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Act.07「Crafter's Revolution」#2




 槌を打つ音が止む。

 熱気に満ちた工房内は静寂と言うには程遠いが、それでもしんと静まり返った。

 気付けば、俺たちを囲むようにギャラリーが増えている。

 正確に言えば、鍛冶師ヴェルンド・スミスの仕事を一目見ようと工房中の手が空いている人間が詰めているのだ。

 少し驚きと戸惑いを感じるが、そんなことよりも今は彼らの仕事を見届けなくてはならない。

 別に、魅惑の反復運動が目当てではなく、純粋に彼らの培ってきた技術に興味が沸いていた。

 詳しい知識が無いのが悔やまれるが、液体を掛けていたり、浸したりしたのは、刀の製造方法でも有名な水圧しと呼ばれる表面を急激に冷やすことで、余分な炭素などを削ぎ落とす工程に近いものだと思う。

 レシピでも似た様な工程をしていたのだとは思うが、二人は息を合わせてその作業を手早く進めていた。

 おそらく、金属の熱を如何にして長く維持し続けるか、熱のムラをなくして仕上げらるかを意識しているのだろう。

 金属は熱した状態で叩くことで密度を増し、余分な成分が外へ逃げると言う。

 今の行程はそれらの不純物を省いて純度を高める為の行程であり、様々な成分を含むパルミデン鉱石だからこそ最も重要な要素かもしれないと思ったのだ。

 あの黄金色の熱を放つ状態は、まさに親父が見つけた黄金比なのかもしれない。


「リーリア!」


「はい!」


 親父の合図で再び炉の温度管理に戻るリーリア。

 今度は一人で、親父が金属塊を叩き上げていく。

 鋏を巧みに使い、金床の上に乗せられた鋼を折り重ねる様にして叩き、見る見るうちに刀の形へと成形していく。

 打ち付けられる度に、パルミデン鋼は緋色の波紋を響かせていた。

 それを見ているのだろうか、親父は叩く場所や強さを変えながら、その波紋を刀身の全体に万遍なく行き渡らせる様にしている様だった。

 まるで、全身をその緋色の波紋に馴染ませるかのように、じっくりと丹念に、それでいて素早く刀身を練り上げていく。

 既に刀の姿をした鋼は、まだ未完成だと言うのにその存在感を見せつけてきていた。

 一度は折り重ねられて縮んだ鋼も、打ち延ばすことで立派な刀身へと変貌した。

 黄金色の輝きも、今では夕焼けの様な深い橙色の輝きを放っていた。


「リーリア!」


 親父が打ち終ったことでリーリアを呼ぶ。


「いつでも行けます!」


 打てば響く声でリーリアが返す。

 親父は炉に刀身を入れて再び全体を均一に熱した。

 頃合いを見計らって取り出したそれを、一気に水に浸して急冷した。

 再び立ち上がる白煙に視界が塞がれるが、何とか目を逸らすまいと一部始終を眺める。

 そして、勢いが収まった頃合いを見て刀身を引き上げ、研磨機を用いて荒削りを行い、更に手作業で全体を研磨して整えた。


「嬢ちゃん、折れた刀の柄があったよな? そいつを貰えるか」


「はい、どうぞ」


 呼びかけられたビゼンは手にしていた鞘を親父に手渡そうとして、少し驚いた後に中空で操作を……おそらく、トレード申請をされているのだろう、無事完了したのか親父に刀を手渡した。

 親父さんは慣れた手つきで渡された刀を分解し、折れた刀身を抜いて新たな刀身を嵌める。

 小さな道具で各部を調整し、満足がいったのか一つ頷いて刀を鞘にしまい、ビゼンと再びトレードを行って完成した刀を手渡した。


「……っ!?」


 そのステータスを確認していたのだろう、ビゼンが驚きに目を開き、息を飲んでいた。

 親父はやり遂げたのだろう、とても良い表情をしていた。

 俺もビゼンに頼んで刀のステータスを確認させてもらう。


▼無銘の太刀(ヴェルンド・スミス作)

