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Ep01.「Age of Darkness」#2




 アーリュシアはベッドの横に備え付けられていた椅子に座った。

 相変わらずお付きのおっさんの方は俺の背後に控えている。

 多分、この位置関係は俺を警戒している……と言う事なのだろと思う。

 背後からならば万が一、俺が暴れ出してもすぐに止めることも可能だろうし、部屋への入り口の傍を抑えているので、逃走阻止にも一役買っているようだ。

 差すような視線さえなければ、さり気なく包囲されたことに気付かない奴もいるかもしれない。

 アーリュシアの方が俺に対して、疑うような視線や態度を一切取っていないことも、状況に対する危機認識を甘くさせられる要因かもしれない。

 俺の中の第一印象では、アーリュシアは美人でおっさんは渋いなという適当なものだったが、これは少々警戒すべきかもしれない。


「えぇ、よろしくお願いしますね」


 ふわりとした雰囲気で微笑む彼女の顔に裏表は無さそうだ。


「それで、この状況について説明をして頂けるということでしょうか」


 俺の中では既に彼女のことは一旦頭の隅にどけている。

 重要なのは現状の把握だ。

 それについての予測もある程度は出ているのだが、まだ結論を出す時間ではないだろう。


「はい、その為に来ましたから」


 俺の問いに頷いた彼女は、丁寧な口調で説明をしてくれた。


「ここはハルトナー辺境伯が誇るカルマルタン城塞の一室です。

 先日、我が軍が南部平原において魔王軍と対峙していた際に、突如として現れた膨大な光が、敵軍を瞬く間に浄化してしまったという報告が届きました。

 そこで、状況の詳細を確認するために私が前線に赴いて調査の指揮にあたったところ、焦土となった平原の端で倒れている貴方を発見しました。

 私たちは貴方がその謎の発光現象に関係があると思い、こうして目覚めるまで介抱をさせて頂いた……というのが、この一週間の話です」


「一週間?」


 今、さらっと酷い話を聞いてしまった気がする。


「はい、正確には発光現象は八日前になりますが、貴方がここに運び込まれてからは丸一週間が経過したことになります……覚えがありませんか?」


 ゲーム内の時間はリアルの四倍。

 つまり、ゲーム内で四日経てばリアルでは一日ずっとゲームの中に居たことになる。

 ゲームの中で八日間経過しているならば、リアルでは丸二日が経過している計算だ。


「……記憶にないですね」


 もし、本当にそうならゲーム廃人ってレベルじゃないな。

 目覚めたら部屋が汚物まみれになっているとか、栄養失調で動くことすらままならないとか……そんな事態になっている可能性も否定できない。

 むしろ、下手をすれば今の俺の状況は命の危機にあるはずだ。

 最先端の技術の結晶であるVR機器には、当然この手のシチュエーションにおけるセーフティー機能が存在しているので、最悪死に至るということは無いと思う。

 逆に言えば、現時点でセーフティーが機能していない時点で、俺は自分の置かれている状況の異常性を半分認めている部分がある。

 あくまで常識的な判断として、俺は自分の意識がまだVRゲームの中に居ることを前提で考えているのだが、時間が経つほどにその仮定は脆くなっていくと言う事だ。

 どこかで読んだ物語のように、いつまでも能天気な勘違いをしたままで過ごすというわけにはいかないだろう。

 ただ、それを認めるということは、俺がそれこそ創作物のような異世界召喚物と同じ状況に置かれていると言う事で、それはそれで頭を悩ませることになるのだが。


 現在最も有力な仮定としては、


『俺はVR世界の中に居て、現在はドッキリ企画が進行中』


 とでも思っておく方が良いだろうという結論に至っている。


 理由としては、各種UIとして直前にプレイしていた『Armageddon Online』の物が視界に表示されていると言う事から、自分の意識がVR世界にあると定義できるからだ。

