Act.05「PvP」#10
まずは体勢を整えなければならない。
密かにローブの下でポーチからHP回復ポーションを使用して保険をかけつつ、魔法の詠唱を始める。
「≪儚きものなれど、ひと時の安らぎで包まん≫≪防御膜≫」
一度きりの防御壁を貼り直す。
他の強化魔法も使えるが、基本ステータスを参照して割合で上昇させるような効果のものは、俺の種族特性に見合わないので使わない。
MPの残量は大分回復していて四割五分を超えていた。
ローブの下で同じくポーションを使用して回復を促す。
これでこちらのHPとMPは七割を超え、決戦に臨む最低限の準備は整ったと言える。
今までこの世界で経験してきた中でも最大の負荷を掛けられた戦闘だ。
苦戦や敗戦を幾度と経験してきたが、対人戦の持つ独特の雰囲気はやはり格別のようだ。
こちらが準備している間にカンデラもアイテムで回復し、≪防御膜≫を張り直していた。
向こうもこちらが張り直したことは把握しているはずだ。
俺たちの戦闘スタイルは非常に似通っている。
魔法使いが本来苦手とする近距離戦闘を、杖による格闘と魔法によるアシストでカバーする。
魔法への造詣も深く、≪松明の呪文≫を攻撃に転用している冒険者は自分以外で初めてみたくらいだ。
また、こちらの機微を読み取り、より適切な行動を選択する正確さは称賛に値する。
俺がミスをしでかしたとは言え、その隙を逃すことなく追撃したのは見事な手腕だった。
結果としては痛み分けで終わっているが、ペースは終始相手に握られていたと言っても過言じゃないだろう。
お互いが手の内を知っている戦い。
その状況で勝つ為には、より正確に相手の狙いを見抜き、それを上回る一手を撃ちつづけることが望ましいのだが……まぁ、それが出来るのは奴の方だな。
俺よりも相手の方が対人戦においては上だと言うのは理解している。
それについては、いくら足掻こうが今すぐにどうこうできるものではない。
正直、アイテムはそろそろ底を尽く。
交戦中に補給するのは限りなく難しく、特に敵が俺に狙いを定めているのだからそんな隙は見逃してくれないだろう。
今の持ち得る全てでもって、この状況を打破するしかないのだ。
結果は予測できないが……俺の全てをアイツにぶつけてやる!
俺は距離を全力で距離を取りつつ、詠唱を開始する。
「≪いま記憶を紐解け、古の魔獣、全てを砂塵に帰した、荒れ狂いしその力よ≫」
俺の体の周囲に、呪文に応じて風が渦を巻き始める。
暴風で霞む視界の向こう、足を止めているカンデラも杖に光を宿していた。
こちらの魔法を迎撃するつもりという事か。
「≪我が力を糧として、ここにその片鱗を顕現せしめん≫!」
遠慮はしない、全力で撃ち放つ!
少しの間を取って可能な限り魔力を注ぎ、奴へと魔法を解き放つ。
「≪魔獣の咆哮≫!!」
俺を取り巻いていた風が、唸りを上げて直進する。
魔力を纏った風は濃緑色の光を放ちながら、牙を剥いた獣の咢のような凶悪な姿を形成して獲物に襲い掛かっていく。
風属性の中級呪文≪魔獣の咆哮≫は風属性の中では最も威力が高い呪文だ。
詠唱時間も短く、詠唱文も口語調で発音しやすいのが特徴だろう。
魔力を帯びた風の障壁を撃ち出すイメージのこの魔法は、その圧力を叩き付けることで対象を空間ごと押し潰す魔法だ。
攻撃範囲も縦横に三メートル程度あり、通路などで纏めて敵を相手にする時には一気に押し流すことが出来る。
扱いやすい風属性の系統の中でも随一の性能を誇る魔法だ。
暴風の塊は猛獣の雄叫びを発しながら炎の壁を蹴散らしてカンデラに迫る。
しかし、喰らい付く寸前で隆起した土壁に押し留められる。
あれは土属性の防御障壁を生み出す魔法≪遮断壁≫。
初級魔法だが物理的なダメージには強固な防御力を有しているので、使いどころさえ弁えれば強力な防御手段になる魔法だ。
扱いにくい点は固定型なので側面や背面は防御できない点、実際に土壁が築かれるので視界を塞いだり移動の障害になる点などか。
俺は側面に回り込むべくすぐさま移動を開始する。
そんな俺を狙ってか、近寄ってくるPK側の戦士が一人。
相手の獲物は攻撃力に特化した両手剣、今のHPだと下手なスキルを防御しただけでも削り殺されるかもしれない。
正面から突撃してくるのでバックステップで距離を取りつつ詠唱を行う。
「≪猛き怒りが火を灯し、暗い情念は復讐の牙を剥く≫」
杖に宿していた≪松明の呪文≫がその火勢を強める。
ゆらゆらと伸びる火柱は、供物を貪欲に求める悪魔の舌のように蠢いていた。
こちらの詠唱に肩を震わせ、さらに勢いよく突進してくる戦士の猛追。
――これは、詠唱が終わる前に追いつかれるか!?
