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Act.08「Carnival」




 来客を知らせる鈴の音が響く。

 もう何度となく聞きなれた魔法屋のそれは、今日ばかりはとてもか細く聞こえた。

 プレイヤーを中心に盛り上がる町は、まるで本当にお祭りでも始まるかのような雰囲気で騒がしさをどんどんと増していた。

 NPCも既に多くの人数が参加しているようで、ユーザーが勝手に始めた屋台も盛況の様だ。

 魔法屋の近くでもケバブが売られていて、食欲を誘う香ばしい薫りがここまで漂ってきていた。


「あ……いらっしゃいませ」


 店員は不愛想な表情をこちらに向けた後、すぐにそっぽを向いてしまった。

 相変わらずの様子にちょっと安心してしまう。

 最初にあった時もそんな感じだったはずだ。

 扉が閉じた店内は、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 店のつくりを見てもそんなに防音に優れているように思えないのだが、そこはやはり魔法屋だからだろうか、魔法か何かで店内を快適に保っているのかもしれない。

 ただ、普段は騒音を防ぐこの仕組みも、賑やかで楽しげな雰囲気を遮断している今は、遠くに聞こえる祭りの音が余計に寂しさを誘う気がしてしまう。


「店員さん、今日は一人なの?」


「……いいえ、他にも居ますけどそれが何か」


 何食わぬ顔でそう尋ねると、目をぱちくりと瞬かせた後、むすっと頬を膨れてぶっきらぼうな答えが投げつけられた。


「だったら、店番を交代してもらってくれないか?」


「私じゃご不満ですか」


「あぁ」


「……分かりました、代わって貰えるように頼んできます」


 淵の広い帽子を目深に下げて顔を隠しながら、奥の通路へと行こうとする彼女の背中は寂しさで押し潰されてしまいそうなくらい小さく見えた。


「あともう一つ、聞きたいことがあるんだ」


「何でしょう」


「店員さんは、こんなに楽しそうな日なのに外に行かないつもりなのかな?」


「……えぇ、行っても無駄だと思いますから。

 誘う相手も居ないですし、一人なら店番でもしてる方が落ち着きますから」


「じゃあ、俺と一緒に見て回らないか」


「え?」


 振り返った彼女の顔は薄らと赤く、頬には一筋の滴が流れた跡があった。

 俺は自分の失敗を悟る。

 最低な自分への嫌悪感を握りつぶしながら、努めて明るい声で振舞う。


「実はさ、誘いたい人がいるんだけど勇気が無くて、君に相談に乗って欲しいんだ。

 誘いたい相手って言うのはナンシーって言って……俺の魔法の師匠なんだけど、ちょっとドジで不愛想に見えるところもあるんだけど、とても可愛い人なんだ。

 でも俺はダメなやつでさ、どうしてかいつも彼女の顔を歪めてしまうんだ」


「……それは、酷い性格をしていますね」


「だろ? だから、きっと彼女は俺の誘いには乗ってくれないと思うんだ。

 そこで、相談に乗って欲しんだけど……どうすればいいと思う?」


「……そうですね、まずは誠意を見せましょう。

 土下座して謝ればいんじゃないですか?」


「すみませんでした、俺が悪かったです!」


 俺は即座にその場で額を地面に叩き付ける勢いで土下座をする。


「次にそうですね……彼女の好きな所を言って褒めてみるとか――」


「さらさらの青い髪が好きです、白くてすべすべな肌も好きです、不愛想に見えるけど実は表情豊かな顔も好きです、小柄で可愛らしいところも好きです、優しくて教え上手なところも好きです、実はドジなところも好きです、落ち着いた声も好きです、笑った時の花の様な笑顔も好きです、他にも――」


「あ、あー! こほん、こほん! その、もう……いいんじゃないでしょうか、うん。

 十分、あなたの思いはそれで伝わると思います。

 なので、最後に一つだけ……彼女はシロップがたっぷりかかったパンケーキが好きなんですが、美味しいお店に誘ってあげれば機嫌を直してくれるんじゃないでしょうか?

