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Ep01.「Age of Darkness」#3




 俺の緊張感は既に限界を振り切っていた。

 トイレがあれば駆け込みたいくらいの気分だ。


「ふむ、そなたが万の軍勢を蹴散らした魔法使いか……思っていたよりも随分と若いな」


 威厳のある声が、謁見の間に反響して俺に降り注ぐ。

 周囲からは険しい顔をした騎士や文官の視線が遠慮なく俺に注がれていた。

 本当にこれダメージ判定ないの?

 動けないままHPがガリガリ減らされていくような類の焦燥感を俺は感じていた。

 逃げたくても逃げられない。

 針の筵とはまさにこの事を指すのだろう。


「ハルトナー辺境伯、彼はジン・トニック殿。 先の南部平原における大規模な敵の襲撃をたった一人で壊滅させた英雄です」


 隣に立つアーリュシアは自信満々と言った風に俺を紹介する。

 ちょっと待って、そんな大層な紹介のされ方で良いのか!?

 ほらほらほら、周りの視線の圧力が増してきたんですけど!


「俄かには信じ難いが……アーリュシアの言う事は真実か? トニック殿」


 腹の底に響くような威風堂々とした声を俺に突きつけてくるハルトナー辺境伯。

 その圧迫感はまさに真剣を腹に差し込まれるような感覚だ。

 あー、やばい、俺の精神的なHPは絶賛降下中。

 気絶だけはしない様に意識だけはしっかり保たないと。


「はい、それは私の事で間違いありません」


 幸いにして、俺の肉体は脆弱な精神と違って堂々としたものだ。

 同じ人間なのに、別人のようにしっかりしている。

 俺自身、何を言ってるのか分からなくなってきたが、ともかく、俺の体はしっかりと対応してくれているようで何よりである。


「ふむ……嘘だな」


 ざわっと波のように空気が揺らぐ。

 えっ、ちょっと、どういう展開なのこれ。

 辺境伯の一言で俺を射抜く視線がより剣呑なものになる。

 もう地獄の針山に放り込まれた気分だ。


「トニック殿、畏まらなくても良い。 普段通りに接してくれたまえ」


「……と、おっしゃいますと?」


「貴殿は賢いようだが、使い慣れてない言葉で喋るのは不便だろう。

 遠慮するでない、もっと砕けた言葉遣いで構わないと言っているのだ」


 ニヤリと口角を上げるハルトナー辺境伯は皴も彫りも深い妙齢の洋風イケメンだ。

 滲み出るカリスマ性が半端ないプレッシャーを感じさせていたが、俺にもっと砕けた口調で喋れと命じた時の表情には、どこか人懐っこい雰囲気が見え隠れした気がする。

 それを信じたわけじゃないが、折角勧めてくれているのだしお言葉に甘えるべきだろう。


「はい、では遠慮なく……俺の名前はジン・トニックと言います。

 お初にお目にかかりますハルトナー辺境伯」


「うむ、それで良いトニック殿。

 我が名はグランツ・ヴェッケン・ハルトナーだ。

 カルカミック王国より王国辺境領の平定を任された辺境伯の一人である。

 南部平原では貴殿の魔法によって多くの命が救われた、礼を言うぞ」


 カルカミック王国。

 王国辺境領。

 どちらも聞き覚えが無い単語だと思う。


「いえ、あれはただ無我夢中でやったことです。

 礼を言われることでもないかと」


 率直な気持ちを述べたのだが、ふんと鼻を鳴らされてしまう。

 どうやら俺の態度がお気に召さなかったようだ。

 何か落ち度でもあっただろうか……。


「謙虚なことは美徳でもあるが過ぎれば鼻に付くぞ、トニック殿。

