Ep01.「Age of Darkness」#5
謎のメイドの襲撃から三十分ほど後に、会食は俺とハルトナー辺境伯の二人だけでスタートした。
部屋は俺の想像していたような十数人が掛けられる長い机ではなく、意外とこじんまりとしたもので、それこそ、現代日本人の俺でも馴染のある程度の机のサイズだ。
ただ、距離の近い場所にあのハルトナー辺境伯が居ると言うのは、精神衛生上あまりよろしくないのも事実だ。
二人っきりという状況が余計に精神を圧迫してくる。
「本日はお招き頂き……」
「慣れぬ挨拶など不要だ。 構わん、そこに掛けたまえ」
有無を言わさぬ口調で席を指定され、それからどれだけ時間が経ったのだろうか。
実際には三分と経っていないかもしれないが、この人と沈黙したまま共にいると言う状況では、まともな時間経過の感覚が掴めないと言うか。
話すにしても何を話せばいいのか、そもそも何で俺はこんなことになっているのか。
緊張と不安が、今になって大挙して押し寄せてきた感覚だ。
「すまんな、女性の支度には時間が掛かるものなのだ」
ぽつりと、巌のように黙っていた辺境伯が言葉を呟く。
「いえ、俺は気にしてませんから」
一瞬、何と言われたのか分からなかったが、頭の中で聞き取った音を意味に変換し、対応する言葉を機械的に返すことに成功した。
「そうか、アーリュシアはどうだった」
「どう……そうですね、聡明でお美しく、気配りも出来る方で、今日も不慣れな俺のために丁寧に案内をして頂けたと思います」
「ほう、そうか。 気に入って頂けたようなら幸いだ」
率直な俺の感想に、彼は少し柔らかい口調で応える。
やはり、親として彼女のことを気に掛けているのだろう。
「さて、単刀直入に話そう」
一転、空気がガラリと入れ替わる。
肌をチリチリと焼くような緊張感が、俺の意識に警戒を促す。
「貴殿は何者だ?」
「……自分でも、分かっていません」
「それは本心からそう言っているのか」
「俺自身、今の自分の状況が、俺を取り巻く環境が何なのか分かっていないんです。
……あの日、目覚めた俺はあの場所で魔物の群れの前に倒れていました。
擦れた記憶の中から思い出せたのは、意識を失う前にも俺は戦っていたということだけで、無我夢中で目の前の敵を排除したんです。
その後、俺は……気が付けばここに居ました」
「我が軍の矢で全身を射ぬかれて、か?」
「……!」
「我が軍より南部平原の魔物の群れの迎撃に当たっていたのは、歩兵千、弓兵七百、騎兵二百五十の二個連隊による決死の防衛陣だ。
濁流のように押し寄せる魔物の波を、鍛え上げた弓兵の矢の雨で遠間から狩れるだけ狩り尽くし、防御陣地と歩兵によって接近した敵を足止めし、側面から精鋭騎兵の突撃で一網打尽にする。
この作戦は、代々ハルトナー伯爵領で受け継がれて来た必勝の陣形である。
我が軍の高い練度と指揮をもってすれば、こちらに倍する数の魔物相手ですら勝利が揺らぐことは無い」
彼は懐から取り出した革袋から幾つかの駒や板を取り出し、まだ何も載せられていないテーブルの上であの時の戦いをレクチャーしていた。
「今度の戦いにも、我々は全力でもって当たったつもりであった……しかし、予想される会敵の三日前、血相を変えた斥候が這う這うの体で帰り着いた。
その男は熟練の老兵でな、どのような状況でも決して狼狽えるような男ではない。
そんな彼をして、今にも死にそうな程やつれていた。
彼は罅割れた唇で、掠れる声で言ったのだ。
敵の数は十万以上、地平線を埋め尽くす程だった、と。
……彼が報告した内容は、俄かには信じ難いがものであったが、彼の様子を裏付けるに十分な内容であった」
机上に置かれた板の数を増やしていく。
十枚目が置かれた板は、たった三つしかない駒を推し包むように扇状に広がっていた。
「十万の敵に対し、二千の兵で勝利をする。
流石に我が屈強なる軍をもってしても数の不利が大きすぎた。
特に、戦場は遮蔽物の少ない平原であり、物量に勝る敵にとって圧倒的に有利な場所だと言える……即時展開可能な部隊を招集しても少数では焼け石に水であり、かと言って大部隊を編制しようものならば動きが遅く到底、会戦までに間に合わないだろう」
俺は、ただ静かに彼の言葉を聞き続けるしかできなかった。
他人事のはずなのに、俺の喉はその想像を絶する状況に渇き始めていた。
「しかし、辺境領であるハルトナー伯爵領、その防備を二百年以上に渡って担ってきた歴史と誇り、そして何より実績のある我が軍は、決してどんな状況でも最後の一兵まで戦う覚悟があった。
彼らの誇りは領民の安寧を守ること、ひいては我が伯爵領の後ろに控える千年王国の守護を司る要石足ることである。
辺境伯として私は彼らを見捨てる決断をせねばならなかった。
その判断についての是非は無い、それが我が一族の宿命であり、我が家に伝わる貴族としての責務だからだ。
……ただ」
彼の声は、震えていた。
「ただ、娘が……アーリュシアが南部平原方面の指揮官として、あの場に居たのだ。
私は我が家の宿命を、宿業を、激しく呪った!
