬱憤が溜まっていたのかもしれないな。
根が真面目だから、そういうネガティブな感情を人前に出さない様にしているのかもしれない。
昨日の練兵場での一件でも、俺がバウマン卿相手に一本を捥ぎ取ったら第一印象とはがらりと変わって跳ねる様な勢いと満面の笑みで喜んでくれたし……そう言えば、あの時に剣の稽古の約束とかも取り付けられてたような――
「あ、そう言えば! 昨日約束した稽古の件ですが、食後の朝練としてお願いできませんか?
普段は練兵場で他の士官や兵士たちと行っているのですが、昨晩の襲撃の後始末などで本日は使用を禁じることになっていますので、メニューを変更するには丁度良いと思うのですが……っと、全てこちらの都合なので無理にとは……言いません……けど?」
一通り気持ちを乗せて言葉を吐き出したら落ち着いてきたのか、時間が経つにつれて興奮していた自分を自覚して恥ずかしさを感じたのか、最後の方は尻すぼみになってしまい、俺の顔色をちらちらと窺いながら訪ねてくる始末。
何だろうか、別になんてこともないのだが何故か罪悪感がある。
そもそも俺は、彼女の中でお願いごとを聞き届けてくれないケチな人間としてでも捉えられてしまっているのだろうか……そうだとしたら、ちょっと傷付くよなぁ。
「別に構いませんよ、食後の運動としては丁度良いかもしれませんし。
ただ昨日も言ったと思いますが、本当に私には剣の腕前なんてありませんからね?
多分、幻滅させてしまうだけだと思いますけど」
「……またまたご謙遜を! 昨日見せて頂いたトニック様の鮮やかで無駄のないカウンターは、それはもう一枚の絵画のように素敵でしたよ!
何より、あの実戦剣技においては随一と謳われるバウマン卿が、素人を相手にまぐれでも一本取られるなんてことの方があり得ませんからね」
口調や性格、態度はともかくとして、バウマン卿は一定の評価や信頼を得ているようだ。
彼女が彼の剣技について口にした時の表情は真剣そのもので、俺の目を真っ直ぐに見据えて言い切ったことにどこか気恥ずかしさを感じてしまう。
つまり、彼女の言葉が意味するところは、俺の剣技の腕前も信用してるってことだからな。
あれが一種のイベントだった場合、評価基準の設定が甘すぎると思うんだよ、うん。
身体スペックが全種族で他の追随を許さない程にぶっちぎりの最低値をマークしてるマギエルという種族で、それなりに高評価を得られるような試験内容ってのは明らかに設計ミスだ。
メニューの機能が生きてさえいれば、評価基準や試験内容の再調整を運営に意見として投げているレベルである。 などと照れ隠しをしてみる。
綺麗な子に好意的に見られて嬉しくない男が居るはずがないのだ。
俺は心底自分の種族がウルヴァンなどの獣人系じゃなくて良かったと思う。
きっと、外面はクールを装っていてもすぐに尻尾が振れてしまって、余計に恥ずかしい思いを掻くだけになっていただろうからな……。
と言うか、今もちゃんと取り繕えているのか怪しいラインだ。
手鏡を覗いてみたら実は顔面真っ赤になってたとかだったら、恥ずかしさだけで『獄炎爆破』を超える大爆発を起こしているのは間違いないだろう。
亜竜すら木端微塵になる恥ずかしさだ。
普段、ストレートに好意を伝えられたり、褒められたりしないからな……今になって気付く、意外な俺の弱点かもしれない。
なんだか、だんだん俺自身がチョロインなんじゃないかと思い始めて来たぞ。
VRMMOをプレイしていたと思ったら、実はVR恋愛シミュレーションゲームだったと言うオチか……この先生きのこれる気がしないな、そんな世界設定。
しかも、主人公がヒロインを落とすんじゃなく、ヒロインが主人公を落とす逆パターンだってのだから斬新と言うか、余計に俺の場合は性質が悪いと言うか、相性問題と言うか……。
――うん、少し落ち着こうな、俺。
「とりあえず、朝食をしっかり食べようか」
「はい、そうですね……あ、好き嫌いとかありますか?」
「特に」
「それは良いことですね、好き嫌いは健康の敵ですから! ……量はどれくらいにしますか?」
「わりと減ってるから、少し多めに貰えると嬉しいかな」
「分かりました……すみませーん! 朝定二つ盛り多めで!」
淡々と答えることで気持ちを落ち着かせていた俺は、他の兵士に交じって食堂通いに慣れたアーリュシアの注文の様子を眺めていた。
意外と馴染のある光景に思えて、何故か少し懐かしい気分になったのは秘密だ。
ちなみに、メニューは豆を煮たスープと厚切りのベーコン、野菜を挟んだパンが一つ。
思っていた以上に種類があり、ボリュームもそこそこでバランスも悪くない。
味の方は……まぁ、現代人の俺でも難なく食べられる程度かな。
スープには少し薄いが香辛料が入っていたし、パンもフランスパンのように硬いのだがスープに浸したりすれば柔らかくなるし、ベーコンの塩気と油がいい感じに舌をフォローしてくれたので、思いのほか美味しく食べられた印象だ。
もっとも、一番大きな理由は目の前で同じメニューを美味しそうに食べるアーリュシアの存在かもしれない。