 分類:刀 品質:優 STR+162

 特性:粘り(耐久値減少抑制、耐久値上昇補正、武器破壊耐性)


 参考までに言えば、現状で最大の攻撃補正を持つ特大剣の店売りで一番高い装備でSTRの補正が71だった。

 アカツキが装備しているあれがそうだ。

 群がる敵をバッタバッタと薙ぎ倒していたアレでSTR+71なのだ。

 あれを二本足してもまだ上回る攻撃力が、この刀には秘められているらしい。

 規格外もいいところである。

 とんでもない化物……もはや妖刀の類だろこれは。

 あまりのことに俺も驚きを隠せない。

 特性はボス攻略時などの宝箱からレア武器が出た際に付与されていることがあるもので、付いたり付かなかったりするユニーク効果だ。

 粘りは初めて聞く効果だが耐久値の減少を抑制……つまり刃こぼれがし難くなり、耐久値上昇補正……武器の頑丈さが強化され、武器破壊耐性……多分、武器破壊属性や効果のある技や攻撃に対してのアンチ性能を獲得しているということだろう。

 確かに要求通りの「攻撃力特化」で「頑丈」な武器に仕上がっている。

 ……ゲームのやり過ぎで目が霞んだのかもしれない、そう思って一度ウィンドウを閉じて再度開いてみるが結果は変わらず。

 今までの装備事情を覆すとんでもない逸品が完成したようだった。

 これには親父もご満足。


「へへっ、どうよ? これなら文句はあるまい!」


 などと言っていたが、それはひょっとしてギャグで言っているのだろうか。


「……なぁ、親父。 さっきの完成品のステータスってさ、もちろんギルドの掲示板で共有するんだよ……な?」


「藪から棒だな。 まぁ、そのつもりだぜ?

 ちゃんとスクリーンショットも保存してあるから、信憑性もバッチリだな!」


「そうか」


 これは大変だな。

 現状では装備の性能が頭打ちで悩んでいるプレイヤーが多い。

 前回のダンジョン攻略では俺たちは確かにクエストを攻略したが、その先のダンジョン自体のボスにはコテンパンにやられてしまった。

 何とかしばらくは粘ってみたものの、結局地力の差を如何ともできなくなってしまったのだ。

 戦えるようになったビゼンも武器が無くなり、文字通りの戦力外となったこともあったが、それを差し置いても地力の差、ゲームに置ける絶対の数字であるステータスが及ばないという結論に至ったのだ。

 そこにこうも簡単にポンと現状を打ち破る切っ掛け、ブレイクスルーが齎されてしまうとどうなるか。

 火を見るよりも明らかという話だ。

 間違いなく需要の高騰が発生し、生産職全体の人数不足によって供給が足りないだろう。

 まさか、クローズドβテストでハイパーインフレを目の当たりにすることになるとは、夢にも思わなかったな……俺の悪い予感で済めばいいが、そうならない未来が見える気がした。