既に多くの息子の血を飲み干したこの貪欲な大地は、最後に残された、たった一人の娘の命すらも欲するのかと!」
拳が机を叩き付ける音が、激しく部屋に響き渡る。
彼の抱えていた怒りが、悲しみが、憎しみが伝わってくるようで、俺も胸が苦しくなる。
ズキズキと頭の奥に滲むような痛みが広がる。
次の瞬間、俺は時間が引き伸ばされるような感覚と共に、歪む景色を置き去りにして光の渦の中へ引き摺りこまれていた。
◇
第十七代ハルトナー辺境伯、グランツ・ヴェッケン・ハルトナー。
彼は先代の戦死により跡を継いだ、若き指導者だった。
しかし、その若き血潮の中には、歴代のハルトナー家の歴史が色濃く引き継がれていた。
すぐさま兄弟たちと共に、ハルトナー伯爵領における貴族としての責務を果たす為の、苛烈な日々を送り始めた。
王国の二十分の一とはタペストリーの作りによって誤魔化された嘘だ。
本当は、王国の十六分の一にも及ぶ、莫大な領土を得ており、その規模は小国にも匹敵するだけの経済力、政治力を有する辺境の雄である。
故に、中央や内陸寄りの貴族には妬まれているのだが、王国を支配する王家からすれば、ハルトナー家の実直な家訓と忠誠を良く知るので、その不満を押し込めてでも彼らに広大な辺境領を任せていたのだ。
それと言うのも、勇猛果敢なハルトナー家でなければ、かの地に押し寄せる魔物の脅威から、民と土地の守護が務まらなかったからである。
初代ハルトナー伯爵が立ち上がったのも、時の領主が魔物の暴威を受け止めきれず、徐々に王国領域が削られていたことを憂いたことが切っ掛けであった。
それから二百年以上を掛けて築き上げた広大な領土は、永き時を掛けて豊穣な大地となり、王国全土にその恩恵を与える程になったのだ。
その事に誇りを持っているハルトナー家の貴族は、まさにその繁栄の礎足らんとして、己の身を省みることなく責務に邁進するのであった。
特に十六代ハルトナー辺境伯は豪傑としてしられた英雄で、魔王をすらも退けた彼の功績は王国全土を上げて称えられたほどの栄誉であった。
そんな父を持つ十七代ハルトナー辺境伯であるグランツとその兄弟たちは、より一層強く、魔の領域との戦いに明け暮れるのであった。
ここ数十年、魔王の出現を始めとして世界は闇の色が濃くなっている。
魔物の数も強さも年々肥大していて、他の辺境では領土を大きく後退させているところも少なくは無かった。
しかし、それを表立っては口に出せず、失った領土の分の増税を民に強いている辺境もあるのだと言うのは公然の秘密だった。
実直なハルトナー家を奮起させたのも、そういった要因が無かったわけではないのだろう。
だが、皮肉にも彼らの高い志は、徐々に闇に飲まれていく事になる。
一人、また一人と兄弟を失い、グランツは遂に孤独になる。
そのことが彼をより激しく戦場に駆り立て、先代の拡張した領土を凌ぐ新規領地の解放に成功したのであった。
既にその時点で、無理を重ねた彼の体はボロボロであったが、拡大した領土と合わせて辺境伯領全域の内政に精を出していた彼は、遂に病に倒れることとなる。
それでも病に侵された体を引き摺るようにして、職務に打ち込もうとする姿は、まるで悪魔に取り付かれたかのようだと言われる程、鬼気迫るものだった。
グランツが倒れれば直系が絶える、それも遠くない未来に。
その事を最も危惧したのは王家だ。
彼らの愚直なまでの強い忠誠を一身に受け、今の王国の現状を知る物として、ハルトナー辺境領に支えられた王国を憂いていた。
文字通り、王国の支柱の一本となっていたハルトナー伯爵家が折れるかどうかの瀬戸際だったのだ。
そこで、王家は一人の姫をグランツの見舞いとして遣わせた。
容姿端麗、品行方正、勉学にも秀でた才媛として、女性の身で優秀過ぎるあまりに貴族に嫁がせることが難しかった彼女に、ハルトナー家と王国の命運を賭けたのだ。
王女とは思えぬほどの献身的な介護もあって、グランツはすぐに体調を取り戻し、その後も続いた二人の関係が結婚へと至るまで、そう時間はかからなかった。
