Act.01「Hello,World!」#5
クローズドβテスト。
オンラインゲームではサービス開始前にテストや告知の一環として、一般プレイヤーにテストプレイを行ってもらう習慣がある。
その結果によっては正式サービス開始を遅らせることもあるものだ。
オンラインゲーム黎明期の慣習であるだけでなく、幾つもの重要な意図も込められているのがこれらのテストなのだが、プレイヤー側でそこまで深く捉えている者は少ない。
むしろ多くのプレイヤーにとってはいち早く最新のタイトルで遊びたい、それを自慢したい、その知識で正式サービス後に優位に立ちたいといった、利己的な目的を持っているだろう。
それでいいと思う部分もあるし、それではダメだと思う部分も持っている。
だから、自分はテスト環境においては自分の経験や知識を用いて、常に様々な角度から全体を意識できるようにテストに臨んでいる。
スタンスとしては利己的なプレイヤー寄りではあるが、制作サイドにとっても有益になるように配慮していきたいと考えるのは悪いことじゃないだろう。
その気持ちを汲んでくれることもあれば、汲んでもらえないことも多々あるが、それについては深く意識しないようにしている。
ただ、立場は違えど同じ場所に集う人間として、互いの関係をより良くしようと思っているだけだ。
自分は今回のβテストを非常に待ち望んでいた。
クローズドβテストは「クローズド」という言葉が示す通り、一定人数のプレイヤーだけで行われるテストのことを指す。
それは来る正式サービスやオープンβテストに備えた前段階であり、それらと比べて仕様が違う、不備が多いなど様々な問題点も多いことが予想されるテストでもある。
このクローズドの結果如何によってはタイトルの今後を大きく左右すると言っても過言ではない。
今回の『Armageddon Online』では二週間という短期間でのテストになる。
募集人数は三千人。
昨今の事情を鑑みるとクローズド環境下でのテストと言えどやや少ないぐらいだが、その慎重な姿勢は好意的に受け止められて然るべきだろう。
実際にはこの三千人に運営サイドからオファーがあった人間も追加されるのだそうだ。
ともあれ、自分は幸運なクローズドβテスターの一人として今から始まるテストに参加する。
VRMMOは同じタイトルを長く遊ぶゲームジャンルだ、PVが全てとは言わないが既にメロメロになるほど魅了されてしまっている自分は、きっとこれから深い付き合いになっていくのだろう。
デスクトップに表示されたクローズドβテスト用のショートカットアイコンを選択して起動。
俺は『Armageddon Online』の世界への記念すべき第一歩を踏み出した。
--- Now Loading... ---
--- World Creation... ---
--- Player Avatar Setting... ---
.........
......
...
--- Wellcome to the 『Armageddon Online』 world ! ---
しばらくの闇、そこに浮かぶ緑色の文字列を眺めながらしばらくすると、歓迎を表す言葉と共に中空に小さな光が点る。
光は加速度的に輝きを増し、あっという間に空間を白で塗りつぶした。
緑のグリッド線が縦横に広がり、球形の檻のようなラインを描き出す。
ふと目の前の空間に、薄い灰色のウィンドウが開いた。
<ようこそ、『Armageddon Online』の世界へ>
先ほども見た歓迎の意を表する文字。
そこで意識が覚醒し、ここがゲームの中……仮想世界の中だと気付く。
VRMMOに慣れているとはいえ、最初の感覚―仮想世界の初期構築―は未だに慣れないというか、ふっと自分の認識がリセットされるような感覚を覚える。
その程度には個人差があるし、一切気にしない人もいれば違和感を強く感じる人もいるのだそうだが、個人的には嫌いじゃない。
頭の中を洗い流してリフレッシュするような、そんな感覚だ。
今、眼前に広がっている景色はVRMMOではよくある空間だ。
正式名称は「レストスペース」、通称だと「ロビー」や「ハイパースペース」なんて呼ばれることもあるそうだ。
