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Ep01.「Age of Darkness」

いよいよ本編『異世界放浪編』開始します。

それに伴い、今更かもしれませんが

「R-15」と「残酷描写あり」をオンにしました。


前日譚となる『クローズドβテスト編』は読まなくても大丈夫なので、

初見の方はこちらから読み進めて頂いても問題ありません。(当社基準)




 ……ここは、どこだ。

 俺は、あの扉に向かって、歩いているのか。

 何故、向かっている、んだったか?

 分からないな……だから、歩くしかない。

 俺は、歩くために生まれたのか……扉を開ける為に生まれたのか……俺は、何だ。

 白い、全てが白い、何もない白。

 孤独、不安、静かだ。

 寂しいのだろうか、俺は。


 ……扉、扉だ。

 重い、重いぞ、開くのかこれは?

 開ける必要はあるのか。

 分からない、分からないが……開けるべきだと、俺は思う。

 扉は、開ける為にあるのだと、思う。

 ならば、俺は何のためにここに……扉を……違う、俺は何か別の事を……


 扉が開く。

 黒だ。

 扉の先は黒だ。

 何もない……違う、何も見えないだけか。

 白には無いが、黒には見えないけど、ある……のか。

 俺の生まれた意味も、黒にはあるのか?

 ……ある、俺の意味、俺の黒、そこにある。


 俺は、闇に足を踏み込んだ。




―――第一章 『暗黒の時代』―――




 ――意識が覚醒した、という事だろうか。

 頭に薄靄がぼんやりと纏わりつくような曖昧な感覚がする。

 だが、思考が鈍っているのかと聞かれれば、どうやらそうではないようだ。

 俺の名前は七篠仁、円平高等塾の一年A組。

 昨日はえっと、確か、新作VRMMO『Armageddon Online』のクローズドβテストの最終日のイベントに参加していた、はずだ。

 うん、間違いない。

 俺はそのゲームに魔法使いとして参加していて、友人たちと一緒にグランドクエスト『怒りの日』の攻略を――その辺からハッキリとしない。

 いや、覚えていないのか?

 クエストの参加中に途中で気絶した……可能性としてはあまり考えられないが、VRゲームの中で極度の緊張状態に陥ると、その緊張の糸が解けた時に肉体が精神的な疲労によって強制的に意識を手放してしまうという事もあり得るのは事例としては知っている。

 俺自身がVRダイブ中に気絶してしまった経験が一度しかないので、今回がそれと同じだとは断言が出来ないが、何らかの理由で俺は一度意識を失ってしまっていたのだと思う。

 一番の問題は、今の俺がどういう状況なのかということだ。

 軋みを上げる間接、重い瞼に力を漲らせて俺は体を再起動させる。

 眩しい。

 朝焼けか、夕焼けか……地平線に見える太陽が、赤と青を混じらせた色に空を染め上げていた。

 広い草原の中心に俺は倒れていたようだ。

 流石に、俺の住んでいる現代日本にこのような場所は存在していた覚えは無い。

 幸いにも、その予想を後押しするように、視界の端に淡く輝く記号や数字の存在に気付けた。

 見慣れたそれは、VRMMOでは馴染のステータス表示だ。

 つまり、俺はVR世界の中に居るということだろう。

 ダイブ中の気絶と言う珍しい体験をしてしまったが、『怒りの日』は実に体感で二十四時間にも及ぶ超短期集中のロングランクエストだった。

 今まで経験してきたゲームイベントでも、体感時間で二十四時間ぶっ通しと言うのはそれほど頻繁に行われるものではなかったし、ましてや、それが正式サービス前のタイトルがクローズドβテスト期間中に開催するというのは、前代未聞だっただろう。