「まぁ、何かあったら力を貸すよ……ありがとう、親父」


 とりあえず、俺はこの問題を投げることにした。

 当事者は親父たちであり、その引き金を引くのも親父たちの行動だ。

 俺は知らん。

 クローズドβテストという意味でも、そういう状況をどう対処すればいいのかという実験ができると考えれば何も問題は無いだろう。

 すべてはなるようにしかならん。

 せめてもの償いではないが、親父が困った時には手を貸すことを約束しておく。

 メニューからフレンド申請を出しておき、何かあったら連絡が付けられるようにしておこう。

 親父はそんな俺の内心を知らずか、笑顔で受け入れてくれた。


「はは、良いってことよ! 嬢ちゃんから貰った報酬でしばらくは気ままに試し打ちもできるしな!」


 そう言って気持ち良く笑っていたが、俺は親父の元気な姿が今後も見れるのか心配になって来た。

 多分、そのお金を自由に使うことも無く仕事に追われる日々になりますよ、なんて口が裂けても言えなかった。


「ヴェルンドさん、リーリアさん、ありがとうございました!」


「はは、大事に扱ってくれよ! メンテしたくなったらいつでも来い!」


「二人とも、頑張ってね!」


 にこやかな笑みを返してくれるリーリアさん。

 その笑顔に良心をチクチクと刺されている様な気がして俺は居心地が悪かった。

 工房を出るまで、何度そのスクリーンショットを上げるのは止めた方がいいと言いたくなったことか数え切れない。

 何とか振り切って店外に出た後、ビゼンに一言だけ忠告しておいた。


「あんまり、その刀を他人に見られない様にした方がいいぞ」


「え、何で?」


「お前を取り巻いて土下座するプレイヤーや、目の色を変えて殺しに掛かってくるプレイヤーと遭遇したくないならそうするべき」


「……何となく察した。 そんなに凄いものなんだ、この子……」


「凄いなんてレベルじゃなくて、ヤバイ。

 みんな我慢して自転車通学してるのに、一人だけスポーツカーに乗って登下校してるイメージ」


「うわ、何か良く分からないけど酷い絵になるのは理解できたわ……」


 俺の例えに前を歩くビゼンの顔色が変わる。

 尻尾もしゅんと項垂れて、袴を押さえつける様にして股に食い込んでいた。

 形の良いおしりのラインが露わになって、それはそれで眼福なのだが、そんな状態になってることを俺が見ていると知ったら、有無を言わさず手に入れた妖刀の試し切りにされてしまうだろう。

 とりあえず、間隔を詰めることで周囲から彼女の様子が見えないように隠してやることにした。

 気付かなかったとは言え、社会の窓が全開している状態で丸一日外で過ごした経験があるから、恥ずかしい格好を他人に見られていたかもしれないという、あの感情もよく理解できる。

 まぁ、獣人系の種族の尻尾や耳はわりと無意識に動いているみたいだし、気付く機会もないかもしれないが……周囲の奇異な視線さえなければ気付かないことだろうし、気付かないならそれでいいことだと俺は思う。

 それに、近づいたことで俺の視界にも入らなくなり、気にもならなくなると言う寸法だ。

 まだまだ俺も思春期真っ盛りの男子であり、性に関して無関心を装っても下心を隠しきれていないのだと痛感させられた……彼女でも作ることができれば、こういう感情に悩まされずに済むようになるのだろうか。

 まぁ、そんな予定は全くの未定だけどな!

 浮いた話の一つも無いぜ!


