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Act.08「Carnival」#2




 唐突に周囲が暗くなる。

 それは高レベルの魔法を使った時に似た現象だった。

 周囲の色素が擦れていくように暗闇が広がるが、周囲の認識が困難になるわけじゃない。

 あくまで、光の明るさだけが失われていくような不思議な光景だ。

 聖堂の鐘の音が鳴り響くが、この町にはこれほどの大きな音を出せるサイズの鐘は無かったはずだ。

 中空が切り取られてノイズが走り、そこに映像が浮かび上がる。

 俺はそこに映し出された人物に見覚えがあった。

 このゲーム『Armageddon Online』の開発チームの総指揮を執る、草薙健のはずだ。


「――っで、いつ準備が、え、もう始まってる? 嘘、マジで?

 そういうの先にキュー切ってよ~! あ、あー。 マイクテス、マイクテス。

 コホン……大丈夫だよね? オッケー」


 髭も髪もぼさぼさで、よれたシャツにジーパンと冴えない格好だが、その眼だけは爛々と異様なほどに輝いている男だった。


「まず感謝を。

 当社の『Armageddon Online』は開発中であり、クローズドβテストと言ってもぶっちゃけαテストもどうかと言えるような、見切り発車状態で始めたであろうことは、懸命なテスター諸氏ならば察していた事と思う。

 数々の革新的な技術や、要素をふんだんに盛り込み、でもオーソドックスな領域から逸脱し過ぎて色物にならないようにと、細心の注意を払っていたのですが、皆さんにはバッサリ切り捨てられてしまい、逆に気持ち良さを感じてしまうぐらいでした。

 頻繁に行われるアップデートと言う名の仕様変更は、多くの有志検証グループや、廃人たちに迷惑を掛けたことと思いますが、それについては謝るつもりは一切ありません。

 ただただ、最終日の今日まで付き合ってくれたことに対する感謝の念で一杯であります。

 ありがとう、お疲れ様でした!」


 ぶっちゃけすぎたトークだが、ざっくばらんに裏事情を喋ってくれる彼の姿は、どこか親近感を抱かせるような気安さがあり、暖かい野次をもって迎えられていた。


「ところで、話は変わるんだけどテスター諸氏は気付いているだろうか?」


 急に声音を変えて彼が告げる。


「ログアウトが出来なくなっていることに」


 周囲には緊張感や戸惑いが走り――中には笑っているものもいたが――揃って一斉にメニューを操作し始めた。

 そして、驚愕の表情に変わっていく。

 慣れ親しんだログアウトの項目が黒いマーカーで塗りつぶされたかのようにされており、選択してみても一切の反応を示さなかった。


「こういう状況を見たことがある、聞いたことがある人も居るんじゃないだろうか。

 ある人は都市伝説で、ある人は小説や漫画などの創作物で……。

 VRゲームに囚われたプレイヤーが、己の命を懸けたデスゲームに参加させられるという話を。

 プレイヤーがハメられたことに気付く切っ掛けは、いつもデスゲームの開始をゲームマスターないし布告の為のオブジェクトが、プレイヤーが揃ったタイミングで開示されるんだよなぁ。

 そう、このように」


 広場の前、ギルドホールの上にモノリスが浮かんでいた。

 いつの間にと思う前に、石版には文字が刻まれていった。


「テスター諸氏にはこれから生き残りをかけたデスゲームをしてもらう。

 ルールは単純明快、生き延びろ。

 対戦相手はゲームマスターである俺、そして俺が作り上げたこの世界が、お前たちの敵であり……墓でもある」


 ざわめきが大きくなり、不安と怒りを綯い交ぜにしたような空気が膨らんでいく。


「さぁ、腕に自信があるテスター諸君!

 生き残りをかけたサバイバルの開幕だ!」


 ぱん。

 間の抜けた渇いた音が響き、破裂寸前だった空気が勢いを削がれた。

 原因は映像に映っていた。

 草薙の体に紙ひもが絡みつき、細く伸びる硝煙が開け放たれた円錐の底辺から漏れ出ていた。

 クラッカーだ。


「……なんてね、チープなやり取りだけどVRゲームファンなら一度はやってみたいシチュエーションだと思うだろ?

