Act.08「Carnival」#6
――ビゼン視点――
私は今日、ここで死ぬのだと直感した。
この仮想の世界で死んだことは何度もあり、両手で数えられないだけの回数を経験してきた。
その度に、死への恐怖のようなものを感じていたが、それらはすぐに悔しいと思う気持ちに掻き消されていった。
仮想現実で体験する様々な経験は、実に多くの事を教えてくれる。
しかし、一方でどこか現実とは別の場所にあるような、映画やドラマでも見ているかのような奇妙な感覚があった。
まるで傍観者として自分を見ているような感覚だ。
気持ちのどこかで「この経験は偽物だ」とでも思っていたのかもしれない。
そんな私が、いま目の前にいる黒衣の騎士から感じ取っているイメージ……それが、死だった。
生まれてこの方、自分が死ぬ時の事なんて考えたことが無い。
まだ義務教育を終えたばかりの歳だからそれも当たり前かもしれないが、やはり、平和な日本で生まれて、幸せな家庭で育ってきた私は生死というものへの緊張感が薄かったのだと思う。
いつかは死ぬだろうが、それはずっと遠い先の話。
それが、私を含む同じ年頃の総意だと思う。
そんな淡い価値観を、真っ向から塗りつぶし、叩き潰し、粉々に砕こうとする強烈な意思。
髑髏の面に灯る赤い眼光を滾らせ、素早い身のこなしで容赦なく襲い掛かる敵。
そう、敵だ。
目の前にいる奴は、紛うことなき私の敵だった。
争いのない平和な時代に生まれ、振るう場所など無いと思いつつも惰性で続けていた……惰性で続けていたのは本当だけど、それでも大好きな祖父から一生懸命に学んできた剣術。
剣術は剣道ではない。
古より伝わりし人を殺すことを追求した技術体系、それが剣術だ。
剣の道を通じて、人の道を説く剣道とは趣旨が全く違う存在。
祖父も人を斬ったことは無いと言う、当然だろう。
私が人を斬ることもないだろうと思っていた、当然だ。
しかし、剣術を学ぶことに意味があると私は考えていた。
惰性だ何だと言いつつ、継承されて来たことに意味があると信じていた。
――。
胸が高鳴るのを感じる。
――ン。
アバターには心臓は無い、だからアバターが鼓動を刻むことは無いのだと彼らは言っていた。
もし感じたとしても、それは錯覚だと。
――クン。
ならば、いま感じている私の胸の鼓動は錯覚なのだろう。
仮想世界で夢を見ているような、今の私はそんな状態なのだろう。
――トクン。
私は夢の覚えが良い方で、今まで見て来た色々な夢を覚えている。
楽しい夢も、怖い夢も、哀しい夢も、変な夢も……色々と見て来た。
――ドクン。
私は今から死ぬ。
この夢の中で死ぬ。
それは、私の直観でしかないが、きっとこの予想は外れない。
私は確信していた。
――ドクン。
だが、同時にもう一つの未来を直感していた。
私はかつて一度だけ見た夢を思い出す。
幼い頃に大河ドラマを見て、その登場人物に自分を重ねて見た夢。
幕末の時代に、次々と人を斬って捨てた侍の夢。
真っ赤に染まる血と、夜闇の暗さが堪らなく怖いと感じていた。
人を次々と切り裂いていくと言う恐ろしいことを、淡々とこなす私自身が怖かった。
でも、何よりも怖かったのは……侍になった私は笑っていたのだ。
――ドクン!
同じ夢を見ることはあまりないのだが、私はあの日の侍の夢をもう一度見るのだろう。
――ドクン!