 ……アバターに涙が出なくて良かったと思ってしまうなんて、悔しいなぁ。


 その後、ビゼンは「明日があるから」と宿屋でログアウトした。

 俺はそれに対して気楽な返事を返して見送りつつ、自分自身に「明日があるのは俺もだけどな」と突っ込みを入れながら、その場を後にした。


 生産職に対しての興味が沸いてきたのだ。

 善は急げと言うので、ちょっと気になっていた生産職を覚えられないか情報を集めてみることにしたのだ。



「おや、珍しいところで会いましたね、ジン」


「あれ、師匠?」


 薬屋に着くと店内には見知った顔が居た。

 俺の魔法の師匠となった青い髪のおさげが可愛いナンシーだ。

 体つきも可愛らしいのだが、それを言うと人によっては馬鹿にしていると取られるので口には出さない。

 リーリアさんが近くに居れば、尚更言ってはいけないだろう。

 身長が近いだけに、より堪えてしまうはずだ。

 しかし、いつも魔法屋の奥の部屋に引きこもっているイメージのある師匠が、こんなところに居るなんて想像もしていなかった。

 散歩だろうか。


「……ジン、あなた何か失礼なことを考えてませんか?」


「滅相もないですよ、師匠」


 俺の周りにいる女性陣は勘が鋭い上にツッコミまで鋭いのだから堪らない。


「それならいいんですけど……その師匠って呼ぶの止めませんか?」


 ナンシーはしつこく追及してくるタイプじゃないので有難い。

 それはともかくとして、少し頬を染めているナンシーが斬新でちょっとドキッとする。

 何で染めてるのかは良く分からないが、基本が無表情な彼女の顔に色が浮かぶというのが何とも新鮮に映るのだ。

 師匠と呼ぶのを止めて欲しいと言っていたから、気恥ずかしいという事だろうか。


「師匠は師匠ですよ。 師匠は俺の師匠じゃないんですか?」


「え、あー、え? ……いえいえ、確かに師匠になりましたけど……何でややこしく言うんですか」


「慌てる師匠がかわいかったので、つい」


「……ばかにしないで下さい」


 やり過ぎたかもしれない、つんとそっぽを向かれてしまった。

 その仕草すらも何だか可愛らしいのだが、出来心でやってしまった悪戯なのだから、自分からちゃんと謝るべきだろう。


「すみません、師匠。 ちょっと度が過ぎました」


「つーん」


 口で言っちゃう人だったのか。 いや、人と言うかNPC?

 ともあれ、機嫌を直してもらえない様子。

 ……あれか、師匠と言い続けてる限りはダメとかいうアレか。

 むくむくと首をもたげてくる悪い衝動が、俺の背中を押してきた。


「師匠、怒らないで下さいよ!」


「ぷいっ」


「師匠、反省してますから」


「ふーん」


「……師匠、俺の事嫌いになりましたか?」


「……ふん」


「そうですか、俺は師匠の事が好きなのに……残念です、破門されたなら潔く身を引きます」


「えっ」


「今まで教えて頂き有難うございました、これからも師匠の教えを胸に――」


「ちょ、ちょっと待ってください! 何もそんなこと言ってませんよ!」


「――どんな時も師匠の教えを守って、精一杯頑張りますのでどうか暖かく見守って――」


「何でですか! 何でなんですか! 何でそんな意地悪をするんですか!?」


「いや、師匠が可愛いのでつい」


「……!!」


「あ、師匠の“反応が”可愛いのでつい、でした」


「……!!」


 ぽろり。

 げ、師匠が泣いた。


「ぅぁ、あぁ……ぐじゅっ……」


「え、えっと師匠!?」


「よ、よかっ……ぐじゅ……よがっだ……ダメな師匠だがら愛想をづがざれだのがど……ぐじゅ」


 ガチ泣きだった。

 おかしい、この人はおっちょこちょいだけどクールな無表情キャラのはず!

 こんなに脆い人じゃなかったはずなのに……どうしてこうなった!?

 あれか、あの師弟イベント後は性格変わるのか!?

 ……って、そもそもこの人は会話AIに欠陥があった前例があったじゃないか!

 周り見えなくなり過ぎだぞ俺!