 ちょっとしたお茶目だから、どうか許してほしい。

 まぁ、ログアウトできなくしているのは確かに我々が施した処置であり、仕様だ」


 飄々とそう言い放つ彼の目は、更にぎらぎらとした輝きを増していた。


「ルールを説明しよう。

 まず、既に理解しているとは思うがデスゲームを始めるってのは真っ赤なウソ。

 本当はクローズドβテスト最終チェックフェーズ開始の宣言だ。

 わざわざイベントという形で最大の参加人数を確保しようと目論むくらいに重要なチェック項目ってワケだ」


 明け透けと言い放つ彼は、どうにも興奮しているようだ。

 目の下には濃い隈が


「さて、諸君には今一度、思い返して欲しいことがある。

 このゲーム『Armageddon Online』の最大の目標とは一体何か?

 それは、国家と国家の戦争を楽しむことだ。

 それが最大の売りであり、プレイヤーが楽しむこのゲームの最大のコンテンツともなる。

 ……だが、今回のテスト期間中にそれらしき要素は皆無だっただろう?

 我々としては意図的にその要素を省いて置いたのだが、「正直がっかりした」みたいな率直な御意見メールも頂いていた。

 これじゃ、従来のVRMMOと何ら変わりがない、と」


 草薙はそう言って区切り、周囲を見渡すようにモニターの向こうで視線を彷徨わせる。

 一瞬、俺と目が合った気がしたが、それは誰もが思っていただろう。

 何故なら、今はこの場に居る全てのテスターがこの配信を見ているのだから。


「待たせたな。

 君たちが求めているもの、俺たちが求めているもの……それをここに用意した!

 『Armageddon Online』クローズドβテスト最終イベントの開幕だ!」


 草薙の高らかな宣言によって告げられたイベントの始まり。

 それと同時に、四方の空に天を突く闇色の柱が突如屹立した。

 視界の前には豪奢なフォントで「グランドクエスト・怒りの日」と書き記された。


「諸君、それでは戦争を始めよう。

 ルールは単純、君たちはこれから殲滅される。

 勝利条件はたった一つ、その世界で二十四時間生き延びること、だ。

 東西南北のそれぞれの光の柱……闇の柱と言うべきか。

 それらは異世界からのゲートだ。

 君たちを倒すために無数の魔物が襲い掛かってくる!

 その中で、たった一日を生き抜けば君たちの勝利だ!

 ただし、死亡は即ゲームオーバーとなり、そのままログアウトしてもらうことになる」


 やり直しの効かない、一度限りのサバイバル戦。


「我々の予想では、幾ら一騎当千の君たち選りすぐりのビッグプレイヤー達が協力をしたところで勝てないと判断している。

 攻略できないようにしているわけではなく、死亡すると戦力が減ると言うルールが君たちにとってどれほど不利かを理解しているからだとだけ言っておこう。

 籠城しても良し、打って出ても良し、また、勇敢にも四方のゲートへと侵攻して逆にゲートを閉じても構わない。

 一切の手段、戦術、戦略も問わない。

 では、存分に堪能してくれたまえ!」


 彼の顔はまさに狂喜と呼ぶに相応しい表情をしていた。


「……あぁ、一つ言い忘れていた。

 もちろん、このイベント中の活躍に対して我々も十分な対価を用意するつもりなので、テスター諸君は奮ってご参加ください。

 なお、リアルで用事があり、どうしても参加できない方はGMコールによって個別で対応しますので悪しからずお願いします、その際も再度のログインはできません。

 また、誰か一人でもプレイヤー側の勝利条件、一日後の生存達成を果たした場合には、今この場所に参加している全員に正式版で豪華特典をお渡しする予定なので、そちらも参考にした上で存分に楽しんで下さいね~」