私は、ここで死ぬのだ。
「――いやぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!」
死神の鎌の如く首を狙って放たれた必殺の一撃。
当然、喰らっても大ダメージで済むなんてことは無く、おそらく即死するだけの威力があるだろう。
避けられるか、否だ。
奴の間合いの縮め方は素早く、絶妙なタイミングと歩幅で斬撃を放っている。
私が躱そうと退いたところで、剣の軌道と間合いをそれに合わせて調整する余力を有しているだろう。
祖父もこの一瞬で勝負を決めるほどの苛烈な必殺剣を得意としていた。
だから私の体は、自然に反応して前へと躍り出ていた。
自ら死神の鎌へと、死神の腕に抱かれるように前へと出る。
だが、自殺の意思を持って動いたわけではない。
死中にこそ活あり。
私の体を奴の制する間合いの更に奥に捻じ込ませ、慣れ親しんだ愛刀を鞘から解き放つ。
まだ付き合ってから一月どころか半月も経っていないような仲ではある。
しかしそんなことは些細なことなのだろう、体の一部と思える程に馴染んだ刀は、まるで私の神経が通っているかのように迅速に行動を起こす。
私は身を屈めるように体を捻りながら、手首と肩、腰のしなりを最大限に活用して、凶刃に真っ向から刀をぶつけ、そのまま勢いごと刀身を削ぐ様にして一撃を受け流す。
金属同士が打ち付けられる音、擦れ合う悲鳴、直後の残響。
火花こそ散りはしなかったが、手が痺れるような重さを感じていた。
私は武器を落とさないようにグッと震える指先に力を込める。
この感覚は錯覚ではない。
VRゲームにおける状態異常の一つ、瞬間的なステータスダウンによるペナルティ効果だ。
強力な攻撃同士の相殺などが起こると、一定条件下でこの現象が発生する。
その際に、堪え切れなければ武器を取り落してしまい、対戦相手に大きなアドバンテージが与えられてしまい、形勢が一気に不利になってしまう。
地味だが厄介なステータス異常なのだと教えられた。
現に、それで何度も窮地に立たされたことがあり、強敵との戦いの際には常に気を付けるべき効果なのだ。
間違いなく、この敵は過去最強の敵だ。
今までに教えてもらった知識、得て来た経験を総動員して当たらなければならない。
一分でも、一秒でも、より長く戦う為に。
私は勢いそのままに地面に接するほど深く沈み込んで、足元への奇襲を仕掛ける。
「≪草薙≫!」
浅い!
スキルが発動し、残光を靡かせながら放たれた私の一撃は狙い通り敵の足甲に命中する。
しかし、敵も私の動きを見て警戒していたのだろう。
すかさずに退いたことで浅く傷つけるだけに止まり、致命傷や部位欠損状態にまでは持っていけなかったようだ。
だが、ここで攻撃の手を緩めるわけにはいかない。
私がこの世界で今まで磨いてきた剣技は連続剣。
攻めて攻めて攻める。
攻撃こそが最大の防御だと言わんばかりの、怒涛のラッシュで圧倒するスタイルだった。
自分の全てを吐き出すつもりで、私は剣を振るう。
「≪竜巻≫!」
風をも引き裂き真空を生む程の素早い斬撃を生む斬り上げ技。
飛び上がるようにして斬り抜くこの技は、直前の地を這う≪草薙≫のモーションから出すのは少し困難な技だ。
連携させるためにはタイミングと、≪草薙≫を使う際の構え方にコツがある。
真空の刃が更に離れようとした死神の胴を浅く抉る。
仮にクイーンヒットしても致命傷に至らないことは分かっていたし、回避される可能性も十分に考えていた。
実際に奴は回避を成功させた。
表情の変化が無いはずの奴の仮面が、私が技を放った後の姿勢を見てニヤリと笑っているようにすら見えた。
スキルの発動によって空中に躍り出た私の体は、格好の餌食に見えるだろう。
その判断は間違っていないが……私はさっきも述べたとおり、むざむざ自殺してあげる気は無い。
「≪サークルブレード≫!」
空中でそのまま独楽のように一回転して斬撃を放つ。
それを奴は剣で受け止める。
がりがりと削り、喰らい合う音が聞こえる。
スキルによる補正が失われる頃には、私も無事に着地していた。