 俺自身、VRゲーム内で数日間に渡って徹夜した経験はあるが、それはあくまで自分の無理のないペースを維持して行っていた。

 常に戦闘の最中にあった『怒りの日』では、精神的な負荷が桁違いだったこともあって、流石に俺でも限界をきたしてしまった――という事なのだと思う。


「そう思うんだけど、ここは俺の覚えのある場所じゃないな」


 ここは俺にとって見覚えのない場所だ。

 そもそも、例のクエストでは俺は町を中心に活動していたはずで、最後の瞬間にも町の中で戦闘を――していたように、思うのだ。

 その辺りの記憶がサッパリない俺としては、何となくそんな気がしているみたいな感じがあるだけだった。

 上体を起こしただけだが、足の長い草が俺の視界を奪っている。

 遅れて戻って来た聴覚が、風に揺れる草が奏でる音を耳に届けてくれた。

 波のようにも聞こえるその音に、俺は何故か懐かしさと寂しさを感じていた。

 自分がいま置かれている状況が分からない……そんな不安が俺の胸中にあるからだろう。

 ひとまず、ログアウトできるかどうかを確認しようとして、俺は聞こえて来た地響きのような音に意識を奪われる。

 何だ、何が起こっている?

 まさか、クエストがまだ続行しているのかもしれない。

 俺は痺れる体を引き摺りながら立ち上がり様子を窺うと、俺は目にした光景に唖然としてしまう。

 地平線を埋め尽くすような勢いの魔物の群れが、こちらにむかって押し寄せてきていた。

 突然のことに理解が追いつかない。

 一番正解に近いと思われるのは、俺が何らかの理由で戦場のど真ん中で気絶していて、冒険者と魔物の戦い――つまり、クエストが終わっていないという可能性だ。

 俺は咄嗟に周囲を見渡し、愛用の杖を探し求める。

 見つけられたのは見慣れぬ杖と、魔物の群れに対抗するように待ち構える部隊の姿。

 しかし、俺はそれを見て愕然とする。

 何故なら、地の果てを埋め尽くさんとする魔物の群れに対して、こちら側の戦力はせいぜい千に満たない程度と思われたのだ。

 その後方には柵に覆われた村があり、彼らはその村を守ろうとしているのだろうが……どう考えても勝負になるように見えなかった。


「……つまり、俺が上級魔法で何とかする手筈だったのか!?」


 一体多での殲滅を可能にする強力な威力を秘めた戦術級の魔法、それが上級魔法だ。

 クローズドβテストに参加していたプレイヤーの中でも、最終的にそれを習得するまでキャラクターを育成できたプレイヤーは数少なかったらしい。

 ここがどこかは今一つ記憶が定かではないので思い出せないが、虎の子であるはずの俺が配置されているという事は、クエスト攻略に重要な拠点の筈であった。

 借り物の杖に、意識が定まっていないという両手落ちな状態だが、状況は刻一刻と進んでいるのだ、今更つべこべ言ってられないだろう。

 俺は意を決して魔法の詠唱を開始する。


「≪原初に生まれし始めなる存在もの、祖は暗闇、深淵にして絶対なる存在もの≫」


 敵の数が数だ、出し惜しみなどはしていられないだろう。

 俺は自分が持ち得る最大の切り札を躊躇うことなく使うことを決意した。


「≪汝が抱きし篝火を、その爆ぜた火の粉の一粒を、今ひと時だけ我に貸し与え給え≫」


 杖を正面に構え、俺が扱える魔力をそこに最大限注ぎ込んでいく。