 おまけに、死亡した後にこうして無事に蘇生していることからも、この世界がVR世界のものだという予測は外れていないと思える。

 勿論、その上で俺の主観を誤魔化して騙すと言う事は不可能ではないし、理由は分からないにしてもドッキリ企画に巻き込まれたのだとしたら、状況が無茶苦茶なことにも説明がつく。

 他人から教えられた情報が全て正しいとは限らない。

 親切にしてくれたのだから味方だ、とまでは言い切れないだろう。

 何にせよ、確定していない情報が多いのだ。

 今しばらくは状況の把握に努めるべきだと思う。

 もしかしたら、グランドクエストの派生イベントか何かの最中なのかもしれない。

 その線は限りなく薄いだろうとは思っているが。


「ずっと死んだように寝ていたのですから、無理は無いでしょう……」


 アーリュシアはこちらを気遣うように言葉をかけてくれる。

 この辺の対応に演技っぽさを感じないのも、今の状況をより不可解にしている理由でもある。

 例えよく訓練された役者だったとしても、演技をしているならそれとなく分かると思うのだ。

 分からない程に一流と言われればそうかもしれないが、結局はそんな人を使ってまで何をしたいのかという理由に思い当たらないわけで。


「ふむ、なるほど」


 さっぱり分からん。

 あれだな。

 うだうだと考えても仕方ないから、とりあえず成り行きに身を任せて同化してしまおう。

 考えるだけ無駄なことだと思う。

 そうして気持ちに結論を付けると、俺は頭の中をざっくりリセットしてしまう。

 成るようにしか成らない、それが世の中って奴だろう。

 あれこれと想像を巡らせもするが、根本的に俺は即物的だし、浪漫は好きだが現実主義だ。

 自分の脳内シミュレーションで勝手に結論を出す必要なんてまるでないわけだし、これがドッキリであれ何であれ、俺に出来る最善を尽くしておけば、そこに後悔は無いだろう。

 うん、シンプルな話だ。

 今の俺がどういう事態に巻き込まれているのかは皆目見当もつかないが、俺が俺自身にできる最大限の事をしてやればいいだけの話だろう。

 結果は自ずとついてくるはずだ。


「率直に聞かせてください、貴方は何者ですか?

 何故、魔の領域に近いあの場所に居たのですか。

 あの魔法を使ったのが貴方だとしたら、何故我々を助けてくれたのでしょうか。

 ……話せることだけで構いません、理由をお聞かせ願えますか?」


 彼女はこちらの目をじっと覗き込むように見つめて来た。

 曇りのない彼女の瞳から俺を射抜く様に視線が注がれているのだが、不思議とプレッシャーは感じなかった。

 瞳には特に感情の色は無いように思うが、彼女なりに病み上がりの俺を気遣っている……そういう事かもしれないな。

 真摯なその態度が顔にも表れているのか、自己紹介の時とは違ってピンと張った糸のような緊張感が窺えた。

 しかし、困ったな。

 何故あそこに居たのかと聞かれても、俺だって分かっていないのだから答えようがない。

 そして、チラッと出た新しい情報『魔の領域』。

 これはゲーム内では公式、ユーザー、そのどちらでも使われたことのない単語のはずだ。


 ふむ、厄介だな。

 この状況で何も知らないと言うのは簡単だが、そうすると俺に「喋るつもりが無い」と捉えられる可能性があるわけで、そうなるとこの軟禁状態はしばらく続くかもしれない。

 かといって、あからさまな嘘をでっちあげると言っても、状況を把握できていない上体で迂闊に嘘を並べ立てるのは自分の首を絞める結果にしかならないはずだ。

 今までに得られた数少ない情報では、俺は今のところ「魔の領域の近くの戦場で唐突に魔法をぶっ放した不審人物」という線で見られているはずだ。

 こりゃ確かに、怪しいって言うレベルじゃない。

 しかも、それで大量の魔物を殲滅してしまっているのだから、現状ではまだ半信半疑だとしても俺が何らかの力を有している、またはその現象に関係のある要因として見られているはずだ。

 下手に不信感を煽ると信用は得られないということか。

 これが本当にVR世界でのドッキリだと言うのなら、ただのノリノリで状況を楽しんでる少年Aということになるので、ネタばらしの段階で俺がちょっと恥ずかしい思いをするだけで済む。

 しかし、もしも本当にこれが、ナルニア的な異世界召喚モノに俺が巻き込まれた形だとしたら?