 そう、例えば北区にあるカフェ・カプリコーナのアイストッピング盛りパンケーキなどは、特に好きだと聞いた覚えがありますけど、流石に高いので――」


「アイス三段盛りでも、特製パフェを別に頼んでも構いません」


「……その言葉に偽りは無いんですね?」


「男に二言はありません」


「……では、そのまましばらく待っていてください。

 ナンシーさんが居たら、もし、仮にあなたを許して一緒に出掛けても良いと承諾してくれたなら、ここに呼び出してあげます」


「はい、お願いします!」


「……馬鹿ですね、あなたは」


「はい!」


 柔らかい声が俺の耳朶を打つ。

 あんなにも嬉しそうに言ってくれるなんて、そして、許してもらえるなんて思っても居なかった。

 いや、まだ許してもらったわけじゃない。

 彼女がここに再び現れた時に、初めて許してもらえるのだ。

 それでも、俺は胸のつっかえが取れたように気が楽になった。

 むしろ、楽になるどころか弾むような感覚だ。

 土下座しているのに嬉しいのだ。

 これじゃ変態と言われても仕方がないかもしれないな。


「……馬鹿弟子、来てやったぞ」


 いつになく威厳のある声で師匠は現れた。

 どうやら、俺の始めた茶番に付き合ってくれるそうだ。

 どんな顔をしながら付き合ってくれているのか興味があるが、今は土下座の身……逸る気持ちを押さえつけながら、まずは謝罪から始めることにする。


「はい、師匠! その節はまことに申し訳なく……」


「馬鹿、能書きはいい。 早く行くぞ」


 すげなくあしらわれたが、彼女なりの気遣いなのだろう。

 俺はますます頭を上げられなくなる思いだ。


「…………面を上げなさい」


「はい!」


 師匠のいう事には逆らわない。

 俺は顔を上げて師匠を見る。

 先ほどとは違い、ちょっと質の良い衣装ときめ細やかな生地で作られた上等なローブを纏っていた。

 帽子も普段の少しよれたものじゃなく、新品のようなピンとつばの伸びたものに変わっていた。

 よそ行き用に衣装直しをしてきてくれた、という事だろうか。


「女性をエスコートするのは男性の務めでしょう?」


 そう言って、彼女は少し頬を染めながら手を差し出してくる。

 終始、彼女のリードで展開しているがそのことはどうでも良かった。


「大役を預からせていただきます、師匠」


 彼女の傍に居れる、それだけのことがこんなにも楽しいと感じているのだから。


「存分に果たしなさい」


 俺は師匠の手を取り、彼女の歩調に合わせる様にゆっくりと引いて店外へと連れ出した。

 彼女は優雅に俺に手を引かれながら、店の敷居を跨ぐときにこけて俺にもたれ掛って来た。


「あ、あわわ……は、はわ……こほん、こほん!」


 何とか体勢を立て直して何事も無かったかのように振舞う師匠だったが、既に慌てふためく彼女の姿は目に焼き付いていて、偉大なる師匠というメッキは剥がれているも同然だった。