「師匠、そもそも俺はまだ師匠に全然何も教わってませんよ!」


「!? だ、だから、役に立たない師匠はいらないってこ、こと、ことで……うぐっ」


「そんなことは一言も言ってませんよ! まだ、関係が浅いから」


「底の浅い師匠だから愛想を尽かされたと……!!」


「尽いてませんから!」


「ついて、ない……こんな師匠の元に師事するなんて“ツイて無い”とまで……!!」


 あーもうダメだ、この人のSAN値は限りなくゼロに近い。

 何を言ってもネガティブに行ってしまう。

 全ての言葉にマイナス補正が掛かっている。

 唯一の救いは店内には誰も居ないので、この醜態が衆目に晒されていないということぐらいか。

 本当、ナンシーって思考パターンに重大なバグがあるんじゃないだろうか。

 本気で心配になって来た。


「ナンシー、俺の話を聞いてほしい」


 とりあえず、落ち着いてもらうためにゆっくりと声を掛ける。

 気持ちを逃がさない様に、彼女の細い肩を両手で抱き止め、姿勢を下げてお互いの視線の高さを合わせる。

 昔、俺が癇癪を起した時に親父がやってくれた方法だ。

 その効果のほどは俺が実証済みだ。

 手のひらから伝わる温もりや、その力強さ、感触がどうしても目の前の相手を意識させる。

 視線を合わせることでお互いの立場や心の距離を近づけるし、上手く言葉に出来なかった気持ちも瞳の奥から伝わってくるのだ。

 その日が、俺という人間が初めて親父と対話した日だと思っている。


「えぅ……」


 効果があったのか、幾分か落ち着いた様子で俺を見つめ返してくる彼女の瞳は、大粒の涙が溢れかえっていた。

 その瞳の奥には不安や恐怖だろうか、か細く揺れ動く心が見えるようだった。

 手からは彼女の微かに震える体、その柔らかな温もりがじんじんと掌を通して伝わってくるような気がした。

 アバターの体にそんな機微が感じ取れるとは思わないし、NPCというデジタルデータにそんな複雑な情報を詰め込んでいるという事は無いだろう。

 全ては自分自身の脳が生み出した錯覚なのは明白だ。

 それでも、俺はこの錯覚が大事なことだと言われたのを思い出す。


 VR世界ではあり得ないはずの感覚や感触を感じ取れるのは、自分と言う人間がどんな経験をして、どんな心を育てたのかを映す鏡なのだ、と。

 もし、そういった心の鏡を感じることが出来たなら、素直に向き合って受け入れるべきだとも。


 俺はVRゲームの先輩に言われたことを思い返す。

 きっと、彼女の様子をただのデジタルデータだと思えないのは正しくて、俺自身の心が彼女という存在を認めているのだろう。

 俺という人間は、例えそれが本当の姿じゃなかったとしても、そこに映る姿を無視できる人間じゃないんだと、そういうことなのだろう。


「俺は師匠の事が好きですよ。

 可愛らしいと思いますし、だからこそちょっと苛めて見たくもなります。

 ちょっとおっちょこちょいでドジだし、急にテンパったりするし、本当に大丈夫なのかこの人はと思う事もありますが、それでも、嫌いになるなんてことはあり得ません」


「……それは、あなたの正直な感想なんでしょうが……もうちょっと、優しい言葉だけを選んで掛けられないんですか」


 リクエストとあらば応えて見せましょう。


「ナンシーの青い髪が好きです。 とても綺麗で透き通るような色合いに視線を吸い込まれます。

 ちょっと不愛想な顔も好きです。 よく見ていると、感情による変化が乏しいだけで、控え目な感情の色を見つけ出せた時は幸せな気分になります。

 それに、整った顔立ちをしているので眺めているだけでも飽きません。

 声も好きです。 落ち着いたトーンの声は聞いているだけで心が安らぐ気がします。

 優しい性格も好きです。 二人でアトリエに居る時に、実はいつも本を読むフリをしながらチラチラとこちらの様子を窺っていて、何かしら会話の切っ掛けを探してくれている様子をこっそりと眺めているのが密かな楽しみだったりします」