この空間はVRMMOでの一時的な避難所、もしくは休憩所となる。
どういう事かと言えば、人間の知覚、認識力を覚醒させるための空間なのだ。
例えば、どれだけ精緻な3D映像でもモニター越しに見る以上それは平面だ。
しかしVR技術が作り出す、デジタルによって作り出された『仮想現実』の世界では、リアルな感覚を用いているので3D映像は本当の意味で立体を得る。
人間の脳は非常に優秀で、複雑で高度な処理を簡単かつ迅速、最適な形で認識することを成し遂げるシステムが築かれているのだが、時として情報の流れが激しいと脳内で事故を起こす。
その現象は「情報の渋滞」と呼ばれ、立体を平面でしか見れなくなって天地の感覚を喪失する、音は聞こえているが言葉として結びつかない、それを覚えていることは理解できるがそれが何かを口に出して説明できないなど、情報を正しく知覚することが難しくなったことで酷い『酔い』を発症してしまうことがある。
現実での立体視も脳に負担がかかるように、VR技術で構築された世界での五感全ての情報的な接続と開放は脳に急激な負担をかけて、その状況を引き出してしまいやすい。
そこで、このような「レストスペース」を設けて置くことで、生身の時の感覚をじっくりと『思い出させる』ようにしてゆるやかに覚醒を促してやる。
先ほども述べたが人間の脳は非常に優秀で、学習能力や柔軟性に富んだ演算装置だ。
この空間の役割を正しく理解し、脳に集められた大量の情報を適切に整理して分割することで五感の誤差を無くす。
つまり、リアルからヴァーチャルへの急激な環境の変化に対しての、クッションの役割を果たすのがこの「レストスペース」の本来の存在理由だ。
VRMMOでは更に、この空間を利用してゲーム世界への移動――つまり、ログイン処理などを行うので「ロビー」と呼ばれたりするのだ。
もちろん、ここは仮想世界におけるパーソナルな空間なので、「ロビー」といっても他人も集まるようなことは無い。
「ようこそ、Armageddon Onlineの世界へ」
ウィンドウに表示された文字と同じ言葉が耳朶を打つ。
声のした背後に振り返ると、美しい女性が佇んでいた。
ふわりと広がった金髪は腰まであり、瞳は突き抜けるような青空、赤い唇は小ぶりだが整った目鼻、すらりとした輪郭、白磁のような肌と合わさって鮮やかな存在感を放っていた。
頭には草を編んで作られた冠……たぶん月桂冠じゃないだろうか、をのせており、大小様々な輝きを放つエメラルドグリーンの布を身に纏い、腰には装飾をあしらった革の帯が巻かれていた。
古い絵画の中で描かれる女神の一人、そんな神秘的な印象を受けた。
表情は無いが、柔らかい雰囲気の彼女が口を開く。
「ログイン情報を入力してください」
神秘的な雰囲気が一転してチープになってしまう。
分かってはいるのだが、どうにもこのくだりには毎度ずっこけるような感覚を覚えてしまう。
過去にもこうしてNPCとの対話形式のロビーを採用していたゲームをプレイしたことはあるのだが、その度にこの「見た目と発言のギャップ」に悩まされてきた。
思わず吹き出してしまいそうになりながら、灰色のウィンドウを眺めて必要事項を記入する。
記入と言っても手でサインを書いたり、メニューからキーボードコンソールを出して使うわけではない。
一応、今はPCに保存されているパーソナルデータから生身の状態をそのまま抜き出した、基本アバターが生成されており、仮想の肉体を使っての間接操作による情報の入力が可能だ。
むしろ、それを生成して動かすことが五感の正しい接続、認識を促すことで「レストスペース」本来の目的を達するのだ。
どのみち、ログイン処理には直筆のサインが求められるので多くのユーザーはアバターの手による筆記をせざるを得ない。 面倒だと捉えるユーザーも多いが、これも仮想世界に適応するための配慮の一環なのだ。
ただ自分は違う。
直接操作によってアバターを一切動かすことなく、ウィンドウ内の必要事項全てを記入する。
その間僅かに十五秒。
この生身じゃできない高速入力、作業の短縮が直接操作を習得した者の至福の時間だ。
これについて話すと大抵は「下らない」と一笑に伏されるのだが、このプチ全能感ができる者にとっては堪らないのだ。
手足を動かさずにイメージを形にする。