「ぐぉぁ!?」
突然、戦士の兜が爆裂して弾き飛ばされた。
薄らと残る火線から、援護の魔法が放たれたのだと悟る。
俺は一転して、怯んだ敵に向かって駆けだした。
「≪あぁ焦がれる程に強く抱かん、我が手に剣を≫!」
俺の動きに気付いたのか、戦士は驚愕と憤怒の表情を顔に浮かべていた。
だがもう遅い!
「≪火剣≫!!」
彼の振り始めた剣が俺に届くよりも遥かに早く、俺の魔法が彼を焼き尽くす!
杖を柄にして伸びた火柱の剣は、彼が握る両手剣すらも軽く凌駕する巨大な剣だ。
水平に薙いだ一撃は彼の装備諸共、一瞬にして溶断した。
火属性の中級魔法≪火剣の呪文≫は魔法の中では有効範囲が狭いので、普段は砲台として後列に位置する魔法使いが扱う機会の少ない魔法の一つでもある。
其の為、本当の性能を知る人間は少ないはずだ。
刀身の長さは注いだ魔力量によって変化し、最小で一般的な直剣程度から、今のように二メートルを優に超える長大な刃を形成することが可能だ。
それでも、他の魔法の射程や効果範囲と比較すれば最大でも至近三メートル以内しか攻撃範囲が無いと言うのは極端に短いと言える。
それを補うだけの能力がこの炎刃には秘められている。
まず、魔法の基本となる魔力属性、それに火属性の属性攻撃力による追加ダメージを有しているので物理的な防御力を殆ど意に介さない。
先ほど使った風の中級魔法は物理属性がダメージの基本となるので、強力な防具や盾による軽減が有効だが、こちらの魔法はそんな防具は関係なく、直接本体を焼き斬ってしまうのだ。
さらに、火属性によるダメージは装備類に与える損傷度が高く設定されている。
大半の属性攻撃に対しても高い防御力を誇る金属防具だが、その鉄すらも溶かす程の高い熱量で攻撃されれば、その防御力を十全に生かすことはできない。
俺がこれに気付いたのはソロで始まりの洞窟に潜った時だ。
ボスの鎧を寸断した時には一瞬何が起きたのか俺も理解できていなかった。
使用タイミングが難しいことを除けば、≪火剣の呪文≫は攻撃性能に特化した火属性魔法の中でも圧倒的と言っても良い程の抜群の攻撃力を誇っているのだ。
特に戦士系を相手に近接戦闘を挑まれた場合、数回の攻撃を防御しただけでも削りダメージだけで死ねるステータスなのは理解していた。
それほどにマギエルのステータスは極端に低い。
戦士への対処は短期決戦、いや、極短期決戦で臨まなければいけない俺にとっては、まさにこの扱いの難しい魔法こそが切り札になっていた。
何度も使えば見切られる、躱されれば身体能力の補正の差でこちらがやられる。
まさに一か八かの必殺剣だ。
今回は支援砲撃の隙もあり、上手く相手に対応されること無く魔法を行使できた。
あの場面で的確な補助をしてくれた人には感謝の念が尽きない。
溶断され、原形をとどめられなくなった装備が光の塵となって消え、逞しい肉体を晒したまま襲い掛かってきた戦士は地に伏せた。
俺は彼に一瞥をくれることもなく、その脇を駆け抜けて土壁の側面を目指す。
既に魔法を一つ詠唱してしまった。
その時間は奴に大きなアドバンテージを与えてしまっている。
圧倒的な攻撃力を誇る≪火剣の呪文≫だが、消費されるMPも威力相応といったところで他の魔法よりも激しい。
マギエルの魔力操作はMPの吸収にも役立っているが、魔法構築の方でも発揮されている。
俺の≪火剣の呪文≫はそれによって短時間で長大、かつ効果力の刃を形成できるのが強みだが、反面ではどうしても他の種族よりも消費MPのコストが大きくなってしまうことだ。
幾らMPの回復力が高いとはいえ、消費も大きければMPの収支はマイナスに傾く。
俺の現在のMPは四割程度。
この量だとマギエルの俺では詠唱できる魔法の幅がやや狭くなってしまう。
他の種族ならばまだ様々な魔法を扱えるだけの余裕がある量だが、マギエルはMPの容量の面では常に余裕がないと言っていい。
残り少ないMPポーションを取り出し、口に含んでMPの回復を促しておく。