 その場合、下手を打って出鼻を挫かれるのは俺の今後を危うくするだろう。

 警戒心を抱かせない様に注意しつつ、出来る限りの協力を行うと言う線が妥当じゃないか。

 だとすれば、俺が言うべきは――


「実は……私も何故、あの場所に居たのか分かっていないのです」


 そっくりそのまま、本当のことを喋ってしまうことにした。

 ただし、余計なことは言わない。

 聞かれたことに答えるだけに留めておくことにする。


「えっ?」


 アーリュシアも驚きの声を上げるが、俺だって同じ気分だ。

 むしろ、俺の方が彼女より今の状況に驚いている自信がある。

 口にした今も心臓がバクバク言っている。

 俺は心臓の鼓動を抑え込むために、胸に手を当てながら言葉を続けた。


「気が付けば私はあそこで倒れていて、目が覚めたら地平線を埋め尽くすほどの魔物の群れが見えました。 それに対峙する人間の陣営も。

 だから、私は朦朧とした意識の中、全力で魔法を使って……気付けばここに寝かされていた、という感じです」


 少し端折ったが、概ねこんなところだったはずだ。

 ささやかな嘘が混じっているが……まぁ、許容範囲内じゃないかと思う。

 意識の覚醒状況を正確に伝えたとして、「意識がはっきりしていたのにいきなり何で魔法を?」とか突っ込まれても、相手の納得のいく答えが用意できない可能性がある。

 心臓はまだ、緊張に晒されているからかドクドクと波打っていた。

 ……どういう事だ、これは。


「……つまり、貴方は訳も分からずに突然状況に巻き込まれただけであり、それにも拘わらず縁も所縁もない私たちを助けてくれた、と」


 少し目を瞑り、飲み込むような仕草をして冷静な表情を取り戻す彼女。

 こちらが不確定だとする情報について追求するのではなく、あくまで事実確認をしていることからも、彼女がこちらを信用することを前提に動いてくれていることが伺える。

 お互いを信じ合うことで信頼関係を築こうとしてくれるなら、俺は大歓迎だ。

 さり気なく重大な発見をしてしまい、内心はそのことで滝のように汗を掻いているのだが、それを表情に出さない様に努める。


「縁も所縁も無いことは無いと思いますよ、袖触れ合うも他生の縁と言いますから。

 全くの偶然ではありますが、共にあのような脅威に晒された仲間です。

 私自身、己の身を守る為に魔法を使った部分も大きいですからね」


 俺の建前とも本音とも言える言葉に、彼女はしばしこちらを窺っていたが……ふっと表情の硬さが取れ、柔らかな雰囲気になる。


「そうですか。

 私は前線を預かる者たちから報告を聞く立場にあるのですが、貴方の魔法のおかげで助かった者も多いと聞いています。

 彼らに代わってお礼を申し上げます、ありがとう」


 手を差し伸べてくる彼女に対し、俺も胸に当てていた右手を差し出して固く握手を交わす。

 彼女の方から、先ほどの自己紹介の時より力強く握ってきてくれたことから、信用の度合いを深めたという意思表示なのかもしれない。

 俺もそれに応じる様に、ただし力を入れ過ぎない様に加減しながら握り返しておく。


「姫」


 後ろからおっさんが声を投げかける。

 この人、口数が少ないよなぁ。

 それだけ、彼女との間に深い信頼関係があるのかもしれないが。

 姫と言う事は、彼女の護衛兼世話役として生まれた時から傍付きだったとか?