 今までのが全て演技だったのか、一気に眠そうで気だるげな声で説明した彼は、そのまま崩れ落ちる様に倒れて画面から消えてしまった。

 直後、慌てる数名の声と壮大ないびきが聞こえた所で映像もぶつりと切れてしまう。

 放送事故のおかげで今一つ締まりがないが、それでも、俺たちを痺れさせるには十分すぎる挑戦状だった。

 煽り上等だ。

 お前らには無理? 俄然やってやるという思いが高まる。


「おい、お前ら!」


 広場の真ん中で男が剣を抜き放って叫んだ。

 ボルドーだ。


「あの寝不足チーフをフルボッコにするぞ! 開発と戦争だ!」


 火に油を、更にそこに薪をくべるボルドー。

 微かにざわめいていた広場は、一気に弾ける様に熱を帯びた。


「うぉおおおおおお!」


「やってやる!」


「草薙ぶっころーす!」


「俺たち廃人様を舐めるなよ!」


「豪華景品と得点は俺たちのもんだー!」


 やいやいと騒ぎ始めたプレイヤーたちは、各々の獲物を抜き放って空へと掲げていた。

 俺もその流れに乗ろうとして、手に掛かる圧力に視線を向ける。

 ぎゅっと握りしめている小さな手が、普段よりも更に白く見える程に固く結ばれていた。

 熱が急激に冷め、彼女の顔を窺って見る。

 彼女は唇を強く結び、小さく震える体をもう片方の手で必死に抱きしめていた。


「……師匠?」


 俺はナンシーに声を掛けた。

 あまりにもその表情が真に迫っていたので、思わず口に出てしまったのだ。

 彼女の視線は足元を向いていた。

 NPCには今の映像は見えていないと思うし、周りのNPCは普段通りの動きをしているので関係ないと思うのだが……何故だろうか、彼女だけが違う反応を示していた。

 それが、妙に引っかかってしまう。


「……いえ、大丈夫です。 何でもありません」


 俺の問いにそう返す師匠は、一層強く手を握りしめて来た。

 言葉と行動にズレがある。

 どうしても気になってしまった俺は、更に彼女に訊ねようとして――


「おーい、ジーン! こっちだー!」


 友人たちに見つけられたようだ。

 俺を呼ぶ声を聴いたからか、ナンシーは繋いでいた手を慌てて振り解いた。

 突然の事に驚きながらも、繋いでいなかった方の手で友人たちには返事をする。

 背中を向けた彼女は、


「いきなさい、友人も呼んでいますよ」


 と、素っ気ない言葉を口にした。


「分かりました、では一旦友人の元へ行ってきます師匠。 また後で」


 自然と口に出してしまったが、クローズドβテストが終わったら彼女には会えないだろう。

 うっかりしていたなと思いつつも、彼女の反応を待ってみる。

 長い間沈黙していた彼女は、一言ぼつりと告げた。


「私の教えたことを、しっかり活かしてくださいね」


 そんな師匠らしいアピールを聞かされ、俺の気分も切り替わる。


「はい、頑張りますよ!」


「……では、私はこれで」


 少しの名残惜しさを感じつつ、彼女の小さな後姿が人の波に隠れて行くのを見守る。

 彼女の柔らかな手を握っていた掌を見る。

 俺には彼女から教わった魔法がある。

 それを最大限に活かす場面が用意されたのだと考えればいい。

 気持ちはすぐに戦闘モードになり、頭の中では魔法戦闘のシミュレーションが始まっていた。


 何か色々と考えていたこと、思っていたことがあったはずなのだが……綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 ……そもそも、何故俺は師匠と一緒に歩いていたんだったか……。