これは人間の到達すべき深淵の一つ、究極系の一つだと思うのだが、如何せんできない者には理解されないようだ。
まぁ、ぶっちゃけ、そもそも直接操作って習得すること自体が難しく、習得しても本当に使いこなせるようになるまでかなり長い修練が必要で、その上で今の仮想世界の環境下では使える場面が限られる技術だから見向きされないのも無理はない。
都市伝説の一つに、直接操作をマスターするたった一人のハッカーの手によって某国が極秘裏に開発していた大量殺戮兵器の研究データが全て根こそぎ持っていかれたとか、また、第三次世界大戦の引き金になる戦争を事前に食い止めることに貢献したとか、果ては今話題の世界的アイドルの成功の陰に彼が貢献している、などがある。
そういう馬鹿みたいな逸話が好きな自分としては、それもプラス評価に繋がっている。
実際、色々なエピソードがある中でこの三つは当時に世界でも注目されていた事件をモチーフにしているので、薄らと信憑性がありそうで全くないところが都市伝説として完成度が高いのでオススメだ。
詳しくは『直接操作最強伝説まとめウィキ』でも見て欲しい。
「お名前はジン・トニックで宜しいのですね?」
女神様の言葉でズレていた思考が引き戻される。
名前の元ネタはカクテル、由来は親父の好物からだ。
自分がこうして恵まれた環境でゲームを遊べるのも趣味を同じくする親父のおかげだ。
名前にジンと入っているのも都合がよいと思い、昔からジン系のカクテルの名前で遊ぶのが自分のポリシーとなっている。
ジン・トニックはその中でもスタンダードなカクテルであり、響きも良いので愛用している名前だ。
ちなみに、お酒を飲んだことは無い。
お酒は二十歳になってから、だ。
煙草はそもそも吸う気もない。
「はい、お願いします」
自分の返事に頷くと、女神の手に粒子が集まり石版と羽ペンが生成された。
羽ペンで石版をなぞると光る文字で何かが書き記されているようだ。
実にファンタジーである。
「アバター作成アプリのキャラクターデータを確認しました、使用されますか?」
「はい」
折角作ったのだ、しっかりと利用していこう。
自分の体をふわりとした感覚が包み込み、光の環が頭の上から爪先へサッと通り過ぎる。
眩い光は一瞬で収まり、自分の体を眺めてみるとパーソナルアバターから先日作ったキャラクターの姿に置き換わっているのが分かった。
その時に、いつの間にか背後に生成されていた鏡を見つける。
顔つきはあまり弄っていないが、生身は生まれたままの黒髪黒目なのに対して銀髪に金眼とド派手で面影はあまり感じない。
髪型は少し長めで左肩の方に紐で纏めており、少し女っぽいかもしれない。
まぁ、ファンタジーでVRMMOだ。
万が一を考えると現実と繋がりにくい印象の方が都合がよい……もうちょっと弄るか。
「容姿の変更をします」
「かしこまりました」
こちらの宣言をトリガーにして見覚えのあるメニューが視界に広がる。
顔の項目を選び、オプションからタトゥーを選択。
左目の辺りに三本傷を付けることにした。
中二病の度合いが強くなった結果に満足する。
やはり傷とかの印象が強い要素が入ると印象ががらりと変化する。
この姿を見て現実の自分に繋げるのは難しいだろう。
完了を選び、操作を終了する。
「次の項目に進みます」
待っていた女神がそう告げると、白い世界がぐっと引き伸ばされたように動き、一つの模型と風景画が近づいてきた。
いや、風景画ではなく、窓の向こう側に風景が浮かんでいるという方が正しいか。
模型はジオラマのようなもので、空に浮かぶ大陸といった感じだ。
ジオラマには森の緑も、水辺の青も、建物の雑多な色味もあり、雲と霧の白がそれらの全てを包んでいた。
縮尺はそこそこ大きいだろうか。
両手で抱えられるくらいの大きさだ。
「……これが貴方が参加するクローズドβテストの世界『箱庭』です。
貴方はこの世界に冒険者として召喚され、様々な出来事にその身を投じることになるでしょう。
……今回のテストではその前段階、冒険者を試すことが目的となります」
ふむ。
冒険者、プレイヤーに試してもらうのではなく、こちらが試されるのか。
世界観の為の言い回しでなければ、何かしら意図があるのだろうか?