 あの野戦は壊滅することを辞さないという下策であったのだ、それが貴殿の活躍によって魔物の軍勢を掃討し、逆に壊滅させることに成功したのだ。

 ここまでされて礼を受け取って貰えぬのであれば、我が一族の顔に泥を塗るに等しいのだ。

 貴殿が望むのであれば泥を被る覚悟はあるが……それでも、礼を受け取っては貰えぬか?」


「……なるほど、そこまで頭が回りませんでした。

 そういう事ならば、こちらとしても喜んで礼を受け取りたいと思います、辺境伯」


 うーむ、そういうものなのか。

 日本人的な感覚で対応しているとダメってよりは、彼の立場から来る反応のようだ。

 おかげで一部から更にアツアツの熱視線が注がれているが、俺は気付かないふりをする。

 と言うか、いちいち反応してられないよ、こんな状況で。


「ふむ、その素直なところには好感が持てるな。

 謝礼に関しては後ほど授与するが、聞けば一週間も寝たきりであったそうだな?

 さぞや腹も空かしているだろうと思い、ささやかながらも貴殿の為に会食の準備をさせてある」


「それは嬉しいですね」


「左様か。 会食の方は今しばらく準備に時間を要するようなのだ。

 そこのアーリュシアに城内を案内をさせるので、用意が整うまでしばし寛いでいてくれたまえ」


「はい、ありがとうございます」


「では、謁見を終わる」


 ハルトナー辺境伯がそう宣言し、謁見の間を後にする。


「トニック殿、どうぞこちらへ」


 アーリュシアが俺を出口へと促してくれる。

 一刻も早くこの場所から逃げ出したい俺は、その誘いに一も二も無く乗っかることにした。

 あぁ、この地獄の三丁目のような空気の中で、彼女だけが癒しのオーラを発しているように思う。

 むさい、ごつい、厳つい、というムゴイおっさん達に囲まれ、しかも彼らの遠慮のない視線にビシバシと晒されていた俺としては、女性がその場に一人いるだけでも気持ちに余裕が生まれた。

 それだけじゃなく、こうして向けられる彼女の柔らかな雰囲気が、俺のささくれた心を癒してくれる気がするのだ。

 俺の中のアーリュシアへの好感度は現在進行形でぐいぐいと上昇中です。


「緊張させてしまいましたか?」


 謁見の間を出たところで、俺を気遣ってかアーリュシアが話しかけてくれた。

 こうして細やかな気遣いが配れる、出来た人なのだ彼女は。

 まるで洗い立てのブランケットのような包み込む彼女の優しさは、視線の槍衾に晒されていた俺にとっては、その真心が五臓六腑に沁み渡る気さえするのだ。


「ははは……実は俺、謁見の間に入ったのは初体験なんですよ。

 ハルトナー辺境伯も威厳のある方で圧倒されてしまいました」


「あら、もうご自分の事を私ではなく俺と仰るようにしたんですね」


 あぁ、そうでしたね。

 初対面の時に動転していた俺は何故かそんな口調で対応していた気がする。

 丁寧に丁寧にと思っていたら、普段の自分とはかけ離れた喋り方になってしまったのだ。


「……辺境伯に見抜かれてしまいましたからね。

 所詮は付け焼刃でしかないので、不興を買ってしまったみたいですから」


「ふふ、本当に素直な方ですね。

 父はああ言っていましたが、あれでも意外と貴方のことを気に入っているんですよ。

 気に入らない相手はバッサリ切り捨てる様なタイプですから」


 マジかよ、あれでイージーモードってことは、もし機嫌を損ねたら俺の精神力では簡単に殺されてしまいそうだぞ。

 ってか、さらっと凄い情報出たぞ。


「父ってことは、アーリュシア様はハルトナー辺境伯の……」


「あれ、気付いていませんでしたか?

