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幕間『期末テスト』

第0章『クローズドβテスト編』のエピローグになります。

特にネタバレは無いので(当社基準)ここから読み始めても大丈夫です。




 暑い。

 アスファルトから立ち昇る陽炎が、お好み焼きの上で陽気に踊る鰹節のように見える。

 それはつまり、俺たちは今まさに鉄板の上で焼かれているのと同じような状況に居るのだと言えるだろう。

 地球温暖化だか、温室効果ガスだか知らないが、そんな理屈はどうでもいいから、現実的に真夏日を快適に過ごす理論でも確立して欲しいものだ。

 べこべこと音を鳴らす下敷きうちわも、生温い風を送るだけで涼を取るには至らない。

 むしろ、汗のせいか湿気の増した空気が顔に触れるので不快感が一塩だ。

 暑い、暑い、暑い。

 全裸になりたいぐらいの熱さだが、流石にそれは自嘲するだけの理性は何とか保っている。

 あー、小学生ぐらいの頃ならば、バッと全裸になってそこの小川で水浴びでもしてしまうのに……いっそ、制服のまま飛び込んでもいいんじゃないか?

 どうせ汗でびしょびしょなのだから、水で濡れた所で問題が無いのでは?

 お、何だか論理的に正解な気がしてきたぞ。

 理論は実証せねばなるまい、早速実験に――


「はーい、仁。 そこでストーップ」


 隣を歩いていた幼馴染が、俺の素晴らしい発明に待ったをかける。

 もう一人の幼馴染は、この炎天下の中をグラウンドで走り回っているはずだ。

 夏はインハイの季節、サッカー部の活動に気合を入れて臨んでいることだろう。


「……なんだよ、忍。」


「あんた、いま馬鹿なこと考えたでしょう?」


「いいや、人類が幸せになれる画期的なアイデアを思いついただけだ」


「嘘つき」


「嘘なもんかよ」


「どうせ、着衣水泳でもしようとか考えてたんでしょう?」


「……水を浴びるくらいだな」


「今は天気だけど、午後から雨になるらしいから止めておきなさい」


 空は青々としていたが、ところどころにどでかい入道雲ができていた。

 ああいう立派な雲を見るたびに、有名なアニメーション映画の目的地があの中にあるかもしれない……と子供の頃から思ってしまうのだ。 ラピュタは本当にあるのかもしれないよな。

 でも、確かに入道雲がこんなにあるなら天気雨くらいは降るかもしれないし、雲の動きの速さを見るに、遠くに見えるあの雲が雨を運んでくるのかもしれない……最近は天気予報の精度も良いと言うし、素直に従っておくしかないか。