「≪全ての存在に宿りし火の素因エレメントよ、我が呼び声に応えよ≫」


 杖が虹色の輝きを放ち、それは瞬く間に地上の恒星とも呼べるほどの激しい輝きを放ち始める。


「≪命じるは力、純粋にして淀みなき其れをもって、一切合切を在りし形に戻せ≫」


 昼と夜が混じり合い複雑な色を湛えていた空さえも、モノクロの写真のように色彩を失っていく世界の中心で、俺を取り巻く光だけがその存在を高らかに示していた。


「≪我らの前に立ち塞がりし、この世の全ての存在に、等しく滅びを与えん≫!」


 猛烈な勢いで迫る魔物は、もう目の前まで迫りつつあった。

 しかし、恐れることは無い。

 この力強い輝きが、俺にそう訴えかけている様にも思えた。


「≪焼払暁星リィ・ヴァ・ディーン≫!」


 杖に押し留めていた魔力が、光の濁流となって魔物の群れに襲い掛かる。

 光の中を荒れ狂う膨大な魔力が純粋な破壊の力となって、有象無象の全てを瞬時に塵へと変えていく。


「ぐっ……ぉぉぉ!」


 途轍もない力を制御している杖はガタガタと小刻みに震え、今にも限界を迎えそうな程に激しく揺さぶられていた。

 俺はそれに魔力を流し込むことで形状を保てるように必死に意識しつつ、光の帯を左右に振って地平線を埋め尽くす魔物の全てを出来る限り焼き払おうと試みた。

 時間にしておそらく二十秒も無いくらいだろう、俺の全ての魔力を飲み込んで放たれた魔法によって、草原は完全に焼き払われ、大地を埋め尽くしていた魔物の大群の殆どが消失していた。

 ぐらりと俺の体が揺れる。

 意識に問題は無いが、体は極度の疲労によってガタが来ているのか、杖を支えに俺は辛うじて立つことが出来る程度だった。

 MPは完全に枯渇しており、魔力枯渇の状態異常を示すアイコンが点灯していた。

 全身を覆うすさまじい倦怠感は魔力枯渇からくるペナルティだ。


「はぁ、はぁ……奇妙な感覚だな……」


 体と意識が分離しているような感覚に既視感を覚えつつ、俺は懸命に呼吸をする。

 息が苦しいと感じていた。

 VR世界では呼吸する必要はないのだが、深呼吸すると落ち着くと言うのは人間の本能なのだろう。 VR世界でも心身を整えるルーチンとして重宝されていた。

 安堵していたのも束の間、まだ幾らか残っていたらしい魔物が群れを成してこちらへと向かってきていた。

 俺の体は限界のようで、膝にまで震えが来ていて動けそうにない。

 何でこんなことになっているのか分からないが、俺はどうやらここでドロップアウトの様だ。

 まぁ、全力は尽くしたのだから悔いはない。


 ドスッ。


 突如、背中に走った痛みに俺は驚きを覚える。

 見ると、俺の肩から矢が生えていた。

 弓矢は扱いが難しいのでVRゲームでは使用者が少ないのだ。

 この『Armageddon Online』ではテスト終盤に追加されたスキルによって、ある程度はシステムのアシストのおかげで使いやすくなったそうだが、それでも使用者は限定的だったはずだ。

 珍しいプレイヤーもいるものだと思ったのだが……何故、それが俺の背中に突き刺さっているのかということに思い至る。

 じくじくと響く痛みは、精々がビンタされた後の鈍痛程度の感覚なのだが、倦怠感に侵された体では満足に矢を引き抜くことも出来ず、このまましばらく痛みを堪え続けなければならないので、ちょっと面倒だなと思ってしまう。