 それを分かっていても、俺も彼女もそんな一度もやり取りしたことのない師匠と弟子を演じたまま、北区へと向けて人混みの中を歩き始めた。




 カフェ・カプリコーナまで魔法屋からは徒歩で十五分程度といった所だ。

 しかし、この人混みのせいで思うように進めず、気が付けば三十分近く掛かってしまった。

 まぁ、その間も色々と屋台を眺めて回ったりしていたのだから、一概に人混みのせいだと言い切ることもできないのだが。

 今はたっぷりのシロップが掛かった三段アイス盛りパンケーキを頬張りつつ、コーヒーパフェに目を輝かせているナンシーを見ているだけの簡単なお仕事だ。

 俺はカフェオレを頂いている。

 ミルクたっぷりでシロップの香りと甘さが良いアクセントになっていて飲みやすい。

 ブラックも飲めなくはないが、俺もどちらかと言えば甘い方が好みだ。

 流石にパンケーキとパフェを同時に食べるほどではないが。

 ナンシーは甘いものが好きと言うのは意外だったと言うか……知らなかったからな。

 女の子の全部がそうだとは言わないが、甘いものが好きって言うのは如何にも女性らしいなと思ってしまう。

 夢中になって甘さを堪能している彼女の様子を見ているだけで、俺は満足していた。

 しっかりしろよ、俺。

 有耶無耶にするんじゃなく、ちゃんと向き合うと決めたんだから。

 ……分かってるさ、分かっているけど……今はもう少し、このままでいたい。

 あと少しだけと自分自身に言い聞かせて、彼女を見守らせてもらう事にする。

 そんな俺の視線に気づいたのか、少し恥ずかしそうに目を伏せて、視線をどこかへ彷徨わせて、耳まで赤く染めたと思ったら、意を決したようにこちらを睨みつけてきた。

 一体何だろうと思っていると、クッと顎を上げて精一杯に見下すようにして彼女はこう告げた。


「どれ、師匠ばかりが楽しんでいてもつまらないだろう。

 命令だ、あーんしろ」


「……」


「な、なんだその顔は! 師匠の命令だぞ、聞けないの……か」


 あ、これは拒否しちゃダメかもしれない。

 いやいやだからと言ってあーんって……あぁ、もう何だかな。


「あ、あーん」


 躊躇いがちに開けた俺の口に、シロップがたっぷり染み込んだパンケーキが突っ込まれる。

 甘い、かなり甘い。

 意外と口の中に重さがある感じだったが、それを咀嚼して飲み込む。


「ど、どうだ」


 顔を真っ赤にしながら感想を訪ねてくる。


「あぁ、甘かったよ」


「それは……良い意味なのか」


「いい意味で甘かったよ……と言うか恥ずかしかった」


 素直な感想を述べると、それがトドメになったのだろう。

 ナンシーの肩から力が抜け、椅子にもたれ掛る様にして沈み込んだ。


「……私も恥ずかしかったです、と言うかもう無理! 降参です!

 慣れない口調はするもんじゃないですね……あむ」


「俺はそんな口調の師匠も嫌いじゃないですよ」


 そのまま、気付いているのか居ないのか、俺の口に放り込んだフォークでパンケーキを頬張る。

 間接キスだ。

 その前に俺も間接キスさせられているわけだが……いや、アバターで間接キスってなんだ。

 アバターは俺の間接的な肉体だとすると、正しくは間接間接キスと言うべきか?