 明日学校に来ていく服が無いなんてことになったら、それはそれで困るのは俺だ。


「ぐぬぬ、この暑さをどげんかせんといかん! と、俺の中の行政府では早急な対策を求めているのに……」


「無難にクーラーとか、扇風機とか、色々あるじゃない?」


「家の中はどうでもいいんだ! いま、この、青空の下で、お天道様からの熱烈な愛の視線に対して、モテモテの俺がどう対応すればいいのかと言う話なんだ!」


「はいはい、モテる男はつらいわねー」


 俺のボケもさらっとスルーされてしまう。

 その清涼感が、真夏の暑さ対策に貢献してくれれば幾らでもスルーされたいものなんだが。

 むしろ、現状では彼女だけがこの暑さを克服しているようでちょっとムカつく。

 ここはあの話題で意趣返しをしてやろう。


「……じゃあ、モテる女としてはどうするつもりなんだよ?」


「好きにさせておくわ、見たいなら好きなだけ見させてあげるわよ」


「……そんなこと言ってるから、同じ奴から何回もラブレターを送られると言う珍事に繋がるんだよ」


「え、ちょ、何で知ってるのよ!」


 実は、忍は既に学校で何人かに告白されているのだが、その中に一人とんでもないのが居る。

 克己の所属するサッカー部の部長であり、現生徒会長の三年生である小池拓哉だ。

 何故か、彼は忍のことを熱烈に好きなようで彼女の入学以来、毎月ラブレターを出し続けているツワモノなのだ。

 一度丁重にお断りされてもめげずに再挑戦する、彼の中で何がそうさせているのか。

 分かっているのは、忍は男子にも女子にも認められる嫌みのない美人であることと、小池先輩も彼女と並んでも遜色のないスポーツ系イケメン男子だということだ。

 黙っていても周りが放っていないだろうに、何故か彼女は忍にご執心なのだ。

 既に、学校の『現代七不思議』の一つに数えられる珍事として生徒には認知されている。

 二人の関係性の行方は、わりと暇な女子たちの間では『リアル連載』と呼ばれて見守られているそうな。

 彼女たちと伝手のある俺としては、放っておいても今月の連載から、特別号の掲載時にも情報を勝手に共有されれるのだ。

 俺にとってもわりとどうでもいい話題なんですけどね、それ。

 折角親切で教えてくれるので無下にはしないけどさ。


「もうあれは一種の恒例行事になりつつあるぞ? 毎月一通の頻度で送られているから、連載の読者としては目下、注目しているのは夏休みの間はどうするのか、と言う点が話題になっている」


「流石に……夏休みは接点が無いと思うんだけどなぁ……」


 ちょっと疲れた顔で希望的観測をボヤく彼女に、俺はピッと指を三本立てて見せる。


「①夏休みに下駄箱に投函されたラブレターを新学期スタート時に発見。

 ②夏休み前に前もって応募。

 ③ご自宅ポストまで発想させて頂きます。

 本命は解放的にさせる真夏の太陽を考慮して③が一番人気だぞ」


 健全な学生なので金銭は掛けていないが、このトトカルチョは割と人気の勝負になっている。

 次点で、今年のサッカー部の地区予選順位、今年の教頭の夏カツラは何タイプになるか、などが人気である。


「確かに、あの人の行動力ならそうなってもおかしくないかも」


 頭を抱えて唸る忍の様子に、流石にちょっとやり過ぎたのかもしれないと反省する。

 小池先輩は別に悪い人じゃない、むしろ爽やかな性格の親切なイケメンなのだというのも、彼女に対する熱烈な姿勢とのギャップがあって、上手く突き放せないでいるのだろう。

 彼女は割と脇が甘いのだ。 舐めたことは無いが甘々なのだ。


「何なら、誰か彼氏を適当に作ればいいんじゃないの?」


「……それも、いいかも……ね」


 俺のアホみたいな提案に、こうやって素直に答えてしまう辺りも脇が甘いのだ。

 これが俺以外の男子だったら、じゃあ俺が俺が!となって収拾がつかなくなる。

 本当に、出来た幼馴染の俺が居て良かったな!

 ……なんて、口が裂けても言えない冗談だな。


「ま、折角だから小池先輩と付き合ってみるのも悪くないんじゃないの?」


「……仁は、そう思うの?」


「付き合ってみないと、分からない事って多いだろうし。

 別に、付き合っただけで二人は特別な関係だとか、そういうもんじゃないと俺は思うんだよね」


「そうなんだ」


「彼氏彼女になりました。 じゃあ結婚前提か、と言えばそうじゃないだろ?

 付き合うってのは、お互いの事をもっと知りたいと思うから一緒に居る時間を長くしませんか、という交友関係を築くためのお誘いであって、彼氏彼女になった=何でも許される関係みたいな解釈をすべきじゃないと、俺は思うんだよね」