 そう言う設定なら納得だ。


「分かっています。

 また後ほどお迎えに上がりますので、しばらくはここで寛いで居て下さい。

 食事の方も軽いものを用意させます」


 彼女も彼の言葉にはピシッと毅然とした態度で返している。

 その直後、俺に対する時は態度をガラリと変えて応じているのだから凄いものだ。


「ありがとうございます」


「では、また後ほど」


 ふわりと花の香りを残しながら、彼女はおっさんを連れて部屋を後にした。

 どうやら、部屋に鍵は掛けて行かないらしい。

 ……誘ってんのかなぁ。

 ただ、俺は部屋を出る気は無い。

 さっき彼女との会話中に気付いた重大な案件の確認をしなければならないのだ。


「……さてと、始めますかね」


 俺は自分の胸に軽く手を当てる。

 トクントクンと規則正しいリズムを刻む心臓の鼓動を感じる。

 そのまま、一分ほどじっと心臓の脈動を確かめ続ける。


「一時的な錯覚じゃない……かもなぁ」


 昨今のVRゲームはリアルと区別がつかないと言えるほどの精巧な再現が出来る。

 技術的には、仮想現実とリアルの間にある小さな違和感、言ってしまえば誤差をほぼ完全に無くせるくらい進歩していると言われている。

 それでも、デジタルのデータでリアルを再現しようとすると莫大な情報処理能力が必要となるので、各国の研究機関やベンチャー企業の最新設備ならともかく、一般人の用意できる環境ではそんな高次元のVRマシンは用意できないし、発達した高速データ通信網でも情報のやり取りが難しいというのが現実だ。

 VR技術の中でも最も普及し、廉価な技術とされているVRゲーム業界では、そのピンからキリまで幅広いVR基準について、一定の規格を用意することで対応させていた。

 それが、VRシミュレーション共通規格。

 VRゲームを含む、一般に広く流通するVR技術を利用したソフトウェアにおいて、仮想現実の再現深度をレーティング化した基準だ。

 これにより、仮想現実世界を体感する上で「どのような情報を再現」し「どのような情報を再現しない」かの一般的な指標が完成する。

 もちろん、これに法的な強制力はないのだが、レーティング基準が出来たことで黎明期のような混沌とした市場はすっかり鳴りを潜めることとなったので、その貢献度は大きい。

 今ではVR機器の普及、技術の進歩、それに伴う競争と価格の低下などで、VRゲーム業界も差別化として高再現度を売りにするタイトルも増えつつあるのだが、それでも基本となるレーティングをしっかりと踏襲した上で、ユーザーのVR機器の性能によってオプション設定が可能になるという類のものだ。


 少しずれたが、要約するとVRゲームには「再現しない情報」があるのだ。

 つまり、それが再現されているとVR世界ではないと判断できる。

 そして際限の有無の判断基準としては、主に生理的な反応が上げられる。

 人間が生物としてある以上、どうしても生理的な現象とは切って離せない。

 しかし、VR世界では意図的に、技術的に、倫理的に……何らかの理由をもって、それら生理的な現象は再現しないことになっている。

 端的な例で挙げれば、VRゲームのアバターには内臓が再現されない。

 医療技術のシミュレーションソフトでは再現するだろうが、一般のVRゲームにおいてそんなものは再現する必要性が無い。 医療ソフトも再現するのは患者としてのデジタルデータだけであり、プレイヤーである医者のアバターには不要なので再現していないだろう。

