Act.01「Hello,World!」#3
渦巻く緑の光が、収束して新たなオブジェクトを生成していく。
旧来のゲームならばキャラクターが形を成していく場面だろうが、自分の視界の中に二つ別に生成されている時点で自分のアバターじゃないと予想が立った。
では、一体何が生成されようとしているのだろうか。
事前に行ったのは「キャラクター作成を完了する」のコマンドを選択と実行だ。
その関係性からはキャラクターが生成されるのだと思うんだけど……二つの光を見比べると左側の方が右側よりも収束が少し速いようだ。
このズレが現象を推測するヒントになりそうだが思いつくことが少ない。
幸いなことに次のヒントはすぐに訪れた。
収束が速かった左側で粒子が形を成していき、オブジェクトを構成し始めた。
全体が人型になったことで気付く、やはりこれはキャラクターが生成されているようだ。
徐々に足元から粒子の収束が終わっていき、光が一際強く輝いて弾けた後にキャラクターの姿が現れる。
がっしりとした肉体を覆うのは重厚な輝きの金属鎧、全身を覆うフルプレートではなく動きやすさを意識して各パーツ別々に装備しているようだ。
鎧の隙間から僅かに覗く肌に見える鱗が彼の種族を物語っている。
勇壮無比な生粋の戦闘種族『ドラゴニア』だ。
しかし、そんな彼の顔に浮かぶのはそんなイメージからは大きくかけ離れたものだ。
ぽかんと大きく口を開けたまま、口端には薄らと小さな笑みを浮かべている。
これはきっと、突然発生した現象に対する驚きと、オブジェクトの生成を見て何が起こるのか期待しての笑みが混じった表情だ。
きょろきょろと辺りを見渡し、こちらの姿を認めたのか嬉しそうにこちらへ駈けてくる。
「おー、ジン! ははっ! 見ろよ、カッチョイーだろ!」
むんと唸ってポーズを取って見せるドラゴニア。
顔付きはドラゴニアの特徴に合わせて多少険しさが増した印象はあるが、自分の身体データを流し込んだ時よりも幾分か和らいだ印象がある。
たぶんそう感じてしまうのは、顔のパーツ以上にカツキ自信が持つ印象や雰囲気の方が色濃く影響しているのだろう。 彼の人懐っこい雰囲気はデジタル上でも健在なのは、いままでの経験から良く知っている。
ドラゴニアになった彼を観察してみる。
生身の時とあまり身長が変わっていないのでドラゴニアとしては身長が低い方だろうか。
ちらりと映った鱗や、髪と瞳も濃い赤色で統一したようだ。
まさに噴煙を纏い灼熱の息を吐き出すレッドドラゴンの化身、とでも言った印象だ。
元々運動の達者だった逞しい肉体は、ドラゴニアの特性と相まって更に一回り鍛えられたように見える。
特に足回りの筋肉量は一際多そうだ。
詳しくは鎧が隠してしまっているので確かめようがないのだが。
「おー、いいんじゃないか? やっぱドラゴニアは強そうだなぁ」
「だろ! 見ろよこの武器、刃渡りだけで俺の身長とどっこいだぜ!」
背負っていた大剣をがっしりと両手で構えると流石に迫力がある。
ちょっと心の中の天秤がぐらぐらと揺れるのを感じてしまう。
「そっちも中々似合ってるじゃん、魔法系?」
そんな気持ちを知ってか知らずか、カツキはこっちに水を向けてくれる。
このさり気ない気遣いができるのは彼の人気の秘訣だろう。
「あぁ、やっぱりファンタジーなら魔法は欠かせないだろ?」
「だよな、やっぱファンタジーと言えば剣と魔法だぜ! 最も、オレの場合は魔法が好きでも使う方はてんで苦手なんだけどな」
「お前の場合、魔法を打つよりも先に体が動いちゃうもんな」
「体を動かせるのに動かさないって選択肢を取れないんだよなぁ……ま、これは適性ってやつだよな仕方ないぜ」
特に残念がる雰囲気も無く、快活に笑いながらカツキはそう言った。
彼の戦闘スタイルは直観的で、考えるより先に行動に移すのを信条としている。
いちいち迷うぐらいならさっさと決めてしまい、その後の状況に応じて柔軟に対応した方が良いというものだ。
理論的な攻略が嫌いな訳でも、戦術的な思考が苦手な訳でもないのだが、元運動部として磨き上げたセンスが突発的な決断を迫られる場面において、例え数瞬でも逡巡する間を持つことを良しと捉えていないのだろう。