 ……いや、やはり俺は寝起きなのかあまり頭が回っていないようだ。

 もしくは、現実をあまり受け入れられていないと言うべきか。

 空を黒く染め上げる程の矢の豪雨が、空から降り注いできていた。

 それは周囲の魔物を俺ごと射抜く無差別攻撃だ。

 少し理不尽だと思いつつも、俺一人と助けるためにまだまだ数の多い魔物の群れを相手に、正面からぶつかり合うのは得策ではないと言う判断は間違っていないと理解できた。

 断続的に俺に突き刺さる矢は、大して痛くないとは言え嬉しいものではなかったが。

 俺の少ないHPはざくざくと刻むように減っていき、見る見るうちに底が近づいてきた。


「はは、恨むぜ……ここまでやってんだ、絶対に勝ってくれよ……な……」


 一際大きな衝撃と共に、遂に全身の力が抜けた俺は地面に突っ伏した。

 ゼロになったHPの表記を眺めながら、俺はスイッチを落とすように意識を失うのだった。




「――いないのか!」


「――っ、報告ではこの辺りで間違いありません!」


「――けか!」


「――すから、致し方ないかと……」


「……だが、もし話が本当なら、我々は救世主を自ら殺めたかもしれないのだぞ……」


「心中、お察しいたします……む、姫! もしやこの方では……」


「これは……酷いな、針鼠のようになっているではないか。

 最悪の結果となってしまうとは、やはり神は我々人類を見放してしまわれたのか」


「せめて、所持品から身元の確認ができないか確認しましょう」


「遺族がいれば賠償も用意しなければな」


「……姫、どうやら賠償は必要ありませんな」


「それは仁義にもとる行為ではないか」


「いえ、それが……この御仁、まだ息がありまする」


「それは、本当か! 伝令、すぐにこの旨を領主様に報告! 医療班の準備も要請しておけ!」


「はい! 直ちに!」


「姫、神はまだ我々を見放してなどいないかもしれませんな」


「あぁ、だといいな」




 目を覚ますと、そこには古びた石の天井が見えた。

 見知らぬ場所、見知らぬ臭い……少しすえたような臭いがするのは、やはり石造りの建物だからだろうか。

 あの斑な模様がカビだとすれば、その予想はあながち間違いでも無さそうだ。

 俺が寝かされていたのは上等とは言えないが木製のベッドと、これも質が良いとは言えないが木綿の毛布が掛けられていた。

 ここは一体どこなのか。

 そもそも、俺がこの世界で死亡した場合、冒険者の蘇生地点となるホームタウンの中心にある、広場のクリスタル前で復活した気がするのだが。

 それに、グランドクエスト中では蘇生されないはずで、プレイヤーが使える魔法には蘇生魔法は無かったはずなのだ。

 死亡した俺が未だにゲーム内に居ると言うのは考えられないのだが……。


「……別のVRゲーム? いや、それは無いな」


 思い付いて口にしてみたが、一切身に覚えがないまま別のVRゲームにダイブするなんてことは無いはずだ。

 そもそも、魔物の大群の前からスタートするような状況はあり得ない。

 使えた魔法も、視界に映るUIユーザーインターフェースも『Armageddon Online』の時の物だから、それに間違いは無い筈なのだが……状況が噛み合っていない。

 俺は不可解な状況に頭を悩ませながらも、ひとまずメニュー画面から現状を確認する手立てがないか探ってみることにした。

 視界の隅に映る時刻から、現在時刻が昼を少し過ぎた頃だと分かる。

 HPとMPは全快していた。

 俺が死亡したのが何時だったか把握していないので、どれほどの時間が経ったかはまだ把握できていないが、少なくとも丸一日寝ていたということは無いと思う。

 当てずっぽうだが。

 直接操作でメニューを開き、大小さまざまなウィンドウを次々と開いてステータスや装備、アイテム、ログなどを総ざらいにする。

 そして、一つの結論に辿り着く。

 どうやら、俺の置かれている状況はただ事ではないらしいと言う事だ。

 完了したクエストの履歴が見れるクエストログや、会話を残すチャットログは正常に機能しているようで、色々と情報の閲覧が可能なのだが、肝心のログアウトが出来ない。

 また、GMコールも使用不可。

 フレンドリストは白紙になっている……と言うか、これは本当にフレンドリストなのだろうか。

 文字がバグってしまっていて、奇妙な記号の羅列となっていて判別不可能だ。

 まぁ、暫定フレンドリストの中身は白紙なので、結局データが全て吹っ飛んでいるということに変わりはなさそうだが。


 装備やアイテムの状況については、悲惨の一言に尽きる。

 元々、記憶が正しければ総力戦となったグランドクエストに俺は参加していたはずで、それはつまり、俺が持ち得る全てのリソースをそのイベントに割いていた可能性を示唆している。