 大事なことも色々と離していたんじゃないかと思うので、自分の頭のことがちょっと心配になった。

 ゲームのし過ぎで頭が馬鹿になっているとは言われたく無いものだ。




 ――いやいや、おかしいだろ俺。

 何故、あんなことをすっかり無視して忘れ去ろうとしていたのかと、声を大にして叫びたくなる思いで一杯だった。

 そもそも、俺は彼女に何をしに会いに行ったのだったか。

 俺は彼女と何をして、俺はあの時に何を考えていたのか。

 記憶を一つ一つ思い出す程に、俺の行動に一貫性がない……と言うか、何と表現すればいいのだろう。

 まるで、別人が乗り移ったようなことをしていなかったか。


 ナンシーを祭りに誘ったのは、話の流れだったが俺の意思で間違いない。

 からかっていたのも、調子に乗った振る舞いも、色々と吹っ切れた俺がやったことだ。

 それは間違いないが……いや、それも少し怪しい気がする。

 何が悲しくて俺はゲームのNPCを、それも、よりにもよってクローズドβテストのNPC相手にエンジョイしなければならないのか。

 いや、百歩譲って「好きになったなら仕方ない」としてもだ、あまりにも「人間味のあるAI」だったとしてもだ、何故、彼女をそこまで気に掛ける必要があったのか。

 それこそ、考えても理由が出ない時点で答えの出ない問題なのだが……仮に「好きになってしまったので仲良くなりたい」と思うのが自然だったとして、だ。

 確かにナンシーは見た目も可愛いし、見ていて面白いキャラクターをしている。

 このテスト期間中、半分くらいの時間をナンシーと一緒に過ごしていた気がするし、正直嫌いなタイプじゃないのだが……俺が他人に入れ込むことが、そもそも変なのだ。

 自慢じゃないが、俺はまともな人間と付き合えるようなタイプの人間じゃないと思っている。

 思っていると言うか自覚していると言うべきか。


 俺は利己的な人間だ。

 世界が矛盾を幾つも抱えているように、俺も矛盾だらけの人間だ。

 差別を嫌いな感情はあるが、俺自身が他人に差別をしていないかと言えばそうじゃないだろう。

 友人には最大限の便宜を図るが、他人にはそんなつもりはさらさらない。

 何て言いながら、困っている人を見かけると気になってしまうし、自分にできることならば手伝ってもいいんじゃないかと考えてしまう。

 でも、それも結局面倒臭いかどうかで決めてしまう。

 用事があれば見て見ぬふりは当然だし、わざわざ厄介ごとに自分から首を突っ込むつもりもない。

 自分にとって都合がいいように物事を解釈するし、他人を利用してやろうとも考えている。

 容赦なく損得で割り切る一方で、損を自ら被るのも悪くないとか考えている時もある。

 自分自身でも自分の価値観が把握できないぐらいブレている人間なのだ。

 刹那的だと言ってもいいだろう。


 そんな信念も何もない人間が、他人を幸せになんてできるはずがないのは明白だ。

 現に、彼女のことをNPCだからと弄んだはずだ。

 なのに都合よく無かったかのように振舞っていた自分に激しい憤りを感じる。

 いや、それはまだ自分という人間がそういう人格だと理解してやれないこともない。

 問題は、そうやって理屈で動いていたはずの自分が、全くそういう意思を介入させないままに彼女とデートをしていたという事だ。

 そもそも、何故俺は彼女に抱き付いてしまったのか。

 何故涙を流していたのか、それが全く理解できない。

 自分の事が分からなくなるのは初めての事じゃないが、あそこまで前後不覚に陥っているというのも他に類を見ない状況だったはずだ。

 恋をすれば脳の構造が変わるとか聞いた覚えもあるが、果たしてあの感情は恋だったのかどうかも理解できない。

 今にして思えば、誰かが自分の体を乗っ取っていたようにすら思える。

 ……それこそ馬鹿馬鹿しい話だ。

 VR機器は確かに電子機器だし、ハッキングなどをされないとは言い切れないだろう。

 ただし、それを介して第三者がアバターをハックしたという事案は過去に例が無い。

 ゲームデータのアカウント情報や個人情報などの流出は幾度かあったと思うが、VR機器を利用するオンラインゲームは利用に生体データ認証を用いているので偽造がほぼ不可能ということだ。