豊かな時間を過ごしたグランツは子宝にも恵まれた。
一個の貴族であった彼は、一人の人間としての生を得たのだ。
八人の優秀な息子と、一人の娘に恵まれた彼は、まさに人生の絶頂に居ただろう。
しかし、彼の得た幸福とは裏腹に、世界はより闇の色を深いものにしていた。
魔物による領土の侵食は止まるところを知らず、遂には滅びる辺境領も現れ始めていた。
じわじわと這い寄る魔の領域の舌に、王国のみならず、世界の全てが飲み込まれようとしていた。
グランツは奮起する。
彼は内政を整える傍ら、優秀な人材を集め、育成し、かつてない程に強固な軍隊を作り上げる。
それと同様に、己の息子たちを厳しく鍛え上げ、ハルトナー家の歴代当主と比べても遜色がない程に立派な後継者たちを育て上げた。
例え自分に万が一のことがあっても、息子の誰かがこの家を継げば向こう五十年は安泰だと思えるほどの逸材だ。
また、彼の息子たちの仲は良く、互いを尊重し合いながら長男を中心に纏まっていた。
彼らは立派なハルトナーの男子であり、そこに権謀術数を張り巡らせることを良しとするような、半端貴族の考えは一切なかった。
彼らの貴族としての矜持は、民の為に、王国の為にその身を捧げることであり、その為のハルトナーの血脈であると理解していたのだ。
滅びた辺境領の数がかつての倍にもなった頃、ハルトナー伯爵家にも影が落ちていた。
武将としても優れていた長男が戦死した。
悲しみよりも深い尊敬と、静かな怒りをもって兄弟たちは一層激しく職務に取り組んだ。
一人、また一人と櫛の歯が抜け落ちる様に、グランツの息子たちは辺境に血を流した。
いよいよ最後の一人になってしまった時、流石にグランツも彼を戦場に出ることを禁じた。
息子もそれを了承し、内政を手伝うことでその能力を活かすと張り切っていた。
しかし、その数日後、指揮官としての息子の穴を埋めることが出来なかった前線が決壊し、グランツの最後の男子も魔の領域に飲み込まれてしまう。
彼は激怒した。
悠々と村々を襲う悪鬼羅漢どもを瞬く間に蹴散らし、奪われた領土を即座に奪還、そのままの勢いで征伐を果たし、倍する領土を確保する。
またも鬼に憑りつかれた彼は、広大な辺境領を転戦し、より多くの実戦経験を詰ませた指揮官を配した堅固な防衛軍を組織した。
増大した闇に対抗する術を磨き上げたハルトナー辺境伯軍は、その絶対的な力を以って民と領土、そこから生まれる財産を守り抜き、それらをもって今までよりも強く王国全土を支える礎として機能するようになった。
すり減っていく王国の中で、唯一、昔以上の繁栄を堅持し続ける。
その代償は大きく、グランツの身体は完全に限界を迎えていた。
前線に立つどころか満足に剣を振ることも難しい程に、彼の肉体は深いダメージを抱えてしまったのだ。
ハルトナー家の責務を果たすには、既に半身を欠いたようなもの。
彼の胸の内には仄暗い感情が芽生え始めていた。
残された最後の娘、アーリュシアは彼が一線から退いたのと入れ替わる様に、自ら前線に立つことを志願してきた。
当然、彼は父として、貴族として、彼女のその考えに反対を示した。
しかし、一方で彼女の決断を受け入れざるを得ないと思う理性もあった。
反対する理由と同じように、父として、貴族として、彼女の意思を尊重すべきだと思えたのだ。
結局、伯爵として彼女が貴族の責務を果たすことを認めてしまう。
彼女は女性の身でありながら、文武に長けた名将としてその名を領内に轟かせた。
戦乙女の存在は、戦場に居る兵士たちを強く鼓舞し、民の希望を一身に背負い導く存在となっていった。
嬉しく思う反面、ざらりとした不安が胸を撫でるのだ。
そして、それは遂に現実のものとなる。
今までに類を見ない程の強大な魔物の軍勢。
それが、よりにもよって彼女が受け持っていた前線に唐突に現れたのだ。
彼は己の血筋、ハルトナーの系譜を呪った。
この土地はまだハルトナーの血を欲するのかと!