刹那の判断を強いられるスポーツの中で磨かれたスキルだ。
実際、そんな彼の発達した嗅覚が、導かれた直感が、過去にプレイしてきたVRMMOの世界で幾度もパーティの窮地を救った経験がある。
その積極性も相まって、彼は今までも近接戦闘職を選び好んで前衛を務めていた。
カツキは前衛、自分は遊撃に回るのがいつものスタンスだ。
どちらかと言うと前衛と後衛のフォローに重点を置く俺が、今回選んだ完全な後衛職タイプに身を置くのは少し珍しいと彼は感じているかもしれない。
「ま、そうかもな。 俺もたまには前衛で勇者様してみたくもあるんだが、今回は大魔導士を目指してみるのも悪くないかな、ってさ」
「いいね、なら俺は村人Aを目指すぜ」
「そんなガタイの良い村人が居るか!」
そんな掛け合いをしながら、ふともう一つのオブジェクト生成が行われていたことを思い出す。
目線を移すと、丁度光が弾けたところだった。
飛び散る小さな光の粒がアバターに触れて雪の様に溶けていくのを視界の端に捉えていたが、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまう。
ごくりと生唾を飲む気配が隣から伝わってきた。
強烈な引力を感じた。
生まれてこの方、これだけの衝撃は無かったんじゃないかと思える程に。
白い肌に青みがかった灰色の長髪がさらりと流れ、その頂きからはさらにピンと尖った二つの山が聳えていた。
山はシャープな峰に薄らと霞がかかっている様な柔らかな輪郭を持ち、ぴょこりと微かに動いたことでそれが毛に覆われた耳だったと始めて気づく。
端正な顔立ちはまさに凛としたという印象だろう、涼やかな細い柳眉や切れ長の瞳、温かみのある色の肌に桜の花びらのように鮮やかな薄紅の唇。
彼女を端的に表す言葉はシンプルだ。
美人。
それに尽きる。
彼女の顔がふっと綻び、妖しげな、それでいて視線を縫いとめる笑みを浮かべ口を開く。
「……ぷっ、二人ともまんまじゃない!」
美人の顔がみるみる崩れ、愛嬌と幼さの浮かぶものに変貌する。
はっと我を取り戻した自分は、その仕草と表情に幼馴染の姿を認めた。
突然美人が出てきて頭が真っ白になったが、何とか精神を持ち直せそうだと思ったのも束の間、今度は別の問題が発生していることを認識して顔を横向けて彼女を視界の外へ追いやる。
向けた先にはカツキの顔があり、同じく気まずそうな、何かにおびえる様な目をこちらへと向けていた。 どうやら、彼も俺と同じことを意識し、その結末を予想しているようだった。
「どうしたのよ、あなたたち二人して?」
俺たちの様子を不思議そうに問いかける彼女。
真実を伝えるべきだ、と思うもののどの様に伝えるべきか言葉を迷ってしまう。
その時、先に動いたのはカツキだった。
彼はいつもこういう時に一足早く動き出してくれる、やはり頼もしい友人だ。
「シノブ、パンツ丸見えだぞ」
ただし、直線的すぎるのも時と場合によっては大参事を招きかねない。
彼女は一瞬だけ怪訝な表情をした後に自分の姿を眺め、その場で凍り付く。
おそらく、シノブは最後の項目にチェックを入れ忘れたのだろう。
服装を選択しないでキャラクター作成を完了した結果、服を一切纏わないままキャラクターが生成されたのだ。
つまり、アバター作成時に初期から着用していたインナーだけを身に着けた状態だ。
男性アバターはパンツ一丁、女性の場合は下だけじゃなく上も肌着を着けているが、それはきっと大きな問題じゃないだろう。
学校でも度々話題になるだけあってスタイルが良いのだろう、腰のくびれや、豊かな胸の膨らみが女性の魅力をひしひしと伝えてくる。
記憶の中にある彼女よりもスタイルが良く見えるのは、VRMMOにおいて女性のキャラメイクはしばしば化粧に例えられる事――女性の変身願望、コンプレックスなどがアバターの外見設定時に多分に影響されると言われている――が多いが、まさに今回の彼女のアバターはそれを裏付ける結果と言えるだろう。
ただ、もしそうでなかった場合……つまり、彼女の生身のデータのままだと普段はかなり着やせするタイプということに……ま、まさか、そんなことが……!