 理論的には完全な防御手段ではないだろうが、たかがゲームにおいて最先端技術の更に上を行く技術を開発してまでハッキングする価値は無い。

 それこそ、都市伝説にもならないくらいの陳腐な妄想だろう。

 現実としてリターンが無さ過ぎて赤字必死だ。

 アバターが乗っ取られたというのは非現実的な回答なのは間違いないはずだ。


 だが、確かに俺の行動は支離滅裂で説明が付かない状態だったのも事実だ。

 一体全体、あの時の俺には何が起きていたと言うのか。

 少なくとも、まともな精神状態じゃなかったことは推測が付く。

 ……そう、推測にしからないのだ。

 体感していたはずなのに、記憶を洗い直してもまるでそれを傍で目撃していたかのような、実感の伴わないただの記録データのような存在として感じるのだ。


「――どうした、ジン?」


 急に声を掛けられたことで意識が引き戻される。

 ボルドーが心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「大丈夫か?」


「あぁ、問題ない……少しぼーっとしていた」


 余程酷い顔をしていたのだろう、頬を叩いて気合を入れる。

 いま俺たちが居る場所はギルドホール内の貸出会議室だ。

 グランドクエスト攻略に向けて、俺たち冒険者が一致団結する為にとこの場所を借り受けた。

 ボルドーは冒険者連合の総指揮官だ。

 本人は戦場を我先にと駆け抜けたい思いがあるようだが、クエストの攻略に焦点を絞ることで自分自身を諌めていた。

 基本はイケイケだが、考慮すべき点はしっかり頭を使う。

 頭脳派筋肉というアルテイシアさんたち親しいメンバーが付けた彼のあだ名も納得だ。


「はは、頼むぜ! お前さんは俺たちの最終兵器なんだからな!」


 ボルドーは何が楽しいのか笑いながら俺の背中をバシバシと遠慮なく叩いてくる。

 痛くは無いのだが視界がぶれて面倒なのだ。


「そういうのは、生産してない時にしてくれ」


「おっとすまん! ヘマしちまったか?」


「このレベルのレシピなら下手は打たないけど、だからっていいもんでもないだろ」


「そりゃそうだ」


 俺は肩を竦めたボルドーに出来上がったばかりのアイテムを投げ渡す。

 既に幾多に渡る仕様の変更により、基本的なアイテムには所有権という概念が無くなっている。

 冒険者カードに予め登録しておいたメイン装備と特殊なアイテムを除けば、ほぼ全てのアイテムが手渡すだけでアイテムを受け渡すことが出来る。

 特殊な仕様のアイテム類以外では冒険者カード内に格納した状態のアイテムだけが、従来のトレード方法の対象になるようになったのだ。

 これにより、具現化状態のアイテム――つまり、ポーチやポシェット、バックパックなどに装備しているアイテムは冒険者が力尽きた後にその場にドロップするようになった。

 冒険者の意識がある状態でも盗む、奪うことが可能となり、それによってちょっとした事件に巻き込まれたりもしたのだが……まぁ、それは今はいい。

 俺が投げ渡したアイテムを見ていたボルドーは、しばらくして満足したのか大きく頷いていた。


「流石だな、良い性能をしている」


「量産型のヒールポーションだぞ」


「何のなんの、生産職が今は貴重だからな……三千人という戦力を十分に補給できる体制を作らなければ、持久戦では到底勝てんさ。

 そういう意味では、生産に特化したプレイヤーがこれだけ居るというのはありがたいことだ」


 彼がそう言って掲げているのは、今回のグランドクエストで戦闘ではなく生産で参加することになったメンバーのリストだ。

 理由は様々だが、戦闘が苦手なプレイヤーを交え、生産一筋で遊びたいというプレイヤーを中心に補給部隊として活躍してもらうことになったわけだ。

 このクエストは二十四時間にも及ぶ耐久試合になる。

 町中のアイテムは早々に冒険者によって買い占められ、全てのショップから既製品のアイテムが枯渇してしまった。

 そこで脚光を浴びる形になったのが生産職だ。

 プレイヤーからは『産業革命』と呼ばれている生産職の大幅強化から注目されていた生産職の存在意義が、戦争と言う大量消費の到来によって表舞台に競り上がって来た形だ。

 クローズドβテストの特権として、スキルの振り直しが無制限に可能だと言う点も手伝って、来る決戦に向けて戦闘に不慣れなプレイヤーも生産スキルを取得してバックアップとして活躍の場を得ている。