しかし、怒りに任せても何も解決はしないと、非情なまでに冷徹な判断を理性は下していた。
感情の面ではどうにも処理できないことだったが、伯爵としての己がそれを辛うじて律したのだ。
すぐさま、領内の一軍を招集して前線へと送る準備を推し進める。
ただし、それは前線の決壊を防ぐためであって、彼女たちを助けるには到底間に合わないと理解しているのだ。
腸が煮えくり返る思いを隠しながら、彼は領域南端の本拠であるドランク城に出立した。
戦場に立つことは叶わぬ身であっても、せめて娘の最後を見届けるのが己の宿命だと言い聞かせて。
結果、彼の予想は大きく裏切られることになる。
アーリュシアを含む守備隊は殆ど犠牲が生まれることも無く、その難局を乗り切っていたのだ。
まるで奇跡のようなその結末の影に、謎の男の存在があった。
それが――
◇
――俺、か。
巻き戻されるように視界が歪み、世界が元の姿を取り戻す。
不思議なことに、俺は目の前に座るハルトナー伯爵の過去から今までを体感した。
まるで己の事のように感じたその経験は、俺に深い感傷を負わせるに十分なものだった。
この土地を愛し、家を愛している彼だからこそ、深く憎んでもいた。
元々一人娘だったアーリュシアに対する彼の思いは、悪いと思いながらも他の息子たちに対する者よりも何倍も深いもので、彼の息子たちもそれを知っていながらも、むしろ喜んでいた。
彼の厳格なハルトナー伯爵としての立ち居振る舞いは、息子たちにとって何よりの誇りであったし、そんな彼の家族に対する愛情を正しく受け止めていたのだ。
だから、彼がアーリュシアを深く思う気持ちを、息子たちは己の事のように受け止めていたのだ。
そして、それほど深く思いが通じていたが故に、戦場の闇が彼の息子たちを捉えてしまった。
領民の為、王国の為、そして何より家族の為に、ハルトナーの一族は戦場に足を踏み入れる。
悲しい話だった。
世が世なら、彼らはきっと幸せな家族として今もこの場に居たのかもしれない。
「……ありがとう、トニック殿。
娘の命を救ってくれたのは、紛れも無く貴殿の活躍のおかげだ」
「……はい、勿体ないお言葉です」
「せめて、アリューには女としての幸せを与えてやりたいと、私は思っている。
ハルトナーの血で縛るには、彼女は少し血が濃すぎるのだ……」
まさにハルトナー家を形にしたような彼女だからこそ、このままではこの地の闇に飲み込まれる。
彼はそれを危惧しているのだろう。
俺には彼にかける言葉が無い。
ただ黙って、彼の独白を聞き続けることしかできなかった。
「謁見の間で貴殿を見た時、私は確信したのだ。
我がハルトナー家の呪縛を解くのは、貴殿のような存在なのだろうとな。
率直に聞こう、貴殿はアリューのことを……アーリュシアのことをどう思う?」
「素敵な女性だと思います」
俺の胸中には、彼と同じ思いが込み上げていた。
最愛の娘への深い愛情が、俺に素直な言葉を口にさせていた。
「……そうか、分かった」
俺の答えを聞いて、伯爵は深く椅子に腰を落とす。
深いため息は、きっとアーリュシアのことを思いやっての事なのだろう。
期せずして知り得てしまったハルトナー伯爵家の内情は決して明るいものではない。
貴族に対する知識に偏見がある俺でも、後継ぎがいない貴族の状況と言うものについて、多少は理解があると思っている。
直系であるアーリュシアの夫となる者が、まず間違いなくこの広大な辺境領を統べる次代のハルトナー伯爵になる。
もし、彼女に何らかの事があれば、それは更に悲惨な状態になるだろう。
跡目争いの内乱、内紛が起こってしまい、魔の領域を前にしながら上手く一致団結して動けなくなるだろう。
それに、何も敵は領内だけではない。
領内が共通の敵を前に団結できていたとしても、他の貴族たちが下手な横槍を仕掛けてくることは往々に考えられるのだ。
一部とはいえ彼の生き様を体感した俺は、彼が危惧していることが何か正確に理解していた。
ハルトナー伯爵は遠くない未来に王国の終末を予感している。
その切っ掛けになるのは、間違いなく彼が預かるハルトナー辺境領からだと予想しているのだ。
彼は落ち着いた動作で、広げていた駒を革袋に戻して懐に仕舞う。