 結果、俺の手元には消耗系のアイテムは一切残されていない。

 装備も同様に軒並みぶっ壊れていた。

 いや、それだけならまだいいが、一部の装備……と言うか、俺がさっき使っていた杖だが、それに至ってはフレンドリストと同じように表記がバグっていて判別が付かなくなっていた。

 着用していた装備は辛うじて耐久値が残っていたが、それも吹けば飛ぶ程度の数値しか残っていないので、もう防具としては役に立たないかもしれない。

 もっとも、予備となる装備も無いのでこのまま着続けるしかないだろうが。

 唯一と言っても良いのは、スキル関係が無事なことか。

 表示のバグや、初期化などもなく、スキルポイントの割り振りなども可能なようだ。

 ……だからどうしたと言えばそれまでな気もするが。

 しかし、気絶する前の俺は何でこんなスキルを取っていたんだ?

 例えば乗馬スキルとか……あー、これは確か、グランドクエストの最初の方に移動で馬を使ったから覚えた様な気がするな。

 魔眼系のスキルも幾つか増えているな。

 鑑定眼だとか、鷹の目だとか……ん、真実の眼? 聞き覚えのないスキルがあるな。

 げ、しかも説明文を開いても白紙かよ!

 おいおい、スキルは無事だと思ってたら意外と抜けてたりするじゃないか……あー、これは意外と深刻なバグみたいだな。

 クローズドβテストだからバグはドンと出てなんぼだけどさ、流石にここまで致命的なバグに分類されそうなものがドカンと出てくると、流石に正式サービスに漕ぎ着けられるのか危ぶんでしまうな。

 ステータスは相変わらず、マギエルの貧相な数字が目に入る。

 HPが伸び難いこの世界においても、マギエルの貧弱っぷりは際立っている。

 大体全種族の平均を取るとされるヒューマンと比べても倍近い差があるのだから、その虚弱体質は筆舌に尽くしがたい。

 ダンジョンボスの攻撃を一発防御しただけで削り殺されるとかザラなのだから。

 チャットログを漁って見ると、直近で残っているのは……バトルログと見比べて分かったが、どうやら俺が死んでから近くで誰かが喋っていたようだな。

 死んでいた時の会話なので、ログには詳細が載っていないのだが。

 それでも、誰かが俺の周りで喋っていたというなら、彼らが真相を知っている可能性は高そうだ。

 何とかその人たちを見つけることが出来れば、何かが分かるかもしれないが……あまり期待はできないだろうな、まずは出会えないだろうし、次に無関係なプレイヤーの可能性の方が高いだろう。

 ダメだ、結局何も分からない。

 時間潰しにはなったが、これ以上の進展が無いようじゃ続ける意味も薄そうだからな。

 そして、頑張ってあれこれと色々考えていたが……一番の問題は腹が減ったことだ。

 VR世界でも飯は食べる。

 これは、リアルになり過ぎたVR世界の弊害とも言えるだろう。

 肉体的にはお腹が減っていなくても、精神的には「そろそろお腹が減ったはずだ」と錯覚してしまうのだ。

 そこで現実に戻って――今の俺はログアウトできないが――食べてしまう生活を続けていると、あっという間におデブちゃんが完成する。

 だから、VR世界では食事関係にも力を入れている場合が多い。

 むしろ、昨今の過酷な顧客競争を繰り広げるVR界隈では優秀な味覚エンジンは十分な売りになるのだ。

 この『Armageddon Online』でも最新の味覚エンジンを採用しており、三ツ星レストランの味も再現可能だと謳うぐらいに気合が入った宣伝をしていたように思う。

 最も、一般人にそんなことを確認できるほどの料理の腕は無いのだが。

 それでも、NPCが運営するゲーム内の飯屋ではなかなか上手い料理を提供してくれた覚えがあるので、それほど心配しているわけじゃないが……手持ちには食糧アイテムの一つも無いのだ。