 私、アーリュシア・メイア・ハルトナーは、カルカミック王国第七辺境領を収めるハルトナー辺境伯家が一人、頭首グランツ・ヴェッケン・ハルトナーの長女です。

 微力ながら王国辺境領の平定の為に寄与する者です」


 左手を胸元に当てそう語る彼女はとても誇らしげだった。

 むぅ、立派な胸元なのでぐぅの音も出ないな。

 いや違うそうじゃない。

 確かに、ハルトナー辺境伯は見た目通りの実直そうな人と言う印象だったし、アーリュシアも裏表がないと言うか、誠実さをそのまま形にしたような印象がある。

 ハルトナー家はそういう家柄なのかもしれない。


 それにしても、カルカミック王国に辺境領ねぇ。

 世界史でも聞いた覚えが無い国名なので造られた言葉だとは思う。

 しかし、ゲーム内でそのような単語を聞いた覚えが無いのだ。

 クローズドβテスト期間中は正式版の一部地域ではなく、テスト用に準備した『箱庭』と呼ばれる場所を舞台にしてテストが行われていたのだ。

 その際に、国名や地名と言ったものは全くと言っていいほど出ていなかった。

 そもそも、状況から勝手に『Armageddon Online』とリンクして考えてしまっているが、この状況が本当に関連性があるのかどうかは謎なのだ。

 思考を重ねることにあまり意味が無いかもしれない。


「いやぁ、通りでアーリュシア様はお美しいと」


「お世辞は結構ですよ。 それと、私にもあまり畏まらないで欲しいのです。

 父もああ仰っていたのです、トニック殿の言葉遣いについては辺境伯の許可が下りているものとして、自由に振舞って頂きたいのです」


 美しいと思ったことは別にお世辞じゃないのだが。


「うーん、自由に……ですか?

 ただなぁ、俺が普段通りに喋るとどうにもぶっきらぼうで。

 こんな感じになるので、いい加減と言うか、ちょっと気分を害しませんか?」


「問題ありませんよ。

 ここは辺境なので言葉遣い如きで煩くする者も居ませんし、冒険者だって多く訪れる土地なので、むしろ少しは荒っぽい言動をしている方が舐められなくて済むという面もあります。

 父はきっと、トニック殿を不審に思っている家臣たちに舐められない様にと、親切心から忠告をしたのだと思いますよ」


 そんな裏があったのか。

 何となく辺境がどんな場所かもイメージ出来て来たぞ。

 辺境とは魔の領域に近い場所で、魔物との争いが絶えないから実力主義、だから舐められない様にパンチを持ってる方が良いと言う事か。

 冒険者という単語は初めて出て来た俺の知っているワードだな。

 別にそれがどうしたという話じゃないが、自分の知っている知識が登場したことに少しホッとする。

 それにしても、辺境伯とのあのやり取りにそんな意図があったとは。

 俺が気付かなければ意味が無い事だったと思うのだが……あぁ、だからアーリュシアを俺に付けておくと言ったのか。

 彼女なら後でそれとなく俺にフォローしておいてくれると予想していたわけだな。

 ソツがないと言うか、中々にキレる人の様だな。

 そして、それを言われずとも理解している彼女も流石と言うべきか。


「そうだったのか、後で礼を言わないとな……」


「気にしないでください。

 父はこの程度のことで礼を言われると、逆に怒っちゃうような人ですから」


 どれだけ気難しいんだあの人は。


「分かったよ、ここは好意に甘えておこう」


「はい、そうして下さい。 では、会食まで軽く城内を案内して回りましょうか」


 俺は彼女に導かれるがままに、城内の見学ツアーと洒落込むことにした。

 最初に案内されたのは謁見の間へと通じている正面大ホールだ。

 大きなシャンデリアが吊り下げられ、緩いカーブを描いて対になった階段があり、全体が半円形ドーム状の構造をしている。

 これは二階部分から一階を包囲する形になっているのだろうか、装飾や光源の配置も素晴らしい見栄えだと思うのだが、やはり城塞と言うだけあってメインは防衛施設としての機能なのかもしれない。

 完全に防御機能に振れていない理由としては、先ほどのカルカミック王国辺境伯という地位が関係あるのかもしれないな。

 伯爵が爵位でどれくらいの地位だったかは覚えていないが、結構えらい方だったと思うし。


「凄いシャンデリアですね」


「はい! 二百年前に王国からこのドランク城の完成を記念して贈られたもので、当時に作られたシャンデリアとしては最大の物だそうです。

 ハルトナー家の活躍に対する最大の褒賞の一つとして伝わっていますね。

 他の辺境伯家と比べても、我がハルトナー家は武勲に秀でた名家として王国に名を轟かせていますから」


「ふむ……失礼ですが、辺境伯家とはどういう立場なのですか?