今のポーションは時間経過で回復するタイプだ。
これで、しばらくすれば八割程度までは回復することになる。
現在のMP自然回復力と合わせれば、待つだけで全快近くまで持っていけるはずだ。
俺は火の消えた杖を胸の前に構え、次の魔法の為に魔力を注ぎ始めた。
側面に回り込んだ時、視線の先には詠唱を続行しているカンデラの姿があった。
杖が激しく明滅し、複数の色合いの光が複雑に混じっている。
周囲が闇に沈んだように明度を落としていくこの現象は、まさに先ほど俺も引き起こしたことのあるあの現象だ。
上級魔法の詠唱。
自分が使った上級魔法でもあの威力だったのだ、どのような魔法かは分からないが、その威力は無視できない大きさを秘めているはずだ。
この詠唱は是が非でも止めなければならない。
その為にはまず≪防御膜≫を引き剥がし、さらに本体に致命傷となるだけの強力な一撃を当てる必要がある。
詠唱が間に合うかどうかは分からないが、今はやるだけやってみるしかない。
「≪我が内なる力よ、呼びかけに応えて形を成せ≫」
詠唱に応じて杖が薄らと紫紺の輝きを放つ。
「≪意思により研ぎ澄まされし純然たる力の奔流よ、立ち塞がる障害を排除せよ≫!」
詠唱の完結と共に足を止め、発射の体勢を整える。
「≪魔力流≫」
杖の先端から迸る魔力の光線が、カンデラの≪防御膜≫とぶつかり激しい光を散らす。
無属性の中級魔法≪魔力流≫は杖の先端から放出される魔力の光線によって敵を射貫く魔法だ。
長時間照射すればその分だけダメージが狙える魔法だが、狙いを付けて当てるのが難しい点や、使用中はMPをドンドン吸い取られる性質上、使い手を選ぶ魔法だ。
俺のMP回復力を持ってしてもぐいぐいと目減りしていくMPの残量に内心の焦りは拭えない。
カンデラもこちらの狙いに気付いたのか、その場からの移動を開始した。
まだ出現している土壁を利用しようとしているのだろう。
俺はギリギリまで照準を続け、奴が壁に隠れる前に≪防御膜≫を完全に剥がしきることに成功する。
このまま土壁を撃ち崩し、カンデラに当てるまで≪魔力流≫を使い続けようかとも思ったが、土壁の耐久力がどの程度あるのか分からない現在では少し無謀な賭けに思えた。
MPの残量も既に三割に届きそうだ。
これもマギエルだと注ぐ魔力の量が多くなり威力や射程の向上が見込めるのだが、その分消費が激しい魔法の一つだ。
しかし、単発の魔法で≪防御膜≫を削り切れなかった場合は追撃が困難になる。
奴の詠唱を止めるならば、最低でも≪防御膜≫を完全に剥がすことは必須事項だ。
詠唱中には当然ながら他の魔法を使えない、つまり奴は張り直すことができないのだ。
あと一手で奴の詠唱を止める。
俺は更に魔法を詠唱する。
可能な限り高速で、威力は魔法自体の性能に頼ることにして発動速度を優先する。
「≪荒ぶる御霊の剛力、一身に宿せしは神の鎚≫」
パリッと空気が弾け、杖が細い雷光を纏う。
「≪その怒りが振り下ろされるとき、人はその名の真の意味を知るだろう≫!」
攻撃範囲をしっかりと意識して、決してそこから視線を逸らさない。
難易度の高い範囲指定魔法において、確実に攻撃の起点を設定する為のコツだ。
「≪落雷≫!!」
中級魔法に位置する雷撃系の攻撃魔法。
落雷を発生させ、対象と決めた地点に高威力の範囲攻撃を打ち込む魔法だ。
VRゲームにおいて空間座標の指定というのは、基本的には視線を参照に位置を固定するのだが、実際にやってみるとこれが意外と難しい。
少しでも視線を逸らしたり、大体この辺りなどと認識を甘く見積もっていると範囲がずれる。
対象が何らかのオブジェクトであればそこまで指定は難しくないが、いざ敵の動きを予測して使おうと範囲を設定しようとすると躓く冒険者が多い魔法なのだ。
特に、今のように障害物の奥に隠れた敵を狙うのは非常に難しい。
大雑把に土壁の周囲だろうと設定すると、落ちる場所によっては土壁が起点から放たれた雷撃を完全に魔法をシャットアウトしてしまう。