一緒に食卓を囲んで、一緒に食事を楽しむと言うのはやはり落ち着くよな。
ただ、食堂中から寄り集まった無言の圧力が凄まじく、中には俺を射殺さんと力んでいるような視線を感じながらだったので、本来はもっと美味しかったのかもしれない。
第二のバウマン卿がこの中から出ない事を切に願いながら、俺は何とか朝食を堪能したのだった。
※VRゲーム名鑑※
ハクスラ系ダンジョンVRMMORPG
『UltiMazE』
開発:Sir-ACD社
世代:第二世代VRゲーム
サービス状況:正式サービス終了。
有志によるクローンサーバー運営(公認)
一部に熱狂的なファンを擁するVRゲーム黎明期の知られざる怪作。
『Hack and Slash』は古くはRPGを指していた最も古いゲームジャンルの一つで、TRPGなどにおいてモンスターを倒して経験値や財宝を入手してキャラクターを強化、さらに強力なモンスターに挑むというプレイスタイル、ゲーム性のシステムのこと。
ハクスラの語源である「切り刻む(Hack)」と「叩き斬る(Slash)」という言葉からも戦闘に主眼が置かれていることが伺えるだろう。
その系譜を引き継ぎつつ、コンピューターゲームとしての色も反映した『UltiMazE』はダンジョン探索の要素もふんだんに取り込み、探索と戦闘に重点を置かれた骨太な難易度が賛否両論だが大きな話題を呼んだ。
ゲームシステムで最も特徴的なのは『死んだらデータロスト』である。
VRMMOの死亡ペナルティにおいて掛け値なしの最上、あるいは最低のペナルティであり、その存在がプレイヤーに与えるプレッシャーやストレスは言葉にする必要はないだろう。
一応、手順を踏めば多少は引き継ぐこともできるが微々たるものであり、ゲームの難易度を左右したり、死亡時の保険になるとは口が裂けても言えない程度。
その簡単に死ぬゲームシステムの性質上、キャラクターの強さは装備至上主義となり『装備の強さ≒キャラクターの強さ』となっているのも、ハクスラの強みである『強い装備を得る快感』とも親和性は高く、その点は概ね高く評価されている。
(逆に言えばよりロストの際のペナルティが重いとも言えるのだが)
また、ゲーム内で入手できるスキルの多くがシステム的なアシストに過ぎず、プレイヤーが再現可能ならばそれらのスキルを一切取得しなくてもスキルと同等の結果を得られるという、昨今ではVRゲームの最大の特徴と呼ばれる部分を強くプッシュしているのも当時としては画期的だった。
ロストすると鍛え上げたスキルも全て失われるが、自らが磨き上げた経験や感覚、直感と言ったものが己の生死を分けると言うのは『VRゲームで味わえる最高の醍醐味の一つ』としてコアなVRゲーマーの中では強く支持されている。
しかし、生死のやり取りの多さや、その呆気なさをあまりにも色濃く反映してしまった結果、VRMMORPGの怪作『UltiMazE』はライトユーザーお断りの隔絶した難易度となってしまった。
今では開発・運営をしていたSir-ACD社によるサービスを終了しているものの、一部のマニアックな有志が共同でクローンサーバーを運営しているのみとなる。
もっとも、彼らの情熱は凄まじいものがあり、現在でも定期的に最新VRマシンに適したグラフィックスへのアップデートなどを行っている。
現在のVRマシン要求スペックはR-37としているが、実際にはコンフィグでリリース当時のグラフィックスに出来る『オリジンクオリティパック』を選択すれば、当時と同じ要求スペックR-33s前後のマシンで動作する。
(R-33s前後と曖昧な表記をしている理由は、あの当時のR-31~34までのチップは有象無象のマイナーチェンジが多すぎて、ナンバリングが性能と必ずしも一致しない場合がある為)
知る人ぞ知るゲームというタイトルだが、その本質的な面白さは本物だ。
なので『ハクスラ好き』、『マゾ』、『ドM』、『今の生活に満足できない』、『死にたがり』な人にはオススメのVRゲームと言える。 また、現在第一線で活躍しているプロのVRゲーマーの少なくない人数が、かつてこのゲームをプレイしていた元プレイヤーだったりもする。
しかも、そんな百戦錬磨のVRゲーマーの猛者たちをして賛否両論、様々なコメントを残しているだけあって語る魅力に尽きない作品かもしれない。
……個人的な意見を述べさせて貰えば、筆者的には他人にオススメしないゲーム。
ストレスを発散する為や、交友を広げる為ではなく、純粋に延々と壁をひたすら殴り続ける類のゲームなので、目的を絞って挑み続けるメンタルが無いと早々に気持ちが屈折する。
そうなると普通のゲームですら満足に楽しめなくなる、らしいので絶対にオススメしない。 一生の親友とまで呼んだ友人を亡くしたゲームと言うのは、後にも先にもこれ一本だからだ。
もしかしたら、あのゲームが今も尚存在している理由の一つに、親友と同じような目にあった多くの屍があのダンジョンの地下奥深くにうず高く積もっており、その陰惨ながらも芳醇で強烈な『ナニか』が、背徳的な魅力となって人の心を惹きつけて止まないのかもしれない。