これが新たに編み出した回転系の剣技による三段連撃、通称は『独楽コンボ(アカツキ命名)』。
技ごとの隙を無くす為に連携技へと発展させようとしても、モーションが奇抜だと中々組み込むのが難しい。
その筆頭でもある刀専用技の≪竜巻≫は半回転以上の捻りと、跳躍しながらの斬撃という特異なモーションから、威力が高いものの使い勝手が悪くて使用率の低いスキルだった。
それを何とか使えないかと試した結果、同じく回転系の刀専用技≪草薙≫を介しての二連撃までは独力で漕ぎ着けたのだ。
直前の≪草薙≫によって相手の足を奪い、続く高威力の≪竜巻≫によって必殺の威力を出す。
結局、私の発想では≪竜巻≫に続く技が思いつかなかったのだが、ジンのアドバイスで空中で≪サークルブレード≫を使うという発想に至る。
偶然の産物になるけれど、≪草薙≫と≪竜巻≫で得た回転の勢いによって、空中でも≪サークルブレード≫を十分な威力で放つことが可能だった。
正直に言えば、ただ単純に出すよりも≪サークルブレード≫の威力が高いほどだ。
難点を上げるとすれば、踏切や繋ぎのタイミングを間違えれば連携せずに止まってしまったり、あらぬ方向に攻撃を仕掛けて致命的な隙になったりする危険な連携技でもある。
苦心して習得した甲斐があって、今ではほぼ完璧なタイミングで調整できていると自負している。
私の反撃を受けた黒衣の将軍だが、その全てを見事に受け切っていた。
次の瞬間には一足で間合いを詰め、恐ろしい速度で豪快に剣を振りおろしてきた。
正直、この速度であの長大な曲刀から繰り出される威力は計り知れないものがある。
既にさっきの衝撃波で防具もHPもボロボロなので、今の私ではこの攻撃を正面切って受け止めきれる自信は無い。
かといって、下手な回避など目の前の達人の前では無いに等しいだろう。
逃げ出したい思いを押し留め、足を地面に縫い付ける。
私は腹をくくった。
あとは相棒を信じるのみだ。
「ぬぅん!」
「やぁっ!」
大地を割らんとするかのような一撃を、私はこの細身の刀でそっと受け止め――流す!
ボッと耳元で風が死んでいく断末魔が聞こえた。
今度こそ火花が散り、私の頬を明るく染め上げる。
目の前の男の仮面にも火花が反射し、動かぬはずの表情に不気味な影を揺らめかせた。
「でぇい!」
「≪スラッシュ≫!」
返す刀で振り抜かれた横薙ぎの一撃は、スキルを発動させた私の刀がその威力で弾き返す。
受け流した時よりもHPががくんと減ってしまうが、まだ死ぬようなレベルじゃない。
あと数度はこの手で凌げるはずだ。
轟音を唸らせて閃く斬撃を、薄皮一枚で回避する。
最大のチャンスに素早くスキルを捻じ込む。
「≪飛燕≫!」
刀専用技の中ではスキルのモーションと隙が極めて小さく、斬撃が目にも止まらぬ速さで駆け抜ける≪飛燕≫は使う時と場所を選ばない優秀なスキルだ。
惜しむらくは再使用までに時間がかかるという点。
刀の専用技は総じて再使用までの時間が長いのだが、≪飛燕≫は最も長い部類だ。
しかし、その再使用時間の長さを理由に温存するのは愚の骨頂だと思う。
優秀なスキルだからこそ使えるときに使っておく。
再使用時間が長いなら、一度の戦闘中に一回でも多く使いたいなら早々に切るべき札なのだ。
私の放った斬撃は細く、鋭い残光を輝かせ、奴の鎧の肩口に浅い傷を穿つ。
確かに≪飛燕≫の威力はそこまで高くはないのだが、それでもやはりこの敵の硬さが抜きんでているとようだ。
ダメージ自体は確実に蓄積しているはずだが、奴の動きに陰りは一切見えない。
むしろ、≪飛燕≫を受けながらも体を捩り、全身の力を次の一撃の為に溜め込んでいた。
これまでで最大の一撃が放たれるであろうことは、襲い掛かる威圧感からもひしひしと伝わっていた。
だからこそ、ここが勝負どころだと感じ取る。
「≪五月雨突き≫ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいっ!!!!」
刀専用技≪五月雨突き≫は刺突系の連続攻撃スキルだ。
本来は正面に大してランダムな突きの弾幕を形成するようなスキルらしい。