しっかりと土壁の奥に落とすことを意識し、尚且つ効果範囲に対象を収められる位置に落とさなくてはならない。
しっかりと空間を意識しないと扱えないが、逆に言えばそれさえコツを掴めれば自由自在に攻撃を繰り出すことが出来る魔法になる。
俺はまだ自由自在の域まで到達していないが、障害物に隠れた対象に落とす程度ならば精度に問題はない。
狙い違わずに降り注いだ雷撃は、激しい音と光を撒き散らして隠れ潜んでいるカンデラを打ち据えたはずだ。
息を飲み見守ること数秒、周囲の闇が払われたので俺は勝利を確信した。
「うわぁぁぁあ!?」
叫び声に釣られ、声のした方角を振り向くと一人の冒険者が火を纏っていた。
突如起きた状況に戸惑うも、彼の足元に立ち込めている陽炎に俺は気付く。
急激に上昇し始めた気温は、草原一帯がまるで焼けたフライパンの上になったのではないかと思わせる程だ。
次第に蒸気を上げて乾き始める大地、激しい風雨すらもどこへ行ったのか、辺りには乾いた風が吹き始め、熱波が喉をひりつかせるような錯覚すら感じ始めてきた。
消えかけていた草原の火の手は勢いを増し、この場にいる冒険者を全て取り囲んでしまっている。
明らかに何者かの意思が働いている現象が、カンデラの存在へと結びついた。
「これがお前の上級魔法か、カンデラ!」
声を振り上げて叫ぶと、ボロボロに焼け爛れたローブを引きずりながら、奴は土壁の奥から姿を現した。
その顔には苦しげな表情が浮かんでいたが、口の端には楽しそうな笑みが残っている。
「そうだ、これが俺の力だ! 全ての魔力を注ぎ込んだ最大威力の火炎の嵐!
≪炎嵐≫だ!」
ファン・ダ・ゲーゲーン。
意味はおそらく炎の嵐か、炎の檻か……ともあれ、半径三十メートル程度を囲む炎の壁が聳え立つ姿は圧巻の一言だ。
上級魔法は対軍戦闘用と言われるだけあって、これだけの規模に影響を及ぼすと言うのは驚異的だとも言える。
彼の発言と今しがた焼かれた冒険者の様子から、あの炎の壁はかなりの攻撃力を有していることが理解できる。
それも、並の冒険者の命を一瞬で焼き尽くす程の業火だ。
おそらく現状で解放されている仕様では、あの壁を突破できるだけのHPを持つ冒険者は居ないだろう。
種族による差はあれど、現段階で強化できるステータスはそこまで伸び幅がない。
マギエルを除けば、どの種族も大体一定の範囲で成長が止まるのだ。
マギエルだけはその一定の範囲外、大きく差を開けられて最下層にいる。
本当にどうしてこれほど差がある設定にしているのか。
それはともかく、この状況を打破する手立てを考えなくてはいけない。
まさか≪落雷≫を受けてHPが消し飛ばされないとは想定外だった。
詠唱速度を意識しすぎた為に威力がやや低くなってしまったからか、もしくは俺も装備しているこのローブの性能故か。
確かに現時点では最も強力な魔法防御を持っていると言えるが、俺は≪防御膜≫が剥がれた状態で≪落雷≫を受けて立っていられる自信は無い。
まぁ、俺には無理でもアルヴのステータスならば受け切れるのかもしれないな。
それでも瀕死なことには変わりはない。
ここは一気に攻めてHPを完全に削りきらなければならない。
徐々に狭まってくる炎の壁に追い立てられる冒険者たち。
この手の魔法の制御は術者を核として構成されている。
つまり、カンデラを倒せば炎の嵐は元の魔力へと戻るはずだ。
奴も俺の考えを理解しているようだ、振り返ると既に詠唱を開始していた。
先手を相手に奪われた形だ、仕方がないので俺もそれに応戦せざるを得ない。
杖の輝きを頼りに詠唱魔法を予測してそれを相殺するに足る魔法を構築する。
俺のいま出来る限りの最高速詠唱。
多少威力に欠けようが、基本となる威力が近ければ十分に相殺は間に合うはずだと信じる。
俺の基準では威力が低下していると言っても、マギエルの魔力供給力ならば他の種族のそれと同程度以上の出力は出るはずだ。
いや、出なくては報われない。
これだけが、マギエルの持つ唯一の才能なのだから!