 恥ずかしい話なのですが、どうも俺は爵位とかそういう知識には乏しくて」


「いえいえ、知らないと正直に言えるのは良いことです!

 カルカミック王国の爵位は大きく分けて七階位を採用しています。

 まず、最上位の階位として王、続いて公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、最後に騎士となります。

 王は国を統べる存在であり、王家に連なる者から選ばれます。

 カルカミック王国は王家の血筋を事細かに記載した王家系譜図があり、そこから法で定めた順序に王位継承権が与えられます。

 王国には千年を超える歴史があり、悠久の彼方から引き継がれて来たその系譜図は、まさに第一級の国宝として王都の宝物庫で厳重に保管されていますが、建国感謝祭の時には王都の博物館で一般公開されます。

 私も一度だけ見る機会に恵まれましたが、見上げる程の大きさだったので後で首が痛くなってしまったのを覚えています。

 公爵と侯爵は同じ音なので区別が難しいと思われるかもしれませんが、法的な爵位としては上下の差がありません。

 公爵とは建国王に連なる直系の一族で、王家に次ぐ実力者となります。

 では、もう片方の侯爵とはどういう存在なのか。

 それは、建国王と共に乱世を戦い抜き、カルカミック王国の建国に尽力した偉大なる仲間、建国の英雄たちの子孫の系譜が侯爵となります。

 この二つの爵位は王の血という違いこそあるものの、王国では名誉ある由緒正しき家柄なので、どちらも尊敬される名家ですね。

 その為、公爵と侯爵の爵位についてはほぼ間違いなく世襲となります」


 要約すると、王様、その一族の公爵、英雄の末裔である侯爵のが不動のトップスリーと。


「さて、いよいよ我が家も名を連ねる伯爵位の説明となりますが、伯爵とは建国後に著しい活躍を見せた武家が多いですね。

 ハルトナー家は王国内でも新興の伯爵家となりますが、その勲功は大なりとして、伯爵の中でもより名誉ある辺境伯として任ぜられています。

 伯爵と辺境伯の違いについては、大きくは魔の領域を有するか否かによって決まります。

 大雑把に言えば未開地である魔の領域を有していると辺境伯、それ以外の大領主が伯爵という分類でしょうか」


「その言い方だと、魔の領域を有していても辺境伯と呼ばれない家もあると?」


「鋭いですね。

 王国の建国から千年、未開地の開墾はが進み、今では広大な領土を有しているカルカミック王国ですから、その未開地というと王国の外縁部になります。

 当然、それだけ国の中心、王都から離れてしまうわけで……」


「田舎者という誹りを受けると」


「はい、辺境伯家の全てが王国外縁にあるわけでもありませんからね。

 最も、ハルトナー家は辺境伯家の中でも新参者ですから、そう言われても反論できないのですが」


 アーリュシアは少し気まずそうな微笑を浮かべていた。

 やはり、自分の家や故郷を田舎と言われるのは思う所があるのだろう。


「でも、この素晴らしいシャンデリアがあれば他家に舐められることも無いんじゃないですか?」


「その通りなんです!

 ハルトナー家はそもそも二百五十年前に、初代様が苦心の末に開拓した小村を元に発展したという歴史があるのですが、武芸と人脈に優れた初代様は、当時滞っていた魔の領域の解放を次々と成し遂げていき、その結果、今の大ハルトナー伯爵領があるのです!

 数百年かけて魔の領域の開放が進んでいない家もありますから、王家の覚えも目出度い優秀な武門の家として名を馳せているのです。

 腕に覚えのある冒険者の雇用についても積極的に取り組んでいますので、そのこともあってハルトナー辺境領の各都市は常に人で賑わっていますし、その市場規模も王都周辺の産業都市と比肩するほどだと言われています。