 何だかゲームの連携技みたいな名前だな。

 一週回って直接キス……にはならないな、なるわけがない。

 よし、少し余裕が戻ってきた。

 カフェオレを口に含んでみると、苦さが全面的に押し出された。


「いいえ、無理ですね……あむ、もぐもぐ……私の気力が持ちません」


「そうですか」


「そうです……あむあむ、もぐ……それで、何か話したいことがあったんじゃないですか?」


「いえ、別に無いですよ」


 彼女の核心を突いた言葉に不意を突かれた俺は咄嗟に否定してしまう。


「……相変わらず嘘が下手ですね、すぐに顔に出るんですよジンは」


 そう言われて、俺は自分の顔に触れてしまい……失敗したことを自覚した。


「……やられました」


「ふふん、あなたの師匠ですから」


 してやったりと笑う彼女の顔はどこか誇らしげで自慢げだ。

 俺は降参とばかりに両手を上げる。


「お見逸れしました」


「では、本当のことを言ってください」


「……師匠とデートをしたかったんですよ」


「ま、またまた嘘ばっかり」


 ナンシーも大概、動揺が表に出るタイプだよな。

 この師匠にこの弟子あり、と言った所か。


「流石師匠、嘘です」


「あ、ぐ……えぇ分かっていましたよ! だから早く本当のことを喋ってください!」


 この世の絶望とでも言わんばかりに表情を歪める師匠。

 気丈に振舞っているが、少し声が上ずっているのが可愛らしい。


「ナンシーとデートしたかったんです」


「もう、からかってるんですか!」


「からかってはいますけど、本当の事ですよ。

 師匠なら俺の言葉が嘘かどうか分かりますよね?」


 さっき嘘が分かると言ったからな。

 それが本当かどうかはさておき彼女は正直に答えるしかあるまい。


「あ、うぅ……ず、ずるいですよそれは……私にだって分からないことはあるんですから……」


「師匠に分からないことがあるなんて思えませんけどね」


 もう一度追い打ちとばかりに口撃を加える。

 そろそろ、本題へと入りたいとも思っているのだが、こうして彼女とやり取りをするのが段々と楽しくなってきていた。

 あと少しだけ、戸惑う彼女の様子を見てみたいと思ってしまう。


「そんなことは無いですよ。 だって、あなたの心が分かりませんから……」


「あ、あー、俺って変な奴ですからね」


 やり過ぎた、これは俺の負けかもしれない。


「本当に、変な人ですよあなたは」


 そう言って、真っ赤になりながらクスリと微笑む姿に、俺の方が先にノックアウトされてしまう。

 あぁ、逆転KO負けだ。

 テクニカル判定なら七対三で勝てるかと思えたんだがな。

 終始リードを奪い、試合展開を優位に運んでいたという油断が、この結果を招いたと言えるだろう。

 窮鼠猫を噛むと言うが、俺はまさに小さな賢者に好奇心から手を出してしまい、痛い目を見るはめになった愚かな猫だと言える。

 好奇心が猫を殺すとはよく言ったものだな。


「……あなたもそんな顔するんですね」


「自分じゃどんな顔してるのか分からないな」


「ふふ、内緒です」


「そうですか」


「そうなんです」


 それからしばらく無言が続いた。

 ナンシーがパンケーキとパフェを食べる姿を、俺がただ見守るだけの時間だ。

 賑やかな表通りの声を聴きながら、俺たち二人はゆっくりとした時間を過ごしていた。

 何かを口にしなければとかそんな風に思ってしまうような、気まずさ故の沈黙みたいな空気はそこにはなくて、暖かな陽気の中で穏やかな風を感じながら読書を楽しんでいるかのような、そんなささやかな充足感に満ちていた。

 店内は都心部にある少しレトロな雰囲気の落ち着いた喫茶店といった感じだ。

 中世の雰囲気よりも、古い町並みの面影を残すヨーロッパを意識した作りと言うのがしっくりくる。

 客層はやはりというか、女性が多く、中にはカップルだと思われる人々もいた。

 俺たちがどう見られているのか、思われているのか、興味が無いと言えば嘘になる。

 今は彼女も食べ終えて、食後のコーヒーを堪能していた。

 飾り気のないシンプルな白いカップが、それに負けないくらい白い肌をした彼女の細い指で使われている。

 湯気の立つそれを薄紅色の小さな口元に当てている様は、まるで一枚の絵画のような完成度で俺の目を引き付けて離さない。

 俺は今、どんな顔をして彼女の事を見ているのだろうか。

 無様な姿を晒していないかどうか、考え始めると不安になる。

 いつまでもこのまま、こうして過ごしていてもいいんじゃないか……そう思える程に、俺はこの一時に安らぎを感じていた。

 それと同時に、この時間を壊したくない、終わらせたくないと思っていることも。


 だが分かっている。

 俺は彼女に聞かなければならないことがある、と。

 勇気をもって話を切り出さなければならない。

 そう思う程どこかで言葉が詰まってしまう。

 俺の意思を正しく反映するはずのアバターは、ただ黙したままその場に座り続けていた。

 意気地がない、情けない男だと自らを叱咤するも、思うように体が動かないのだ。

 VRゲームを得意としている自分が、まさか満足にアバターすらも動かせないなんて……一体、俺はどうしてしまったと言うのだろうか。

 己の小さな自信を大きく揺るがしかねない事態に戸惑いを覚える。

 そんな俺の内心の焦りと葛藤を知ってか知らずか、彼女の方が先に口を開いた。


「昔の話ですが、私には好きな人がいました」


 その一言に、いよいよ俺の体は凍り付いてしまう。

 彼女との距離がどこまでも遠くなり、向かい合って座っているはずなのにまるで大海で大陸を隔てられているかのような、そんな途方もない距離が開いたような気がしていた。

 訥々と語られる彼女の独白を、俺はただ黙って聞き入ることしかできなかった。


「彼との出会いは酷いものでした。

 当時の私は天才と呼ばれることを当然と思い、自らの才能を鼻に掛けた嫌な人間でした。

 他人を見下し、己の師匠すらも見下し、全てが自分の思い通りになると考えていました。

 だから……私を追放した学舎の連中を恨み、他者を傷つけてでも這い上がってやると、逆恨みに心を黒く染めていました。

 そんな時に、彼と私は出会いました」


 そう語る彼女の顔は穏やかで、遠い目の先には確かに彼女の言う彼が居るのだと理解した。

 その瞳に宿る彼女の思いと、その深さすらも感じ取れる気がした。


「彼の才能に嫉妬し、辛く当たり続けました。

 合縁奇縁と言いますか……殺したいほどに憎いと思いつつも、出会った日から行動を共にすることになって、様々な経験を経て、時には本当に彼の命を奪いそうになり……そこで、ふと気付いたんです。