 空腹をごまかせそうな飲料の類も一切ない。

 最悪、素材さえあれば錬金術や調合のスキルで携帯食料みたいなアイテムを制作可能なはずと思ったのだが、グランドクエストに合わせて不用品は全て処分してしまったようだ。

 俺のこういう思い切りの良さが、まさか自分の首を絞めるとは思わなかった。

 腹が減っても死にはしないのだが……これがなかなかどうして、辛いと感じてしまうのだ。

 日本人は食が豊かだからな、世界でも有数の美食民族でもある。

 そんな日本人の純粋な血を受け継ぐ俺が、三大欲求にも数えられる食を欠かすと言うのは……これが一番の拷問に感じてしまうかもしれない。

 最悪、ログアウトできないという致命的なバグにしたって、何らかの対策がくるまではこの世界でぶらぶらするのは吝かじゃないのだ。

 むしろ、ゲームで遊んでられるのならば悠悠自適な環境とも言える。

 うん、そう思うと前向きな気分になって来た。

 とりあえず、ここで考えてばかりいても仕方ないし、部屋を抜け出して様子でも見てみるか――


 トントン


 丁度その時、ノックの音がした。

 タイミングが良いと言うか何というか。


「どうぞ」


 別に何が悪いわけじゃないので、普通に対応する。

 ぎしぎしと軋む音を立て木製の扉が開いた向こうには……うむ、目が幸福だ。

 っと、違うそうじゃない。

 凛とした表情が綺麗な女性と、厳つい顔つきのおっさんの二人が居た。

 俺たち三人って、どういう関係?

 少なくとも、俺の記憶が正しければ初対面の筈ではある。


 女性の方は小ぶりのプレートメイルを身にまとい、腰にはちょっとした装飾が光るロングソードを佩いている。

 ライトブラウンの髪は後頭部で一括りに纏めた、所謂ポニーテールだ。

 瞳の色は深いグリーンで、肌の色も薄いので欧米風の印象を受ける。

 彫りはそこまで深くなく、顔付だけで言えばどちらかというと日本人寄りか?

 あー、あれだ、所謂アニメ顔って奴に近いな。

 適度にパーツの主張がハッキリとしていながら、それが目につき過ぎない絶妙なバランス。

 歌姫系とでも言えばいいのか、テレビ映えしそうな美人さんだ。

 化粧っ気があまりないのは俺としては好印象。

 今は戦士装束なのでヴァルキリーっぽい印象だが、ロングドレスを着せれば途端にお姫様と言われてもあっさり納得できそうな感じだ。

 ……こういうの、アバターに手を入れて作るのは難しいんだよなとか、どうでもいいことを思ってしまう。


 おっさんの方は渋いおっさんだ。

 映画で例えるとイケメン系ではなく、名脇役として一世を風靡しそうなタイプ。

 強いて言えば、目つきの鋭さは本物の軍人のような覇気がある。

 彫りの深い顔つきや単発に刈り込んだ髪型なども相まって、威圧感がある風貌をしている。

 装備も年期のいった雰囲気のプレートメイルに、ロングソード。

 女性の方と同じ構成だが、女性の方がまだ新しい輝きを放っているのに対し、おっさんの方は完全に艶が消えている。

 実戦を経た重鎮としての演出が、細かなところまで行き届いているコーディネイトだ。

 VRゲームはこういう演出に凝った装備を作り込めるのも良いところだよな。


 差し詰め、地方領主の姫騎士と、それを補佐する熟練の老兵といったところか。

 VRゲームでは珍しい組み合わせとも言えるが。

 男女のペアで言えば、大体が面白味も無いイケメン&美女という組み合わせが多い。

 この渋さを際立たせたキャラクターの起用と言うのは、中々に通なチョイスだと思うのだ。

 端的に言うと実にリアリティがあるというか。

 まるで本当にそういう関係であるかのように見えてしまう。

 今も女性を前に、一歩引いておっさんという立ち位置を取っており、徹底したロールプレイだと感心してしまっていた。


 そんな俺の様子を感じ取ってか、女性の方から優しく語り掛けてきた。


「気分はどうですか?」


「ん、あぁ、全然大丈夫だよ」


「そうですか……では、背中を見せてください」


「あ、はい」


 こちらを気遣うような優しい態度で接されると、うやむやの内に要求を飲んでしまった。

 別にVRゲームなのだから、蘇生すればアバターにダメージが残ることは無いのだが……実に堂にいったロールプレイだな!