 一つに内蔵をデータ化し、再現するだけでマシンの処理能力を過剰に要求するからだ。

 普段は見えないものを再現しているだけで無駄に容量を取られるとすれば、それはハッキリ言って無駄でしかないというわけだ。

 リアルでのプレイヤーの内臓の状況を反映する意味が無いと言える。

 しかし、一方で人間が経験的に知っている知識として、生理現象を錯覚することもあるのがVR世界の実情だ。

 例えば、暗がりからいきなりモンスターが飛び出してきたとなれば突然の事に驚いてしまうだろう。

 その際に、心臓に手を当てると「激しく脈打っている鼓動」を感じることがある。

 これは、脳が記憶として覚えている「驚いた時の身体状況」が思い出されているのだそうだ。

 人間の脳は膨大な経験を蓄積し、それらを最適化することで対処方法を進化させていく機能がある。

 つまり、仮想現実では本来再現されていない心臓の脈拍を感じてしまうことがあるのだ。

 しかしそれは錯覚であり、しばらくすれば胸に当てていた手には感覚がなくなる。

 他にも、「緊張するとお腹が痛くなる」とか「食べ物を見るとお腹が鳴る」という現象を錯覚する人も居るのだそうが、これも無意識にお腹をさすってしまったり、本人だけがお腹の成った音を聞いたりするだけで、実際にアバターに内蔵が出来るわけではないのだ。

 これらの錯覚は一過性のものであり、時間と共に何事もなかったかのように消えてしまう。


 俺が気付いたのはこれだ。

 右手には未だに鼓動を続ける「何か」の感触がある。

 続いて右手で左手の手首を握る。

 ……やはり、脈を感じる。

 仮想現実での再現深度については例外が幾つか存在しているのも事実だが、少なくともクローズドβテストをしていた段階での『Armageddon Online』は一般的なVRMMOと同じレーティング基準で作られており、オプション再現深度は用意されていなかった。

 最新のタイトルだけあって、肌の質感や味覚、嗅覚など、従来のVR技術では再現が難しかった項目のリアリティが向上していたのも事実だが、それらはレーティングを逸脱したものではない。


 これを根拠にすると、今の俺は「生身の肉体ではないか」という解答に行きつく。

 背筋が寒くなるような答えだ。

 しかし、それを否定する根拠もまた眼前にあるのだ。

 視界の隅に映るUIは明らかにゲームのもので、それらも正常に機能している……と思う。

 現に、魔法を使用した際にはMPを消費していたし、矢の雨に晒された時はHPが減っていたのを覚えている。

 ……そう言えば、俺はあの時に一度死んでいたはずだ。

 生身かアバターかと言われれば、現実か仮想かと聞かれれば、後者の可能性が強いはずだ。


 しかし、長年のVRゲーム経験がここをVR空間内だとは思っていないのも事実だ。


「気が付けば、また思考のドツボに嵌るのが俺の悪い癖だな」


 さっき深く考えないと言ったばかりなのにな。

 他にやることが無いからとも言えるが。


「……体でも動かしてみるか」


 暇ならば何かやって気を紛らわせればいい。

 俺はそう思い、狭い室内でできる運動を始めた。




 木戸がノックされる音が響く。


「姫様に申し付けられお食事を用意致しました」


「どうぞ、入ってください」


「はい、失礼しま……きゃぁ!?」


 目を丸くして驚く女の子は歳の頃は十二歳くらいか?