それから、備え付けられていたベルを鳴らした。
よく澄んだ高い音色が、沈んでいた気持ちを断ち切る様に響き渡る。
コンコンと、控え目な力加減で上座の扉がノックされる。
この音は……アーリュシアだ。
「入りなさい」
伯爵の許しを得て、静かに扉が開け放たれる。
その奥からは白百合の花のような、純白のドレスに身を包み、煌びやかな輝きを纏ったアーリュシアが現れた。
ほんのりと化粧で整えられた顔は薄紅色に染まり、彼女の控え目だった魅力を大きく引き立てていた。
昼間の戦装束だった彼女は凛々しさや高潔さを感じさせる雰囲気だったが、今の彼女は無垢で純潔な大輪の花を思わせる。
ほんのりと薄い黄色のフリルがふんだんにあしらわれ、ちりばめられた小粒のラメ、身に付けたネックレスや腕輪などの装飾品の返す輝きが、彼女に幻想的な美しさを持たせていた。
「父上、トニック殿、今晩は」
「うむ、そこに座りなさい」
「今晩は、アーリュシア様」
彼女の登場で沈んでいた部屋が急に明るさを増した気がした。
直前までこの部屋を包み込んでいた濁った空気が、彼女の纏う光によって打ち払われたような、そんな気がしたのだ。
これも、彼女が持つ力なのかもしれないと俺は思う。
彼女が居るだけで得られる安心感は、戦場で傷付く兵たちにとって最大の癒しとなる。
士気の高揚は戦線を維持する上で必須だ。
生来から持つ彼女のそれは、一種のカリスマと言っても良いかもしれない。
通りで、まだ若い少女ながらも前線の指揮官として歓迎されているわけだ。
昼間の練兵場でも、彼女を慕う兵士たちの雰囲気は感じ取れていた。
ただの伯爵の娘としてだけではなく、それ以上の魅力が彼女にはあるのだろう。
それから、彼女の後に続いて使用人たちが次々と食事の配膳を行う。
コース形式の料理に俺は戸惑ったのだが、伯爵から「無礼講だ、テーブルマナーなど気にするな」と言われたので、マナーについては気にしない事にした。
だからと言って汚く食べるつもりも無いので、自分が出来る限り丁寧に食事を楽しんだ。
「そう言えば、練兵場でひと悶着あったそうだな」
思い出したと言うように、伯爵は話を切り出す。
「はい、騎士であるバウマン卿が彼に無理矢理因縁を付けたのです。
稽古と称して締め上げようとしたのですが、トニック殿は剣の腕前も素晴らしく、剛剣で知られるバウマン卿に剣を振らせるよりも先に、喉元に剣を突き付けて勝負を決めたのです」
得意げに語る彼女の言葉を聞いて、何故か伯爵はご機嫌の様だ。
威厳のある彫りの深い顔の相好を崩し、くつくつと喉の奥で笑うっていた。
「ほほう、アイツは血の気が多いからな。
それにしても、腕っぷしだけで騎士となった男が、こんな貧弱そうな外見の男に後れを取るとはな……今頃、腸の中は油よりも熱く煮えたぎっているだろうな」
何が楽しいのか、伯爵は少し嬉しそうだ。
……あぁそうか、最愛の娘であるアーリュシアと話に花を咲かせているのだ。
楽しくないはずがないな。
俺としては、思ってる以上に高く持ち上げられているので少し居心地が悪い気がしているのだが、親子が楽しそうに会話しているのだから、無粋な真似は出来ないなと見守るだけにした。
「はい、そうでしょうね。
それと、トニック殿には私に剣の稽古を付けて頂く約束もして頂けました」
「……そうか。 不出来な娘だが、これでも手塩にかけて育てた大切な花だ……」
伯爵がこちらを見る。
彼女に向けていた一瞬前の柔らかな表情の面影などそこにはなく、得物を射殺すような冷徹で鋭い眼光で俺を見ていた。
肝が冷え上がる感覚がする。
「傷の一つでも付けたら、分かっているな」
有無を言わさぬ厳しい口調で、俺を威嚇するように問いかけて来た。
と言うより、これは最早命令だな。
否やは無い、絶対的な命令だ。
「はっ! この命に代えましても、彼女の身の安全は保障させて頂く所存です!」
俺は半ば本能的に、反射的に答えを返していた。
「ふん、ならば良いのだ」
どこか不機嫌そうに、伯爵は突き放すようにして言った。
「もう、父上! トニック殿を困らせないで下さい!」
伯爵の言動をアーリュシアは嗜めるが、彼はどこ吹く風と言うかのように食事に手を付けていた。
「ところで、トニック殿。 貴殿は本当に魔法使いなのか?