「≪――――、魔獣の咆哮≫!」
「≪――――、岩砕砲≫!」
意趣返しとばかりにカンデラが放った風の魔獣を、高速で撃ち出された土砂を圧縮した砲弾に貫かれてその身を散らす。
俺の砲弾も、獣が従えていた風によって削り、砕かれ、元の土砂へと戻ってしまった。
それでも魔法の相殺自体には成功した。
なんとか詠唱速度も間に合うし、威力の方も最低限は満たすことができたと見える。
カンデラの顔には驚愕と悔しさが入り混じったような、それでいて口の端にはニヤリとした笑みを未だに浮かべている。
奴の戦意は一向に折れていないようだ。
「≪――――、火矢≫!」
「≪――――、火矢≫!」
俺は視界の隅に映るステータス画面を確認し……逸る感情を表情に出さないように努めるしかなかった。
幾ら魔力の供給速度が高いとはいえ、一度に消費する量が多ければいつかは底を尽く。
MPの容量で劣るこちらとしては、短期間で高コストの魔法を連発されると先に息が切れてしまう。
俺に唯一の勝機があるとすれば、奴が先ほどの発言通りに「最大威力で放った」上級魔法の行使によって、MPの限界が近いことを信じることだ。
回復アイテムの有無、その残数によってはそれすらも絶望的だが、少なくとも奴は既に先ほどの行使で上級魔法を二回は使っていることになる。
俺たち以外の冒険者との戦闘などで、幾らかはアイテムを消耗してくれていればいいのだが……これ以上は考えても仕方がないことだな。
俺は最後のMPポーションを割りつつ、詠唱を続行しながら覚悟を決めた。
「≪――――、荒波≫!」
「≪――――、火蜥蜴の尻尾≫!?」
俺が一足早く呪文の詠唱を完成させ、魔法を発現させる。
先に≪火矢≫を見せた後に同系統の中級魔法≪火蜥蜴の尻尾≫を仕込むフェイントを見破ったこと、その上で対処できるだけの威力と範囲を持つ同格の魔法を後から詠唱したにも関わらず、先に唱え始めたカンデラと俺の順序が逆転したこと、それらの事実を前にカンデラが見せた一瞬の戸惑い、硬直した隙を俺は見逃さない。
俺は自身が生み出した高波を防壁に、全力で駆け寄って奴との距離を詰める。
正直、連続した中級魔法の応酬で既にMPの底が見えている。
魔法を使えるのはあと一回だけ、おそらく『MPの自然回復力でギリギリ打てるようになるはず』だ。
一か八かの賭けは何度も繰り返したが、これが俺が今日挑む最後で最大の賭けだ。
MPの回復力を見誤れば魔法が発動せず、詠唱が速すぎても威力が低くなり、逆に遅すぎれば相手のカウンターが先に突き刺さり、この勝負で果てるのが俺になることだろう。
ここまで潜り抜けた全てが台無しになるか、成果として結実するか。
シンプルな二者択一。
興奮と怖れを抱きながら、俺は自らの全てを注ぎ込むように詠唱を紡ぐ。
「≪猛き怒りが火を灯し≫」
杖の先端に真紅の炎が宿る。
「≪暗い情念は復讐の牙を剥く≫」
波で殺ぎ切れなかった魔法の残滓が俺に襲い掛かる。
痺れるような熱が身を焦がすが、俺はがむしゃらに足を前へと推し進める。
「≪あぁ焦がれる程に強く抱かん≫」
既に杖は大きく振りかぶっている。
左手で体を庇うようにして、俺は赤熱する思考を無視して正面だけを見据える。
「≪我が手に剣を≫」
杖が少しだけ重くなる。
炎の剣に実体はなく、故に重さも存在していない。
この重さは魔力の枯渇を意味する疲労感だ。
詠唱が完結しても、MPの供給が途中で止まれば魔法はキャンセル扱いされて霧散する。
つまり、詠唱に失敗したことになる。
既に振りかぶっている杖の先に刃があるのか、今の俺にはそれを確認する術は無い。
そこにあるべき炎の刀身は跡形もなく消失しているかもしれない。
不安がないと言えば嘘になる。
それでも、俺は躊躇わずに剣を振り抜いた。
「≪火剣≫!!!!」
叫ぶように、祈るように、体の内にある全てを吐き出しながら、俺は切り札を抜き放った。