まぁ、何でもいいや、深く考えることでも無いだろう。
「冒険者はその武芸の腕を、魔術の知識を、真理を解き明かす知恵を、この『箱庭』で試されます。
我々がクローズドβテストで欲するのは忌憚なき意見です。
詳しくはメニューの『βテスト報告コマンド』からヘルプを参照ください」
ところどころ、こういうβ仕様の文言が入るのでチープさを感じてしまう。
まぁ、無理に世界観を引き立てようと分からない単語や、難解な言い回しをされるよりも直接言われた方が幾分もマシだけどな。
「そして、こちらの窓が旅立ちの窓です。
箱庭における冒険者たちの最初の拠点となる町、『ドミナ』です」
彼女の声に合わせて手元のジオラマが組み変わっていき、小さな町の模型になる。
これが多分、ドミナの町の全景なのだろう。
中央にはクリスタルを抱えた大きな像、そこから四方に大きな石畳の道が伸び、それに沿って木や石で造られた立派な商店が立ち並ぶ。
看板まで精緻に反映されているので、大体どこが何の店かも検討が付きそうだ。
パンや酒、剣や鎧といった扱うものをあしらったデザインが多い。
どうやら世界観的に識字率があまり高くないのかもしれない。
この手の知識を教えてくれたのもゲーム好きの親父だ。
親父はレトロゲーと呼ばれる古いゲームのコレクターでもあり、それに関連したファンタジー世界の設定に関連する書籍を集めた書斎も持っている。
あまりに多いので全部は読んでいないのだが、オススメだと教えてくれた本の何冊かには目を通している。
こうやって、その知識によって世界観の把握や、それに伴うVRMMOへの没入感の促進は俺にとっては良い影響だと思っている。
やはり、楽しむ時は思いっきり楽しむべきだよな。
女神はジオラマを使って説明を続ける。
冒険者、プレイヤーの集会所兼クエスト発行所となるギルド会館。
町の中心地という一等地に周りの商店の五倍近くはある立派過ぎる程の建物で、石材をふんだんに使ってあるり威風堂々とした佇まいが印象的だ。
中にはプレイヤーの情報交換を行う為の掲示板が設置されているらしい。
クローズドβテストでの情報のやり取りはこれを介して行ってほしいとのことだ。
冒険者が掲示板の情報を見てやり取りをする……なんか、いいな。
雰囲気が凄く出ている気がする。
ちなみに、冒険者というのはそういう身分らしく、冒険者ギルドによって保証されているので各国で活動する際にサポートされたり、仕事を請負うことができるのだとか。
確かに現実的に考えれば、どこの誰とも分からない奴にいきなり仕事を任せるのは難しいだろう。
世界を股にかけて活動が可能な組織ということは、国家などと並んで世界における役割も大きい組織なのかもしれない。
ま、そうだとしてもクローズドでは関係ない話だな。
武器屋、防具屋ではもちろん装備が買える。
雑貨屋は道具類、食品を扱う商店では保存食なども買えるらしい。
世のVRMMOプレイヤーにはフードコレクターとかフードレポーターとか呼ばれる奴らがいる。
VR世界の食事を食べ尽くすことを目的としており、中にはブログやサイトでグルメレポートを書いている人までいるそうだ。
興味のない人もいるだろうが意外と人気のあるコンテンツだ。
中には世界的に知名度の高いVRグルメレポーターとかもいる。
不味い食事ランキングとかもあり、大体そこにランクインするのはVRFPSなどの戦争ものや歴史もので登場するレーションなどがランクインしている。
個人的には彼らのレポートを見ていると興味を掻き立てられるが、そこまで強く食べたいとまでは思わない。 何せ、不味い飯なのだから。
日本に生まれておいて、わざわざ不味い飯を好んで食べる人はそう多くないだろう。
少し驚いたのは魔法屋という店が別に存在する点だ。
魔法職用の武器、防具、道具などはそちらで販売しているそうだ。
公式でも、職業や種族による装備の制限などは殆どないと告知されているので、武器屋や防具屋で買ったものが装備できないことは無いだろう。
魔法剣士みたいな職業もあることだし。