まだ一度も魔法を披露して貰っていないと思うのだが……」
それは俺も思っていたところだ。
今日一日、状況に流されるままに身を任せていたが、彼らは一度も魔法が使えるかどうかの証拠を要求してこなかった。
俺はそのことを不思議に思っていた。
「はい、そうですね」
「試しに一つ、ここで何かやってみせてくれないか?」
突然の申し出に俺は驚きを隠せない。
狭い室内で魔法を使えと言われるとは思ってもみなかった。
まぁ、あの魔法ならば万が一にも大したことにはならないはずだ。
「分かりました」
俺は執事の人に頼んで預かってもらっていた杖を受け取ると、小さく息を吐いて集中する。
「≪照らせ、闇を払う意思よ≫≪松明≫」
杖の先端にボツと音を立てて魔法の火が点る。
その光景を見て、伯爵ですら驚きに目を見開いていた。
「……綺麗な火ですね」
「まさか、本当に魔法を使えるとはな……それも、聞いた事のない詠唱を使うとは。
古代の文献に記された遺失呪文の継承者か」
聞き捨てならないワードに、逆に俺まで驚かされてしまう。
「それは、どういう事です?」
「……俗世から隔離された場所で生まれたと言うのは、あながち嘘ではなかったようだな。
うむ、貴殿の使った杖と詠唱を用いた魔法体系は王国成立以前の古い文献や石碑にしか残されていない、遥か昔、悠久の彼方にて失われた魔導の秘術だ。
今ではそれを専門に学ぶ魔導アカデミーの学者連中か、お伽噺を信じる子供ぐらいしか、その存在を信じてはいないだろう」
俺の知る魔法がこの世界では遺失呪文!?
と言う事は、ここは『Armageddon Online』の世界ではないと言うのだろうか。
「では、魔法の存在は?
その魔導アカデミーでは魔法を伝えていないのですか!?」
「魔導アカデミーでは失われた古代の魔法や秘術の復旧に精力的に取り組んでいるそうだが、実情としては思うように進んでいないようだな。
一応、魔法使いと呼ばれるものは存在するが、当時の記述にあるような大魔法の類は再現できておらず、精々が触媒を利用して過去の魔法の力、その断片を再現するに過ぎないのだそうだ。
だから、貴殿のように詠唱だけで魔法を行使する魔法使いと言うのは、私も初めて見た。
我が領内にも多数の魔法使いを自称する者は多いが、その多くが呪い師であったり、魔導アカデミーを出たものでも触媒が無ければ魔法の力を使えぬ者たちだ。
特に、報告にあったような魔物の軍勢を殲滅する規模の魔法など、高価な触媒を大量に必要とし、試算では我が領内の経済が傾くほどの額に及ぶとまで言われたほどだ。
だから、最初は貴殿の存在を疑っていたのだがな……」
……魔法を取り巻く環境が大幅に変化しているようだ。
俺の知識を根底から覆す状況に、足元が揺らぐような不安感を覚える。
これはどういう事なのか。
その事実が何を意味しているのか。
俺は初めて、自分を取り巻く大きなうねりの存在を肌で感じていた。
――この世界はもしかしたら――
そんな思いが俺の胸を過り、底冷えするような寒気が、俺の足元から這い寄ってくる気がした。