 ――何て言うと思ったかよ、これは明らかに様子がおかしい。

 真に迫り過ぎていると言うか、違和感がないことに違和感があると言うか。

 ぞくりとする悪寒のような気配が、俺の背筋を這い登っていた。

 ……間違っても、彼女が細い指で俺の背筋を撫でたからでは断じてないぞ。


「本当に、傷一つありませんね」


「あ、あぁ」


 どういう事だ。

 死んだ原因は確かに背中に無数に受けた矢によるダメージだったとは思うが……あの矢の雨にしたって、あれだけの物量を運用できるほどに弓の道具やスキルが普及していた覚えは無い。

 俺が都合よくその辺りの事について忘れているという馬鹿げたことは無いと思う。

 だとしたら、今の状況は一体?

 どうにも、良くないことが起こっている気がする。

 俺が心の中で不安をせっせと育てていると、彼女が俺の顔の前に移動してガバッと頭を下げた。

 なになに? 一体どうしたの。


「申し訳、ありませんでした」


 折れそうに細い腰を、それこそ直角に折り曲げて、深々と俺に頭を下げる彼女。

 揺れる髪は空気に押されて柔らかく舞い上がってから垂れ、すっと伸びた首筋に覗くうなじが色っぽく、ふわりと漂った微かな甘い香りが俺を動揺させる。

 やばい、ちょっとこの子から目が離せないと言うか、そもそも幾ら最新技術をふんだんに取り入れた最新型のVRMMOである『Armageddon Online』でも、こんなに細やかな表現が出来ていたであろうか。

 俺の記憶がゴミでなければ、ここまで生々しいものではなかったと思うのだ。


「姫」


 あ、やっぱり彼女は姫なのか。


「構いません、礼を尽くせぬ者に人は尽せません。 そうでしょう?」


「はい」


 そこで彼らの会話も止んでしまう。

 残されたのは狭い室内のベッドの上に座した俺が、可愛い女の子に深謝させているという奇妙極まりない構図だけであった。

 やばい、壮絶に居たたまれない……何これ、誰か助けてくれよ。

 背中に刺さるおっさんの視線が、俺の背中に矢のように刺さっている気がする。

 貧弱なマギエルの俺だから視線に刺されただけで死ぬかもしれん。


「えっと、その……顔を上げてください」


 俺が勇気を振り絞ってそう言ったにもかかわらず、彼女は頭を上げない。

 何だよおい、どうしろってんだよ。

 背中に刺さる圧力も何か増したような気がする。

 これは俺の気のせいなのかもしれないが、ぐりぐりと抉る様に刺さってる気がする。

 このままじゃ体の前に心が死んじゃう。

 つまりあれか、もっと強引に行けってことか?

 押してダメなら引いてみろと言うが、それはつまり、まずは押せってことだよな?

 ……良し、やるぞ昔の偉い人! ダメだったら七代先まで祟るからな!

 俺は意を決して彼女の両肩に手を置き、グッと押し上げるようにして彼女の上体を起こす。


「……」


 近い、彼女の顔が、鼻先が、三センチもない距離にある。

 じっと俺を覗き込むように見てくるディープグリーンの双眸に、逆に俺の視線が引き込まれそうになる。

 曇りない彼女の眼に対して、俺の内心は割と下心があるんじゃないかと思う。

 形の良い唇はぷるっとしていた柔らかそうだし、微かに漏れる吐息の微熱すら、俺の心臓がアホになったかのように鼓動を早めさせているようだ。

 と言うか、何なの彼女。

 息までフローラルな気がする。

 このすえた部屋の空気と比べれば、まるで少し離れた場所にある花畑の風が微風にのって仄かに香るような、そんな慎ましやかな心地よさすら感じる。

 あれか、彼女は人間空気清浄機なのか。

 もっと端的に例えるなら、この部屋はドブの空気を湛えていて、彼女は高原の透き通るような空気を体の中に詰め込んでいるような……そう、名山の空気の缶詰だ!