この辺が意識して分けられているのは世界観からか、それともゲームデザインからか、何かしら意図がある気がするな。
もっとも、そんなに深刻な話でも無いだろう。
単純に全てのアイテムを一度に配置すると店舗スペースが大きなってしまい、それこそギルド会館クラスの店舗が建ってしまうから分けたという可能性もありそうだ。
VRMMOではわりと良くある話だ。
折角、実物を気兼ねなくディスプレイできる世界なのだ、ウィンドウショッピングをわいわいと楽しむのもVR世界の趣味の一つになる。
とりあえず、一通りレクチャーが終わったら最初に魔法屋を訪れるのは確定したな。
情報収集は物事の基本だ。
宿屋、酒場ではくつろぐことができる。
VRMMOに慣れてないと、これらの施設の存在意義、そして「くつろげる」ことへの意味が直感的には理解できないかもしれない。
しかし、これらの施設の存在はとても重要だ。
VRMMOはその名の通り、仮想世界での経験、体験はリアルな実感を伴うものになる。
つまり、遊び続ければ疲れるし、疲れたら休みたくなるものだ。
そこで想像してみてほしい、美しいゲーム世界の街中で様々な恰好をしたプレイヤーが大挙して地べたに寝転がっている様を。
実際に見れば思わずにはいられないだろう、どこの世紀末かと。
折角の景観を台無しにするし、会話は他人に丸聞こえ、気持ちよく仮想世界をプレイしていたのにいきなりそんな光景を見せられると気分も萎えるというものだ。
そこで、VRMMO内にはプライベートな空間というのが必要になる。
酒場は交流の場だ。
大勢のプレイヤーが集まり、食事をしながらわいわいがやがやと騒ぐことができる。
もちろん、苦手な人は遠慮すればいいのだが、意外とVR世界だと普段は好ましくないと思っていたことへの意外な魅力に気付くこともあるのだとか。
以前、別のVRMMOでそんな実体験を教えてくれた人がいた。
彼はコミュニケーション能力に全く自信がないと言っていたが、小さいながらも実力派のパーティを組んでリーダーを務めていた。
VR世界の魅力を俺に教えてくれた一人として印象に残っているエピソードだ。
一応、このゲームを始めることを伝えてはいるが、来るかどうか、会えるかどうかは分からないな。
もし彼がこちらに来て、会うことがあれば仲良くしてもらおう。
閑話休題、宿屋は酒場よりプライベートな空間になる。
宿屋は個人単位で部屋を借りることができるのだ。
部屋の設備はそれぞれだが、風呂に入れたり、ベッドで寝そべったりできる。
もちろん、複数人で借りて保存食を持ち寄ってのパーティを開いたりも可能だ。
これが意外と重要で、VRMMOの中で他人の視線を一切感じない空間というのは意外と貴重で、宿屋の存在はプレイヤーの精神衛生上で重要な施設になる。
たまにはゆっくりしたい、激戦の後で、失敗をした後、ちょっと一人になりたい時にも使える。
もちろん、現実では高級ホテルに縁が無くても、ゲーム内なら大きく稼いで高級宿に泊まることも幾分か容易いだろう。
フードコレクターと同じく、VR世界での旅行日記も根強い人気がある。
VRMMOなどは一つ一つにプレイの時間がかかるので、他人のプレイした足跡を追って見れるというのはそれだけで価値があるのだ。
たまにVRMMO旅行記が書籍化されているのも見かけるぐらいにはメジャーなようだ。
自分は三日坊主になりそうなので、この手のことに着手するつもりはないな。
そのまま、VRMMOをプレイする際の諸注意と各種禁則事項、またクローズドβテスト参加における義務と権利、参加報酬について説明される。
注意と禁則事項は一般倫理に準ずる基本的なことなので割愛して、義務と権利について纏めるとしようか。
義務としては不具合の報告、意見の提出、イベントの参加などが義務だ。
定期的にゲーム内で発生するイベントには積極的に参加し、その中で得た感想や体感、体験などを配布される書式を参考に記入して提出する。