 小柄な体を丸く縮めて、顔を真っ赤にして両手で覆い……それでも、指の間から食い入るようにこちらを見つめていた。

 興味津々なお年頃といった様子で、予想はあながち間違っていないように思う。

 メイド服って言うのとは少し違うか、作りは丈夫そうだがただの厚手のワンピースのようだし。

 ただフリルのついたエプロンとリボンの髪留めが、ささやかながらも女性の魅力を演出している。

 装飾ではなく実務に適した格好は、何だか土地柄が出ているような気がした。

 碌にこの土地の事を知らない俺が言うのも何だが。

 しかし、こんなに驚かれるとは思わなかった。


「えっと、あの、失礼を……」


「大丈夫、丁度お腹が減っていたんだ。 早く入っておいでよ」


 あうあうと唸っている少女は、ダークブラウンの瞳と髪をしていた。

 その小さな瞳は食い入るように俺の方を見ており……と言うか、何だかんだと言ってさっきからそのポーズを崩さないのはどういう事だ。

 一体、何が彼女をそうさせるのか。

 いやそれはさっき答えが出たな、思春期だろう。


 俺はベッドから起き上がると脱いでいた衣服を着る。

 腹筋と背筋、それに腕立て伏せを行ってから少しの休憩をする。

 これのローテーションを繰り返す一連のメニューを、暇な俺は思考のドツボに嵌らないために繰り返していた。

 現実だと各二十回のワンセットでもやればそこそこ気だるさを感じるのだが、今の俺はそれを七セットもやっていたが一切疲れた気はしない。

 この辺の疲労感の無さが、VRゲームの中っぽい印象なのだが……本当、俺は今どんな状況に居るんだろうか。

 中途半端に現実とVRゲームが混じっていて、正直気持ち悪い居心地の悪さを感じている。

 運動中にじっとりとした汗を掻いてしまい、服が張り付いて気持ち悪くなったので脱いでいたのだが、これはVRゲーム内なら本来は無い事なのだ。

 そして、そんな俺の上半身裸の腕立て伏せを見てしまった彼女が、爛々とした目で俺の方を見ていたと言う事だ。

 流石にそんな貪るような勢いで女子に見られた覚えは一度も無いので戸惑う気持ちはあるのだが、それを顔に出すのもどうかと思うので平静を装っているだけだった。

 と言うか、彼女の何がそこまでさせたのか。

 現実ならばそろそろ海の季節であり、ならば真夏の太陽がそうさせたのだろうとか言えるのだろうか……と言うか、見た感じ年下の女の子なのに、ここまで露骨にがっついているのも珍しい気がする。

 ここがVRなら見た目ロリの中身おっさんというのは多いが、そうなってくると俺はおっさんに食い入るように見られていることになり、それはそれで別の危険を感じてしまう。

 と言うか、俺の体は生身ベースで殆ど弄っていないので、どちらかというと痩せている方だ。

 そこまで見たいと思えるような肉体をしていないのだが。


「で、では、遠慮なく頂き……頂いてください。

 姫様から丁重にお持て成しをするようにと、言付かっておりますので・……ジュルリ」


 顔を真っ赤にしながら、平静を装って営業スマイルを浮かべる小柄な少女。

 しかし、その言葉の噛み方はおかしいし、最後に涎を啜ってるし、何より見た目通りの雰囲気で可愛らしく微笑んでいるにも拘わらず、その薄らと開いた瞼の下の目は怪しい輝きを覗かせていた。