 実際、ハルトナー辺境伯家の税収は王国内でも抜きんでており、それもまた王家の覚えを良くしている点だと言えます。

 これらは全て、歴代のハルトナー頭首が文武の両面において優れていたこと、そして、弛まぬ努力を続けて来たことの証左と言えるでしょう!」


 アーリュシアの目が途轍もなく輝いている。

 眩しすぎて直視できないが、要するに彼女は自分の家に誇りを持っているのだろう。

 俺の知っている現代の社会の常識では個人主義が浸透しているから、自分の家というものに拘ってる人は少ないように思う。

 現代人はみんな論理的というか、合理的というか、自分は自分、他人は他人という意識が強いからなぁ……彼女みたいに自分の家を誇りに思うような人は少ないと思う。

 職業選択の自由もあるし、そういう「引き継がれる思い」みたいなのが希薄だからだろうか。

 少なくとも、現代の一般人には馴染の薄い感覚だと思う。

 ただ、彼女が熱くなって語ってくれていることからも、彼女の家に対する思いの丈は伝わって来たし、そうやって感情を真っ直ぐに伝えられるというのは羨ましいことだと思った。


「アーリュシア様はハルトナー家のことが大好きなんですね」


「大好き……うぅ、好きと言うよりは尊敬ですね。

 父も人前では厳格な姿勢を崩さず、歴代のハルトナー頭首のように辺境伯としての仕事と義務に邁進している姿は家族であることを抜きにしても、やはり尊敬の念を覚えます。

 でも、ああ見えて父は私的な場面では優しい人なんですよ?」


「全くそうは見えなかったよ」


「ふふ、でしょうね……誤解されることもありますが、父は歴代頭首に恥じない立派な仕事をしていると自他共に認められています。

 だからこそ、今の状況にとても苦悩している……いえ、これは聞かなかったことにしてください」


 聞かなかったことにする。


「ところで、あれは王国の地図?」


「あ、はい。

 あのタペストリーこそが、偉大なるカルカミック王国の領土を示しています。

 南西の赤い刺繍で塗りつぶされている範囲が、我がハルトナー家の所有する領土ですね」


 何となく見当は付いていたが、思っていた以上にハルトナー辺境伯の所有する領土は広い。

 王国の領土全体のうち、実に二十分の一を占めている。

 公爵、侯爵、伯爵だけでも二十人を大きく超えるはずだ。

 ハルトナー辺境伯は俺が思っていた以上に大物貴族だったようだ。

 ……今更ながら、腰が砕けそうになってくる。

 本当に俺の対応はアレで大丈夫だったのか。

 と言うか、気付いてしまったが王国の二十分の一に相当する領土をハルトナー辺境伯家は二百五十年だかで築いたことになる。

 千年の歴史を誇る王国内で新興ってことは、ハルトナー家以外の辺境伯は先に領地を得ているはずで……うーん、ちょっと何言ってるか分からない。

 領地の開拓にどれほどの労力が必要なのかは分からないが、彼女らの一族が成し遂げた成果の大きさと尋常じゃない速度は俺でも理解できる気がした。

 そりゃあ、千年近く続く古い貴族からしたら、田舎者と嫌味の一つも言いたくなるかもしれない。


「そう言えば、子爵と男爵は?」


「子爵と男爵は明確な違いがあります。

 子爵は中央に任命された貴族で、男爵は領主に任命された貴族という立ち位置ですね。

 詳しく説明すると長くなるので今は割愛しますが、子爵の方が法的な立場は上ですが、地方の男爵の権威は子爵をも凌駕する時もありますので、一概にどちらが上とも言い切れませんし、その結果、子爵と男爵は仲が悪いことが多いですね」


 中央の権力を担う子爵と、地方の運営を任された男爵と言う事か。

 両者の都合がぶつかり合うこともあるだろうし、確かに仲が良くなりそうなイメージは無いな。


「そして、貴族の序列で一番下となるのが騎士ですね。

 騎士の上位に位置する全ての貴族が騎士を任命できます。

 他の爵位と違い、騎士は一代限りというのも特徴ですね。

 慣例として騎士家を擁して代々に世襲させることもあるそうですが、我がハルトナー家では初代様の頃から徹底した実力主義を採用していますので、武芸の実力さえあればすぐにも騎士として任命されます。