 あぁ、あれって全然価値が無いように思っていたけど、ここまで素晴らしいものだったのか。

 一度くらい、お土産として買っても良かったかもしれない。

 ……すまん、こんなアホなことを考えないと正気が保てない俺を罵ってくれても構わない。

 だからその純粋な眼で俺を見つめ続けるのは止めてくれ!

 と言うか俺! ちゃんとポーカーフェイス保ててるか!?

 鼻の孔おっぴろげてたり、鼻の下伸ばしたりしてないよな!?

 信じてるからな、俺! 頼むぞ! せめて男としての矜持を見せてくれ!


「お願いします、頭を上げてください。

 貴女のような美しい人にそんなことまでされてしまうと、私の胸が罪悪感で一杯になってしまいますから」


 誰だお前!

 いいのか、俺は今後そんなキャラで行くのか?

 あまりの動揺にキャラを作り過ぎてないか?

 あぁ、もう、どうにでもなーれ!

 と言うか、俺の息は大丈夫なのか?

 彼女に臭い息を嗅がせてしまい、第一印象に大量のバッドステータスをのせてしまうのだけは勘弁してくれよ!?


「……ふっ」


 わ、笑った!

 今の笑い方は何だ、良いのか、悪いのか。

 恋愛シミュレーションなら効果音で分かるが、リアルスキルの低い俺ではこれは判別できんぞ!

 ただ、彼女の微笑みはとてもキュートだと思います。


「そんなに、かしこまらなくてもいいんですよ? くすくす」


 ……!

 これは……せ、セーフ判定か!

 あぁー、どっと疲れた。

 下手なダンジョンのボス戦よりも、こういう対人相手のコミュニケーションの方が失敗できないっていうプレッシャーがあって俺は苦手だわ。

 あからさまな野郎相手ならまだいいんだが、こうも見た目が美少女のアバターだと、どうしてもリアルの女性に接するように丁寧にしなければと思ってしまうんだよな。

 徹底した家の教育方針と、俺の小心な部分が掛け合わさってダメな方向に走ってしまった結果がこれです。

 ともあれ、彼女が笑ってくれたことで室内の雰囲気も和らいだ気がする。

 気のせいだと思うが、背中に刺さる槍で抉るような視線はより強烈になった気がするが。

 しばらく後ろに振り向かないことを俺は心に誓う。

 後ろの正面が誰かなんてどうでもいいことなんです。


「私の名前はアーリュシア・メイア・ハルトナーと申します」


 そう言って、彼女は柔らかな笑みで手を指しのばしてくる。

 俺も毅然とした態度――を取れているかはわからないが、勤めて冷静にその手を握り返す。

 ……掌から伝わってくる熱までじんわりと包み込むように優しいんですけど。

 彼女は何か特別な訓練でも受けているのだろうか?

 残念ながら俺は一般ピープルなので、初対面の相手の好感度を得る特殊スキルは保有していない。

 むしろ、ナチュラルに好感度を下げているかもしれない。

 そのことは怖くて友人に聞いたことも無いが。


「ジン・トニックです。 よろしくアーリュシアさん」


 さっきまでの不安や疑問など、俺の頭からはすっかり抜け落ちていた。

第一章のサブタイトルを

「Age of Dark」と「Age of Darkness」の

どちらにするかで悩みました。


気分はまさにコンビニで買うおにぎりを

「昆布」にするか「日高昆布」にするかというアレでした。


つまり「――ness」の部分が「日高」相当になります。

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