 何この子、ちょっと怖い。

 俺はそこはかとなく身の危険を感じてしまう。

 今までに出会ったことのないタイプ……と言うか、出会う方が難しいタイプだと思うので、俺もどう対処すればいいのか分からない。

 とりあえず、平静を装って無難に対応するしかないだろう。


 彼女が運んできた食事は焼き立てのパンに小皿にジャムが乗っていた。

 現代人には質素だと感じてしまうかもしれないが、俺はわりとこういう食事には慣れているので気にならないな。

 香りと色から、イチゴ系のジャムだと予想する。

 ベッドの傍にある机に置いてくれたそれを、俺は遠慮なく口にする。

 もぐもぐ、ぱくぱく。

 意外とイケるぞ。

 パンの方はクルミパンだったので歯ごたえが触感をプラスしていて、木の実の甘さや香ばしさも手伝ってそのままでも十分美味しい。

 ジャムの方はイチゴではなかったようだが、ベリー系の酸味の強いもので、微かな甘みと芳醇な香りを楽しむタイプだ。

 パンに塗るとパン本来の甘みを増し、程よく落ち着いた酸味と甘みが美味しさを引き立てる。

 酸味による食欲の増進効果か、はたまた本当に一週間寝ていたからか、用意された食事は思いのほかすんなりとお腹に収まってしまった。

 水差しから陶器のグラスに水を注ぎ、グッと一息で飲み干す。

 少し温いのが残念だが、それでも乾いた喉を潤してくれた水の存在はやはり有難い。

 小さな声でキャーキャー騒いでいる彼女がちらちらと視界の端に映るが無視している。

 俺の食事シーンの何が楽しいのか分からないが、何故か彼女は大興奮だ。

 分からない、俺には何が彼女をそうさせているのか全く理解できない。


「美味しかったよ、ありがとう」


 俺がそう言って空になった食器を乗せたお盆を渡すと、何故か俺の手の上からそれを受け取る。

 いや、その受け取り方はおかしい。

 あ、ほらスムーズに手渡せない!

 食器がカタカタ揺れる!

 そして、何でお前がそんなに驚いた顔をしているんだ!?

 顔を真っ赤にしながらバタバタと俺の手からお盆を引き剥がそうとしつつ、食器が揺れてはわたわたと体勢を入れ替えて、何故かその度にグイグイと俺に近づいてくる。

 いやいやいや、その理屈はおかしい!

 何なの本当に、何で彼女はこんなに攻撃的なの!

 やっとの思いで両手が拘束から抜け出し、お盆を無事に渡せたときには互いに肩で息を吐いていた。

 見つめ合う俺たち、何故かそこに奇妙な一体感を感じる……わけがない。

 コホンと一つ息を吐いて、彼女は居住まいを正した。

 ようやく本来の職務に戻ってくれるらしい。


「本当に美味しそう……に、食べてましたね」


 待てよ、その区切り方はおかしいだろう。

 何なのこの人、マジで怖い。


「えぇ、やはりずっと寝ていたからかお腹が空いてたみたいですね」


 しかし俺は突っ込まない。

 多分、藪を突いたら蛇が出るタイプだ。

 蛇どころかドラゴンが出るかもしれない。

 とにかく今は全力でスルーだ。

 俺は何も見なかった、何もなかった。


「そうでしたか。

 トニック様は後ほど行われる会食に招待される予定ですので、少し控え目にと仰せつかっていたのですが……宜しければ、もう少しお持ちいたしましょうか?」


「いえ、結構です。

 それにしても会食ですか、初耳ですね」


 会食ってことはテーブルマナーが必要になるか?

 あー、何となくでしか知識に無いし、そもそもマナーは俺の知っている方法であってるのか?

 そもそも、この流れの行き着く先はどこなんだ。

 ちょっと展開の先が読めないな。


「姫様が現在陣頭で指揮を執っておりますので、トニック様には準備が完了してからお伝えになられるおつもりかと存じます」


 彼女が言うには、アーリュシアが事前に言っていなかったのはまだ予定が確定していなかったから不用意な発言は避けたということらしい。


「……それ、俺に言っても良かったの?」


「噂話は使用人の嗜みの一つですから」


 本当かよ。

 彼女のやることなすことは全て裏があるように思えて仕方がない。


「そうですか……まぁ、会食が控えてるなら大人しく待って置く方が良さそうですね」


「かしこまりました、では失礼いたしますね」


 最後だけ、丁寧に腰を折る見事なお辞儀をして彼女は優雅に去っていく。


「あ、申し遅れました。 私の名はメイアと申します、どうぞお見知りおきを」


 訂正、最後に名乗ってから彼女は今度こそ部屋を後にした。

 一体全体、彼女は何だったのか……。

 時間潰しの筋トレでは得られなかった疲労感が俺の全身を覆い尽くしていた。


「何と言うか、理不尽だ……」


 ちなみに、VR世界における筋トレの意味は単純にアバターの操作能力の向上効果がある。

 ただ、今の俺はやる気が無くなってしまったので、ベッドの上に寝そべってぼんやりと部屋の天井を眺めて時間を潰すことにした。


 これが誰かの仕組んだことなら、そろそろネタばらししてくれてもいいんじゃないかな。

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