「……仁の癖に、お付き合いについて真面目に考えてるんだ」


「だから、同時に複数の女の子と付き合ってもいいと思うんだよ俺は」


「その一言が無ければ少しは尊敬できたのに……」


 やれやれと言った風に忍は肩を竦める。

 その顔には笑顔が戻っているので、少しは気分転換になったようだと胸を撫で下ろす。

 一昔前と比べて、彼女は元気になったと思う。

 再開した頃はどこか無理をしているような、影のある表情が多かったのだ。

 そんな彼女に笑顔が増え、一段と明るくなったのは一月ほど前からだろうか。

 何がきっかけになったのかは今一つ分からないが、元気な彼女の方が魅力的と言うものだ。

 幼馴染としても、彼女が笑ってくれている方が嬉しいと思える。


「裏表がないのが俺の売りなんだよ! ほら、俺ってモテモテだからね?」


「ぷふっ! それはまぁ、そうかもね」


「だろ?」


 からからと笑う彼女の顔は眩しくて、夏の暑さを束の間とはいえ忘れることが出来た。

 太陽のような満面の笑顔を見ていたのに熱さを忘れるとは……つまり、あれだな。

 俗にいう「別の感覚で印象を上書きしてしまう」という行為に相当したのだろう。

 空の太陽と地上の太陽、その二つを重ね合わせてイメージをすり替えたわけだ。

 お、今のは上手く言えて――ないな、ダメだこりゃ。

 暑さで俺の脳みそは溶けてしまい、汗と一緒に噴き出してしまったんだろう。

 うげ、想像すると気持ち悪い光景だな……自分で言って変な気分になって来た……。


「じゃあ、私がアイス食べに行かないって誘ったらどうする?」


 そんな俺の考えを見透かしたかどうかは分からないが、彼女の方から一瞬にして気分を爽やかにしてくれる提案を齎してくれた!

 おぉ、あなたが神か!


「もちろん、行きますとも!」


「奢ってくれる?」


「流石にそんな余裕は無いわ」


「だよねー」


 俺たちは二人で真夏のアスファルトを歩きながら、甘味処へと足を向けた。




 店内は冷房によって空調が管理され、少し肌寒く感じるくらいの温度に保たれていた。

 汗をかいているせいで、体感温度が余計に冷えて感じられるのだ。

 笑顔の可愛い店員さんが案内してくれた席に座り、備え付けのメニューからそれぞれ品物をチョイスする。

 俺は『こだわり抹茶アイス』を、忍は『甘味処しゃるろって特製パフェ』を注文した。


「……なぁ、奢りでも無いし、割り勘でも無いんだぞ。 大丈夫か?」


「大丈夫、大丈夫!」


 俺のアイスは四百円とリーズナブルだが、忍のパフェは九百円となかなか立派なお値段だ。

 もっとも、値段に比べて量も質も良いこのお店には何の文句も無いどころか、この近辺の住民の憩いの場所だったりするのだが。

 今は時間が時間だけに人もまばら――と言っても、席の半分は埋まっている――のだが、ピークの時間帯になるとあっという間に満席になる人気スポットだ。


「そう言えば、聞きたいことがあったんだけど……」


「ん、何?」


「ほら、クローズドβテストをやった『Armageddon Online』のことについて何だけど」


「あぁー、いいね! 何が聞きたい?」


 俺は少し気分が弾んだのを自覚した。

 今まで家の都合もあってゲームをあまりできなかった彼女が、今年から一緒に遊べるようになったのだ。

 同じ幼馴染なのに俺と克己の二人で楽しんでいたことに、少しの罪悪感を感じていた俺たちとしては、彼女が一緒に遊べるようになったのは本当に嬉しいことだった。

 もちろん、遊んでみて肌に合わなければそれまでだとも思っていたが……こうして自分から話題を振ってくれるくらいに気に入ってくれたのなら、彼女を誘った俺たちとしても嬉しい限りだ。


「えっとね、まずは――」


 途中で届けられた冷たい甘味に舌鼓を打ちつつ、俺たちはVRゲームの和台で盛り上がる。

 クローズドβテストから既に一か月近くが経過していた。

 開発としては何とか夏に間に合わせたいという意図があるらしく、急ピッチでタスクを進めているのだと開発ブログにアップしていた。

 公開される情報も日増しに多くなり、正式サービスの開始を待ち望んでいる多くのファンを楽しませてくれた。

 中でも、クローズドβテストの最終日、テストプレイヤーのほぼ全員が参加した超巨大イベントである『グランドクエスト・怒りの日』と、それをダイジェスト形式で纏めた公式PRムービーの公開は大きな話題になっていた。

 俺たちもそのムービーを見て自分たちが参加していたはずなのに、まるで初めて見るファンタジー映画のように、終始興奮していたのを覚えている。

 時に、自分たちが写っているシーンが出てくると、ちょっと気恥ずかしかったりしたものだ。

 特に印象的だったのは、町を包囲する魔物の軍勢を冒険者たちの部隊が薙ぎ払っていくシーンや、苦難の末に相討ちに縺れこんだ南ゲート攻略戦などが見所だったと思う。

 新たに公開されている情報としては、美しい景観の街並みが多数紹介されていて、そこに住むNPCの種族や、冒険者たちの受けるクエストなどが紹介されていて賑わっていた。

 中には、クローズドβテストでも存在しなかった新しい武器や魔法、アイテムなどが追加されていたり、様々なプレイスタイルをサポートするシステムの存在などが描かれていた。