しかし、実際には高速で振り抜き、戻される腕の運動を、その都度で意識的に操作すればある程度は狙い通りの場所を突くことが可能になる。
普通のプレイヤーはシステム側に高速で勝手に動かされる突きの動きの中で、自分がどう体を動かされているかを理解する、意識するのが難しいからされるがままに突いているのだそうだ。
私は剣術の稽古で培った経験が活きているのだろう、突きの動きを感じとり、それを意識的に制御することに成功した。
それによって、高速でピンポイントに連続して突きを放つことが出来るスキルへと進化を遂げた。
無造作な手数重視の弾幕から、正確無比な多段攻撃技へと進化したことで≪五月雨突き≫の本来持っていたポテンシャルの全てを、余すことなく発揮できるようになり攻撃力が飛躍的に上昇した。
私の習得した刀専用技の中でも、瞬間攻撃力では一、二を争うほどのまさに必殺技だ。
ただし、今回は一点突破の集中攻撃を仕掛けない。
高速で繰り出される突きを調整し、僅かな局部を狙って攻撃を放つ。
ミシンの様な連続した打突音が響き、≪五月雨突き≫は私の意思通りに敵の肩、肘、顔、喉といった急所を貫いていく。
強固な鎧を剥がせるわけではないが、今まさに解き放たれた必殺の意思を籠めた一撃を、数十発にも至る刺突の豪雨が怒涛の勢いで押し止まらせ、遂には見事に勢いを完全に殺しきる。
これには流石の死神も驚いたのか、髑髏の双眸に爛々と宿っていた赤い光が、激しい明滅を繰り返していた。
最後の一発は心臓に向けて放ち、敵の姿勢を大きく崩すことに成功する。
実は≪五月雨突き≫は技の後の硬直が長い。
こうして少しでも相手の体制を崩すか、この技でしっかりとトドメを刺さないと、無防備な体を敵前に差し出してしまうことになる。
残念ならが、この隙を打ち消す為に繋げられる連携可能な技は現在存在しない。
あとは敵が復帰する前に何とか動けるようになれば――
ドンッ!と、勢いよく突き飛ばされるような衝撃が全身を駆け抜けた。
不意に全身から力が抜けていく。
ぐらついた体を何とか倒れないように踏ん張って状態を確認する。
私の肩口から、大きな刀身が生えていた。
この禍々しくも美しい……長年使いこまれ、鍛え抜かれたような印象を受ける……そんな刀身を持ったこの曲刀は、黒衣の死神が放った死の宣告だ。
投擲。
ボルドーさんやアカツキ、そしてジンも習得しているこの技術は、私自身も良く見知っていた攻撃手段だったはずだ。
短い間だったが、剣技による応酬に夢中になり――なまじ、通じてしまい「勝てるかもしれない」と淡い幻想を抱いてしまったが故の油断。
十分に意識できたはずだった、対処できなかったわけじゃないはずだ。
いや、ここが勝負どころと≪五月雨突き≫を放った私のミス?
……完敗か。
急速に減っていくHPはやがてメーターを振り切ってゼロになり、私の体は砕け散るだろう。
あぁ、もう少しだけ、あと少しだけでも――
揺らぐ視界の中で、ふと彼と目が合った。
驚いたような、泣きだしそうな、そんな切ない表情をしていた。
なんだか、懐かしい彼の面影がそこに見えたようでちょっと可笑しかった。
何故、やられてしまった私よりも悲壮な顔をしているのか、と。
私はこれでも結構満足している。
自分の限界に挑戦したような、すっきりとした達成感がある。
口惜しさが無いわけじゃない。
だから、私はもう一度この場所に立ちたいと思った。
彼らが誘ってくれた、ドキドキとわくわくと、私の夢が詰まったこの世界。
……あぁ、そう言えば観光は結局あまりできなかったなぁ。
もっとゆっくり見て回りたかった。
正式版では、それこそ美しく幻想的な世界が堪能できるんだと、VRゲームをまだ知らなくて渋っていた私を説得するために必死にアピールしていたっけ。
あの時の二人の顔は、何だか情けなかったけど……凄く嬉しかったのを覚えている。
「……約束、忘れないでね……」
ふっと口から零れたその呟きを最後に、私の意識は世界から切り離されてしまった。
これが、クローズドβテストにおけるビゼンとしての私の最後だった。