「ば、バカぁぁぁっ! こっち見んなぁぁぁっ!」
しょせん、デジタルの体だし気にすることは無いと言う人もいる。
しかし、実際に恥ずかしい格好を自分がしていて、それを他人に見られているという状況が発生した場合、それが現実かどうかを意識する前に反射的に素の反応を返してしまうものだ。
白雪のような肌を薄らと染め上げ、ふさふさの耳と髪、肩越しにちらりと映った尻尾を逆立てながら、泣きそうな表情で彼女は羞恥と怒りを露わにしていた。
眼福。
俺とカツキは目の前の光景に思わず手を合わせずにはいられなかった。
翌日、リアルの方でガッツリと二人とも彼女にしばかれるのだが何の問題もない。
「で、こんな悪戯を仕掛けるとかどういうつもりなのよ」
それは俺に言っているのだろうか。
「いやぁ、ナイスだぜ! 流石は男の中の男だぜ」
言いたい放題のカツキは服を纏ったシノブに思いっきり叩かれている。
ちなみに、既に自分も三度叩かれている。
あれは不可抗力だったと言っても彼女を納得させるには至らないだろう。
ちなみに、結構痛かった。
VR世界には現実の感覚、視覚や聴覚、触覚などは基本的に利用しているが、痛覚だけは遮断しているというものも多い。
特に、VRMMOで痛覚を採用しているものでも、キャラクター作成用アプリやベンチマーク用のアプリでは痛覚を始めとした各感覚を遮断している場合が多い。
そういう意味では、このアプリの実装状況は珍しいと言える。
何らかの意図をもって設定されているのだろうか。
「い、いてぇいてぇ!」
「ったく、バカなこと言ってんじゃないわよ!」
今の彼女は紋付き羽織に袴、腰には二本の刀を差している侍のような恰好をしていた。
色合いは濃淡の灰色で、細かなイメージは新撰組に近いかもしれない。
和風の職業は洋風な世界観のVRMMOでも人気が高い。
『Armageddon Online』でも中世ファンタジー世界観に和風のテイストを盛り込むのは必要だと考えている様だった。
補足すると、さっきカツキを叩いた時にはちゃっかりその刀を鞘ごと引き抜いて使っていた。
ギラリと鋭い視線をこちらに送ってきたのを見るところ、どうやら失言すれば……いや、失言が無くてもこちらも叩いてくる気なんだろう。
さっきの大剣を構えたドラゴニアにも迫る勢いが今の彼女にはあった。
「いや、特に変な設定はしてないんだけど」
「じゃあ何でこうなったのよ」
「お前が俺たちにナイスバディを見せつけたかったって可能性も……痛い、痛いって!」
「次にふざけたこと言ったら、抜くからね」
「何ぃ、また脱いでくれるのか! ……って、やめろ、マジでやめろって! 本当に鞘でぶたれても痛いんだから! やめて、マジでやめて! 許して!」
真剣を抜き放ち恐ろしい表情で睨み上げるシノブを後目に、設定ウィンドウを立ち上げて項目のチェックを進める。
本来なら、個人個人でキャラクターを作って遊ぶだけ、後でスクリーンショット機能で作ったアバターの画像を交換して楽しむ、という流れだと思うんだけど、こうして一堂に会したというのは一体全体どういうことなのか。
「それは俺も知りたいところかな、説明してくれる誰かが居ればいいんだけど」
「呼びましたか?」
ふと漏らした呟きに対して応える言葉。
返答はないものと考えていたので驚きを隠せず素早く声の方に顔を向ける。
そこには道化師の姿をしたキャラクターが立っていた。
現れた四人目には一切心当たりがなく、その声にも聞き覚えが全くない。
降って湧いたような状況に、騒いでいた二人も黙りこくる。
俺は少しの危機感を覚えながら、ひとまず状況を整理するために疑問を投げかけた。
「君は誰だ?」
「ボクはプレイヤーズナビゲーターシステム。 『イコル』と呼んでください」
そう言うと慇懃な態度で頭を下げる。
右手を胸に当て、左手を翼の様にしならせながらのお辞儀は、まさに観客に見せるそれだ。
プレイヤーズナビゲーターシステム。
酷い造語だが、昨今の複雑化する要素をプレイヤーが理解しやすいように補佐するシステムのことを、いつからかプレイヤーズナビゲーターシステムと呼ぶようになった。
要するにAI操作のQ&Aだ。
プレイヤーが聞きたいことを訪ね、それに返答する形でアドバイスや答えが貰える。
少し長いのでユーザーからは専らPNSと略されることが多い。
「へぇ、まだオープンベータ前なのにPNSを実装してるのか」
「お褒め頂いて恐縮ですが、逆に正式版ではPNSとしては登場しないんですよね」
いやぁ、お恥ずかしいと頭をかきがながらイコルは続けた。
「実は今回みなさまにお配りしたアバター作成アプリですが、クローズドβテスト前の実験も兼ねておりまして、特定の条件を満たしたユーザーの方にご協力をお願いしているんです。
その場合、キャラクター生成時にこうして私から説明をさせて頂き、承認していただければ今回のαテストに参加していただくという流れになります。
そのため、ボクがプレイヤーズナビゲーターシステムとして実装されているわけですね」