 冒険者として剣一本で身を立てるも良し、様々な場所を探検して未知と触れ合うも良し、行商を生業として世界を股に掛けるも、豪商として都に大商店を経営することもできるそうだ。

 他にも、スローライフを楽しめる土地の開墾や、PRムービーのような大規模な戦闘を楽しむコンテンツなども盛り込んでいくらしく、逐次更新されていく情報に期待感を煽られていた。


 忍とも、そんな正式版の世界で何をしたいかだといか、イメージしながら幾つかのプランを練ったりしていた。

 クローズドβテストで出会ったマグナたちとはメールなどで連絡を取るようになった。

 ゲームの中ではあまり実感が沸かなかったが、本当にプロとして活躍している人と知り合いになれたのだと言う実感は少し現実離れしていて、まだ少し半信半疑だったりする。

 意外だったのはゲームの中ではアウトローな雰囲気をバリバリ出していたマグナとカンデラの二人が、揃いも揃って現実でやり取りするメールではきちんとした言葉遣いだったので驚いた。

 その事を指摘すると、これまた同じような反応を返してくるのだ。

 意外と、ああいうロールプレイをする人種ってのは似た者同士なのかもしれないなと思ってしまう。


 一通り『Armageddon Online』談義を語り尽して、俺たちは一息を吐く。

 さて、これからどうしようかと俺が考えていると、彼女がそっと言葉を投げかけて来た。


「ねぇ、あれから……その……記憶は少しは戻った、の?」


 窺うように、恐る恐るといった様子で彼女は俺に声を掛けて来た。

 その表情は硬く、どこか怯えている様にも見えた。

 ……うーん、俺は彼女に何と言えばいいのだろうか。


「それがさ、サッパリなんだよな! あっはっはっはっは!」


「……」


 不味かったみたいだ。

 少し笑い方がわざとらし過ぎたかもしれない。

 彼女が気にしていること、それは、俺が『Armageddon Online』のクローズドβテスト期間中における、一部のゲーム内での記憶を喪失してしまったことを指している。

 テストが終了してしばらく、今日のようにゲームについて語っていた時に、俺のクローズドβテストにおける記憶が一部かけていることに気付いてしまった。

 俺ですら今までにも経験が無かったことで、特に忍はVRゲームと接するのが初めてという事もあって、余計に不信感と言うか……恐怖感みたいなものを感じている様だった。

 日常生活に何ら支障はないし、物事を忘れるなんて人間としては誰もが経験することだ。

 だから俺としてはそこまで気にもしていないのだが、彼女はその不安を以前こう述べていた。


「まるで、削った記憶を誰かが埋め合わせた様な、そんな不気味さを感じるてしまうの」


 そう言われると途端にホラーになるのだから止めて欲しい。

 彼女がこういったのも、俺が忘れてしまった記憶について、変な覚え間違いをしていたからなのだが、その辺は俺の適当な性格のせいで、記憶が混じったのだと断定しても良い様な気もする。

 しかし、忍はそんな俺のことを何故かとても心配していて、むしろ能天気なくらい気にしていない俺の態度の方が真剣に悩む彼女に対して失礼なんじゃないかと思えるくらいだ。

 最近、自然な雰囲気の明るさが戻って来た忍に対して、俺のせいでその表情に影を落とさせたくないと思っている。

 上手く説得が出来なくて歯痒いのだが、俺は今までと同じように答えることにした。


「まぁ、本当に大丈夫だよ! 俺は昨日の献立だってその気なれば忘れるくらい適当な記憶力してるからな! 万事オッケーよ!」


 どの辺が万事オッケーなのかと突っ込まれればそこでお終いだけども。

 幸いにして、彼女はこの話題を深くは掘り下げようとはしないでくれる。

 だから、俺がこのように返せばこの話題は終了となるのだ。


「……そう、だね。 でも、本当に覚えてない?」


 ところが、今日はちょっと食い下がるようだ。

 まぁ、そういう日もあるかもしれない。

 今日はちょっと長く話をしてみたい気分とか?