 一つ一つ、ナンシーの良いところを上げていく。

 思えば、何だかんだと言いつつも俺はこのNPCと良く居る気がする。

 他の冒険者と狩りをしている時間と同じか、下手したらそれ以上の時間を彼女と過ごしているかもしれない。

 結局、俺は彼女の事が嫌いじゃないのだ……どちらかと言えば好きだと言えるぐらいには。 

 俺の告白を聞いていた、ナンシーはみるみる顔を赤らめていった。

 そろそろ頃合いか。


「だから、そんなナンシーに大事な話があります」


「え、あの、まだ心の準備が……」


 俺の熱意が伝わったのだろう、たじたじになった彼女は視線を彷徨わせている。

 ここで一気に押し倒すべきだろう。


「師匠……いえ、ナンシー!」


「は、はい!」


「俺に錬金術を教えてください!」


「はい! 不束者ですが……はい?」


「師匠、確か錬金術関連の本や道具を持ってましたよね」


「は、はい」


「錬金術を嗜んでいますよね」


「……はい」


「教えて貰えますよね」


「…………はい」


 交渉成立である。

 生産系のスキル習得方法は変則的で、街中にいる生産系のスキルを覚えているNPCに話しかけて交渉し、教わることが出来れば習得が出来るのだと掲示板に纏められていた。

 教わる人で、解放されるスキルや、最初に入手できるレシピなどが違うとも。

 そこで思い出したのが、師匠ことナンシーの存在だ。

 彼女の部屋には魔法関連の書籍が無数にあるのだが、その中には錬金術や魔法道具などに関する書物も存在していたのだ。

 軽く目を通してみたがスキルの習得が出来なかったのでその場では放っておいたのだが、習得情報が分かり、ヴェルンドの親父が仕事をする姿を見せつけられたことで、熱が入っている今が習得するタイミングだと思い立ったと言うわけだ。

 予想通り、ナンシーは魔法使いとしてだけではなく、魔法に関連した技術として錬金術も扱えるようだ。

 うむ、万事問題は解決である。


「……ジンの馬鹿」


 その一言は小さく、本当に小さく、それこそ聞かれないように細心の注意を払ったようなか細い声で、ナンシーがそう呟いていた。

 流石に胸が痛む。

 NPCだと分かっていても、こういう反応をされると心が痛い。

 先輩にも悪いが、俺は俺自身に素直に向き合えなかったという事だ。

 こういう言い方をしたくもないが、やはり線引きは大事だと思う。

 彼女はこう見えてもデジタルのデータであり実体がない存在だ。

 いかに生きているように見えても、それは作り出された虚像でしかない。

 与えられた計算式によって導き出された、数字の羅列でしかないのだ……そのはずだ。


 きっと彼女が震えているのも俺の錯覚だ。

 手に伝わってくるこの振動は、胸を刺すような痛みも、後悔も、全部が錯覚だ。

 確かに俺は物を大事にするし、道具に名前を付けて愛用したりもするぐらい、思い入れをしてしまうタイプの人間だ。

 もしかしたら道具にも心があって、持ち主の役に立ちたいと思っているのかもしれない。

 そんな子供の頃に抱いた幻想を、未だに捨てきれないまま持ち歩いているような人間だ。


 だけど、いや、だからこそか……線引きをしないとダメだと思っている。


 きっと、VR世界のプログラムに思いを入れ込んでしまうと……俺の心は現実に戻れなくなってしまう、そう理解しているんだと思う。

 それはおそらく正しい。

 今までのVRMMOのNPCならここまで自然に感じなかった。

 あくまで彼らはNPCというプログラムであり、それは電光掲示板のように必要な情報だけを投影する存在なのだと割り切れていた。

 だが、彼女たちを始めとするこの世界のNPCはどうか。

 ゲームの進行に関係の無い会話もできる、人間の様な空気感をそれぞれが持ち、個々の性格にも差があり、泣いて、笑って、怒って、楽しんで、感情の機微すらも正しく表現している。

 あまりにも自然すぎるから、ついついこちらも自然体で接してしまう。

 忘れてしまう、彼女たちがデータだという事を。

 だから、この胸の痛みは戒めであり、俺を現実に繋ぎ止めるための楔だ。


――ゲームに現を抜かすなんてまともな人間のすることじゃない。


 その言葉は正しいと思う。

 だから、俺は泣かせてしまった彼女の表情を胸に焼き付けた。

 迂闊な俺への、反省と教訓として。

 彼女たちは、人間じゃない……はずだから。


――もしかしたら本当の人間なのかもしれない。


 そんな妄想をしてしまうくらいに、俺は錯覚していたのだから。

 そして、もしそうならば……彼女が本当の人間だったら、俺はどう接していただろうかと。

 淡い夢を見てしまうのだ。

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