ぺらぺらと流暢な言葉づかいで説明を進めるイコル。
細かな身振り手振りを交えての説明は中々に分かりやすい。
「特定の条件というのは他でもありません、複数台のユーザーがネットを介して互いに接続しており、尚且つサーバー用PCを務めている親機の環境に必要十分なスペックがあるか、というものなのですが……基準値を大きく上回っておりますので、むしろこちらから是非にとお願いしたいぐらいなんです! 素晴らしいですね~。
もちろん、今回のテストはこちらから依頼するという形になりますので、参加による報酬も用意させて頂いています。
なんと、次回のクローズドβテストへの参加優先権利を差し上げちゃいますよ!」
「おぉ、マジか!」
「はい、マジでございますよ! 参加するか否かは親機ユーザーの貴方様に委ねさせて頂きますので、是非ご友人と相談の上でお決めください」
イコルはそう告げるとパントマイムを始めたかのように不思議な体勢でピタリと止まる。
確かに魅力的な提案だ。
クローズドβテストは募集枠に対する応募数が圧倒的に多く、当選倍率が半端なく高い。
しかしテストに参加することで優先権利、つまり枠を既に確保してもらえるならば、抽選の状況に左右されない大きなアドバンテージになるだろう。
是が非でも参加したい俺とカツキにとっては渡りに船、カツキの表情は既に期待に輝いているので分かりやすい。 逆に、ぽかんとしているシノブは状況がまだ呑み込めていないのだろう。
すぐにでも飛びつきたい気持ちもあるが別に焦ることも無い。
まずはもう少し話を聞いてみることにする。
「具体的に、αテストって何をすればいい?」
こちらの問いに反応してイコルが動き出す。
どうやら静止していたのは待機状態だったようだ。
最近のVRMMOでは何もしていないNPCなどでも、待機中に息をつく動作や瞬きなど何らかのモーションをするように設定されているので、彼の様にピタリと止まられている事にどうにも違和感を感じてしまう。
ある意味、強烈な個性と言う意味ではキャラクターの獲得に成功しているだろう。
「はい、端的に述べますと『キャラクター作成』を始め、『メニュー操作』や『戦闘』といった全般的な内容を一通り経験してもらう感じになります。 その中で、気付いた点や気になった点、改善してほしい点などを私に報告してもらう感じですね。
特に『戦闘』を一足先に体験してもらうのは、ゲームバランスやデザインにも大きく影響する要素なので、製作者サイドとしても是非体験して貰いたい要素となります」
本当に魅力的な提案だ。
一足早く新しいゲームの一端に触れることができるという優越感を抜きにしても興味が尽きない。
だからこそ、逆に不安になる。
こんなに上手い話があるのか。
完璧だと逆に不安になる。
どこかに落とし穴や欠点がないか探してしまうというのも悲しいが、ついそんな思考が頭を過る。
「もしかして、『閃きシステム』も触れるのか!」
感極まったように声を上げるカツキに、どこか申し訳なさそうに見えるイコルが振り返る。
道化師の表情はNPCである以前にお面で隠されているので余計に分かりづらい。
だから、そう感じるのは彼の今までの受け答えや、自分の中に出来上がった彼のイメージに他ならないのだろう。
「申し訳ないですが、そちらは体験して貰えないんですよ。
主任プログラマーはこっそり突っ込もうと思ってたようですが、流石にそれはやりすぎだと開発室全員で止める事態になってしまって……機嫌を取る為に、わざわざ銀座の高級スイーツ屋さんまで足を運ばされたとかなんとか……あ、これはオフレコですから他言無用ですよ!」
とんだところから身内の暴露話が漏れ出たものだ。
本当に『Armageddon Online』の開発チーム、ひいては制作会社は大丈夫なんだろうか。
変なところで不安を感じてしまう。
聞いたカツキも、さっきから話の行く末を見守っているシノブもその表情に陰りが見えた。
放っておけばまだ何か離しそうな雰囲気がある……と感じたので、さくっと話題を進めてしまうことに決めた。
「分かった、αテストを引き受けることにするよ」
こちらの答えを受け取り、気前良くぐるぐると宙を回り一際大げさなリアクションで応える。
「本当ですか! いやぁ、ありがとうございます!
開発一同、テスター協力に感謝いたします!」
さっと手首をひねり、どこからともなく取り出したクラッカーをパンパンと鳴らす。
彼の背には「祝・テスター登録」とご丁寧に装飾フォントで浮かんでいた。
開発の遊び心が強いのはユーザーとしても楽しいが、スケジュール的には正式サービスを数か月後に控えた佳境の時期のはずだ。
他人事なのに強い不安感、心配を抱かずにはいられなかった。
「ではでは、お時間の方は大丈夫ですか?
よろしければ、さっそくメニュー操作の説明から参りましょうか!」
再び慇懃な態度で一礼し、彼はそう告げたのだった。
次回は戦闘について