 俺は別にこの話について思う事は何もないので、多少は続けることに忌避感は無い。


「うーん、あんまり自身が無いな……何でそんな記憶違いしてるのか、なんて言われても、俺自身が良く分かってないからな」


「そうだよね。

 だけど……ナンシー、って人に聞き覚えは無い?」


「……!」


 ナンシー。

 俺は彼女の名前の響きに心当たりが……あった。

 そう、あれは確か……あぁ、そうか!


「すいませーん! ラッシー二つ下さい!」


 俺は笑顔の素敵な店員さんに追加の注文を頼む。

 なるほど、この季節にやっている限定ドリンクが確かにそんな名前だった!

 爽やかな口当たりのこのドリンクは、俺も忍も好きな味だ。

 少しも待たせることなく、テーブルに並々と注がれたグラスが運ばれてくる。


「ふふ、ごゆっくりどうぞ」


「どうもー」


 俺は早速ラッシーを口にする。

 ……うん、この爽快感! 仄かな酸味とたる過ぎない甘みがさっぱりとした味わいだ!

 気を使って彼女の分も頼んでおいたのだが……何故か彼女は超絶不機嫌だった。

 彼女は不機嫌になるとジト目で睨んでくる癖があるのだが、超絶不機嫌な今は更に両頬まで膨らませ、その様はまるで頬袋に餌を溜めこむリスやハムスターを連想させるほどだ。

 彼女の頬に溜め込まれるのは餌じゃなくて、溜息や負の感情というどうしようもないものなのだが。


「……えっと、忍さん?」


 やばい、メッチャ睨んでくる。

 これはかなり不機嫌だ! ぷくぷく膨らんだ頬はまるでフグのようだ。

 溜め込んだ毒はまさに猛毒、一滴でも浴びると俺たちを呼吸困難に足らしめる可能性がある!


「ほら、美味しいよー。 飲んでいいんだよー」


 恐る恐るラッシーを勧めると、根が素直な彼女は勧められるが儘にストローを口にした。

 うん、怒っていたり、不機嫌だったりしても素直なので、こういうところは何だか可愛らしい部分だと思う。

 普段は美人系なのだが、こういう所ではお子様というか、年下の少女みたいな雰囲気がある。

 まぁ、こうやって付き合う分には退屈しないとも言える。

 ……って、やばい。 またメッチャ睨んでる!

 俺の考えてたことがバレたのかもしれない。

 何故か忍は馬鹿みたいに勘が良いのだ。

 その勘の鋭さは、空港で日夜活躍する麻薬捜査犬の嗅覚をも凌ぐのではないかと俺は思う。


「どう、美味しい?」


「……美味しい」


「それ、奢るからさ」


「……」


「いやいや、流石にそれは……」


「……」


「ちょっとしたお茶目じゃん? 俺と忍の仲じゃないかー」


「……」


「今月まだ長いのに、ちょっと出費がかさんじゃうと辛いんだよ、ね?」


「……」


「……」


「はい、参りました。 俺が今回は奢りますから勘弁してください」


「……別にいいけど、怒ってないから」


「ソ、ソレナラヨカッタナー! ウレシイヤー!」


 ラッシーは一杯三百円。

 良心的な価格に助けられつつも、二千円近くが消し飛んでしまうというのはやはり痛い。


「――そうだ、夏から正式版が開始するのなら、期末対策しっかりやっておかないと後悔するわよ」


 あぁ、耳まで痛い。


「そうですね……頑張ります……」


 暑い夏は何だかんだと言いつつも嫌いじゃないが、期末テストは大嫌いなんです。

 ちょっと陰鬱になってしまった気分を、俺は爽やかな口当たりのラッシーで少しでも流してしまおうと思うのだった。




――忍視点――




 あっけらかんとしているその態度が、逆に私の不安を煽ってしまうのだ。

 だからと言って、そんな態度を止めてくれとは言えない。

 彼なりの気遣いあっての言葉であり、私に心配を掛けまいとしてのことだとは理解している。

 ただ、私の直感とでも言えばいいのだろうか。

 彼は記憶力に関しては決して悪い人間じゃないと思っている。

 確かに彼の言う通り、昨日の献立だとか、テスト範囲の暗記物だとか、そういう興味のないことには記憶力を割かないが、友人の誕生日だとか、ゲームの攻略情報だとか、そういう事に関してはきちんと記憶力を発揮しているのだ。