 その方針も、数多くの武芸者や冒険者がこの土地を訪れる要因になっているようですね」


「でも、それって他の貴族に嫌な顔されない?」


「トニック殿は理解が早いですね。

 ……確かに、強力な軍事力を地方領主が持つことを中央貴族は嫌いますし、隣接する貴族領も万が一のことを思うと難色を示されることもありますね。

 新興貴族と言う事も、彼らの感情を煽る要因になっています。

 しかし、土地柄として戦う力は常に必要になるのも事実。

 それに、王家からの信頼が厚いので、表立って非難されることはありません。

 それだけの実力と実績を持っているのが、栄えあるハルトナー辺境伯家なのです」


 王家と仲が良いおかげで反感もあるが、それらの感情を抑えるのにも一役買っていると。

 土地柄と言うのは、魔の領域からの魔物対策と言う事か?

 スケールの大きな話なので、小市民な俺には理解するのが中々難しいと感じてしまう。

 とりあえず、爵位の序列や王国の地図は何となく覚えたので大丈夫だろう。


「それに、貴族として生まれた以上は貴族としての義務を負うものです。

 領民の前に立ち、艱難辛苦を払いのける旗印としてハルトナー家は存在します。

 それは、今も昔も、そしてこれからも不変の事実です」


 ハルトナー家はどうやら貴族の理想を体現する一族のようだ。

 成立からして未開地の開墾という実績を認められた貴族家なのだから、当時から本質を変えることなく受け継がれて来たのかもしれない。

 当主であるハルトナー辺境伯のあの絶対的なイメージと言うのも、そういう揺らがない信念の上に成り立っているのだろう。

 俺みたいな将来の見通しも展望も持ってない人間とは、比べるべくもない立派な人である。

 隣にいるアーリュシアの真っ直ぐな姿勢もハルトナーの血と言う事か。

 大分情報が集まって来たな。

 この様子だと、一人で魔物の大半を殲滅した俺の魔法を頼りたいと言うところだろうか。

 騎士に叙任されると辺境伯の庇護と貴族としての義務が発生しそうだから、現状の把握に徹したい俺としては何とかその話は避けるべきだな。

 もっと多くの情報を仕入れないと、変なしがらみで雁字搦めにされては堪らない。

 俺にはまだ現状における目的もゴールも見えていないが、だからと言ってただ流されるだけと言う訳にはいかないだろう。

 ここで俺は何を成すべきか、それが問題だ。


「……さて、思ったよりも長話になってしまいましたね。

 トニック殿が貴族に興味があるようで嬉しいです」


 あ、しまった、そう捉えられちゃうのか。

 適当に話していたツケが回ってきたかもしれない。

 可愛らしく微笑んでくるアーリュシアの表情に気が緩みそうになるが、先も言ったように流されてしまってはいけないのだ。


「まぁ、俺は自由気ままな冒険者ですが、貴族様について知っておかないと困ることもあるでしょうからね」


「我が領内でしたらそういう事も無いでしょうが、他家の領内でしたら気を付けた方が良いかもしれませんね。

 ふふ、でも不思議なことを言いますね。

 貴族の事もそうですが、王国内のことをあまりにも知らないような物言いですし……」


 疑われているのか?

 ……いや、俺のどこに疑われない要素があるのか聞く方が難しい状況だった。


「何分、人もロクに来ないような僻地に籠っていたもので……謁見の間でも、あんなに大勢の人に一斉に見られていると思うと、まるで生きた心地がしませんでしたよ」


「……くすっ、確かに! 皆さん顔が怖い方ばかりですからね!

 でも、知り合ってみれば気さくな方も多いので、トニック殿もじきに慣れますよ」


 その「じきに慣れる」ってのが、家臣になればという意味じゃない事を祈っておこう。


「はは、かもしれませんね」


「では、続いて練兵場に案内しましょう、こちらです」


 俺は促されるが儘に後をついていく。

 練兵場では今まさに訓練が行われており、剣や槍での実戦稽古が行われていた。

 その中心に居た男が、こちらを見つけると灼け付くようなギラギラした目を向けてきた。

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