これを怠った場合、または非協力的だと捉えられるような内容だった場合、テスト権利の剥奪やオープンβの参加などに制限がかかる恐れがあるとのこと。
まぁ、クローズドβテストでテストして下さいと言っているのに無視して遊んでいるだけなら、当然ペナルティは受けるというものだ。
オープンβの参加制限については今でも稀に議論の元になったりするが、昨今では概ね当然のこととして受け止められている。
そりゃ、誰だって人の話を聞いてくれない奴とは付き合いたくない。
プレイヤーも運営も、そういう人間の相手をするのは迷惑に感じるのは同じだ。
権利は改善案や、追加要素の要請など、雑多な意見の提出が認められる点だ。
クローズドβに参加したプレイヤーの最大の権利は遊べることではなく、この意見具申の権利だというのがVRMMOプレイヤーの共通認識だ……と、俺は思っている。
自分の我儘を通したい、というものから、ここが良くなれば最高だ、というものまで基本的には幅広く意見を提出できる。 規制が強くないのは、これが権利だからだ。
そうして提出された雑多な意見は言語分析分解プログラムで整理整頓、意見を抽出して運営サイドと開発サイドの双方で検討される。
プレイヤーの意見を汲み取ること、それは言わば会社側の義務だ。
この工程を疎かにしたタイトルは、どんなに鳴り物入りで登場した大手タイトルでも一発でコケる。
ゲームと言う文化、MMOというジャンルが誕生して、VRMMOが一般的となって……長い歴史の上に築かれた今、プレイヤーと運営の立場は同じと言える。
互いがいなければ成り立たない、故に互いを尊重した関係を築かなければならない。
俺はこれが正しい姿だと思う。
もっとも、ネットでは未だに『お客様』的な意見を述べるユーザーもいるが、ごく少数派だ。
多くのユーザーはそういう奴らのことを気にも留めない。
……っと、意識が脱線していた。
すぐに思考が広がるのは自分の悪い癖だ。
適度に意識していないとすぐに妄想や考察が果てしなく広がってしまう。
参加報酬については嬉しい話だ。
オープンβの優先招待権利が授与されるそうだ。
もっとも、こちらには条件が幾つかあるそうで、一つは「積極的なテストへの参加」というもの、もう一つは「テスト参加時間」で、これは毎日約二時間程度を基準として計算されるそうで、今回のテスト期間である二週間――つまり、約二十八時間のテスト参加が条件となるそうだ。
そして、最後の一つが「最終日イベント」への参加。
「――はい、クローズドβテスト最終日にはイベントがありますので、プレイヤーの皆様は奮ってご参加頂ければと思います。
以上の三点を達成された方に、オープンβテストへの優先参加権利が与えられます。
こちらの権利を獲得された方は、オープンβテストへの参加を一般参加の方よりも早く体験していただくことが可能になります」
なるほど、条件はそこまで難しくないが人によっては都合が合わなかったり、肌が合わない部分もあるだろう。
そこで、都合をつけてゲームがある程度できる人間、ゲームが好きな人間を優先的に招待する権利を提供することで、オープンβテストでも快く協力してくれる人を確保する狙いがあるのか。
自分としては何ら問題がない条件だ。
むしろ、最終日イベントが非常に気になる。
一体、どんなイベントを予定しているのだろうか……今から楽しみで仕方がないな。
よし、テンション上がってきた。
女神も最後の説明を終えたのか、各種ウィンドウやジオラマが全て閉じていく。
白い空間に浮かぶ窓辺からは、青々とした木々の奥に覗く冒険者のホームタウンが見える。
神々しい女神はふっと柔らかい笑みを浮かべると手を振りかざし、それに合わせて窓がそっと開け放たれていく。
滑り込んできた風が、その青い匂いが体を突き抜け、異世界へ来たことを感じさせてくれる。
「さぁ、冒険者よ旅立ちなさい。 貴方に神々の加護が授からんことを……」
Act01終了です。
本編開始と言いながら区切り的にはここで一つ。
説明回が続くのは仕様とは言え、申し訳ない気がします。
もうちょっとだけ続くんじゃよ。