 むしろ、私の方が彼の誕生日をど忘れしたことがあるくらいで……あの時は本当に後悔したのを、今でも私は覚えていた。

 泣きそうな顔で懸命に堪えていた彼を思い出す度に、胸が締め付けられる感覚を思い出す。

 ……こほん。

 とにかく、そんな彼がゲームに関する記憶を忘れるということはまずないと思っているし、あまつさえそれを変質させて保管するような人間じゃないと思うのだ。


 特に気になっているのは、一人のNPCの存在だ。

 彼女の名前はナンシーと言うらしい。

 らしいと言うのは、彼からゲーム中で話をしていた時に聞いた名前だからだ。

 私には彼女と直接知り合う機会が無かった。

 だから、私が知る彼女のことは全て彼から聞いたことだった。

 ナンシーというNPCは仁の魔法の師匠であり、錬金術についても教えてくれて、どこか抜けていて、変な人間味のあるNPCとは思えないNPCなのだと、彼は楽しそうに言っていた。

 私はその時、一つの疑問を覚える。

 彼は常にNPCだと思って接していたみたいだが、彼はどうしてNPCだと思っていたのだろうか、と。

 クローズドβテスト期間中、私が一番悩んだのはNPCとプレイヤーの区別がつきにくかったことだ。

 町に居たプレイヤーとNPCを外見的に見分ける方法は殆どなかった。

 プレイヤーのアバターも、NPCのグラフィックも、どちらも大差が無かったのだ。

 簡単な見分け方としては、冒険者の方が装備が厳つい傾向があったくらいで、たまに装備の整ったNPCをプレイヤーと間違えたり、軽装のプレイヤーをNPCと間違えたりしてしまった。

 だから、彼が語る彼女の存在が、私にはNPCっぽいプレイヤーなんじゃないか、と思えて仕方が無かったのだ。

 極めつけは、テスト最終日のイベント前。

 グランドクエストが開始される前に、町はお祭りのような状態になっていた。

 数々の屋台が軒を並べ、賑やかな雰囲気が気分を盛り上げてくれた。

 まさか、その後にあんな大変なクエストが待ち受けているとは夢にも思っていなかった私は、仁と克己の幼馴染三人で町を巡ってみたいと思ったのだ。

 しかし、用事があると彼は一人でどこかへ行ってしまい……偶然、祭りの中で見かけた時には、その隣に見慣れない少女が居たので驚いてしまったのだ。

 その特徴から、彼が度々話してくれたナンシーが彼女なのだと私は理解した。

 二人の様子は傍目から見ても楽しそうで、それはまるで……まるで、恋人のようだと……その時の私は思ったのだ。

 私の中では「NPCと恋愛なんてできるのかな」と思うよりも前に、「彼女はやっぱりNPCじゃないんじゃないか」という疑念が強くなっていた。


 そうして、クローズドβテストが終わり思い出談義に花を咲かせていた時に、ふと思い出したその疑念を彼に問いただしてみようと思ったのだ。

 ……他意は無いと思う。

 ただ、何か胸の奥がざわめくような、そんな感覚を覚えたのだ。

 そして、彼がナンシーと呼んでいた少女のことを一切覚えていないことを知った。

 私はそれを聞いた瞬間、得体のしれない恐怖が全身を駆け抜けたのを覚えている。

 そして、何故か胸の奥が苦しくなり、あまりにも辛くて、哀しくて、目の奥から溢れてくる涙を抑えきれなくなってしまった。

 どうにか泣き出す前に席を立って、一人でその悲しみを抱えたまましばらく涙を流した。

 何故、そんなに辛くなってしまったのか。

 何故、そんなに気になってしまうのか。

 今でも私の中の感情に整理はついていないが、このままではいけないと思う気持ちが強かった。

 私自身、冷静に考えると狐につままれたような話だと思うのだから。

 それでも、彼は変だと思わずに私の言葉を受け入れてくれた。

 時々こうして口にしてしまった時も、明るくその話題を無かったことにしてくれる。

 そんな彼の気遣いが有難いと思う反面、どうしてもこのままにはしておけなかった。

 このままでは、消えてしまったナンシーが可哀想で、記憶を消されてしまった仁が不憫に思えて……そして何故か私の胸が堪らなくざわめいてしまうので、どうしても割り切れなかったのだ。