 あぁ、私はこの人のことが好きなんだ、と。

 実は恥ずかしい話なのですが、これが私の初恋でした」


 ばつの悪そうにはにかむ彼女の表情に、ほんのりと染まる赤の色に、俺には計り知れない程に積み重なった想いの丈を見た。

 それは彼女を優しく包む羽衣のように、彼女を温め、守り、何よりも美しく見せていた。

 俺の胸の内に浮かぶこの感情には、何という名前が付いているのだったか。


「私は何でもできると思っていましたが、実は器用ではないようでして……その想いを伝えることが出来ず、彼が笑う姿を隣で見ているので精一杯でした。

 それまでの彼への態度もあったと思いますが……結局、あれは意地を張っていたのでしょうね。

 それすらも、彼には見抜かれていたのかもしれませんが」


 ふふっと小さく漏らし、過去へと思いを馳せているだろう彼女。

 目を背けることは出来なかった。


「――どうしてそうなったのかと言われれば、今でも不思議なものでして。

 彼に想いを伝えることになり……彼はそれを受け入れてくれました」


 この耳が聞こえることが辛い。


「幸せでした、たった一言で世界が変わる思いでした。

 魔導師として世界を変えたいと願っていた私が、呪文でもなんでもない、ただの一言を口にできただけで世界を変える程の素晴らしい魔法を使えたのです。

 それまで天才にしがみ付いていた私が馬鹿らしく思えてしまったのは、少し寂しい思いもしましたが……いい経験になったと思います」


 声が出せないことが恨めしい。


「ジン、私はね。 彼のおかげでここに居ます」


 胸が今にも張り裂けそうなのに。


「……だから、これだけ言わせてください。

 あなたが成すべきと思ったことを成して下さい、それが正しい道です。

 師匠として贈ることの出来る最後の魔法。 私のオリジナルの呪文です」


 何故、俺は此処に居るのか。


「これから苦しいことや辛いこと、悲しみや暗い感情が心優しいあなたを悩ませるでしょう。

 それらを全て乗り越えられるのがあなたの強みです。

 痛みも、苦しみも、悲しみも、全てがあなたの糧になり、前へ進む力となります。

 誤解を恐れてはいけません。

 あなたの本質は常に不変です、あなたの魂は確固たる自我を持っている。

 それは、あなたを誰よりも知っていると自負する私が保証します」


 嘘だと叫びたい衝動に駆られる。

 だが、心のどこかで喜ぶ自分が居るようで、惨めな気分に浸されて溺れそうだった。

 ぎゅっと、手を握られた。

 優しく包み込むように、力強く抱きしめる様に、彼女が俺の手を握りしめていた。


「不甲斐無い師匠ですみません。

 あなたの想いに最後まで応えられない駄目な女ですみません。

 でも、私の気持ちはあなたの煌めく魂のように絶対不変です」


 祈る様な必死さで、彼女は全身全霊を注ぐように俺に語り掛けていた。

 何故、俺にそんなことを言うのか。

 全く理解できなかった。

 なのに、俺の瞳からは涙がこぼれていた。

 小さな体を精一杯乗り出して彼女は俺の頭を抱き寄せた。

 柔らかな温もりが、彼女の体から伝わってくる。

 それが俺を縛り付けていた氷を溶かしたかのように、俺は体の感覚を取り戻した。

 胸の内に沸き上がった激情に身を焦がし、彼らの望むが儘に暴威を振るうのかと思いきや、俺の体は彼女を抱き返していた。

 まるで宝物を隠そうとするように、彼女の細い腰を抱き寄せていた。


「ごめん、ナンシー……ごめんな……」


 俺の口から洩れた言葉はそれだった。

 自分が発したとは思えない、深く傷つき渇き切った男の声だった。

 その言葉を耳にしたナンシーは一瞬体を強張らせ……気付けば、彼女も体を震わせて泣いていた。


「いいんです、あなたが居てくれただけで……その言葉が聞けただけで、私は十分ですから」


 周囲の視線が俺たち二人を好奇の視線で見ているのが分かった。

 だけど、俺たちはそのまましばらく抱き合っていた。

 小さな少女が大の男を優しく抱え込むその姿は、傍目にはさぞ滑稽に映ったに違いない。

 でも、そんなことは俺たちには関係なかった。