 元戦闘組プレイヤーは完全な生産職ではなく、生産用の素材を確保する為のスキル振りをして近場での採取活動も担当してもらう予定だ。

 もっとも、その為にはまず成さねばならない事がある。


「で、戦況はどうなってる?」


「今のところは順調なようだ」


 ボルドーの視線に促されるように、俺は会議室の大きなテーブルに広げられた、これまた大きな地図に目をやる。

 クローズドβテストの為に用意された舞台『箱庭』の隅々までを歩き、記した箱庭全図。

 これを作り上げたのがたった一人のプレイヤーの力だと言うのだから驚きだ。

 流石に生ける伝説と謳われる『地図屋』といった所だろう。

 彼はこの地図を託すだけで戦争には直接参加しないと告げたそうだが、これだけでも十分な価値があるのは明白だ。

 その拠点やダンジョンの場所、高低差や地形の特徴などが詳細に書き込まれた偉大な地図の上には、小物屋で購入してきたチェスの駒を大量に並べて戦力分布を示していた。

 マップ中央の始まりの町ドミナ。

 そのど真ん中に置かれているのは白いキングの駒だ。

 非戦闘員や作戦指揮所となるギルド、その他諸々の集まりから最弱にして最重要となる王の駒を配置している。

 その周囲に展開しているのは殆どすべてが白のポーンだ。

 人の足での機動力としても、戦力の単純な比較としても、数の上でも、最も状況を表しやすい。

 白のナイトの駒は現在各地の状況を確認する為に走っている、乗馬スキルを持つ少数からなる騎兵隊によって偵察任務に従事している。

 当面の彼らの目標はドミナ以外の拠点の安否確認と、四方に立ち昇る闇の柱の所在確認だ。

 大まかな方角と予想から、あの天を突く柱はダンジョンから聳え立っていると見ている。

 つまり、ダンジョン内にゲートがあり、塞ぐにはそのダンジョンを突破する必要があると言うのが冒険者側の予測だった。

 ナイトの駒は現在予定している行程の三分の二を消化しているようで、順調に展開しているようだ。

 直に各拠点の様子が報告されるだろう。

 ドミナの町の周辺、白いポーンの更に外側を囲むのは黒いポーンだ。

 現在展開している敵戦力は、およそ一万だと言われている。

 数こそ多いものの、構成している魔物はこのドミナ周辺の森で出る程度のレベルだ。

 生産職が腕によりをかけて作った装備によって強化された今の冒険者たちの敵ではない。

 敵ではないが、消耗すれば足元を掬われかねない。

 数の暴力は健在だ。

 幾ら優秀な装備に身を包んでいても、押し囲まれれば消耗は避けられない。

 そもそも、このゲームは比較的死にやすい部類だ。

 武器の性能や防具の性能がいかに優れていようとも、中の冒険者のステータス自体は以前とそれほど変化は無い。

 もっと正確に言えば、この世界では防御力を高めるのが非常に難しい。

 優秀な装備は基本的な防御力も勿論上がるのだが、ステータスの補正がメインでそこまで防御力自体には大きな変化はないのだ。

 回避や受け流し、防御スキルといった手札を上手く使って敵の攻撃を対処する能力が強く求められる。

 イメージとしては幾つもの壁があり、一定のラインを超えることでその壁を突破できるが、またその先の壁で止められると言うイメージだろうか。

 高難易度ダンジョンで受けるダメージで即死しなくなったからと言って、角兎の攻撃によってダメージを受けなくなるわけじゃない。

 三千対一万と聞けば、一人が大体三匹を相手にすれば勝てるような数だと割り切ってしまうこともできるが、突出して一対百にでもなってしまえば、トッププレイヤーでもアバターを無残に散らしてしまうことなりかねない。

 そこで活躍しているのが白のビショップの駒で表される魔法使いの存在だ。

 遠距離からの攻撃によって、敵を遠間から狩ることに成功しているようだ。

 ポーンの後ろ――戦士系の冒険者に守られながら、魔法使い系の冒険者が敵をドンドンと魔法で射抜いていく作戦だ。


 クエスト宣告後しばらくして発生した異変。

 町のNPCが騒いでいるので何事かと思えば、大量の魔物の群れが町を目指して迫っているという話だった。

 それが、俺たち冒険者が放り込まれた戦争の始まりだった。

 急遽チームを編成して迎撃に当たり、その間に補給の体勢を整えるまでに至った。

 現状はまだ手を打てているが、それも一時的なものだと理解している。

 これからどうなるか、それはまだ誰にも分かっていないのだ。


 一人の冒険者がボルドーに駆け寄り、戦況を伝えていた。


「……よし、掃討は無事に終わりそうだな」


 彼はそう言って駒を片付ける。

 どうやら東の敵は掃討が完了したらしく、そのまま転進して挟み込むようにしながら全周囲を攻略するようだ。

 ボルドーは伸びきっている東の戦線の後ろを敵に突かれることが無いように、後詰で配置していた部隊を展開して警戒に当たるよう伝令を頼んでいた。


「アカツキやビゼン達は上手くやってるみたいだな」


 二人はマグナたちやアルテイシアたち、いつものパーティで一緒に東部方面の戦力として展開していたはずだ。

 戦況が大きく動いたこと陰で彼らがどのように動いたのか、良く知るボルドーとしても想像に難くないのだろう。


「調子に乗ってやられてたら笑いものですけどね」


「ははは、あいつらがくたばるようなら俺もお手上げだ!」


 景気よく笑っていたボルドーだったが、すぐに顔を顰めた。

 冒険者カードを取り出して通話を始める。

 俺は生産の手を休めないまま様子を見守っていたが、緊張感の漂う彼の様子から状況を察した。


「すまん、早速だが出番の様だ」


「分かった」


 俺は生産の手を止めて立ち上がる。

 壁に立てかけていた杖を手にし、ローブをさっとひと払いして立ち上がる。


「北部方面に巨大な敵が現れたそうだ。

 ゴーレム系らしいが、とにかく尋常じゃない大きさとタフさで進撃してきているそうだ」


「了解だ、被害は?」


「今のところはまだ距離があるから被害は無いらしいが……このままだと確実に町まで迫るだろうな。

 南にも手強い奴がいるみたいでな、そっちには先に戦力を振っているから何とかなるだろう。

 万が一に備えて他の場所の上級魔法の使い手にも声を掛けておこうと思うんだが、どうする?」


「いや、それは俺が行ってから判断しよう」


 ボルドーは一言「分かった」と頷いて俺を送り出した。

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