 でも、もう二度と彼の前でこの話題を出すのは止めようと私は心に誓う。

 今日も彼は明るくふるまってくれた。

 でも、私は幼馴染の嘘を見抜くのが得意なのだ。

 彼自身が気付かない、僅かな違和感だって見つけ出せると自負している。

 彼が明るく努める中、受け答えをする一瞬の間の中に、寂しそうな表情が隠れていたことに、私は気付いていた。


 もしかしたら、もしかしたらの話だ。

 彼が何かをあの世界に置いて来てしまい、それを忘れてしまったというのなら……私は、彼の友人としてそれを見つけてあげるべきなんじゃないかと思うのだ。

 彼は私に新しい世界を教えてくれた。

 その世界で生きる術を、戦う術を、彼が身につけた知識と技術を惜しげも無く与えてくれたのだ。

 だから、私はその彼の真心に、恩に報いたいと思うのだ。


 これは、私だけの秘密のクエストだ。

 あの世界の扉が再び開かれるとき……正式版が開始したら、彼が失ってしまった何かをあの世界で見つけ出すというクエストだ。

 ……確か、あの世界で初めて攻略に向かったダンジョンの、導入クエストも事情によって引き裂かれた悲しい男と女の物語だったはずだ。

 奇しくも、新たな世界で最初に受けるクエストも同じものになりそうだ。

 そんな風に前向きに考えていると、心の奥底に湧き上がっていた悲しみや寂しさが、少しは慰められたような気がした。

 もしかしたら、彼が奢ってくれたこの優しい甘さのラッシーのおかげかもしれない。


「はい、参りました。 俺が今回は奢りますから勘弁してください」


 気が付けば、彼は何故か平謝りをしていた。

 私が気付かない内に何かしでかしたんだろうか。

 例えば落ちたスプーンか何かを拾って、私のパンツでも覗いてしまったとか。

 ……別に、パンツくらい見られてもいいけどさ、幼馴染だから昔はもっと際どい部分まで見られてたと思うし……そっちは時効になると思うけど。

 知らない男子に見られるのは恥ずかしいし嫌だけど、仁と克己の二人なら、無理矢理じゃなくて事故だというならば、別に怒るようなことじゃないと思う。

 鉄拳制裁とかしたことない……はずだ。

 見ているだけで哀れに感じる程に頭を下げている彼に、私はなるべく優しく声を掛けることにした。

 別にいいんだよ、幼馴染なんだし。

 ……と言うか、本当に奢ってくれるの?


「別にいいけど、怒ってないから」


「ソ、ソレナラヨカッタナー! ウレシイヤー!」


 彼は少し引きつった笑顔で財布を取り出して、看板娘の店員さんを呼んでさっさとお会計を済ませていた。

 こういう演出と行動力の高さも、彼の魅力のように思う。

 普通の一般家庭に生まれた平凡な学生の身分のはずなのに、何故か彼はこういうマナーと言うか、手法を把握していて、物怖じすることなくパパッとこなしてしまうのだ。

 そう言えば、彼のこの積極性はどことなく小池先輩も似ているな。

 ……あー、いやいや、そういうわけじゃない、そういう理由じゃないと思うんだけどなぁ。

 うーん、そうなのかなぁ。

 どうなのかなぁ……あー、ダメだ、この考えはナシナシ!

 やばっ、ちょっと火照って無いかな。

 冷たいラッシーでも飲んで頭を冷やそう。


 本当、ここが甘味処で良かったと思う。




――――――




 ナンシー、か。

 何度口にしてみても、何も思い当たる記憶が無いんだけど――


「何だか、懐かしい気分になるんだよな……」


 俺は日の沈む赤紫色の空をみながら、そう思い返すのだった。

今回で丁度50話になります。

50話に合わせるために二本書いたと言っても過言じゃないです。

くだらないこだわりでスイマセン。


次回から、随分と長いこと詐欺っていた異世界編になります。

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