 ただこうすることが、ずっと前から決められていたお互いの役割のように。

 欠けていたピースが収まるべき場所に収まったかのように。

 そうしていることが自然な状態なのだと感じていた。


 胸の内を染めた闇色の感情が消え去ったわけじゃない。

 むしろ、その闇こそがこの瞬間を最も望んでいたように思う。

 何故なら、俺には彼がすすり泣く声が聞こえていたのだから。




 ………………

 …………

 ……




 手に感じる温もりにまだ戸惑いを感じているが、それ以上に嬉しいと思う自分が居て、その浮かれ具合の方が俺にはよっぽど信じ難いことだった。

 隣を歩く少女、俺の魔法の師匠でもあるナンシーの小さな手から伝わる熱は、俺の何倍もあるんじゃないかと思えるぐらいに熱かった。


「ジン、あの屋台の料理は好きですか?」


「焼き鳥は好きですよ、こう見えて結構良く食べるんだよね」


「なら、一緒に食べましょう! すみませーん、塩とタレを一本ずつ下さい!

 ……ほら、片手しか空いて無いんですから一本はそっちで持ってください」


 俺が代金を支払っている間に彼女はタレの方を握りしめていたので、俺は塩の方を受け取ることにした。


「ジン、あなたはタレの方が好きですよね?」


「……そうだけど、何で知ってるの?」


「ふふ、あなたのことは何でも知ってますからね!

 そして、私は塩の方が好きなんですよ……あーん」


「……あ、あーん」


「あむあむ……うん、美味しいですねー」


「……そう、だね……」


「味が分からないって顔してますよ?」


「……そう、だね……」


「では、次は私から先に。 はい、あーん」


「……」


「あー、ん!」


「……ぁー……ん」


「美味しいですか? あむ、あむ」


「うん、美味しいよ」


「……間接キスですね」


「……!? ッゲホ! ゴ、ゴホッ……!」


「落ち着いて下さいよ、全く……意外と可愛いんですね、ジンも」


「ば、馬鹿言うなよ……」


「天才でも馬鹿を言いたくなるんです!」


「そうですか」


「そうなんです」


 詳しくは覚えていないが、あの後、俺たちは二人で祭りを見て回っていた。

 いつから準備していたのか分からないが、華やかな飾りつけを施された街並みや、雑多な屋台、露店の数々が道行く人々を退屈させない。


「そこのカップルさん! 美男美女たぁ羨ましいね! 全くもって羨ましい!

 ところで、記念にどうだいペアリング! 露店で売ってるから怪しいと思うかもしれないが、この通り性能も悪くないし……今ならお安くしとくよ!」


 俺がそれに対してどう返せばいいのか分からずに固まっていると、ナンシーがすぐに対応してくれた。


「ごめんなさい、そういうのはもう間に合ってますから……またの機会にでも」


「たはは、そりゃ残念だ! 末永くお幸せにな! 爆発しろ!」


 陽気にそう言って露店のおっちゃんは俺たちを見送る。

 彼女が口にした言葉の意味に、俺がふっと心を曇らせていると、


「そんな顔をしないで楽しみなさい、ジン」


 繋いでいた俺の腕を胸元に抱きかかえるようにして、足の鈍った俺を引っ張っていった。

 彼女の表情は背中越しには見ることは出来ない。

 俺の腕を引く彼女は、何を考えて、どう思っていて……何故、俺は彼女と祭りを見物して回っているのか。

 何も分からないままだった。

 あの一幕のことも。

 ただ、今は彼女と過ごせるこの時間が嬉しくて、楽しくて。

 その考えは何度も浮かんでは、その都度溶ける様に消えていた。

 高まっていく祭りの陽気が、細かいことを気にさせないように働きかけているのかもしれなかった。

 揺れる彼女の青いおさげを、人混みを縫って進む小さな背中を、繋いだ手を離さないように俺は夢中で追いかけていた。

 頭の片隅では、もうすぐ終わりが来ると理解しているのに。

 いつまでもこのまま、二人で駈けていたいと俺は願ってしまうのだ。




 そして、鐘の音が魔法の終わりを告げる。

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